2018年11月25日日曜日

教えては見れない夢

今月は、ヨーロッパから帰国してからも、東京を含め、高知、鹿児島と出張続きでした。

この間には、メガミ関連の打合せも入り、会社で席についている時間がほぼ無く、インプットばかりで、ここではとても纏められないですが、順を追って簡単に振り返りたいと思います。

帰国後翌日出社した後は、仕入先メーカーの展示会などで東京出張、帰って京都府主催の両立支援体験セミナーで基調講演という貴重な(笑)体験をさせて頂きました。

先月から、メガミ関連での時間も取られて、より時間が無くなっているのですが、この講演資料は、メガミスタッフの方でほぼ纏めてもらい、正に”主婦力”を感じましたし、こんな力を、メガミ、そしてウエダ本社は、人、スキルが足りない中小企業に向けていきたいと改めて感じました。

翌週は、ウエダ本社の事業報告会を行いましたが、こちらは、前期の報告と今期の展開についての話ですので、合間をぬって自分で纏めましたが、後日、来社された仕入先の上司の方も読んで頂いた様で、簡潔で分かり易いと言って頂きましたが、こちらは、自分の想いを自ら伝えるという事の重要性を感じました。

翌日からは、勉強会で高知に入り、馬路村農業協同組合の東谷組合長と、徳島県上勝町で葉っぱビジネスを展開されている(株)いろどりの横石社長のお話を伺いました。

年間予算20数億円の村で、柚子を一時期40億円近くのビジネスに仕立てられた東谷さんと、葉っぱを売り物にし、働き手はほぼ全員が65歳以上、最高齢は96歳で、最も稼ぐ人は80歳で年収1700万円という、高齢者の自立モデルも作られた横石社長の話は、どれだけの壁や抵抗や、苦難の中でここまで築かれたかと思うと、勉強になるというレベルの話ではありませんでした。

何せ、横石さんが上勝に来られた40年前は、いつも皆、愚痴(文句)を言っていて、人を批判する事が日常茶飯事だったそうですから、それをこれだけ古い体質の村や、お年寄りまで一変させられるのですから、経営者として具の根も出ませんでした。

具の根も出ないと言えば、折角高知に来たのでと、以前から行きたかったネッツトヨタ南国さんにも訪問させて頂きましたが、やはりこちらにも、伊那食品さんで感じる本物の姿がありました。

オーナーであり相談役の横田さんは、”教えない”人材育成で有名ですが、その事が浸透していて、全体が考える組織となっているのがよく分かります。

しかし一方で、命を預かる自動車を扱っておられるので、答えるまで待つ事もできない状況がありでしょうから、その辺りのバランスをどうされているのか?を尋ねると、出て来て頂いた整備の方が即座に、”車の整備ですから、当然基本的な事(技術)は教えます。ただ、それはあくまで作業の話であって、仕事というものは、考えるものですから、そこからが仕事であり、我々は、いかに早く、その作業の域から仕事できる様にするかを考えないとダメなんです。”と。

これは別に、講演会でもなんでもありません。

現場で、こちらがその場で思った質問に、その場でその時おられた方に答えて頂いたものですから、当たり前の様に、皆がそんな考えを持つ組織を作り上げておられる事に対して、同じ経営者として恥ずかしくなると共に、本物の遠さを感じました。

色々な環境や制度も整備し、仕組みを作り、場を与えて考えさせる、そんな大きいセーフティーネットの様なモノが張り巡らされた中で、自らで考えるという事を求められるので、放任と、自主性の違いも感じて取れました。

高知を訪れたのは、いみじくも坂本竜馬の誕生日と命日だったのですが、この時ついでに足を延ばして訪れた北川村は、竜馬の翌日に亡くなった中岡慎太郎の故郷であり、その名物の柚子は、当時食べる物に困っていた北川村で中岡慎太郎が植えさせたものだそうです。

明治維新に沿ったわけではないのですが、今週はある会で鹿児島に行き、西郷隆盛、大久保利通、島津斉彬のゆかりの地も訪れました。

帰国後バタバタでしたが、たまたま高知、鹿児島と、明治維新のリーダー達の足跡を順番に訪ね、現代でも壁をぶち破り、あり得ないビジネスを立ち上げてこられたり、実際に動いている組織を見せて頂いたりして、一(いち)リーダーとして、感じる所が大きかったです。


鹿児島では、やはり大久保利通は人気が無いそうで、ドラマで演じておられる瑛太さんですら、やじられたりしたそうです。

その大久保利通は、亡くなった後には、殆ど私財がなく、むしろ借金があったそうですが、それは自らの私財を近代日本の礎に投じて行っていたからだそうです。

連日、ゴーンさんの報酬含めた会計処理のニュースで持ちきりです。

とても報道通りだとは思えないのですが、それでも、現代において、世界屈指の経営者と言っても過言ではない人物が、あの様な形で逮捕までされるというのは、大変残念でありますし、危険であると思います。

そう言えば、ゴーンさんからは、この世界をどうする?人類をどうしたい、という話は聞いた事が無かった様に思います。

リーダーには夢を語って欲しいと思いますし、スキルや能力だけで選ぶのではなく、自分の欲ではない夢を持つ人がリーダーになって欲しいものです。

夢を描いたり、語るのは、教えてではできない事でしょうね。

そして、自主的になり、夢を持つと、人はイキイキとして、年齢をも凌駕するのかもしれません。

又、夢が色褪せたら、素晴らしいリーダーの足跡を追っていきたいと思います。





2018年11月18日日曜日

コペンハーゲン、マルメからのフィードバック

帰国後も出張続きで、なかなか海外出張についても書く間がなく、その間のインプットが溜まり過ぎてますが、順番に北欧について書きたいと思います。

ベルリンからコペンハーゲンへはLCCで行きました。

ヨーロッパのLCCは、日本ともやはりシステムが違ったりすので、下手をすると、結局経済同友会の一行にも合流できないかも?という心配もあって、最悪その便がキャンセルになっても、他の会社の便で行ける様にと、かなり早くに空港に行きましたが、拍子抜けするほどスムーズに行き、夜にコペンハーゲンに着きました。

翌日はホテルで、まず基本的なデンマークの概要のレクチャーを受けましたが、色々な事が日本人の我々の思考では、真逆?と思える事がバランスしている様で、なかなか整理できません。

幸福度ランキング1位と言われるデンマークですが、この源泉は高い税金で高福祉である事で、実際、日本で100円感覚の飲料水が300円弱、スタバのコーヒーが600円程という感じで全てが高く、収入が多い人は所得税も60%ほどとの事で、驚くのが職種によって収入があまり変わらず、所謂、ホワイトカラーとブルーワーカーまでもが、手取りレベルがあまり変わらないそうです。

その分、教育、医療は無料であったり、休職中の手当てが厚く、生活をするのに安心できるということですが、それなら、頑張って勉強してTOPを目指そうという人が生まれず、怠ける人ばかりになるのでは?と思いますが、それがそうではなく、やはり国を動かそうとする様なエリートはしっかり優秀で、モチベーションも高いそうです。

小さい頃から”社会で貢献する様な仕事が良い”という教育や、テストが15歳まで無く、自分がしたい事を問われ続け、誰でもが一番になれる教育が浸透しているとの事ですが、俄かには、信じられない話で、でもそんな事だらけでした。

キャッシュレス、自転車優先社会、個人情報の徹底管理など、国家戦略としてのグランドデザインに則って、トータル的に考えられている様で、そんなブレない国の指針自体が大きな安心要素なのだと思います。

ウォーターフロント開発で、デザインセンターとして作られたBLOX HUBでは、施設のコンセプトや開発背景などのお話は聴く事ができず残念でしたが、翌日に行ったスウェーデンのマルメにあるSTUDIOというホテル&コミュニティースペースは、ここだけでも今回来た甲斐があったと思えるものでした。


広大なスウェーデンの南端に位置する第三の都市マルメは、全長16kmを結んだオスアン海峡連絡路が2000年に開通してから、コペンハーゲンと約350万人の経済圏を形成し、大国、大都市にも勝つ為の、独特の展開をしている様に感じました。

このSTUDIOという建物は、一階にはホテルのフロント(と言ってもカウンターデスクのみ)とカフェ、2階がコワーキングスペースと、テーマ毎に作られたミーティングスペースで、上の階にはオフィスとホテルがある複合型のスペースで、尚且つ、吹き抜けとなった階段は、地域の人に開放したスペースで、コンサートなども開かれるそうです。



コワーキングスペースにはやはりコーディネーターが常駐し、会員の要望などを聞いて、人や企業を繋ぐ役割をしており、その養成がポイントだとも言われていました。

このマルメ訪問も合わせて、コペンハーゲンの滞在は実質二日の滞在で、ほんの一端しか見れてないと思いますが、普段から弱者の戦略で考えている私などには、このSTUDIOの創られ方を見ただけで、狙いどころも分かり、自分のやっている事との方向性の確認も取れた気がしました。

”今後、都市は、優秀な頭脳をどう引っ張るかの競争だ”という説明もありましたが、大国でも大都市でもない、大企業でもない集団の創り方、向かい方がそこに有った様な気がします。


そんな見方をしていたのは、私だけかもしれません(笑)



2018年11月10日土曜日

ドイツ報告

日曜日にコペンハーゲンから帰国しました。

元々は、経済同友会の視察でドイツ、コペンハーゲンと参加するつもりでしたが、二年に一度のオフィス家具の展示会がケルンで開かれていた為、そちらに参加して、ドイツは別行動しておりました。

日本で言えば、ビックサイトか幕張メッセの会場全部を使うくらいの規模をオフィス家具だけで構成できるのですから、その層の厚み、レベルの高さは桁違いでした。


もう今から20年程前になってしまうのですが、繊維商社に居た際には、ミラノとパリのやはりテキスタイルでこの様な国際展があり、春と秋の年二回行っていたのを懐かしく思い出しましたが、その時は、仕入や、そこの情報を持って帰って直ぐ自ら企画するというすぐさまの飯のタネを血眼になって探していましたので、それと比べると今回は、ゆったりと見て肌で感じという良い時間を過ごさせてもらいました。

ケルンの近くのデュッセルドルフには、Jimukino-Ueda bldg.のオープン時から、一階でHACOBU KITCHENを運営していた中山咲子さんが来ているので、こちらでの様子を聞いて刺激を受け、その後、ベルリンに向かいました。

こちらでは、以前に紹介を受けていた井口奈保さんが共同代表を務める、アートなどを中心に街(コミュニティー)づくりを行なうNIONというグループとミーティングをさせて頂いたのですが、やはりその地の空気に触れ、実際の風景を見て、お話を聞くと、ベルリンの置かれて来た背景からの特殊なバランスを感じる事ができ、このグループが目指す所も理解する事ができました。

ベルリンもスタートアップ企業が集まって来ており、そこには力を入れている様ですが、面白いのは、スタートアップ企業も決して大きくなっていこうという事ではなく、企業規模よりもインパクトを目指している事でした。

何せグーグルが事務所を構えた際に、自社の利益追求や、拡大志向の会社を良しとせず、地域の人達が締め出していって、結果的にグーグルが、この事務所はベルリンの為の事業をするという事で、何とか居させてもらう事になったという話もあるくらい、地元の人の
アイデンティティ―の高さを感じました。
そんな事で見てみる街並みは、面白いと思う所は全て旧東側で、ここに町づくりは勿論、組織であれ、個人であれ、色々なヒントがある様に感じました。

今回、ドイツに行って初めて分かった事は、日本では、ドイツ人は厳格で真面目で、日本人と合うという事を言いますし、私もそう思っていましたが、それは全く違うという事でした。

最初に到着して、フランクフルトの空港からケルンに入る特急列車も、イキナリ1時間ほど遅れていましたが、別に、大した事があったわけでは無さそうで、それくらいは良くある話だそうです。

ベルリンに夜着いて、荷物だけ置いて約束の食事に出かけてホテルに戻ると、部屋の鍵が壊れていては入れず、ここはサービスアパートメントだったので、夜9時からフロントが居ないので、着いたその日の夜中に、部屋に入れないという状態でした。

フロント周りにあるチラシを探しまくって、何とか連絡先を見つけて電話すると、”誰か行かせる”との事で、幸い?真面目に10分程で来てくれて事なきを得ましたが、個人で動いていると、細かいトラブルだらけで、ドイツが、、というよりも、やはり日本が良くも悪くも世界の中では特殊なのだと感じました。

それこそ、新幹線は、殆ど一分違わず、毎日凄い本数を運転しています。

それは海外から考えると驚異の技であると思いますが、その実直さが方向、目的を見失うと、成果と結びつかず、生産性が悪いという話になるのでしょうね。

一人当たりの生産性は、ノルウェーの半分以下となるのですから、使い方が間違っているとしか言いようがありません。

その北欧、デンマーク、スウェーデンへの訪問については、次回書きます。