2012年5月27日日曜日

夢を考える”場”

昨日はフューチャーセンターin 四国というイベントにゲストでお招き頂き、日帰りで高松に行っておりました。

”対話の力で新たなな未来を創造する”というもので、コミュニティー開発に長年取り組まれ、フューチャーセンターという概念において第一人者である、ボブスティルガー氏と、”内省と対話”をキーワードにリーダーシップや組織変革を研究されている香川大学の八木先生がファシリテーターを務められ、8割くらいが20歳代というメンバーの中、色々なメニューで対話を行いました。

何人かの若者が、言われてみれば、夢など考えた事がなかったと言っていた事に、改めて考えさせられました。
 又、”夢っていってもそれぞれで捉え方が違うんですね”という気づきも出ていました。

確かに夢って言われても、ある人は、実現できない様な、正に夢の世界を”夢”と捉えていたりしますし、夢に向って頑張っていますというある人は、”夢”は実現可能なものと捉えていたり、まずその時点から違っていますよね。

近頃の若者には夢が無い・・そんな事も良く聞かれますし、私も感じたりします。

でもふと思うと、我々の年代や上の年代の方が持っていた夢って何なんでしょうか?

物が無かった時代から、豊かになりたい、金持ちになりたいと思って頑張って来られた世代、又、我々世代はバブルを若い時に経験し、その下の世代もネットバブルと言われた時代がありました。

しかしそれは全て、お金であり、結局はモノを求めているんですよね。

今の20歳代前半の人達、世間では失われた20年と言われますが、彼らからすると失われてもなんでもなく、初めからこの状態であったし、かと言って、モノに困っているわけでもないのです。

そんな中で、モノを求める必要が無い彼らを見て、モノを追いかけて来た人達が、彼らには夢が無いというのですが、それが違うのではないか?そんな気づきもありました。

モノを追いかける必要も無い彼らに取って、今欠乏しているのは、繋がりであったり、心の豊かさであったりするので、心の豊かさを追い求める事が夢となっていっているのだと思いますし、社会貢献的な事に入っていく若者が多いのは、そんなところからなのだと思います。

モノであった目に見える夢や目標が無いから、やる気が持てない、生きる意味を見出せない若者が増えている様に思いますが、やはり人は、夢や目標が無いと、少なくともそれを考えてみる事から始めないと、行動していけないのだと思います。

そんな時代だからこそ、まずは考える機会、場を作る事が大変重要になっていき、多くの人が目に見えない心の豊かさから来る夢や目標を見出していけた時に、日本は再度素晴らしい国に動いていくのだと思います。

だからこそ、今後は、ダイアログ、ファシリテーションというものが必要になってくるのであり、その場も含めたフューチャーセンターという概念?が大変重要になっていくのだと思います。

そしてそれを世界でも推進されておられるのが、ボブさんであり、日本でそれを推進されているのが、京都流議定書初日にもお越し頂く野村さんなのです。

その野村さんの呼びかけで、今週と来週をフューチャーセンターウィークとして、日本各地で80ものセッションが繰り広げられます。

自分の周りでも夢を考える”場”を増やしていきませんか?




2012年5月19日土曜日

聖地は遠いものです。

木曜日からある勉強会で長野に入り、金曜日には”聖地”伊那食品さんにお邪魔しておりました。

多分私は五度目だと思いますが、朝の清掃にも参加させて頂いた事もありましたし、伊那食品さんの凄さは、充分分かっていたつもりでした。

が、それもまだまだ上辺でしかなかったと痛感したのと共に、今回は、正に、いい会社を目指そうとする会社にとって、ここは”聖地”であると、思いました。

今まで見た事なかった三つの工場、健康プラザを併設した研究棟、建築中の工場や会議棟など、塚越会長自らご案内頂き、かなり奥底まで見せて頂きました。

儲けようとか、規模を拡大しようとか、そこから発想したのではなく、全ては社員の幸せを願い、急拡大を戒め、年輪経営そのもの、着実に未来永劫成長していく事を目指されている姿が、ポーズではなく、具の根も出ない程、きめ細かく考えられていて、しかも例外なく施されている事が良く分かりました。

誕生日カードを贈るのも良いが、社員に対して一番やるべき事は、会社を潰さない事であり、会社を継続させる為と、皆が楽しくする為に利益を上げ、その利益は、如何に社員が快適になるか?という事に投資をされるというスタイルが首尾一貫しているのです。

元々は大量の水や粉末などで、汚れているのが普通である筈の工場は、精密機械の製造の様なクリーンルームであり、一滴の水滴すら落ちていません。

世界から調達されている海草は、天候などで変動するので、常に安定生産、安定供給を図る為、1年分在庫されています。

又、農業法人も作られていますが、これも自社で使う原料を作る目的よりも、もしもの際、社員の食料を確保するという目的であるそうで、社員全員の1年分のお米も備蓄されているそうです。

工場は全て、敷地一杯に建てるのではなく、自分の所が一番使わせてもらうのだからと、あえて、後ろに下げて建て、市へ言わば提供して、路幅を広く取れる様にされています。

広大な森、リゾートホテル顔負けの敷地も、どこへ行っても、見事に清掃というレベルを超え、木々も含め育んでおられるという感じで、何度実際見ても、話をどこまで聞いても、これらを全て社員さんが自主的に、休みの日も含めて行なわれているのが、信じられません。

社員さんの車はどこへ行っても、木々を守る為の前向き駐車で、しかも車の後を見事に揃えて駐車されています。

これもある社員さんがその方が気持ち良いと言い出された事を、皆で行なわれているのです。

”うちはね、やろうと決めれば、全員が簡単に、継続してやってくれるんだよ。そんな人の集団だ”
と、これまた、簡単に仰る会長。

勿論、今となっては、そういう価値観を持った社員さんが集まって来られる様になっていると思いますが、会長の社員さんをそこまで大切にされる姿勢が、皆さんをそこまでにさせているという事も、現場を見れば分かってしまうのです。

あまりにも遠すぎて、参考にならないですが、聖地ですから、嘆きの壁の前で、悔い改める、そこから再度始めていく事にします。



2012年5月12日土曜日

目に見えない報酬

今週は尊敬する田坂広志さんからメールを頂き、大変喜んでおりました。

一度だけお目にかかった事があり、それを頼りに今年の京都流議定書にご参加頂けないか?とイベント主旨と私の想いを添えてメールで依頼をしていたのですが、数ヶ月も経っていながらも、キッチリとご返事を頂いたのです。

今回、ご出演は叶わなかったのですが、喜んで入れた御礼メールにも再度ご返信頂き、改めてその対応も勉強させて頂きました。

その田坂さんが書かれた「仕事の報酬とは何か」という本があります。

これは、ずっと、日本人の仕事観や職場観を変革したいと思っている私には、ドンスバの内容で、
仕事の報酬には、自ら求めて得るべき報酬と、結果として得られる報酬の二つがあり、本来、収入や地位という結果として与えられる報酬を、自ら求めて得るべき報酬と間違ってしまった事が、日本人の多くが働く喜びを感じなくなってしまった原因であると言われています。

キャリアアップを図ったり、マニュアルを覚えて、手法でお金を得ようとするが、本来、自ら求めるべきは、能力、仕事、成長という三つの報酬であり、それらの報酬を求めない限り仕事の本当の喜びは得られないと言われるのです。

先日うちの会社でも、仕入れ先さんのご協力を得て休日に行なう営業研修の内容が良いので、皆に出てもらい、振り替え休日を取らせるべきか?という相談が上がって来たのですが、私は、そんな有り難い話を用意してもらって、振り替え休日まで取って”頂く”、様な事までしなくてよいし、出たくない人に無理に出て”頂く”必要はないと言いました。

世間でエリートと言われる人、意識の高い人は、休日に自分で高いお金を払ってビジネススクールなどに通っていたりするのに、そんな反応になるというのは、能力、成長という自ら求めるべき報酬を得る機会が用意されているのに、それに参加できるという報酬が見えていない、というそのものなのです。

休日に参加するなら振り替え休日を・・という話なのですから、仕事や働くという事の本質が分かっていない表れだと思います。

一体誰の為に成長するのでしょうか?
誰の為に仕事をしているのでしょうか?

上司や会社の為にやっている、その為に成長を求められ、その為に勉強、努力、しなければならない、そんな感覚の様に思えてなりません。

そんな仕事なんて辛いと思いますし、そんな為の仕事だから、土日の趣味に生きるという話になるのです。

目に見えない報酬を目指す事ができれば、全く、見え方が変わってくると思いますし、生き方が全く変わると思うのですが。

2012年5月3日木曜日

アフリカから世界が見える

先日の祭日に、Jimukino-Ueda bldgで行なわれていた関西大学のゼミ中心のダイアログに、会場の開け閉めの為?に参加しました。

そのゼミでは国際協力などを勉強している人も多いと聞き、それならと、テナントさんでもある、テラルネッサンスに出てもらえないか?と思い、連絡すると、この日は休みで奥さんとお出かけ中だった理事長の小川氏が、急遽出席してくれる事になりました。

どんな集まりで、どんな人達とも分からず、”ちょっと10分くらいで活動をしゃべって”という無茶ぶりにも見事に応えてくれ、もっていたPCで資料をその場で纏めて、素晴らしい話をしてくれました。

丁度先日出版された”ぼくらのアフリカに戦争がなくならないのはなぜ?”という彼の著書を読んで、私も全くアフリカについて無知であり、アフリカに対して無知であるという事は、世界に対して、そしてその中の日本で起こっている事に対して無知であったと思っていましたので、国際協力などに興味を持っている学生さんには、是非、聞いて欲しいと思っての無茶振りでした。

アメリカには銃器販売店がマクドナルドの10倍ある。

世界の武器の9割は英、米、仏、露、中の5ヶ国で取引され、その3分の2はアフリカなどの途上国を対象にしている。

冷戦後10年間で400万丁の小型武器が回収されたが、その間毎年800万丁生産されていた。

などなど、トンでもない話も日本は武器を生産していないから関係ない、と思いがちなのですが、ここがポイントで、アフリカを知る事で、色々な構図が見えてくるのです。

何故、こういう大国が、アフリカに目を向け、元々は、そんな民族でもなかった人々を複雑な憎み合う関係にしてしまったのか?

それら全ては大国の都合であり、そこに自分達にとって都合の良い資源があったからなのです。

その最大の輸入国は、日本であったり、又、直接の資源ではなくとも、100円ショップなどで、安さのみを追求していった中で、我々が買っている中国製の商品は、アフリカのゲリラや戦争で酷い目にあっている人々の犠牲の上に成り立っているかもしれない、いや、そんなケースが多いという事で、我々日本人でもほぼ全員が何らかの関係を持っているのです。

その様な小川氏の話は、流石にウガンダやコンゴに約6年、現地で活動してきただけに、簡単で分かりやすいのですが、説得力が違います。

そして彼は、良い悪いと言っているのではなく、そういう事が起こっている現実を知って欲しい、そして、アフリカだから関係無いという事ではなく、全ての問題は繫がっているという事を理解して、少しでも目の前の課題に立ち上がって欲しいと言うのです。

若干、私見も入っているかもしれませんが、テラルネッサンスや、小川氏、鬼丸氏などとお付き合いさせて頂いてきて、私自身、そこに気づかせてもらいました。

環境問題、原発問題、貧困問題、食糧問題、どんな問題もそれだけで考えていては解決に繫がらないし、ましてや、その問題で対峙する人の事を批判しているだけでは、全く意味を成さないと思います。

全てに繫がる価値観の変革を起こしていかないといけないと思います。

そんな一助になれば・・これは三年目以降、特に強く思っている京都流議定書のミッションです。

私が以前から抱いていた疑問・・  日本において、ジーパンは数百円にしないといけなかったのでしょうか?

売り手の論理ではないでしょうか?

凄い業績を上げて、多額の寄付をする事は確かに立派ですが、こんな構図を考えると、本質が違う様に思います。

お前も、それだけの寄付をしてから物を言え!と言われそうですが、自分もそんな事ができる様になれば、声高にこの事を叫びたいと思います。




2012年5月1日火曜日

12'5月ウエダ本社社報

《 Coの関係の組織 》

二期連続で厳しかった年度が明けました。

40余年お勤め頂いた佐々木さんが完全に退職された他、前期には数名が辞め、そこに新しい人が入り、社内の風景もかなり変わることになります。

今期から本格的にクラスター制で展開しますが、既にそのクラスターで動いてもらっている様子からも、ここ数年のいくつかの課題に対して、かなり有効であると思いますし、その事によって、何人かが成長を見せてくれており、ウエダ本社は確実に反転の局面に入ってきたと言えます。

あとは、スローガンにも掲げている様に、連携、対話、前向きという事を各自、各クラスターが、どの様にできるかを考えて、シンプルに追求してくれれば、今まで苦しんだ分が身になって、一段成長した組織になっていくと思います。

連携は、社内のクラスター間は勿論の事、仕入先様、お得意先様、その他関係する全てのステークホルダーと行なっていかなくてはなりませんし、その為には、それぞれの立場を理解し、その為には、対話を重ねていかなくてはなりません。

対話というものは、単なる会話とは違いますし、上辺だけの付き合いではできるものではありません。

今まで長年お付き合い頂いている仕入先様とも、対話をした事があったでしょうか?

それどころか、私も含めてですが、社員間でも、対話をして来たでしょうか?

何か、全体的に、摩擦を起こしたくないとか、個人のプライバシーだとか、マニュアル化しないと伝わらない為に手法ばかりに捉われるとか、そんな世の中の風潮にも流されてきた様に思います。

今年年初の日経新聞では、“個”から“Co”に移ったという特集が組まれていました。

“Co”という単語に含まれる意味は、”共に“という事です。

“Co”になっていく過程においては、摩擦、軋轢も生まれ、一時的には嫌な感じも味わうでしょう。

しかし、そこで単なる会話ではなく、対話を重ねていくからこそ、真の連携が生まれ、強い信頼が生まれ、パートナーとなっていくのだと思います。

今年度から、風景も変わった組織で、皆が同じ目標に向って、“Co”の関係の組織を作っていきたいと思います。