2014年3月29日土曜日

働かないオジサンにならない為に


今日のFBで、ある方が上げておられた"働かないオジサンの定年後は寂しい"http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20140326-00033402-toyo-bus_all&p=1  という、東洋経済の題名に目を奪われて読んでみると、私自身の、何の為に働くのか?そもそも何の為に会社を経営するのか?という考えに符合するものでした。

ここにある様に、個人事業主の家で育たれた著者は、新入社員でまだ仕事らしい仕事もしていないのに、給料を貰える事が不思議だったそうで、その事から、会社の中の仕事はパーツで分けられ、会社は社会と繋がっているが、社員は、社会とは繋がらなくなっていて、多くのサラリーマンはその事に気づいていないと感じられたのです。

そしてそこで一所懸命仕事をしていくと、社畜となってしまうか、お金や地位などの条件だけで判断する事になるか、ワークかライフか?と言って、それこそ働く事を悪い事や、辛い事の様に考えてしまうのです。

働くという事、仕事というものは、そんなものなのでしょうか?

ちょっと手前味噌ですが、、うちの会社が、中小企業で、何故、そんなにCSR的な活動や支援をするのか?という答がここにあります。

私自身、お金や名誉よりも強く求めているのが、社会に対しての接点の最大化なのだという事をこれを読んで感じました。

個人でも会社でも、その存在があって良かったと思われる事、役に立つ事、そしてそれらをできうる限り大きなものにする事を目指しているのだと思いますし、私はその為に生きていて、その為に働いているのだと思います。

この考えは本来、経営者だからという事ではなく、勤める側でも考えていなければならないと思います。

社長や社員というのは役割が違うだけで、当たり前ですが、生きていくのは同じ、働いていくのは同じだからです。

もし、そんなつもりで、自分の仕事を考えていれば、ここにある様な、というより、殆どの日本のサラリーマンが陥る可能性のある、退職すると社会との接点が全く無かったという様にはならないと思います。

そしてウエダ本社では、社員が、社会との接点を持てる様、ウエダ本社で働いていれば、社会の役に立ち、社員それぞれの存在意義が生まれる様な会社、そういう会社を目指しているのです。

うちの社員は勿論、日本のサラリーマンには是非とも考えて欲しいと思います。

ウエダ本社は、今事業年度から、働く環境の総合商社というカテゴリーで、日本人の働き方の変革に繋げていきたいと思います。

そこに、自分の存在価値を見出してくれる事、それを社員には望んでいますし、そこに価値を見出す人に今後もドンドン入って来て欲しいと思います。

2014年3月22日土曜日

KYOCAからNYの広がりを

最近、FBでもKYOCAの話題ばかりですが、これから私は、もっとかかり切りになると思います。

まだまだ多くの、特に飲食関係、デベロッパー、不動産関係などの既存モデルで成功している方ほど、難しい、ハッキリ言えばうまくいかないと思われています。

京果さん、特に内田社長から、信頼して頂いて、ほぼ全面的に好きにやらせて頂いているという責任から、実は今までに無かった程、落ち込む時もあります。
ひょっとしたら、倒産局面で必死に戦っていた時の方が、精神的にはマシだったかも?と考える程、プレッシャーも感じています。

でもここ最近、ビル内部を見れる様になり、タイミングが合った方には、中を案内できるケースがあるのですが、コンセプトが分かる人には、こちら以上に興奮して、大変気にいって頂けます。

そんな姿を見て、 改めて感じた事があります。

元々、論理的な説明では不利な場所なので、そこで論理的説明をしないと分からない層には、所詮無理なのです。

逆に感性で捉えて頂ける方は、こちらが説明しなくても、その良さを瞬時に捕まえ、むしろこちら以上の説明をして頂けるのです。

そしてそんな方がボチボチ集まり出してくれる様になり、すると、やっぱり面白くなるという気配が出てきています。

元々、京都流議定書を始め、NPOやソーシャルと言われる方々とも付き合っているのは、自分なりに、価値観の変革を起こさないといけないとの想いからなのですが、暗い話の多い日本も、価値観を変えれる事ができると、世界、とりわけアジアにとって、信頼されるリーダーにさえなれると思うのです。

その為には、0か1か、右か左か、既存産業か、ソーシャルかではなく、それらをうまく繋いでいく事が重要で、私がずっと行なっているのは、分かりやすく言えば、従来型の資本主義において凄い方々と、有能で熱意も使命感もあるソーシャルな方々を繋いでいく事だったのです。

それがこのKYOCAでは、より分かりやすい形で実現できるかも知れません。
いや、それを絶対行なっていきます。

日本が誇る安心、安全な"食"、しかもユネスコ世界遺産の和食を支える、野菜の大元締めというリアルで強大なネットワークを持つ京果さんと、食について、ソーシャル的な展開で活動する、熱意ある若い世代が、このビルで融合し、新たな価値を生み出していく事は、日本全体にとって、そしてこの京都で行なうインパクトは、世界に向けて大変大きいと思います。

今から3、40年前、ニューヨークではソーホーにアーティストなどが住み始め、そこから街が変わり、それはどんどん南下して、映画でロッキーが練習に励んだ食肉加工場が並ぶエリアは、トレンドスポットとなり、その流れはマンハッタンからブルックリンにまで渡っていきました。

そんな流れをKYOCAから生み出し、それは、新旧の力が寄り集まるからこそできるのだという事を示したいと思っています。

という事で、これからドンドンKYOCAにウエイトを置いて行きますが、社長があんな事に傾倒するから会社がおかしくなったんだ、と、言われない様に、ウエダ本社の皆は、ウエダ本社の価値観を論理で納得するのではなく、感性で捉えて、イキイキとした会社にして行って欲しいと思います。

2014年3月15日土曜日

3・11の特集とJAPANESE ONLY

今週は3・11という事でマスコミは特集を組んでいました。

FBにも書いたのですが、いつもこういう報道を見ると、両面の自分を感じます。

一方は、やはり感情移入して見てしまっている自分と、他方では、何故、この何年目という時に、皆が集中して報道するのだろう、そこには、被災者の事をある意味ネタにして番組制作していないのか?などと冷めて見ている自分です。

マスコミは伝えるのが使命であり、どんどん他人事になっていく被害を受けていない人達に、忘れさせない役割があり、その為には何年目でと、多少ショーアップするのも仕方がないのかも知れませんが、悲しく、時に感動チックに仕立てられた報道に乗せられていないのだろうか?と思うのです。
その時だけ強く感情移入して見ている事って、被災された人の立場で考えるとどうなのだろうかと。

今週はウクライナ情勢や、Jリーグでの JAPANESE ONLYの横断幕問題など、国家や民族について考えさせられる問題もありました。

ある方がビジネス誌の記事を取り上げておられましたが、差別的発言を擁護する人が、残虐な感情を持っているのではなく、むしろ正義感や被害感情からであったりする事が多いとの事で、一般の、普段は温厚な市民が、被害者意識と正義の感情と集団のもたらす熱狂に駆られて残虐になっていく事への警笛を鳴らしておられました。

JAPANESE ONLYと書いた意図は分かりませんが、もし、外国人に排他的な感覚で書いたのだとすれば、そういう人って、同じ日本人の東北で被災された人達には、どれだけの想いを持っているのでしょうね。

人間とは勝手なもので、都合よく自分の所属している場所やイデオロギーを正当化し、そこから見ているだけなのではないでしょうか?

一般的には、素晴らしい考えでの活動であるのに、それが先鋭化していくと、それ以外が悪いという様になっていく事があります。
ネット上でも、イデオロギーの違う人を呼び捨てで、まるで犯罪者の様に言っているケースもよく見かけますが、それってJAPANESE ONLYの感覚と同じじゃないでしょうか?

同じ価値観の人が集まってその中に居ると、大変居心地が良いのですが、 そこで違う価値観の人を往々にして、人は分け隔てて考え、時には"悪"と考えるのです。

考えが違う事が悪いのではありません。

ましてや当たり前ですが、人種や国籍や、宗教や、イデオロギーや、見た目が違う事が悪いのではありません。

その違いと善悪を一緒に考えてしまう事が"悪"なのです。

みんな違ってみんなイイ。

被災地に向けても、何年目だけでなく、何時であろうと、何年経とうと、想いを寄せて行く事が大事だと思いますが、これはどんな問題に対しても同じなのだと思います。

以前は、年齢がバラバラな集団で遊んで来て、その中で色々な感情も経験したものですが、現在は
少子化で大事にされ、親が自分の子供だけに付きっきりで遊び、"個"で育って来た子供達が、SNSやネットでグループ化していく先には、他者を思いやる、慮るなどという感覚は、薄れていってしまうのは当然だと思います。

他者に配慮する為には関心持たないといけないですし、その為には、まずはショーアップされた報道でもしょうがないのか?(偏向報道は困りますが)とも思います。

関心を示されないのが被害や弱い立場になると一番辛い事だと思います。

神戸で被災後、何度も実家の京都と往復をしていた頃、不通の区間は瓦礫の中を歩いて、開通している所を乗り継いで着いた大阪梅田駅は、煌びやかで、皆が何も無かった様に家族や恋人や友人と楽しんでいる光景があり、その中に汚い格好をした被災者一行が、三々五々消えて行ってしまう光景がずっと脳裏に焼き付いているのですが、その時、何とも言えない悔しさと、普通に楽しんでいる人への驚きと、怒りの様なものさえ感じました。

全く関係ない、3・11の特集とJAPANESE ONLYの問題は、私的には全く違う問題ではない様に感じます。


2014年3月8日土曜日

四十にして惑わず、五十にして再び惑う

昨日は社会イノベーター公志園の結晶に参加していました。

これは選りすぐられた15人が半年間、伴走者やパートナーなどと自らのプランを振り返り、ブラッシュアップし、共感者を増やす為にプレゼンを行なうのですが、厳しい事に、この前日に、その出演者達も評価しあって7人に絞り、その7人の中から、最優秀者が選ばれるというものでした。

あまりに、皆さんが素晴らしく、しかも、プレゼンが、以前と比べて格段に良くなっている事を見ても、相当な苦労をされたのだろうという事も想像ができ、よりそれが共感を生むのでしょう。

皆さんのプレゼンを聞いていて、自分の中で気づきがありました。

京都流議定書を始め、所謂、ソーシャルイノベーター、NPOなどで活動する人を支援して偉い!などと言って頂ける事もよくあるのですが、そんな気は毛頭なく、自分ではできない事を行っている人を素直に尊敬するし、自分ではできないけど、そこに少しでも自分ができる事があって、その事で、それが実現に近づくのであれば、そんな嬉しい事はないし、又、何よりも、一所懸命に生きている人と関わっているのは楽しいなど、全て自分がやりたいからやっているのです。

それは分かっていたのですが、今回、初めて気づいたのは、本当は、皆の様にプレーヤーになりたかったのだという事でした。

もし背負うものがなければ、今からでもやりたいという感覚が有る事に気づいたのですが、単純に羨ましく、だから関わっていたかったのだと気づきました。

大企業に憧れるのではなく、皆がそれぞれでやりたい事を事業化し、グループ体制での運営を理想に考えていたのも、皆が自主的に運営し、私自身はプレーヤーとなって、自分の好きな事に邁進したいという願望が強かったのだと思います。

もう50代に突入してしまっていますので、早くにそんな体制にしたいものです。

それにしても、あれだけ構成されたイベントを見せられると、想いだけでは駄目だな〜とも痛感しました。

半年間のプログラムが野田さんの構想とリーダーシップの下、多くの様々な人を巻き込み、それらの力が絡み合って、正に結晶化したというものを見せて頂きました。

実は、自分の人生を掛けているイノベーター達がブラッシュアップし、共感者を巻き込んで行くというステージを作り、皆を巻き込んで行くという野田さん自身のイノベートの舞台でもあり、野田さんが最大のイノベーターなのです。

想いだけでなく、強力なエンジンと計算されて作られた性能、これだけのモノが揃わないと、大きな壁を動かしていけないので、そんな骨太なイノベーターを生み出していく事、それが野田さんの挑戦なのでしょうね。

それを今回、間近で見させて頂き、自分自身の限界、可能性、やりたい事、やるべき事、色々な事を感じました。

子曰く、四十にして惑わず、五十にして天命をわきまえ、、とありますが、四十にして惑わず天命もわきまえていたつもりが、五十にしてまた、迷ってきてしまいます。

2014年3月1日土曜日

妄想癖と美学

今週も、自分が登壇させて頂いた滋賀県中小企業家同友会、マイファーム西辻さんや粟の三浦さんというソーシャルビジネスで素晴らしい活躍をされている方を呼んでの自社開催イベント、盛和塾関西Aブロックでは、世界大会に推薦する塾生の経営体験発表を聞いての審査と、バラエティーに富んだ一週間で、色々な気づきと考えさせられる事がありました。
この間にも、某有名料亭の社長さんや役員さんと、そちらのお座敷で、メニューには無いお昼を頂きながらミーティングさせて頂くなど、それこそ、お金ではカウントできない経験ばかりさせて頂いて、大変有難い話です。

中小企業家同友会での質問に答えながら、自分自身が何の為に経営しているのか?を振り返っていたのですが、いい格好している様に思われるでしょうが、折角生まれて来たのだから、できるだけ大きな事がやりたい、それも名誉の為ではなく、生きていた証とでもいうのか、あいつが居たから、京都はこうなった、日本は救われたという様な、生き方がしたいからなのです。

そんな事、仮にそういう事ができたとしても、死んでしまったら分からないから意味がないし、生きている間に楽しむべきだという人は多いでしょう。
しかし変な話なのですが、死んでしまえば分からないと思っているのは、今生きている人が思っている事であって、死後の世界から分かるかも知れませんし、ひょっとすると、死後の世界を充実させる為に、生前は修行を積んでいるのではないのか?
ちょっと、引く人もいるかもしれませんが(笑)、実は、こんな考えが、私の生き方、経営、人への接し方などのベースになっています。

何かスピリチュアルな話ですが、しかし一方で、全宇宙を構成する物は、全て一つの素粒子から出来ており、その素粒子が大爆発して大宇宙は膨張し続けているというビックバンセオリーもあります。
"宇宙に存在する全ての物は進化の方向に進む事になっている、それが自然の摂理だ"と、稲盛氏も常々仰っていますが、自然の摂理に則って、世の中の為、地球の為、宇宙の為、に行動する事が、人間にも本来はプログラミングされているのだと思います。

何故、倒産するかもしれない局面にわざわざ入って行けたのか?
何をモチベーションにしているのか?

よく聞かれる質問ですが、このベースを話しないとなかなか伝えられません。

でも普段からこんな話をする機会もないですし、話してもなかなか分かってくれる人は少ないですが、滋賀県の中小企業家同友会では、理解して頂いた方も多かった様で、殆どが初対面の方ばかりでしたが居心地の良い空間でした。

昔から、結構悪者になる事も多いのですが、それもあまり気にせず行なうのは、このベースの考えがあるからです。

いつか分かってもらえれば良いとか、それが、自分が死んだ後であっても、あの時の決断があったから、こうなったのだと、言われたら格好イイなあと、そこに変な美学を持っています。

マイファームの西辻さんは、大変な妄想癖があって、未来しか見ていなくて、成功している姿しか描いていないので、他人から見れば大変な事でも、全く大変に感じた事が無いそうです。

そういう意味では私も妄想癖なのかも知れませんが、私の場合の問題点は、世間の人にとっては、そんな奴で良くても、社員や身内にとっては、死んでから意図が分かるでは話にならない事です。

会社はしっかり運営されていかないとならないですから、私が社長の間に、できれば早く、社員の皆には意味が分かってもらえる様に、伝え方を勉強しないといけないと思います。

もしくは、妄想癖を理解してもらえる変な人を集めていくことでしょうか?