2008年2月29日金曜日

新・京都迷宮案内

パキラのブログでも既にコメントを入れて頂いたりもしていますが、28日の”新・京都迷宮案内”でウエダ本社が出ておりました。

前回の浅野ゆう子さんの”女刑事みずき”の時よりも、オフィスがしっかり映って
いましたし、何よりも、五条通り北ビルにある営業部の商談スペースから、窓を通して、京都タワーと共に、南ビルの事務機のウエダの看板が結構しっかり映っていました。

私は会社で、仕事をしながらテレビを見ていましたが、映った瞬間に、ある懇意にしている会社の社長さんから、メールが入りました。

流石テレビの効果って凄いですね。

そう言えば、先日の京都市長選で門川さんが当選を決められ、事務所に入って来られた際に、私が結構アップで映ったらしく、その際も、新市長が入って来られ、会場が盛り上がっている際に、私の携帯にはたくさんのメールが入って来てました。

これだけ効果があるなら、テレビ、映画関係の方、京都でオフィスを映す際は、いつでもをウエダを利用して頂いたらと思います!

2008年2月27日水曜日

XEROX表彰式

先週金曜日は、富士ゼロックスの表彰式が帝国ホテル東京で開かれました。

以前もアピールさせて頂きましたが、これは昨年度の年間販売の表彰で、ウエダ本社は2年連続日本一を達成する事ができました。

驚いたのは、4社の方が、日本一の名刺を下さいと来られた事です。
会社全体では悩みだらけで、全然大した事はないのですが、やはり一番というのは
それだけ価値があるのだと再認識しました。

又、以前コメントをお寄せ頂いた方も挨拶に来て頂きましたが、最近、再興記をご覧頂いている方も多くて、私の知らない方々が、私の考えなどを知って頂いているケースも多くて、何か不思議な感じがします。

そんな風に色々注目して頂くと、改めてしっかりやらないと、という気になる良い機会をであったと思います。

2008年2月24日日曜日

ウエダ再興記(26)~ 物流事業からの撤退交渉

いくつかの難問を同時に、しかも四面楚歌の状態で対していかなくてはいけませんでしたが、その中でも大変難問であったのが、共同物流センター事業でした。

これは国の制度融資を得る為に、卸組合の土地を担保にし、組合の事業として行なったのですが、ウエダを含む5社が実際、資金も出し、事業運営を行なっており、その他の数十社はユーザーとして物流会社を利用しているだけの構図でした。

その5社の中でも、規模で負担金などの比率を決めており、ウエダともう一社で半分以上の負担をしており、約1億近い運営費を年間払う事になっていました。
しかも怖ろしいのは、その物流会社が赤字になれば、その損失をこの5社が、その比率に基づき追加負担をしなくてはならない構図で、ユーザーとして利用しているだけの会社は、他が安ければそこに代えれば良いだけですが、この5社は、自社に損失が返ってくるだけなので、この物流事業からは抜けられない蟻地獄の様相でした。

時代はバブルが弾け、バブル絶頂期に作成した甘い事業計画での物量など見込めず、逆にドンドン減っていく状況で、当初据え置きでスタートしていた融資の返済もスタートしていく時期でした。

問題があまりにも複雑である事、私が全く知らない業界の組合の事であり、色々な関係性が私では分からない事、他にたくさんの難題に取り組まなくてはならない事などから、この物流事業からの脱退交渉だけは兄の方で行ってもらう様にしていました。
しかし、しがらみもあり、かなりの腕力の要る交渉でしたので、全く進んでいませんでした。

私の進めるいくつもの難題の一つは、当然の事ながら、真っ赤な赤字会社を黒字化する事であり、しかも前回までに書いていた様に、この頃の貸し渋り、貸しはがしの状況下では、一刻も早く達成しなくては間違いなく倒産に追い込まれるという状況でした。
それを考えると、結局は私がこの問題も解決しないと、他の解決に繋がらず、この交渉も私が行う事にしました。

初めて、5社の社長との交渉に出ました。
それまでに兄を通じて、ウエダは撤退させて欲しいと言っていましたから、皆私の意向は分かっています。
又、撤退の決断を出しているのは、社長の兄ではなく私である事も、皆分かっていますので、ここでも私は悪役でした。

しかもこの場合は、他の4社からすると、一番メインのウエダが撤退するとなると、余計に苦しくなるのは明白である事、又この事業は、ウエダの社長であった私の父が組合の理事長時代に、決めた事業でもあるので、ウエダが脱退など許せる筈のない話であり、初めから予想通り、”ウエダが脱退するなど何事だ”、”今抜けられると完全に立ち行かなくなる”、”止める為には、融資返済など多額の現金を用意せねばならず、そんな事ができるわけがない”など一斉に言われました。

私は一通り話を聞いた後、”確かに厳しいかもしれないが、この状況を考えると今日が一番損失が少ない、それは各社とも状況は同じ筈だ”と訴えました。

2008年2月20日水曜日

旧暦びより

和美作美ブログにもありましたが、19日は雨水という二十四節気の一つの日です。
立春の次の節気で草木の芽が出始める頃だそうです。

と珍しく、もっともらしい話をしておりますが、実はKBSさんが出されている
”旧暦びより”という本を頂いたので、知ったかぶりをさせて頂きました。

この本、らくたび文庫を出されている桜風舎さんが編集されており、見やすい
本になってますので、私の様な者でも見易いですし、残念ながら京都の事に関心を示さないうちの子供も見ていました。

なかなかlaviemarieさんの様にはいきません。。。
やはりそれは親の問題ですね。(笑)

2008年2月18日月曜日

門川新市長と京都流

皆様、ご声援有難うございました。

基本的には政治を云々するサイトではない京都流ではありますが、まず、京都流はジュニア京都検定の理念を応援するサイトでもあり、それを作って来られたのが門川前教育長である事、我々は色々な問題意識から京都流を展開する様になったのですが、その主旨に門川さんは、バッチリ当てはまる方である事、又、それもポーズや、口だけの人ではなく、実際に自分で動かれて、皆を引っ張って来られた方である事などから、今回は、門川さんを推薦するという立場を取らせて頂きました。

私自身も、選挙で個人的に協力したという事は初めてでしたが、それは門川さんのやって来られた事や、お考えを知っているだけに、こんな人が落ちたら、京都にとっては大変な損失だという一念からでした。

しかし、問題だと思うのは、新人候補4人の選挙だというのに、投票率37%というこの京都市民の白けぶりです。
そういう様にしか仕向けられなかった、候補者達に魅力がなかったと書いている記事も見ましたが、私はそんな問題ではないと思います。

自国の事、自分の住んでいる地域の事ですから、誰が出ようと、立候補者の問題ではなく、まず関心を持つのが人間としては当たり前の事だと思います。
自分の事に関心がないというのと同じ事だからです。

京都ほどの都市で(東京でも大阪でもあまり変わりませんが)、37%しか投票に行かないなんて、外国からすると、まず、”品格”どころか、軽蔑される話です。
そういう風潮が、確かに政治は悪いと思いますが、国民自体が大いに問題で、こういう白けた、自分の事にも興味を持たない国民にして来たのは、教育にも大きな問題があると思います。

その問題に対しても、まともに取り組んでこられたのが門川さんだと思いますが、そういう本当の所が伝わらず、単に、庁内候補だから改革ができないとか、政党相乗り
だから駄目だとか、そんな話で予想以上の大苦戦でした。

この2,3日何度か門川さんと電話のやり取りをさせて頂きました。
いくらお疲れでも大変なハードスケジュールの中でも必ず、かなり酷使されたのが分かるお声で、お電話を頂きました。
そんな事一つとっても、信用のおける方だと思います。

と、同時に京都流の皆さんにとっても、より、親近感のある市長の誕生です。
何せ、京都流の存在を知っておられるどころか、気にして頂いているのですから。
以前にも言いましたが、これからは皆さんの京都への思いが、今までは思いだけで終っていたのが、市長にだって届くという事になるのです。
そういう意味では、京都流も、京都流の方々も、心を引き締めて、京都に対して、より建設的に考えていかなくてはならないと思います。

最近、皆様のお陰で、小さいながら、ある種の存在感を持って来ている様に感じますが、これから門川新市長の下、より一層盛り上がっていきたいと思いますので、
よろしくお願い致します。

2008年2月17日日曜日

ウエダ再興記(25)~ どんでん返しのメインバンク

取引変更の交渉も、永年お世話になった所に対して、いきなり明日から変更しますというわけにもいきませんから、実際は、同じ様にリストラ計画を説明する事から始めました。

しかし予想した通り、都銀の態度は目に見えて、変わりました。
当座貸越という契約で、殆ど実際は利子だけ払っていて、元金は張り付いたままで返済していないという状態で来ていたものを、1年の証書貸付に変更してくれと言ってきました。
1年の証書貸付という事はその間に元金も返済し、1年後には完済しなくてはならないわけですから、実際できるわけのない話です。

この都銀ともこの後何度も怒鳴りつける様な交渉をしながら、その間に地方銀行にメインになってもらう交渉を進めました。
怒鳴りつける交渉をしてはいましたが、腹の中ではこうなる事は予想していました。

ところが、計算違いであったのが、都銀を切りにかかり、険悪なムードになった所で、リストラ計画大いに賛成と言って、メインになってくれる筈であった地銀の態度が変わった事です。
今までずっと、都銀のサブで居た為、その地銀からすると大変不利な条件であったのを、ここぞとばかりに条件変更を言って来たのです。

この地銀に対しては、リストラの事業計画も提出し、年間2500万円しか返済原資がない形で、それに基づいて計画を立てていましたが、そんな事はお構いなしで年間5000万円返済、しかも同じく当座貸越から証書貸付に変更して、利率も1%近く上る話でした。
”あなた方、地銀が都銀と同じ様なスタンスで、事務的に、役所的に、そんな対応をしていて良いのか?”交渉役の部長に、又腸が煮えくり返る思いで怒鳴っていました。

と同時に、この交渉も大変シビアなものでした。
メインであった都銀とは既に決裂していて、カバーをしてくれる筈の地銀とも揉めるわけですから、間合いを少し間違うとやはり倒産という可能性もある局面でした。

この時、救ってくれたのが、新規でサブに入ってもらった京都信用金庫です。
当時の本店長に流れを話すると、一度うちで肩代わりする提案をしましょうか?との事でした。
しかも数日後、京信から出て来た提案というのは、この頃の状況を考えると尋常ではない破格の条件でした。
私が驚いて本店長に、どうしてここまでやってくれたのですか?と聞いたところ、
本店長は、予想される御社の返済原資から考えると、これくらいの条件にしないと無理でしょう?と言ってくれました。

地銀には、事業計画、返済計画もしっかり出していたにも関わらず、こちらの事など一切考えない案であったのに、京信の方は、事業計画も出していないのに、状況を類推して、うちを生かす為に、こちらの返済余力から逆算しての、条件を出してくれたのでした。

意気に感じた私はその場で、ずっと話して来た地銀に代えて、京信をメインに据える約束をしました。
メインになってもらうべく話して来た地銀には、今度は新規で入って来た信金のサブにつく事を、納得してもらう交渉をしなければなりませんでしたが、そんな交渉くらいはやらないと申し訳ないと思いました。

納得の行かない事は相手が誰であれ、主張して行きますが、相手が腹をくくって考えてくれた事に対しては、こちらもそれに応えなくてはいけない、それが私の全てに共通する基本的なスタンスです。

2008年2月13日水曜日

月桂冠370年

今日、経済同友会の会合で知ったのですが、月桂冠さんの創業は1637年で昨年でなんと創業370年だそうです。

ウエダ本社は今年70周年とか言ってますが、こういう話を聞くと京都ではまだまだ、ひよっこですね。。

1637年に伏見で創業されたのですが、1635年には参勤交代が制定されたとの事で、その事により、伏見が宿場町として繁栄したそうで、江戸時代の初めには一説によると人口1000万人、明治の初めには3000万人との事ですが、この参勤交代を行う事によって、当時東海道の通行は何と、片道年間200万人であったそうです。

又、1902年には既にハワイにお酒を輸出されていたそうで、海外展開(進出)も100年以上前に行なわれていたわけで、京都企業、京都の奥深さを感じた日でした。

今日は、日記風にあっさりと終わります。

2008年2月10日日曜日

ウエダ再興記(24)~ もう一つの倒産との分岐点

業績が悪い事と倒産する事は100%一致しません。

業績が悪くても銀行が援助し続ければ倒産はしませんし、逆に世の中には黒字倒産ということは頻繁にあります。
それだけに銀行取引は神経を使うことでしょうし、多くの場合、銀行には皆かなり気を使っている感じがします。

私は、ウエダに来て再建に関わる全ての事に対してそうでしたし、それ以降も何かを行う際には、通常の商売ではどうか?をシンプルに考える様にしています。
京セラの稲盛氏の表現で言えば、”何事も原理原則に従って考える”という事です。

ウエダに入るまで、銀行との本格的な取引というのは全く経験をしたことがありませんでしたが、銀行だから特別という考えを持たず、通常の取引先として考えました。

私が入って来るまで(この頃は都市銀行9行の時代でした)ウエダの銀行取引は、大手都市銀行のD銀行がメイン、地銀がサブの二行取引でした。

私は当初から、ウエダの規模で何を偉そうに都市銀行メインでやっているのだという事と、同時に、これから大改革を行うのに、2年毎に支店長が変わっていく様な都市銀行が、長い目で見た再建を理解してくれるわけがないとも思いましたので、先方から言われていない時期に、こちらからこの都市銀行を外そうと考えました。

実はこの点も、倒産を防いだ大きなポイントだと思います。
というのも、この都銀は、後に他の都銀との合併をする事になるのですが、その過程では相当ひどい切捨てもあった様ですので、もし、この合併の動きがあってから、うちがリストラを行なう様になっていれば、まず、メインからの支援を得られず、倒産に追い込まれていたのではないかと思います。

又、このメインの都銀がリストラ計画を理解してくれないからと、リストラを行なう手が遅くなれば、その分確実に倒産に向かうわけですから、この銀行取引の変更は、後から考えると、本当に良いタイミングであったと思います。

私は、サブであった地銀の営業本部長の所に行き、大リストラ(再構築)を行う事、
その為には、都銀では親身になってくれないであろうから、今までサブであったその地銀にメインになって欲しい旨を説明し、本部長からは、大いに賛成で、援助しますとの心強い言葉を得ました。

しかしそれだけでは、一行取引になり危険である為、新たに信金をサブに入れる事にし、地銀メイン、信金サブの体制を取り、安心して、大手都銀との取引を止める方向で話を進めていく事になるのでした。

2008年2月7日木曜日

コメント返信に代えて・・あまりにお褒め頂くので・・

laviemarieさんのブログで、身に余るお褒めの言葉を頂いていて、ちょっと印象良すぎ?と思いますのと、同時に大変嬉しいこともあり、こちらで書かせて頂きます。

OK企業につきましては、大変光栄な事ですが、実は、子育てパパに理解があるというよりは、中小企業としての実情から考え出したアイデアが、面白がって頂いたというのが、正直なところです。

国の行なわれる事は往々にして大企業の物差しでしか考えていない事が多いです。
ワークライフバランス、父親の育児支援、そういう事をいくら制度で固めたところで、人手の足らない中小企業は、理想は共鳴できても、現実できない事が多いです。

又、実際の話、たくさんの仕事を掛け持ちせざるを得ない中小企業で、遅くまで働いている人と、育児休暇などを取得するお父さんと、公平に評価できるか?又、周りの忙しい仲間達がその事を本当認めてあげれるか?という問題があります。
そんな所に制度だけ導入しても、実際本当はサボりたいわけではないが、やむを得ず、育児に関わらなくてはいけない人が、休暇を取ったりしても、その人自身が評価をされず、社内では不遇を味わうことになってしまうのが現実だと思います。

しかし、我々の会社でも社員が、生き生きと働けるという会社を目指している以上、
家庭内での困りごとも出来るだけ取り除いてもらい、安心して働けるようにしたい、
それはずっと考えていることです。

私の場合この数年で両親を亡くした為、ある意味その苦労はしていないのですが、
日本の場合、子育てと同じく、親の介護の問題があります。
そんな悩みを抱えていてはそれこそ、仕事どころではないと思います。

今後もずっと続いていくこの問題に何かできないかと考えていて思いついたのが、
有給休暇を1時間単位で取得できる様にしようという事です。
これであれば少し管理が手間なだけで、育児であれ、親を病院に連れていくという事であれ、2時間だけ休みを取って、日中堂々と抜けていけるわけです。
それで家庭内でのやるべき事を済ませてもらって、仕事に集中してもらえば、多分、
数時間のロスなんて、大した事ではない、そういう発想からこの制度にした、という事で、育児参加するパパを応援しよう!というものだけではなかったのが本当のところです。

でも、私はこれで表彰して頂いて、マスコミなどにも取り上げて頂くことにより、
この、1時間で有給が取れるという制度を多くの企業で取り入れて頂ければ、それこそ
仕事は一生懸命やり、家庭の事もしっかり協力できるという社会が実現できると思いますので、表彰して頂いてよかったなと思っていますし、ここでもあえて長くなりましたが、書かせて頂きました。

あと、laviemarieさんのブログで嬉しかったのは、ダンディーと言われた事!ではなく(笑)、京都流の使命と思って展開してきたモデルの様な存在であり、私にはできない実践をされていることです。

京都人でありながら京都の事を知らなかった私が、京都に持った問題意識で、何故、もっとしっかり背景や意味合いなどを知らしめないの?しかもそれをできるだけ早い段階から・・という事を思っているところに、京都市教育委員会がジュニア京都検定を作られ、地元を知る、興味を持つ、その事が子供達に一番大切な教育になるという主旨に賛同して、ジュニア京都検定も応援するという立場をとったわけです。
しかもジュニアの場合は、親子で学ぶということで、希薄になった親子間の関係も見直そうという想いもあったわけです。

しかし、現実はまだまだそこには至ってないのも事実ですし、京都流サイトでも、
京都検定の方では、1級の方も参加してもらっているので、それなりの役割もあるかと思うのですが、ジュニア京都検定に対しては、うまく機能できていないという想いを
持っていました。

それがlaviemarieさんのブログはいつも、親子間で学ばれておられる姿、しかもそれをお子様も楽しまれている御姿が感じられ、愛情一杯育まれておられるという事が
読み取られ、多分、前門川教育長はじめ、教育委員会のジュニア検定に関わってこられた方々は、大変喜ばれているモデルだと思います。

是非、今後も京都流のジュニア京都検定大使の様な存在で、お子様とも楽しんで京都を発信して頂ければと思います。

長くなりましたが、そんな言いたい事だらけでしたので、返信に代えてとさせて頂きました。

2008年2月5日火曜日

コメント返信に代えて

busstopさん、yoojiさん、コメント頂いており有難うございました。

返信が遅れておりましたのは、又!と言われるかもしれませんが、土曜日から香港、マカオに行っておリました関係で、先程戻ったところです。

そんな事情で返信が遅くなり申し訳ございません。

まだ、前回のサイゴン日記も書けていないのに、次の国に行っていましたが、今やラスベガスを抜いたと言われるマカオの事も少しは触れないと駄目だと思います。

ラスベガスを抜いたという事が行ってみると納得できます。
全3000室スイートという巨大ホテルも建設中で、どこのホテルもドデカイ、カジノを
持っていますが、その客の95%が中国人で、又使う額が半端ではないという光景を見てしまうと、日本が確実に埋没していってるのがよくわかります。

だからこそ、日本人は”京都”を考えないと駄目なのだと思います。
又、いずれそんな話も書かせて頂きたいと思います。

それと、busstopsさんが指摘して頂いた通り、今年の5月1日がウエダ本社の70周年です。
近々これは詳しくご説明させて頂きますが、京都流のイベントとしても2日、3日と大々的に行います。

周年事業と併せて、ハイアットリージェンシー京都で3日間行うというものですので、
是非京都流の皆様も、ご予定を頂ければと思います。
取り急ぎ、返信に代えて。

2008年2月3日日曜日

ウエダ再興記(23) ~会社を買いませんか?

私は元来、相手が誰であれ、自分が正しいと思えば言っていくタイプです。
しかもこの時は、瀧定で梯子を外された時や、父親から梯子を外された時以上の悔しい思いでしたので、とても黙っているわけにはいきませんでした。

しかし、この頃は、子会社代表と、U社が歩調を合わせていたのに加えて、ウエダ本社で、数字面、資金面を一手で取り仕切っていた常務も、子会社の代表の言いなりという状態でした。
親会社の常務が子会社代表の言いなりで、しかも親会社にとっては役員でもない子会社代表に指示されて、親会社の支払いを行なったりするという非常識な状況で、そういう事を指摘しても、ただ反発して、”皆を引き連れて出て行く”などと言う様に、ルールも何も無い状態でした。

これだけの四面楚歌の状態で、私がいくら正しく、腹が立っても、それを主張したところでその状況が変わるわけもなく、そんな事で時間を費やせば間違いなく倒産に追い込まれる、そう考えた私は、悔しい気持ちを押し殺して、何故U社がそんな行動を取るのかを考えてみました。

U社からすると、コンピューターの子会社は、利益も出ているし、決して切り離せない重要パートナーですが、親会社のウエダ本社は赤字であり(これらの数字の情報もU社には漏れていたのですが)、文具卸という先行きも厳しい業種で魅力もなく、子会社代表が言う様に、このままウエダ本社が潰れると、大事なコンピュータ子会社も共倒れするのが、最も困る事だったのだと思います。

それなら・・私は考えました。

法律的には、これだけの問題があるわけですから、子会社代表を解任する事は問題ありませんでしたが、基幹系システムという難しい領域で、100人近い規模の会社をウエダ本社の子会社として、法律面だけで押さえて、置いておいても先行き生きていけるのか?又、そういう事に疎い私が、傘下に収めていても100人程のメンバーを生かすことができるのか?
そう考えると、どこか大手と関係を深めないと駄目だと思いました。

又、周囲の人からは、羨ましく思われているウエダグループが、連携どころか、内情はそんな情けない状況であり、それなら、支配権を無くしても、U社の様な会社に入ってもらった方が、ルールは通じるので、却って子会社とも連携が取れるのではないか?そう思いました。
そして何より、この流れを止めて、倒産の危機をしのぐのは、U社の側に回るしかない、そう考えました。

私はU社の会長に会いに東京へ行き、こう切り出しました。
”コンピューターの子会社を買いませんか?”
予測した通り、U社はその話には興味を持ち、出荷停止の措置や、決済の交渉もお互い誠意を持ってこれから交渉するという事になり、U社のプレッシャーをひとまず止める事ができたのでした。