2019年3月24日日曜日

一人の想いから

FBでもUPしていましたが、今週は日曜日から、ボーダレスジャパンさんに衝撃を受けてスタートしました。

1年間にソーシャルビジネスに向かう起業家を100人作る、それでないと間に合わない!という強烈な想い、そんな無謀とも言える話を、できるかも?と思わせる能力、そしてその能力がありながらも自然体の絶妙なバランスを持つ代表の田口さんと、ご自身が代表となっても成功されるであろう能力を持ちながら、支える側で副社長としての役割に徹しておられる鈴木さんと二人の関係性、それに引き寄せられた能力ある若者が、利益の恩送りというシステムで結ばれた信頼のグループなど、ワクワクする夢を感じさせてくれる人、集団でした。
私なども想いがあって、11年前から京都流議定書も行ってきて、この間、”ソーシャル”というものの色々なイベントやアワード、それを仕掛ける人、参入する企業も沢山登場してきていますが、いっその事ボーダレスさんの活動に全部連動できないか?と思うほどの魅力を感じました。
月曜日は朝から、”経営実践研究会”の方25名がベンチマークに来られ、我々の取り組みもお話させて頂きましたが、本業を通じた社会貢献を実践する企業を目指しておられる経営者ばかりなので、初めてでも同じ方向を目指している事が分かり、気持ちよく話させて頂きました。
夜には、理事を務めているリブオン代表尾角光美さんのお母さんの17回忌法要に参加しました。
リブオンとは、この尾角さんがお母さんを自殺で亡くされた体験から、死別などによる喪失感などに対するグリーフサポートを行っている団体ですが、ここに集まって来られた方々から、尾角さんが大変な体験を通して、この団体を立ち上げてくれたお陰で今がある、”生きててくれてありがとう”と口々にお話されていました。
もし尾角さんが、そんな苦労をした人でなければ、この団体も生まれておらず、この方々は、救われていなかったかもしれないですし、救われた方が又同じく、苦しむ人のサポートをされていくのですから、ここでも、たった一人の命、それを使っての役割が、どれだけ多くの人を救えるのだろうと感じました。
こんな事もありながら今週も、合間をぬって仕事していると(笑)、我々の存在価値を認めて頂けてワクワクする話と、従来型?の人の価値を見ていない、ギスギスした話が混在していましたが、突き詰めて考えていくと、一人一人の存在や価値を認めているか、単に、作業や歯車として扱っているかの違いだと思います。
下請け、業者、発注する側が偉い(強い)という中で動いている所は、業界の特性や長年の仕組みで、当然と思ってやっているのでしょうが、人としての可能性、一人の命を使った仕事だという事は全く考えられていないと思います。
潮目は確実に変わってきているので、従来のビジネスモデルで大きな力を持っていた所ほど、ヤバイんじゃない?と思うのですが、そんな所ほど全く気付いてないですね。
今週には、ある野党議員とも話す機会があり、政治の世界でよくある従来型発想での話をされていたので、何故、野党なのに従来型で与党とも同じ戦略で考えるのか?確実に、潮目が変わり出している事などを、ボーダレスジャパンさんの例なども交えてお話させて頂きました。
私は本来、その人の立場でないと分からない事は批判しない主義ですが、ビジネスの世界でも上意下達的な運営での限界が来ており、人がやっている事なので、その流れは政治でも同じで、増してや政治って本来は、市民、国民の声を拾い上げて行なうべきところを、数は力的な常識で押し通しているのですから、完全に戦略として間違っていると言えるのです。
有能なこの方は、全く無かった価値観ながら理解しようとされていましたが、他人にばかり求めず、まずは我々民間から、流れを転換していきたいと思います。
実はたまたまで、ボーダレスジャパンさんに触発されたわけではないのですが、我々もこの潮目の変化の中、ピッチを上げていきたい事から、来年の採用は、起業を目指す人限定の採用としています。
そんな想いを持った方は、4月9日の説明会でお待ちしております!

2019年3月19日火曜日

本物のソーシャルについて

先週は京都府の京の公共人材大賞でしたが、今週は京都市の1000年紡ぐ企業認定の審査でした。
審査と言っても、その賞それぞれに趣旨が違って、評価の仕方も違うので、選ばれなかったり、評価が高くなかったとしても、決してその企業や人がダメなのではありませんし、この賞でなければ、こちらの方が良かったとか、何の問題もないけど、この賞ではないですよね、という事がよくあります。
そもそも私などが審査を務めさせて頂いているわけですから、バリバリのビジネスプランコンテストではありませんから、世間一般の企業(人物)評価ではない事も明白です。
ただ、こと”ソーシャル”と言われるものについては、私自身は、嗅覚は持っていると思いますし、その観点が入る部分においては自信を持って審査させて頂いています。
私自身、何故その嗅覚には自信を持っているかと言えば、事業展開も死生観から考えている所があり、それも、説明していくとちょっと引かれるかも?(笑)と思いますので、深くは話ませんが、簡単に言えば、死後の世界というものがあって、この世の事は全て修行ではないか?という様な発想で、事業も自分の役割を全うする為、その存在意義を最大化する為から考えていたりするので、流行りや狙いで、ソーシャルと取ってつけたり、掲げていたりする所に対しては、論理ではなく、違和感を感じてしまうのです。
話のついでに、一つ自分の悩みを吐露すると、自分自身面白みが無い人間だと思うのですが、それは、資産を持つのも楽しむのも、死んだら終わり、と思っている所があるので、役割に繋がらない楽しみにも興味が持てないのです。
そろそろヤバくなって来て、これ以上は引かれるので止めますが(笑)、いつの世も流行りには、上辺だけ脚色してうまくやる所が入って来て、旨味を刈り取り荒らしてしまいますが、このソーシャルという世界では、それだけは止めて欲しいと思いますし、そうならない様にしていかないといけないと思います。
そうでないと、自分や自社が儲けたいと思う所が、ソーシャルを語っていくと、結局は世の中が良い方向に向いて行かないという事になるのですから。
今、朝一の新幹線で東京に向かっています。
ソーシャルビジネスサミットに参加する為ですが、この主催のボーダレスジャパンさんには、以前から大変興味を持っています。
実は以前から、NPOなどのホールディングができないか?と考えていたのですが、それを既に、もっと強固なビジネスで、しかも熱意ある若者を育てて起業家集団を作られているのが、ボーダレスジャパンさんなのです。
という事で今日は一日、ソーシャルシャワーを浴びると思いますので、又、言いたくなると思いますが、今日はこの辺で。

2019年3月11日月曜日

"ムダ”の定義と良い会社デザイナー

今週金曜日には、三週間インターンで受け入れていた京都芸術デザイン専門学校の学生さんのプレゼンがありました。
今やインターンというのを、ほぼ採用活動の一環として利用している企業も多いですが、我々は一切関係なく、ハッキリ言えば学生さんや送り先の学校や企業への協力で受けているケースが殆どですが、今回は、デザイナー志望の学生4名という事で、これは我々も仕事的に助かるかも?と受け入れました。
ところがそんな下心?を持ったのが甘かったのですが、デザイナー志望と言っても、コミックイラストコースの学生さんで、うちの業務とはほぼ関連性がなく、しかもコミュニケーションが苦手で、このメンバーも同じクラスなのに、殆ど話した事が無いと本人達も言っている様な状態で、主に関わったこちらの担当者が、当初かなり負荷がかかり、精神的にも落ち込む状態になっていました。
それでも一所懸命にやってくれていたのと、気にかけて関わってくれているメンバーもいたので、私は全く関わっていなかったのですが、最終日のプレゼンを見て、というより彼らの発言内容を聞いて、あまりの成長ぶりに感激しました。
コミュニケーションが苦手だと言う彼らが、この三週間で学んだ事として口々に言っていたのは、”挨拶が大事”という事と、”報・連・相の重要性や意味”についてであり、”デザインをやるにしても、一緒に仕事をする人や、お客さんの意図をくみ取ってそれをデザインしないといけないので、ヒアリング能力が大事と気づいた”という事を、ハッキリ言えばプレゼンとしては決してうまくはないながら、それだけに自分で感じた事を自分の言葉で言ってくれているのがよく分かり、感激したのでした。
彼らは毎朝、フロアで挨拶するだけでなく、一人ひとりの所に言って挨拶してくれていたのですが、うちのスタッフがその指導をしてくれていたのが、それをたった三週間で、その意味までを自ら気づいたのですから凄いのと共に、彼らにそんな気付きを与えてくれたスタッフ達には、完全に負けました。

ウエダ本社が一見、”ムダ”な事を何故行っているのか?はよく話をする所ですが、そもそも我々はこの”ムダ”への反発で展開している面があります。
自社の採用に繋げるわけでもないのにインターンを受け入れ、しかも、2月~3月と言えば、年間で最も忙しい時期に、業務外の負荷がかかるという、効率性を追求する企業からすれば、全く”ムダ”としか言えない様な事だと思いますが、考えないといけないのは″ムダ”の定義です。
”ムダ”を定義づけるには、”目的”をハッキリしないと、それによって”ムダ”は変わります。
別にトヨタさんが決めた”ムダ”がどの企業にとってもの”ムダ”とは限らないし、少なくとも我々の考える”ムダ”とは違います。
勿論、”ムリ””ムラ”だらけの会社ですから、改善すべき”ムダ”は沢山ありますが、我々の目的が、オフィスの設計やコピー機などの販売であれば、こんな事は”ムダ”以外の何物でもないし、こんな事に、業務を放ったらかしにして取り組むなど、意味分からないどころかやってはいけない事でしょう。
ただ、ウエダ本社の目的は、オフィスや備品というハードを提供するのではなく、働き方をデザインし、良い会社をデザインする事であり、それらは全て”人を活かす”事をベースにして行っていくので、今回のインターンでも”ムダ”ではなく、良い経験をさせて頂いているのです。
と言っても、私は言っているだけなので、スタッフからは”気楽でいいよな”と思われてると思いますが、ウエダ本社としての目的のすり合わせを、まだまだやっていきたいと思いますし、オフィスやインテリアデザイナーではなく、皆が”良い会社デザイナー”となってもらう事を目指していきたいと思います。
とは言え、時間も限りがありますので、これを見られた学校関係者や某金庫の方(笑)、いつも受け入れられるわけではありませんので、その点はどうぞご了承下さい。

2019年3月3日日曜日

ウエダ本社のbeの肩書

昨日は、京都府の京の公共人材大賞の最終プレゼンがあり、その審査として参加させて頂いていましたが、同じ審査員として参加されていた元greenz.jp 編集長の兼松氏から、著書「beの肩書」を頂きました。

以前から彼が”勉強家”と名乗っているのも、最近は「beの肩書」のワークショップを行っているのも知りながら、その意図や内容までは詳しく知らなかったのですが、この本を読んで、正にドンズバで、我々が取り組みたい本質的な働き方改革、社内で常々話している事と全く符号する話だったので、紹介したいと思います。
単純に言えば、ウエダ本社の社長というのは、”こんな事をしている人”という”doの肩書”であって、”私はこんな人”という”beの肩書”が大事だという事ですが、beの肩書を見つけていくにおいて兼松氏は、アリストテレスが提唱したユーダイモニアを取り上げています。
ユーダイモニアとは、自己実現や生きがいを感じる事で得られる幸せの事だそうですが、私たちが秘めている可能性を最大限に発揮している時に感じられるもので、”これが本物の私だ”という感覚を生み出すとされているそうです。
この個人的充足感のユーダイモニアに対して、快楽的な幸福感がヘドニアというもので、一時的に楽しく感じられるが、必ずしも自分の可能性を発揮する必要はなく、どちらかと言えば受け身のまま消費するだけだったりもするそうです。
よく、金銭的なインセンティブは一過性にものである事が言われていたり、ノーベル経済学賞も受賞されているダニエルカーネマン教授は、感情的幸福は年収7万5千ドルまでは収入に比例するが、それを超えると比例しないという研究発表をされていた様に、これらは自己実現や、生きがいを感じる幸せには結びついていかないのです。
そして、働き方文脈では、”働きがいのある会社”と”働きやすい会社”は違って、我々は”働きがい”のある会社を目指し、”働きがい”のある会社を増やしていこうとしているのですが、この”働きがい”と”働きやすさ”の違いは、このユーダイモニアとヘドニアとの関係と同じで、条件や制度を整えていくだけでは”働きやすい会社”はできても”働きがいのある会社”は創る事ができず、働きやすさだけを求めて突き詰めていく事は、ヘドニアだけを求めていく事になるので、人間として、もっと言えば、生き物としての本質的な働き方改革にはならない!というのが、私の想いであり、そこから出ているウエダ本社としての展開そのものなのです。
それだけに改めて、まずは各自の”beの肩書”を考えてもらって、それぞれが”beの肩書”を持つスタッフが集う、ウエダ本社としての”beの肩書”を考えて、設定していきたいと思います。