2014年6月1日日曜日

頑固で柔軟に

人の意見をどこまで聞くのか?自分の意思を押し通すのか?
この判断は非常に難しい問題です。

私自身、非常に頑固と言われる場合と、人の意見を柔軟に聞き入れますねと、全く反対の事を言われる場合とがありますが、この頑固と柔軟は、全く違う論点で、自分の中ではハッキリしています。

受け入れる、柔軟、という事に関しては、特に若手で想いを持って活動しているイノベーター達は、単純に尊敬するし、刺激も含めて勉強させてもらえる事が多々あると思っており、そういう事が、既存価値のオジサン方からは柔軟に受け入れる様に映るのでしょう。

一方、頑固と言われるのは、自分が責任を負わないといけない事ほど、簡単には人の意見を聞かないところですが、アドバイスは聞きますし、良い事は取り入れるのですが、無責任に、ああしろ、こうしろ的に言われることに対しては、責任を負う自分が判断しないと、ひどい目にあうという経験則から、他の人よりも頑固に聞かないと思います。 

その人の置かれている状況や、考えなども知りもせず、自分の尺度で、簡単に、ああすべき、こうすべきと言うのですから、それが責任ある発言なわけがありません。

自分が責任を負わないといけなければ、アドバイスはできたとしても軽々しく言える筈などありませんし、それが言える人は修羅場を経験した事が無いのだと思います。

修羅場というのは、机上論では考えられない事が起こります。

例えは不適切ですが、大惨事の際に、賢い人達が考え抜いた想定は役に立たなかった様に、その状況にならなければ、その立場に立ってみなければ分からないのです。

かつては日本の誇りとされたS社が苦しんでおり、その元凶には、私も何度もご一緒させて頂いている経営者が上げられますが、そういう批判も私は嫌いです。

何故なら、その立場を経験しないと分からない事だらけであり、20万人ものTOPになってみないと、どんな風景なのか、内部に居てもましてや外部からでは想像もできない状況があるのです。

でも残念ながら、世の中がワイドショー化し、無責任に、人の事を責任も負えないのに、ああすべき、こうすべきと軽々しく言う傾向があり、この点が諸悪の根源とさえ思っているので、頑固と言われるのも当然だと思います。

又、ああしろ、こうしろと、上から言っていくスタイルでは、これからの世の中は変えられませんし、中央(政府)から、決めつけて分配していくやり方では、もはや日本は持たないのは明白です。

そうではなく、土壌を耕すこと、組織や企業で言えば人を育てることですが、その場合、スキルではなく人間として、生き物として育てることが重要で、土壌を耕しながら、芽が出てきたら育っていく場を作り、あとは、自然の力、それぞれの生き物の力に任せていく、そんなことでないとこの国は変わっていけないと思っています。

と言うと、私もこうすべき!と言っている様に聞こえるかもしれませんが、ハッキリと違うのは、自分の会社など、自分が責任負う所に対しては頑固に、自分が責任負えない所では、その会社、その人、それぞれの立場を尊重していくべき!だと考えているのです。

多様性を認め、それぞれが尊重される社会にならないと、東京一極集中からも脱出していけません。

そんな考えに基づいて、これからも無責任な"べき論"には頑固に、分からない潮流には柔軟に対応していきたいと思います。

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