2015年12月27日日曜日

アナロジーと幸福の因子

今週、23日の祝日は、毎年恒例となった東京でのミラツクフォーラムに参加して来ました。

毎年、クリスマスの真っただ中の休日に、全国からこれだけよく人を集めるなあ、と感心しますが、
ミラツク、そして代表の西村勇哉氏の構想力、構築力、そしてその源泉の想いから生まれる素晴らしい場だからこそ、皆、集まるのだと思います。

落とし込み切れない程内容満載なのですが、そんな中、いつも分かり易く気づきを与えてくれる井上英之さんのソーシャルイノベーションのお話からは、ソーシャルという特別なものではなく、改めてビジネスや組織としての在り方を整理する事ができました。

とてつもない社会課題を解決といっても、途方にくれてしまいそうですが、そこに向かうにはアナロジーという過程が重要だという事なのですが、アナロジーとは、特定の物と別の物の似ているパターンを発見し、試しながらメタ化していく事であり、とてつもない問題も、身近にある似たパターンを割り出し、それに対して、うまくいく事を体験し、その体感を持って課題に向かっていくと動かしていけるというお話でした。

これは別にソーシャル、所謂、社会課題というものに限らず、それこそ身の回りで関わる全ての問題に適合する話で、私などでも、会社での、理念に向けて、実体との乖離をどの様に埋めていくか?という問題、リーダーを含めて、皆の成長に向けた成功体験を如何に作るか?という課題において、大変参考になりました。

”社会課題と人の課題をつなぐのがビジネス”と、同じくスピーカーで参加されたオムロンの竹林氏も仰っていましたが、これもよく言う様に、”ソーシャルビジネス”という言葉や、それを領域の様に取り上げている事がおかしく、本来は、ビジネスというものは、皆、社会や人の課題を解決するものである筈なのが、いつからか自分(自社)の為に稼ぐという事を追求してきた結果、一般のビジネスとソーシャルビジネスという別物になってしまった所が、現代の行き詰まりの原因だと思います。

アナロジーという事で考えてみて、自社を見た時、特に日本の社会では、自分の事ばかり、自分の収入や条件を良くする事ばかり考えている社員を、どの様に思うでしょうか?
又、そんな社員ばかりで、その会社は長い目で見てうまくいくでしょうか?
そう考えてみた時、日本の多くの会社は、どうでしょうか?

我々の会社は、社会においては、自社だけの利益を追求する様な展開はしていないつもりですが、逆に自社内で、まだまだそれがつながっていない状態なので、来年は会社の想い(理念)の小さな類似モデルを作っていきたいと思います。

同じくスピーカーであった幸福学を研究しておられる慶応大の前野先生は、幸福になる為の4つの因子 ①やってみよう因子 ②ありがとう因子 ③何とかなる因子 ④あなたらしく因子 というものを発表しておられます。
それは、そういう因子を持っている人の方が持っていない人より幸福感が高いという事であり、幸福になりたければ、それぞれの因子を高めていくという事なのですが、①のやってみよう因子を高めるにおいては、大きな夢と、目の前の夢、そこをつなぐ階段が見えている事が重要だというお話で、やはり、我々の会社では、ここの幸福感を高めていく事が、まずもっての課題だと、作るべき階段を示して頂いた気がします。

来年は、アナロジーと幸福の因子、これを意識して考えてみたいと思います。


2015年12月20日日曜日

ソーシャルビジネスから伝説に

今週は、知恵の場の二回目で、以前から”伝説”は聞いていた中央タクシーの宇都宮会長のお話を伺う事ができました。

そのままでは乗らない車椅子を分解して、着いた病院では又車椅子を組み立てて送り届け、料金はワンメーターなのに、それに要した時間は一時間半という様な信じられない”伝説”が数々あるのですが、凄いのは、その”伝説”を行った本人は全くアピールもされず、お客様からの感謝の電話や手紙などで、初めて分るという位、当たり前の風土になっている事です。

特にお年寄りや障がいを持った方などは、タクシーに乗られる際の、運転手さんの悪気はない、”早くしてほしい”的な無言の態度に、傷つかれる事も多いとの事ですが、中央タクシーさんは、どの方に来てもらっても皆さんが同じ様に、親切にされるとの事で、歩合給である中、何故、そんな”効率”の悪い、自分にとっては”損”な事を厭わず行われるのか?しかもそれが、会社の風土にまでできている所が、俄かには信じられない”伝説”です。

タクシー業界というのは、給料は歩合なので、会社側は車を増やし、ドライバーさえ雇えれば利益は出せる仕組みなのですが、それだけに、車は過剰となり、ドライバーは厳しい状況になるのですが、ただ、逆に辞めても翌日から他の会社で乗れるというのが業界の常識でなのです。
そんな中、中央タクシーさんは、中途採用は一切採らず、全て新卒で教育、それも人間教育をしていかれるのだそうで、結果的にはそれが大きな価値を生んでいるのです。

今週半ばには、ソーシャルイノベーションサミットが京都市で開かれ、全国から50以上の自治体関係者約200名が集まられました。

これは京都市の構想で設立された京都市ソーシャルイノベーション研究所が主催したものですが、
パネリストで参加された井上英之さんの言葉を借りれば、課題のある今の状況に気づいて、その対策をどの様にデザインしてビジネスで解決していくか?というのがソーシャルビジネスとの事ですが、それぞれの地域が、それを起点に立ち上がっていくべきで、その流れを、これ又パネリストでもあった門川市長のお話でいけば、明治維新で人口が激減した中、宝である子供を地域で育てれば未来は明るいと、町衆の力で番組小学校を設立していったという、正にソーシャルビジネスを行ってきた京都から、その精神を伝えていかなくてはならないという事でした。

大室所長も、小さい、町、村こそが、ソーシャルビジネスを起点に自立していくべきだとの想いを持っておられ、立場は違えど同じ未来像を見てお話もさせて頂いて来た事から、このサミットにKYOCAとしても関わらせて頂いたのですが、これだけ多くの行政の方がお越しになった光景を見て、確実に流れは来ていると感じました。

人間教育を徹底的に行って来られた中央タクシーさんが、異彩を放つほどの価値を創り上げられ、
苦境にたった京都が、立て直す為に、子供の教育を町衆で作り上げたという話は、人口減少社会に突入している日本が、どの様に進むべきかも、示唆している様に思います。

ソーシャルビジネスが全国で広がり、それを元に様々なものが生まれ、それに挑戦していく人がドンドン出て来る。

素晴らしい未来が想像できますが、それだけに、周りを巻き込み課題を崩していかなくてはならないソーシャルビジネスに携わる人には、ちやほやされても浮かれず、ひけらかさずという人間力を磨いて、”伝説”で語られる様になって欲しいと切に願います。

2015年12月12日土曜日

management の意味の違い

先週はブログを休ませてもらいました。

こんなブログでも、毎週しっかりチェックして頂いている方もおられるので、簡単でも書こうかと思ったのですが、足掛け半年間の勉強が終了した事、土日二日間の最終試験で見事!撃沈した事もあり、気持ちも一旦リセットする事にしました。

何の勉強?とよく聞かれるのですが、表現が難しく、日本語で言えば不動産管理となってしまうのですが、プロパティーマネジメントという方が近い感じです。

要は、不動産オーナーの希望を満たす為に、オーナーの立場に立って、あらゆる見地から現状を分析し、地域、近隣状況も分析しながら代替案を纏めていくもので、対象は不動産物件で、確かに”管理”ではあるのですが、”管理”だけではなく、トータルのマネジメント力が必要なものなのです。

それだけに試験は、撃沈されましたが、会社経営を見直すにおいても、いい機会であった様に思います。

会社経営であれ、プロジェクトであれ、何かを行うには、目標、希望があり、それを目指していく中で、その差異を分析し、その対策などから代案を立てて検証するのですから、全く同じ事であり、そういう意味では、この勉強を通じて、うちの会社の現状で足りない所も、気づく事ができました。

マネジメントを管理と訳すと何か違和感を感じますが、現在の日本企業の閉塞感の原因もそこに有る様に思います。

管理と言えば、規則正しく行ない、上司やリーダーは、それを守る様に管理する=見張る、というイメージですが、目標を掲げ、現状分析し、目標を達成する為に企画し、人、モノ、金をそこに配備して、人においては管理するだけではなく、モチベ―トもしながら、力を結集し、組織としての力を最大化するというものがマネジメントであり、日本語で言えば、”経営”という訳の方が本来の意味に近いと思います。

management の manは、mannerや manual と同じく手を表し、任せる事や、頼む事というニュアンスも含まれるそうで、そういう意味でも”管理”しているだけでは駄目で、"手"をかけて、"手"を下していかないといけないのです。


制度や法律だけ導入しても、とても一億総活躍の社会にはならないと感じるのは、管理というmanagementしかしていない所で、制度や法律を入れても、より、ギスギスするだけで、かえって歪も生む可能性もあるからです。

人に手をかけて、任せて、成長を促し、トータル的なmanagementをする人、会社を増やしていく事がこれからの日本においては特に重要だと思います。

ウエダ本社でも、目標は明確なのですが、沢山ある現状との差異分析をしっかりして、管理ではないマネジメントをしっかり行なっていきたいと思います。

そんな気づきを得られた勉強でしたが、撃沈された試験の方は、再度、受けるかどうか、思案中です。

2015年11月29日日曜日

一人一人に向き合う社会に

今年4月に育休明けで復職した女性スタッフが退職する事になりました。

保育所に送ってからの出社、お迎えに行く為の夕方までの勤務だったのですが、それこそ、女性の活躍を広げていく為の企画、そのモデルともなりながら道を切り拓いていこうとしておりましたので、
きっちり区切れる仕事でもなく、どうしても家族にしわ寄せがいく事もあった様で、一旦、家庭に戻りたいとの事でした。

新卒で入社して来た際は既にシングルマザーだと驚かされたのですが、働く環境の総合商社としては、女性の活躍という問題は最優先事項でしたので、一緒に経験していこうと、その後の再婚、出産、育休、そして復職して子育てしながらの仕事を作っていこうとしていただけに残念です。

女性の問題と言っても、各家庭での背景、状況、会社の規模を含めた環境などで全く違うので、
制度や法律だけでは決して解決していける問題ではなく、当たり前ですが、一人一人の事情に合わせて考えていかないといけないですし、それだけ向き合えるか?又、周りも、そんな個別事情を理解、協力できるか?そんな風土を作れたとしても、カバーできる人や仕組や特に中小企業などは、余裕があるか?など、会社の根本的な問題にも直結した話にもなります。

これは女性の働き方という話だけではなく、障がい者雇用についても同様ですが、もっと言えば、働く人全般に向けても、抜本的に変えないと、これまでの働き方、仕事や会社と個人の関係では、課題先進国から脱却できないでしょう。

そんな状況にも関わらず、就職活動の解禁時期が二転三転していますが、この就職活動の問題も、産学ともども、”人”の事をもっと考えていかなくてはならないと思います。

今月、来年の新卒者を決めました。
私がウエダ本社に関わって初めて高卒採用をしたのですが、通常?の採用には大きな疑問を感じました。

それは、高卒は基本的に一度の面接で決めなければならないという事なのですが、いくら終身雇用が崩れたとは言え、その人や、その後に生まれるかも知れない家族の人生までもが掛かる就職を、たった一度の面接で決めるなんて、人を何だと思ってるのだと憤りさえ感じました。
まして、昨今は、大学生も含めて、面接であまり個人的な環境、状況の質問をしてはいけないという風潮ですが、何の為に面接をするのか?そもそもが間違っていると思います。

企業は人を、自分達の目的を達成する為の道具?とまでは言わないまでも、ソフトか機械と同様にツールとして考え、その企業の基準に合せて選ぶ事になり、学生側も企業の考え方などは関係なく、条件や規模などで選ぶのですが、お互いがそんな考えで選んで、その後、色々な事が起こってくる人生において、うまくいくとは思えません。

個人的な環境や背景などを聞いてはいけないなどと言っている事自体が、”人”を見ずに、表面上の事で判断したり、差別的な事も含んでいる様に思えますが、我々はそんな事で合否を決める事はありません。

そんな事より、その”人”に責任を持とうとしたり、会社と本当に合うのか?を考えると、家庭環境なども含めてトコトン話込まないと責任など持てる筈がありません。

休学の経歴もあった一人の学生にも何度も足を運んでもらい、トコトン状況も聞きました。

履歴書だけではマイナス情報が、トコトン聞くと、それを克服して来たプラス情報にもなり、結果内定を出しましたが、大卒も含めて三名の内定を出した中、この学生だけは手書きでお礼の手紙を出して来ました。

我々の様な、モノも技術も持たない会社の社員には、どんな事が必要なのでしょう?

2015年11月21日土曜日

ノイズがあるかどうか?

今週は柄にもなく、Itzhak Perlman(イツァーク・バールマン)氏のヴァイオリンコンサートに行っておりました。

ヴァイオリン界の巨匠、クラシック音楽界のスーパースターと言われる存在の方の演奏など、なかなか得られない機会ですから、食事も終わった後のクラシックで、気持ちよくなって寝てしまうのでは?と危惧しておりましたが、しっかりと二時間堪能させて頂きました。

ヴァイオリンの事も全く分かりませんが、どんな世界でも、最高峰の技術というものは、滑らかで、しかし、色々な卓越した技術の上に成り立っているので、単にスムーズだけではなく、メリハリが利いた感じがするのですが、氏の演奏もそんな感じがしました。

ITバブル直前の15、6年前、注目されたIT企業に関わっていた事があります。
天才肌のその創業者は元々ヴァイオリンの勉強でNYに渡り、その後、コンピューターの世界に転身して起業したのですが、ある時、何故、音楽の世界からコンピューターだったんですか?と聞いた時の答えが凄く印象的でした。
それは、素晴らしい音楽は、綺麗な旋律でかかれているが、そうでないものはノイズが乗っている、
それが、ある時コンピューターのプログラムも同じで、綺麗なプログラムとノイズが乗っているプログラムがある事に気づいて、コンピューターに興味を持ち、そちらを仕事に選んだという話だったのです。

どちらも門外漢の私には分からない話ですが、一流の仕事は、そんなノイズが入っていない共通項があるのだという事に、興味を持ったのでした。

会計不祥事を起こした東芝に対する追徴金が過去最高額となり、その額は70億とも80億とも言われています。
凄い額ですが、損失先送りによる利益修正額は2248億との事で、それとの比較で言うと少なくも感じます。

こういう会計不祥事が起こるといつも、銀行や監査はどうして分からなかったのだろうと思います。

我々などとは桁がいくつ違うの?というレベルの会社ですから、複雑ではあると思うのですが、基本は同じであり、貸借対照表はバランスシートと言われる様に、全ての取引(やり取り)が借方と貸方をバランスさせているので、不正があると、必ずどこかに歪が出る筈だと思うのです。
我々レベルの小さな額で、単純な会計ではないにしろ、見る側も、レベルの高いプロ達が見ているわけですから、そんな歪、音楽で言えばノイズを何となく感じると思うのですが。

倒産危機の際、貸し渋り貸しはがしと言われた頃の銀行と、怒鳴り合い?の交渉もしていた際、ある一言で、形勢が変わった瞬間がありました。

それは、不良債権で身動きが取れなくなっていた銀行に対して、”現状、うちは赤字でボロボロかもしれないが、既にマイナスの処理はして変な不良債権は無いので、バランスシートの綺麗さだけはあなた方に言われる筋合いは無い!”、という言葉でした。

我ながら、よくも偉そうに言ったものだと思いますが、必死にやっていれば、そんなものだと思います。

綺麗な旋律、ノイズの無い旋律を奏でていく事を追求していけば、目や耳の肥えた方には分かると思いますし、規模の大小や、表面の豪華さなどで評価するのではなく、ノイズがあるかどうか?で見ていけないものでしょうか?



2015年11月15日日曜日

時間が無い!のではない

今日、6月から勉強に行っているプロパティーマネジメントの第一弾の試験が終わりました。
昨夜は、いつ以来でしょうか、勉強でほぼ徹夜状態でした。

平日は従来の動きに加えて、今期から営業本部長としての営業同行、土日はKYOCAのイベントや他の会合などで埋まっており、勉強についていけないながら、リカバリーできる時間がなく、又、試験とその講座である昨日、今日と、KYOCAでは自分が出演する筈であったものも含めて大きなイベントが重なっており、これは継続するのは無理か、と正直、脱落しかけていました。

サポートに入っておられる有資格者の方に、半分泣き言の様な相談をした所、逆に、ここで止める方が勿体ないとご説明頂き、イベントについては主催の方や、KYIOCA担当者にも話して、勉強の方を優先させてもらう事にしました。

KYOCAの方も、スタート時には鍵の開け閉めから、会場準備なども行っていたものが、今では、私の知らない間でも、全て担当者と、コラボしているオープンガーデン社で回してくれており、当初から見れば本当に有り難い状況です。

その間、色々な方に、わざわざKYOCAにイベントを持ち込んで来て頂き、本当に多くの方に助けて頂いていると思います。

昨日は尊敬するアミタホールディングスの熊野会長が、想いを込めて展開しておられる信頼資本財団の年に一度のイベント”信頼デイ”もKYOAで開催されていましたが、正にKYOCAも信頼で人が集まり、価値を生み出していると思います。

そんな事が大きな価値になるのだ!と、感覚だけで言うのではなく、私自身、皆の協力も得ながらしっかり勉強して、理論でも語れる様にしていきたいと思います。

先日、CoCo壱番屋創業者の宗次徳二氏の講演を聞きました。
ご夫婦で喫茶店から始められたCoCo壱は今や世界で1400店舗以上あるそうですが、驚くのは、それだけでなく、今まで全店で一度も、値引きやセット販売などは行った事がないそうです。

お客さんからも、フランチャイズ先からもどれだけ要望が来たか分からないとの事ですが、社長時代も店の洗い場に立ち、お客さんが食べられた後のお皿を見ていると、値下げしないと駄目なのかどうかも手に取る様に分るとの事でした。

そんな宗次さんは、1日15時間、年間4500時間仕事と仕事漬け、経営者など努力さえすれば誰でも成功できると仰っていました。

時間が無いなどと言っていて、やりかけた事も脱落しかかっている様では、そりゃうまくいかないと思います。

今期は、私自身も、任していく所、率先垂範していく所、それに合せた時間の使い方を考えていきたいと思います。

でも実年齢を考えて、徹夜状態は避けたいと思います。

2015年11月8日日曜日

ウエダ本社もイノベーターとして

今週は社会イノベーター公志園の結晶大会への参加、aeru gojo 店のオープニングレセプション、ウエダ本社で、こどもみらい探求社さんとのコラボイベントと、”ソーシャルイノベーター”達と、どっぷりと過ごした一週間でした。

公志園については、何度も書いていますので、説明は省きますが、今年は実行委員として、最初と中間段階も見ていましたので、素晴らしい想いと人間性を持ったイノベーターが、巨大企業の経営者、行政、シンクタンクなどの錚々たる方々に、愛ある叱咤激励を受けながら、半年間で、全くステージが変わるほどの成長をして行く姿を間近で見て、自分自身、奮い立つものがありました。

”何でそんなに言われないといけないんだ”

”自分が一番この事に詳しくて想いも持って考えているのに、何もやっていないあなた方に言われる筋合いなんて無い”

そんな事を思ったイノベーターもおられた筈ですし、私があの立場でもきっとそう思ったに違いないと思います。

しかし、ふと冷静に見れば、本当に忙しい、世間的には凄い立場の方々が、少ない休みをこの伴走に割いてまでの意見であり、それだけの言わば同志に対しても、伝わらない表現であれば、単なる傍観者や、ましてや抵抗勢力を動かすパワー、巻き込みなどできるわけがなく、それであれば、幾ら正論を言い、想いだけ持っていても、世の中の課題を動かし、解決に向かわせる事などできないのです。

そういう意味で、イノベーター公志園は本気で、大きな壁に向かい、その壁を動かしていけるリーダーを養成しようとしているのだと思いますし、そこがまた、協力している側も、刺激も得ながら、楽しんでるのだと思います。

金曜日は、二店舗目となるaeru gojoのオープニングレセプションに出席、とても店舗とは思えない畳の間で、門川市長、京信の榊田専務をゲストに迎えて、車座になってのディスカッションという、矢島さんの巻き込み力を見せつけるレセプションでしたが、それこそ、公志園にも出場していた矢島さんの伴走者を務めておられた日本GEキャピタルの安渕社長もわざわざ駆けつけて来られていました。


土曜日は、ウエダ本社で、”かぞく保育園”というイベントを開催しました。
これも、小笠原舞さん、小竹めぐみさんというそれぞれでも活動しながら、二人では、こども未来探求社という会社も設立して活動しているイノベーターですが、ウエダとしても、女性の働き方、特に、子供を持ちながら働ける企業の風土作りを一緒に研究していこうとしてのものです。
既に京都でも大注目されている矢島さんは、レセプション時でも、全ての京都での切欠は京都流議定書が作ってくれた、と言って頂いていたり、関東では既に活躍している小笠原さん、小竹さんも、関西にウエイトをかけようとして、その足掛かりをウエダ本社と組んで進めようとしてくれていたり、
本当に有り難い事ですし、そんな有望な人達、そして有益な活動の少しでも支援になっているのは、役に立っていて嬉しいのですが、そろそろウエダ本社としても、自らが大きな壁に向かって、その壁を打ち破って行くイノベーターとなっていきたいと思います。

2015年11月1日日曜日

宮古島で改めて

今週は、宮古島に勉強会で行っておりました。

ゲストスピーカーはカルビ―の松本会長。

松本会長には、昨年度、例会担当をしていた京都経済同友会でもお話頂いたのですが、今回は少人数で、しかもホテルに半日こもっての講演でしたので、お腹にズシリと来るお話でした。

初っ端から、「私はゴルフも40数年やっていっこうにうまくならないし何の取柄もないが、唯一才能があったのが経営で、儲ける事だ」という、強烈なパンチからスタートしました。
整理して来いと送り込まれた伊藤忠子会社を黒字会社に転換、45歳で退職した際には、23社からオファーがあり、その内のジョンソン&ジョンソンの日本支社長として、経常利益率を15%から52%!!にまで上げて定年退職、その後、カルビーの会長に就任されて創業家念願の上場を達成、その後も上場時の株価の10倍前後まで押し上げたというイントロの紹介で、出席していた経営者の皆さんも、気のせいか背筋が伸びて聞いておられました(笑)

会社の経営は易しく考えろ! 
世の為人の為にやる事と、儲けろ、という事だ。
経営とは、シンプルに全てのステークホルダーを喜ばせる事である。

うまくいく経営の要素は、ビジョン、プラン、リーダーシップの三つである。

リーダーとは、組織を率いて、継続して、成果を出し、結果に対して責任を取れる人であり、必要なものは、①圧倒的な実績②なるほどと思わせる理論③この人について行きたいと思わせる人徳である。

こんな調子で、経営とは?から、経営者の在り方、組織での展開、仕組化、仕事とは?や、我々の最大テーマでもある働き方、そしてダイバーシティ―についてなどなど、具体的施策まで全体構成を分かり易くご説明頂き、自分自身と自社にとって、足らない所もよく分りましたが、出るのはため息ばかりでした。

そんな話が繰り広げられているホテルの外は、東洋一とも言われる与那覇前ビーチが広がり、海水の透明度も、今まで見た中でも随一のものでした。


宮古島には山が一つも無く、川も無いので、海に陸から汚れた物が流れ込む事が無いから、海の綺麗さが守られているとの事でした。

経営においても、色々な事を考えているつもりが、わざわざ異物を混入して、かえって清流を汚してしまっているのかもしれません。

我々もミッションステートメントは、検証してみても、結構いい線いっている様に思うのですが、その後をシンプルに決めた事に忠実に、私自身が改めて”儲ける”という事に拘ってリーダーシップを磨いていきたいと思います。

そして儲かった時にはゆっくりと、皆で休暇で、この海を楽しみたいものです。


2015年10月24日土曜日

弱音を吐かない練習

先週はブログを休ませてもらいました。

6月から土日はプロパティーマネジメントの勉強に行っている事が多く、毎回、授業の時点ではついていけないので、帰宅後見直して日曜日の確認テストに向かうという自転車操業の様な事になっているのですが、土日には大体KYOCAでのイベントや、役を担っている会などがあり、夜だけは顔を出すというパターンも続いて、時間が作れませんでした。

これから12月まで、イベントも三つも重なったりする日もあり、出演や参加をお断りしなければなない事も多いですが、その様な状況ですので、ご関係の方にはご了解頂ければ幸いです。

平日には、今期営業本部長として、営業同行なども行っていますが、これまで繋がっていなかったウエダ本社で展開しているイベントや研修、NPOやソーシャルビジネス、CSR活動などへの関わり、大学との研究、リノベーションや町づくりなどとの関わりを、所謂、従来の本業と繋げていく事を目的としており、今期には少し、その辺りが見える形になってくると思います。

逆にそうならないと、営業本部長は首に致します(笑)

そうは言いつつ、現場で営業と同行をしていると、そもそもの事が全然できておらず、長年放置してきた事が恐ろしくなると共に責任を感じています。

そんな中、今週はブロックスさんと共催で行なっている試写交流会で、西精工さんのDO ITのDVDを見せて頂きましたが、ほんの二十分程見ただけで、圧倒的な差を痛感させられました。

ブロックスの西川社長が、とても一本には編集できないと二本組みにされた理由もよく分りましたが、研修として皆で観るという点においては最高傑作ではないかと思います。

出来上がった凄い会社というのではなく、一見は、自社との距離が近く、そういう意味でも社員と一緒に見やすいものですが、それだけに、自社との差も圧倒的に感じる事ができ、よくある、経営者だけが辛い?DVDではなく、特に、中間層(リーダー)ともその辛さを共有できるものに仕上がってます。

試写交流会後は、社員と共に西川社長と終電近くまで懇親?ではなく、熱い人生論を語り、翌朝出社すると、同じ会場で又セミナー準備されていたのですが、それが何と、鬼澤さんが講師で来られるとの事だったので、空き時間には、覗かせて頂きました。

セミナーは行政マン向けの人材マネジメント部会というものだったのですが、丁度、そのスタートと、夕方の纏めの際の鬼澤さんのお話を聞く事ができ、これ又、ほんの十分程の話なのですが、気づきと反省をする事となりました。

”何事も人を巻き込み、動かしていかなくてはいけないが、人を動かすにも、まず、自分の中の人、つまり自分を動かさないといけない。
その為に、人格を磨いていかなくてはならないし、自分の中に目的、あるべき姿をしっかり持っていなくてはならない”

私も同じ様な事も言っているのですが、その私自身が、鬼澤さんの話がスッと入ってくるという事は、自分自身まだまだできていないという事と、やはりここでも”誰が言うか”で、私の話は伝わっていないよな~と客観的に感じる事ができ、短い時間でしたが、気づきを頂く事ができました。

いつも思いますが、こんな素晴らしい方々が集まって来て頂くウエダ本社は本当に幸せな存在ですし、その良い空気感を日本の閉塞感の打開に向けても、もっともっと広めていきたいと思います。

その為にはまだまだ課題は色々ありますが、自分の中の自分を動かして、弱音は吐かず進んでいきたいと思います。

来月、再来月と、このプロパティーマネジメントの試験があります。
正直脱落しかけていましたが、まずは精神修行として、弱音は吐かないようにしていきます(笑)







2015年10月11日日曜日

靖国神社参拝

今週はFBでも少し触れていましたが、なかなか行けない所に行っておりました。

知っている名前の部屋がずらりと並ぶ衆議院会館、昭和初期の純国産の最高技術を集めた国会議事堂、首相官邸では、前日には大臣、翌日は副大臣が選ばれるという間の日で、皆さんが並ばれる階段には、赤いカーペットが敷かれていました。
官房長官も1時間後に会見をされる記者会見場では、参加メンバーも代わる代わる写真を撮らせて頂きましたが、やはり何だかんだ言っても、日本を動かしているど真ん中ですから、高揚感がありました。

多分殆どの政治家も、初当選した頃は、我々よりももっと大きな胸の高鳴りを覚えた筈ですが、ずっとその真ん中に居ると、誇りが自尊となり、それが段々と尊大になっていくのでしょうか?

内閣官房副長官とも面談させて頂くという、おまけの後は、靖国神社に参拝に行きました。

これも初めての経験で、参拝も凛とした空気を感じて心が静まりましたが、奥にある遊就館は、明治期からの、日本では何故かしっかり教える事のない近代史の系譜が納められており、ここだけでも時間を取って再訪したいと思う場所でした。

その後は、防衛省の、東京裁判の法廷となった大講堂(移築されたもの)にも行き、現在の中枢から日本の歴史にも触れた本当に貴重な一日でした。

靖国神社参拝というと、イデオロギーを持ち出す人もいるでしょうが、私は特に、"right" な思想ではありません。

靖国神社はA級戦犯の合祀をしたが為に、政治的な駆け引きのリトマス紙の様な存在になってしまいましたが、いくら"left"な思想の方でも、これらの事実があっての今であり、今の自分自身もあるのですから、しっかりと知る事は必要だと思います。

私は、親父が戦争に行っておりましたので、ふと、親父が戦死していたら、、自分はこの世に存在していないのだと思う時があります。

でも考えてみれば、親父が戦争体験があるかどうかは別として、今生きている人全て、自分の祖先の誰かが戦死、いや戦死でなくても、その子供が生まれる前に亡くなっていたら、生まれていないのです。

そう考えると、イデオロギーがどうだとかという話ではなく、正しい事も正しくない事も、それが有っての今なのですから、自分達のルーツはしっかりと学ばないといけないと思います。

自分が生きている間だけでも、あの時ちょっと、こちらに行っていたら、この出会いがなければ、、、
全く違う展開になっていたという事の連鎖なのに、その自分が生まれてくるまでに、途方もない人々の行動や、選択の掛け合わせが折り重なっての今の自分があるのです。

”やりたくない”、”めんどくさい”、”自分はどうなってもいい”、そんな自分一人の軽はずみな思いで
いいのでしょうか?

自分の選択が、後の時代に生きて行く人達に、良い影響をもたらせる事になれば、、それが生物としての本望なのではないでしょうか?

国会議事堂で日本の中心に居る人には、そんな日本人を継承しているという自覚を持って、初登庁した際の想いに立ち返って欲しいと、先日の安保法案の醜態を見て、より一層思います。

2015年10月4日日曜日

社会イノベーター公志園でのファシリテーター

今週も講演や、役を務めている会の出席など忙しい土日でした。
他にも重要な会、出たい会などが重なっていて出れず、ちょっと土日は、イベントや会で目いっぱいになってきました。

今日も朝から、社会イノベーター公志園の出場者をブラッシュアップする為のワークショップが行われ、ファシリテーターを割り振られて参加しておりました。

タイムキープくらいで後は各チームの伴走者達が勝手に話進めるから、との説明とは裏腹に、前回に行なった出場者のプレゼンを皆で見て、プレゼンの内容、声の抑揚から、使用する映像、音楽なども含めて、かなり辛辣な突っ込みを入れていくもので、それを引き出していくという重要な役割でした。

実行委員でお手伝いすると思っていましたが、とんでもない話で、財閥系企業の役員さんや、コンサルタント業、経営者という凄い方々が伴走者として分析、アドバイスされる光景は、こちらが大変勉強させて頂きました。
とてもタイムキープくらいの進行で作れる場ではなく、主催者の野田さんからも、そんなやり取りで残り一か月で全く磨き上げられないという厳しい指摘も頂きましたが、それ自体もなかなか得られる事ができない貴重な機会だったと思います。

思いを持って大きな課題に向かっている実践者にすれば、やっていない人から言われるのなんて
納得いかない事だらけだと思いますが、それでも、応援しようとする伴走者や支援者にも伝わらない話が、一般の方を振り向け、巻き込んでいくものになる筈もありませんので、その納得いかない壁を越えて、如何に、自分の思いを伝え、共感を呼び、協力を得られる様に巻き込んでいけないと、それこそ正しい事を言っていても役に立たないのです。


社会イノベーター公志園は、意思あるイノベーター達を、ビジネスシーンで活躍する人、早い話が大企業のTOPなどにも伝わるモデル、プレゼン能力を養成し、世の中の仕組みを大企業が変える事によって早く変えていく事を狙っているのだと思いますが、それだけに、他のソーシャルイベントとはまた違うものですので、ソーシャルというものについては初級の方、大企業でCSRなどに関わる方、会社をその方向に進めないといけない方などは、是非、参加して頂きたいと思います。

結晶は11月3日東京です。 http://koshien-online.jp/


2015年9月27日日曜日

ウエダ本社としての腹決め

先週のブログでも、盛和塾世界大会で発表された台湾の塾生の話を書いていましたが、ご自分の様に貧しい事が理由で、しっかりとした教育を受けられなかった人達の職業を作っていく事を使命として展開され、見事に成功しておられたり、今週の石坂産業さんの様に、意図や事実に反して地域から悪者扱いされ、想像するに、人としても許されないない言動や、腸の煮えくり返る納得のいかない事だらけであったであろうにも関わらず、地域に必要とされない仕事をしていても駄目だと、
裁判にもかけて来ている地域の人の為に、会社の環境、在り方を変えて行かれた話などは、本当に見ている所、そもそもの次元が全く違う様に感じました。

しかし、こういう話を聞くと、一つの事に真っ直ぐに向かっておられる姿に、羨ましく思うというか、羨望の眼差しで見ている自分もいるのです。

ただ同時に、そういう想いがありながら、全部中途半端で時間ばかりが経過し、自分は大した事ができていないと、落ち込みもしてしまいます。

何の為に会社をやるのか?

何故、そんな一見、本業と関わりの無い事ばかりやるのか?

目立ちたいのか?

人からはずっとそんな問いかけをされ、自分でも何故?って思った事もありました。

”謙虚にして驕らず” 京セラフィロソフィーにもあり、それを実直に実践しておられる様な稲盛塾長が、サラリと自慢の様な話をされる事があり、初めの頃私は、そのギャップが分からなかったのですが、ある時、”稲盛和夫に与えられた能力は稲盛和夫個人の物ではなく、それは、世の中の為に使いなさいと天から与えられたものなのだ”というお話をされた時に凄く腹落ちがしたのです。

その話で私も同じだというのはおこがましい話で、とても才能などありませんが、その考え方は凄くスーッと体に入り、何の為に会社を経営するのか?という事についても、私自身、そういう事なのだと納得感があったのです。

そもそも会社を経営するという立場の人は、企業数が420万社としても、全人口の3%しかいないわけで、その少数に入る言わば”才能”を、最大限に世の中の役に立てる事が、会社を営む目的であるし、もっと言えば、自分が生まれて、生きて来た証だと思うのです。

経営者たるもの、そうあって欲しいと勝手に思っている所があり、その中で、利他と口にしながら、
自社の利益ばかり追いかけ、自分達が楽しんでいるだけという人を見ると情けなく思っている自分が居るのですが、逆に、こんな風に、腰を据えて、そもそもの所を追求しておられる方に会うと、自分は思っていても、全然何もできていないと、自暴自棄にも陥ってしまうのです。

今期、ウエダ本社では、改めて自社をモデルにしながら、日本のオフィス、職場の在り方を研究して参ります。

自分の才能とはおこがましいですが、よく評価して頂く点として、幅広い人脈や、その多様な人を繋げる役割、という事がありますが、それを世の中の役に立て、オフィスを対象としてきたウエダ本社として、日本でも全然開かれていない硬直化した企業の職場環境を変革する事に、全て振り向けていこうと思います。



2015年9月21日月曜日

フィロソフィー血肉化のバロメーター

先週は、KYOCAでは、issue + design さん他、平日のイベントが有ったり、京都CMEXのレセプション他、梅小路公園界隈でのイベント出席、信頼資本財団の理事会他、外部で関わる団体などの会議、そして盛和塾世界大会での横浜出張、その間は来客と、殆どスタッフと会ってない感じでした。

盛和塾世界大会では、毎年ではありますが、凄い展開をして来られた塾生の発表に、全然努力が足らない事を思い知らされます。

今回発表された台湾の塾生のお話は、貧しくて家族が一緒に住めず里子に出されて成長し、お金という成功を目指してコンサルタント業で成功を収め、その後、素晴らしい人格者との出会いから、
人としてしての役割、天命を目指して、自分の様に貧しくてチャンスがない人の雇用を行う為に事業展開をされ、そちらでも見事に成功をされているお話でした。

発想があくまで自分が儲けるというよりも、世の中の為にどうできるか?という事からで、苦労している家庭の子供に就労の機会を作る事に全てを注いでおられました。
そしてそれでいて、元々の能力と、ハングリー精神で事業を立ち上げて来られた強さから、事業としてもしっかり成功させていかれている姿に、感動すると共に、本質を教えられた感じがしました。

この様な話を聞くと、本来、日本の方がその様な発想を持っていた筈なのに、その良さが薄れていっている様に感じます。

利他と言っても、成功したからこそ利他に向かう人は、まだある意味自然なのかもしれませんが、
自社の成功ばかり考えている人、利他とした方が成功するからという利己心から利他を唱えているケースも実は多い様に感じます。

二日間の大会で、殆ど、コメントもされなかった事を見ても、かなり体調が悪い中、皆の為を思ってフル参加しておられた稲盛塾長は、何の為に成績を伸ばすのか?それは私的な願望ではなく、公の目的の為でなければならない、そしてその為に盛和塾で学ぶのだと今回の講話でも仰っていましたが、そんな真髄を貧しい環境から立ち上げて来られた台湾の方の方が実践しておられる様に感じました。

台湾と中国は考え方は違いますが、中国系の方は一般的に個人主義で、拝金主義的な印象ですが、こと盛和塾ではその様子が違います。

それを見てもやはりフィロソフィーが重要だと感じますし、”JAL再生は、フィロソフィーとアメーバ―会計で行なったと言っていたが、アメーバ―会計が作用したのは二年目で、特に初年度はフィロソフィーだけで黒字転換した”とも仰っていましたが、”社員と共にフィロソフィーを血肉化するだけで、業績は伸びる、逆に、それができない中、手法や手段をいくら講じてもそれは砂上の楼閣であり、直ぐに崩れる”との事でした。
そして、”血肉化されている状態というのは、同じ話を聞いても、常に新しい気づきがあるのであって、前にも同じ話を聞いたという状態はまだ知識の状態で、全然血肉化できていないのだ”、というお話でした。

これには正に腹落ちした感じで、今期は、改めてフィロソフィーの血肉化を目指していきたいと思います。

社員の皆さん、今期は、更に、同じ話を繰り返すと思いますが、その反応が血肉化のバロメーターですから、毎回新しい気づきになる様、どうぞよろしくお願い致します(笑)

2015年9月13日日曜日

”けったいな奴っちゃ”を胸に

今週は、KYOCAでの京都ショコラボオープニングイベント、堀場最高顧問のお別れの会と、大きな事がありました。

ショコラボオープニングは、集客がしっかりできていなかったにも関わらず、用意した100名席は満杯で追加する盛況ぶりで、門川市長のご挨拶、KBS京都のテレビ取材など、華やかな形で迎える事ができました。

門川市長には5分程のご挨拶の中で、ウエダ本社が京都流議定書を行い、KYOCAというビルを展開し、ソーシャルの拠点としていく意味など、そこまでお話した事はないにも関わらず、的確に捉えて頂いていて有り難かったのと共に、いくら話してもピンと来ない人が多い中、本質を捉える目には驚きました。

ショコラボを行う意味をご理解頂いたり、応援しようとされる方々が集まっておられたので、勇気づけられましたし、京都ショコラボにとっても良いスタートとなったと思います。

翌9日にあった堀場最高顧問のお別れの会は、政治家か大スターか、国賓かでないと、こんな会はないだろうと思う程の素晴らしいものでした。

千玄室大宗匠の80年にも渡るご友人としての語り掛ける様なお言葉、そして伊吹文明元衆議院議長の、”政治家らしからぬ”全く何も無しで10分程にも及ぶ30年の経緯を語られた挨拶は、感情がこもったもので、目頭が熱くなりました。

私も、血の繋がりも無い方で、亡くなった後もこれだけ、何か空虚感を感じるのは初めてです。

その理由の一つは、どう考えても、あれだけユニーク(唯一無二)で、あの様に大局からものを見て、真逆の意見でも飲み込める懐の深さを持っておられる方などおられないので、今後益々難しい局面を迎えていく中、京都のみならず日本にとって大きな支柱を無くしたと思うからです。

個人的にも、17、8年前からお付き合いさせて頂いていた中で、簡単に厚かましくご相談に行く事は控えており、ウエダ本社に来て倒産危機に直面した際に一度、京都流議定書の件で困った際に一度、そして他の方の相談で二度の計四度だけでしたが、それでも本当に困れば最高顧問に相談できるという気持ちを何処かに持っていた様に思いますし、それだけに、心の拠り所を失った様な空虚感があるのだと思います。

素晴らしい弔辞をされた伊吹文明さんとそれだけ懇意でありながら、民主党議員の後援会長も並行して務めておられたり、日本の為には、共産党がしっかりしないと駄目だと、共産党の議員さんに発破をかけたり、党だとかというレベルではなく、イイものはイイ、健全な野党ではないですが、健全なる対立軸や反対意見がないといけないというスタンスなど、いつも考えておられるレベルが違っていました。

”けったいな奴っちゃ” 私の誇りは、堀場最高顧問が私の事をこの様に紹介頂く事でした。
標準語で言えば、”変わった奴だ”になるのでしょうが、全く無趣味で自分でも面白くないと思う私を”けったいな”と仰って頂いていたのは、表面上”面白い”という意味ではなく、他人と違うというユニークという事だと思いますし、私にとっては最大級の褒め言葉でした。

同様に、社是にもなった”おもしろおかしく”も単におもしろく楽しいという意味だけではなく、もっと深いもので、人間の本質から来る言葉だと思います。

これについては、稲盛さんが盛和塾の中で、おもしろおかしい経営などあり得ない、と、公然と堀場さんの事を批判された事がありました。

ほんの三年ほど前ですが、その事も堀場さんはご存知で、その話に水を向けると、”何でアイツはあんな事を言いよるんやろうなあ。別に仲ええんやけどなあ”と苦笑いしながら仰ってました。

稲盛さんの事を”アイツ”と呼ぶ人など初めてでしたし、大物の関係を垣間見る事ができたのも、経営者の端くれとして、そんな一コマも高揚感を覚えたのを思い出します。

90歳で亡くなられた堀場さんは、その3倍ほど中身のある人生を送られたと思います。
それでも、”それまでは好きな事をやって生きて来たから、いつ死んでも悔いは無いと思って来たが、80歳を超えてから、まだまだ知りたい事、勉強した事が沢山あって、死にたくないと思う様になった”とよく仰っていました。

その話をしておられる映像が、お別れの会で献花を済ませた後の食事など、ふるまいされる部屋で繰り返し流されていましたが、そのメッセージを直接教えて頂いていた我々がもっと頑張らないといけないですね。

7,8000人(新聞発表では5000人)と思われた来場者の殆どが、本当に、惜しい人を亡くしたと思われているお別れの会などまず無いでしょうし、こちらもそんな想いの方が集まっておられたので、より素晴らしい会となったのでしょう。

90歳にもなって、まだ知りたい事だらけ、勉強したい事だらけ、そんな風に思える人でありたいし、そんな生き様を表せる生き方をこれから追い求め行きたいと思います。


2015年9月6日日曜日

受益者総会から感じた ”たくましく、そして、やさしく”

今週は東京、横浜への出張と、土曜日は鎌倉投信さんの受益者総会に出席しての対比構造が印象的な一週間でした。

出張では、大企業への訪問と、大企業が関わるプロジェクトの話を伺っていましたが、資金が豊富で、一挙に色々な事ができる羨ましさと、一方で、セキュリティーはガチガチに厳しくなっていく中、コミュニケーションや、コラボレーションをキーワードにしているちぐはぐさというのか、本質から外れた展開を感じました。

しかしそれは大企業が悪いのではなく、現在の日本において、大企業の立場では、そう展開するしかない様に思います。

簡単に立ち入れない管理された空間で、取ってつけた様に、かっちりと作られた場で、コラボレーションやイノベーションと言う光景を見て、首を傾げると共に、ウエダ本社としての進むべき方向も確認できた様に思います。

鎌倉投信さんの受益者総会は、全国から約700人という、二年前京都で行なわれた際の二倍弱ほどの応募人数で、新井さんのプロフェッショナル出演効果だけではない、潮目の転換を感じました。

パタゴニア、池内オーガニック、トビムシ、マイファームのパネルディスカッションの他、障がい者雇用に命を燃やすと言っても過言ではないダックス四国の且田社長や、古着などからバイオエタノールを作る日本環境設計の岩元社長のお話などは、ミッション、使命だけでなく、ビジネスとしての力強さがあり、他のソーシャルの集まりとも違うものがありました。

鎌倉投信さんの社是は、伊那食品さんの「いい会社をつくりましょう」を”了解を得て真似て”、「いい会社を増やしましょう」としておられるのですが、サブタイトルにある、”たくましくそしてやさしく”の通りに、たくましさがあり、それだけに潮目が変わる力を感じたのです。

来年からマイナンバーが施行されると、企業を取り巻く環境は、益々堅苦しいものとなり、より管理がきつくなり、息苦しい状況となるでしょう。

そんな中で、女性活用の目標が数値化され、制度で、女性や障がい者雇用が強制されても、それを受ける側にとって、望まれる環境は生まれていかないと思います。

それでも売り手市場の学生は窮屈な大企業ばかりを目指して、又、ミスマッチを助長していくのです。

日本の働く環境を本質的に変えていくには、中小企業が頑張らないと駄目だと思います。

そんな事が見えているだけに、ウエダ本社の役割も大きいと思っていますし、今期は、鎌倉投信さんとは違う立場で、組織としてゆるーい所を整えて、”たくましくそしてやさしく” でいきたいと思います。

2015年8月30日日曜日

来期のウエダ本社の展開から、改革が生まれる?

今週は毎日、終日社員面談でした。
その合間をぬって、毎日一件づつは、外部とのミーティングもあったので、一週間ずっと誰かと話していた感じです。

ウエダ本社では来月から新年度に入り、組織変更を行いますが、一番のポイントは私が営業本部長を兼務する事でしょうか?

又お前がやるの?という突っ込みも来そうですが、実は営業全体を見るという役割は初めてです。

と言ってもプレイングマネージャーで売りに回るという事ではないのですが、営業変革をする為に私が行ってきた活動が、なかなか本業と繋がらないので、そこを繋げる事と、任すという事が実質放置になっていた所を、一つ一つ言葉や対応など、基本の擦り合わせを行っていくのが目的です。

又、会社の方向を推し進めていく上では、どうしても若手を登用していかなくてはなりませんが、かと言って、そこに向かえないベテランは駄目というのではなく、それぞれの役割が違って、その役割でそれぞれの能力を発揮してもらわないといけません。
そう考えると、一旦、私が全体を仕切る形でバランスを取り、構成して行く必要もありました。

お盆の間に、各チームでの目標、やるべき事、責任というものと、各自の役割を作って皆に配り、それに基づいて面談をしたのですが、若手の抜擢や、リーダーの降格についても、皆、理解を示してくれている思います。

別に降格と言っても、リーダーとしての役割ができていないので、再度、降りて自分の事をしっかり磨き、成長して、又、リーダーや役員、はては社長を目指せばいいのだし、別にリーダーや社長が偉いのではなく、役割であって、それに向いていなければ、そこでメンツに拘って踏ん張っているよりも、自分の力を発揮できる所で頑張った方が、本人にとってもいいのです。

今は、そういう事も理解してくれるメンバーであり、ただただ一所懸命やろうとしてくれる人ばかりですので、それだけに、しっかりとした方向づけと、組織力、そしてその実行で、会社を通しての人間力向上を図りたいと思います。

ウエダ本社では、働く環境を改革していこうと、女性の働き方も研究していたり、障がい者雇用という問題も、京都ショコラボ立ち上げなどにも協力しながら、関わっていこうとしてますが、こういう問題も、同じ線上にあって、皆、それぞれが自分の役割を発揮する組織、社会を目指す事なのです。

女性の幹部、役員の比率を、いつまでに何十パーセントにするという法律を決めるという話になっていってますが、制度や法律で規制していっても、かえって本質をゆがめる事にならないかが懸念されます。

来期、一人一人の役割から、能力を発揮できる組織に向けていけるか?

そこに向かえればウエダ本社の存在価値は発揮され、働く環境の改革に向かっていける体制が作れると思います。

日本の職場環境の改革に向けても、来期のウエダ本社の動向は目が離せません(笑)




2015年8月23日日曜日

広がり型のリノベーション

今週は、盛和塾の塾長例会が熊本であり、それに絡めて福岡に行っておりました。

九州も関西からは大変近くなったのですが、なかなか行く機会がなく、福岡も昨年4月に行って以来の訪問でした。

昨年4月に福岡に行ったのは、KYOCAの立ち上げで悩みまくっていた私に、ある方が、絶対に参考になるからと、冷泉荘や山王マンションなどを手掛けておられた、リノベーションでは第一人者とも言える 吉原さんを紹介して頂いての訪問だったのですが、1年が経ち、私自身、見るべき事、聞くべき事も変わった中で、色々とお話させて頂きたいと思っての事でした。

ミラツクを通じて知人であるリパブリックの田村さんも、福岡で街づくりにも関わっておられるので、田村さんの所にも訪問させて頂きました。

同じ福岡で活躍されている吉原さんと田村さんも、お互いご存知あり、会われた事もあった様ですが、活動の目的や層が違うので、ゆっくり話された事がないとの事でしたので、三人でランチ含めてのミーティングもなかなか刺激的でした。

やはり同じ様な未来像を持っていて、違う動きや、場、で動いている人が交じり合うと、違ったものが生まれるのですが、描いている像は同じなので、加速度が増したり、可能性が見えてきたりして、更にワクワク度が増すのです。

お二人にご案内頂いて見た福岡は、大きな可能性を感じました。

大都会福岡に大きな可能性を感じるというのも変に聞こえるかもしれませんが、私も京都流議定書を始め、ウエダ本社としても人の問題を取り上げていたり、リノベーションや町おこし的な事に関わって考えているのは、一貫して価値観の変革であり、東京を中心とした資本主義に代わる、新たな価値観の創出なのですが、東京と同じ開発が行われる一方で、 吉原さんを中心にした、リノベーションの広がりを見せる福岡は大変魅力的に感じたのです。

過疎地域を中心とした町おこしや村おこしが各地で広がっていますし、その広がりは重要なのですが、やはりエンジン力は必要で、インパクトが必要なのです。

私がKYOCAという大物件に挑戦しようとしたのも実はそこにあり、Jimukino-Ueda bldgを手掛けて、
成功例として取り上げて頂く事も多いのですが、残念ながらウエダ本社の力ではエンジン力が弱く、特に、これまでの資本主義で成功体験を持っている方などには訴求するまでに至っていません。

それが京都市の中央市場の元締め的存在のオーナーのビルで、京都市が今後一番力を入れるエリアの中心に位置する場所で、ホテルや綺麗な商業ビルを新築して開発するという従来型の町づくりではなく、古いビルを残し、そこに”人”を集め、それを繋ぎ、その事から町が変わり、形成されていく様な姿を見せる事ができれば、従来型の開発、言うなれば、アベノミクス型の開発ではなくてもやっていける、という事を見せたかったからでした。

私は当初からカンフル剤としてのアベノミクスは賛成でしたが、従来発想の真逆くらいからの発想でそのカンフル剤を利用していかないと、バブルの二の舞になると思っていました。
新国立競技場の問題などは正に、従来型そのものであり、大変危惧するのは、京都も中心地においてはバブルか、ひょっとするとバブル以上の様相を呈してきており、開発型、儲かれば良い的な雰囲気がある事です。

そういう意味での大都会福岡で、吉原さん的なリノベーションの考えが、町に広がっている事が大変刺激的で、勇気を頂く事ができたのでした。

リノベーションと称するものも、今では開発型のリノベーションというのか、全然発想のスタンスが違うものも多い様に感じます。

なかなかこのニュアンは伝わらないと思いますが、どの様に感じるかで、開発型か、広がり型か、どちらかは分かると思います。

広がり型の展開を目指す方、繋がって、それこそ広げていきませんか?


2015年8月15日土曜日

ロードマップを作ること

今年のお盆休みは、殆ど籠って、考えを纏めていました。

ウエダ本社は8月が決算であり、9月から新体制に移行するのですが、来期は、私自身、営業本部長を兼務することにしており、体制や皆の役割を明確化していました。

特にこの一年はKYOCAに専念する事もあるのと、ウエダ本社ではどうしても、リーダーを育てていく必要もあることから、数字面も含めて一切任せるとしてきました。

皆は一所懸命やってくれてますが、成績は予想通り?かなり落ち込んでいます。

予想通りと言うと強がり過ぎている面はありますが、初めて、自分達でやらせて欲しいと言って来た事もあり、一度、経験してもらう事を最大の目的にしていましたので、ギリギリまで放置していました。

ただ、目標からの道筋をしっかり明確化できていなかった事と、そもそもの基本的な仕事や組織や物事の進め方などが出来ていない事もあり、”任せる”、”自主的”、というのではなく、”野放し”、”勝手に”、という方が近いレベルであったのは、私自身の責任だと思います。

その辺りをじっくり考えられたので、有意義な時間であったと思います。

今日は終戦から70年という事で、テレビでも特番的なものが組まれています。

首相談話という事に凄い焦点が当たって、そもそもそんな風になっていけば、本質的なものにはならないのは分り切っているのに、肯定する側も批判する側も、もっとじっくり考えられないものかと思います。

私は、自分の分からない事で、軽々しく批判したりするのは無責任だと思っていますので、外交に関わる話などには言及しませんが、TOPとしてやるべき事というのは、事の大小に関わらず同じところがあるので、そこは言えると思うのですが、言葉で辻褄合わせをしていても解決どころか、何の進展もないと思います。

目指すべき未来像を語り、そこに至るロードマップをしっかりつくり、それに対するギャップや課題に対して、どう向き合い、対策を講じていくのか?を考えるのが、TOPの仕事だと思います。

うちの様な零細レベルの一企業経営と、各国の歴史が絡んだ大問題とを並べて、甚だ失礼ではありますが、戦後70年も経ちながら、毎年、お詫びの文言がどうだとかと論争になっている事自体に、ロードマップが全く見えない様に感じます。

安倍首相始め、日本を動かすTOPの方も、一度、ゆっくり立ち止まって考えてみて欲しいものです。


2015年8月9日日曜日

イデオロギーを超えて

今週もイタリア首相が京都に来られるので、講演に参加して!という要請があったり、嬉しい事、腹立たしい事、当たり前ですが、色んな事がありました。

イタリア首相の講演会、結局は私などが行っても全く関係無い話でしたが、以前に、私がお願いもした方からの要請でもあり、出席をしていました。

そもそもこの急な京都入りは、首相がフィレンツェ市長時代、門川市長に京都に行くと約束された事の実現らしく、イタリア人でも、又、こんなTOPの方でも、そんな繋がりを大事にしておられるだと、納得していました。

KYOCAでは京都ショコラボのオープニングに向けて、ルクロの黒岩さんと話を進めておりますが、障がい者雇用や、障がい者と分け隔てるのではなく、多様な社会を目指して行こうとする話をしているとワクワクして来ます。

今や、様々な難病、知的、精神という障がいを持つ人、そして、身内に持つ人までを考えると、全く特別な話ではなく、皆が当たり前に関係する話だと思います。

そしてそんな話を進めていると、またまた色々な話が入ってきて、そこから繋がりや、付き合いなどと言っていると、余計に何屋か分からなくなってしまいます(笑)

多様な人が受け入れらることを目指す!などと言っていると、如何にも良い人の様に思われますが、まだまだ人間ができていないので、片側でしょっちゅう腹が立ったりもしてしまいます。

ただ、私が腹立たしく思うのは、どちらかと言えばコトであり、全く理解できないコトを言う人自体を違うと思うだけで、嫌いや、まして憎しとまでは思いません。

今日8月9日は、長崎に原爆が投下された日であり、8月15日で終戦から70年を迎える今、安保法案への対応で、色々な意見が飛び交っています。

意見、考えが違うのは当然で、それが違うと言って、その人に憎しみまで向ける様な発言をする人や、知りもしないのに、軽々しく人のやっている事に意見をできる人が多くなっている様に感じるのですが、その事の方が危険に感じます。

その様な人では、意見の違う人をやっつける事しかないのですから、正論のつもりで相手を傷つける事になり、解決どころか改善もできないと思います。

先日お亡くなりになられた堀場最高顧問は、常人の理解を遥かに超えた思考をしておられました。

3.11があった年、多様な意見を交差するという目的を持つ京都流議定書では、一貫して原発に反対を唱えて来られた田中優さん、当時は政権中枢で再稼働やむなしであった民主党の前原誠司さんの講演を続けて行なうという暴挙?に出たのですが、その前の鼎談に登場された堀場最高顧問は、”今の放射能で危険だという人は、ラドン温泉には行けないですね”という事をサラッと言って、暴挙の数段上を行っておられました。

それこそ、福島の人や放射能を心配される方からは、常軌を逸しているとしか思えない発言ですが、実は堀場製作所というのは、放射能測定からスタートした会社で、堀場最高顧問は広島の原爆投下された直後から現地調査にも入っておられたその道の大家で、当時は数十年、この焼野原にはぺんぺん草すら生えないと言われたものが、二週間後には草が生えだしたという事を目の当たりにされ、生命、ましてや人間の素晴らしさ、偉大さを痛感されたからこその、次元が違う所からの発言なのです。

そんな見地から論議できると、違いが対立にならず、同じベースを見つけられるのではないかと思います。

今日、Jimukino-Ueda bldgでは、ひまわり甲子園関西大会が開かれていました。


東日本大震災、各県は大変な被害者を出したのですが、他の県では減っているのに唯一福島だけが、毎年、震災関係死という数が増えているそうです。

こういう事を無くして行くにおいては、イデオロギーはぶつからないと思います。

今月15日には、もっと人間本来、生命本来の在り方から、我々日本人としてどうあるべきなのか?皆で考えてみたいものですね。

2015年8月2日日曜日

第8回の京都流議定書で、感慨深かったこと

今年も京都流議定書が無事終了し、通常営業に戻った一週間でした。

その後も、目立った失敗、クレームなどの報告もなく、全体を通して皆が本当に良くやってくれたと思います。

それどころか、加えて嬉しい知らせを頂きました。

二日目の講演中に、小さいお子さんがぐずっていたのを、うちのスタッフが機転を利かせて、椅子で簡易ベットを作り、毛布を用意して寝かしてくれていたという事がありました。

その対応に喜ばれたお母さんが、後日、ハイアットさんにお礼を言って来られたそうなのですが、”それはウエダ本社のスタッフの方です”と伝えて頂き、その上で、ハイアットの方が報告をして来て頂いたのでした。

二日目の午後は毎年、京都フォーラムとして、素晴らしき経営研究会が主催で、京都流議定書の実質の主催者である我々は、この枠だけは共催という立場ではありますが、単なる参加者なのです。

ですので、黙って見過ごしていても普通かもしれない所を連携して、こういう対応を即座に行ってくれていたのが、大変嬉しい対応でした。

他にも、急遽会場からステージに上られる事になった方に、PC操作をしている所から椅子を出しに回ったり、午前中のブロックスさんのワールドカフェに参加されていた方から、セッションに参加していた社員が素晴らしいとお褒め頂いたり、マニュアルでは規定できない皆の行動や言動に大きな成長を感じました。

何の為に儲かりもしないイベントを手間を掛けて行なうのか?という聞かれ過ぎた質問がありますが、いくつもある目的の大きな一つに社員研修という事があります。

我々の様な中小のディーラーが価値を出していく為には、組織力を上げないと勝てる筈がないのですが、通常の業務では、むしろ一人一人バラバラで、職種的にも一丸となる事がありません。

それを連携を利かせて動けるチームにするには、プロジェクトやイベントが役立つのです。

しかも、ハイアットリージェンシーという一流のスタッフの方と一緒に動くのですから、間近で学べる事も多く、これなどはなかなか得られるものではありません。

もっと分かり易く言えば、リッツカールトンに社員全員で研修で行くと、どれ位費用がかかるでしょうか?

そう考えると、それだけでも費用をかける価値はないでしょうか?


京都流議定書は、何年目かまで、皆スーツを着用していました。

ところがそれでは、ホテルの方と間違うお客様もおられて、混同をさける為、この何年かは幹部以外はシャツのみにしています。

お客様の混同を避ける為という意味には二つあり、実際、お客様が困られるという事ともう一つは、ハイアットさんにご迷惑をお掛けするという意味もあります。

お客様がハイアットのスタッフの方と思われた我々の対応が悪ければ、ハイアットさんのイメージダウンになるのです。

それが8年目にして、お客様がハイアットのスタッフの方だと喜んで頂いたのが、うちのスタッフの対応であったというのは、ちょっと感慨深い話です。

そうは言いつつ、まだまだ、そして新たな課題もあります。

しかし本業と少し近づいた今回は、終了後の今週から、本業と絡めて来年に向けて一歩一歩進めていきたいと思います。


2015年7月28日火曜日

ウエダ本社にとっての実業とソーシャルの交わるところ

先週末の金曜日~日曜日は、第8回目となった京都流議定書でした。

ここでも何度か言って来ましたが、京都流議定書で訴える根本的な想いは、目に見えない(数値化されない)価値こそが日本の強みであり、日本の縮図である京都を研究し、見出し、再構築し、発信していかなくてはならないという事と、変革を起こしていく為には、多様な立場、層の人達が混じり合っていかなくてはならないという二点でした。

毎年三日間開催しているのも、それぞれ近い未来像を描きながらも、バラバラで動いている人達が一つのイベントで集まれないか?との事からでした。

それがこれまでなかなか混じり合わなかったのですが、漸く今年混じり合う形が生まれた事や、毎年一緒に開催している京都フォーラムのゲストが、”いい会社を増やしましょう”を社是に、数字だけで判断しない投資で最優秀ファンドマネージャーまで取られている鎌倉投信の新井さんでもあった事もあり、テーマを、「経済とソーシャルの交わるところ」とし、三日間を貫く基調講演には、田坂広志さんにお願いしました。

いみじくも田坂さんにも指摘頂きましたが、経済とソーシャルという言葉が分れている事がおかしく、私自身も本来、企業というものは、世の中の役に立つ存在であり、ソーシャルビジネスという考え方はおかしいと思っているのですが、企業が自社の利益のみを追求する形になってしまった事により、世の中の為の活動をするソーシャルビジネスという呼び方が生まれ、それを融合させないといけないということこそが、これまでの資本主義の末期的な状態なのだと思います。

世の中は螺旋階段上に発展し、一見、復古した様な事が実は一段上に上って進んでいると仰る田坂さんは、ボランタリー経済とマネタリー経済が融合した新たな資本主義の時代を迎えるというお話をされ、初っ端から、今年の京都流議定書は良かった!という声を頂く程の講演となりました。

三日目のイノベーションを取り上げたセッションでも、今だけを変える様な薄っぺらいイノベーションではなく、歴史や文脈に沿った上で、長期的な視点で、しかし地道に鍛錬した事から生まれるイノベーションという様な事が見え、東京ではないイノベーションの形がある様に感じました。

今年のテーマは、ウエダ本社としての課題でもあり、今まで、会社の存在価値を作る為に行っている京都流議定書を始めとしたCSR的な活動が、スタッフの腹落ちのないまま、実業(経済)と全く交わらず、遊離したものでした。

それが田坂さんや新井さんのご講演を始めとする三日間の構成で、うちのスタッフが少し腹落ちしてくれた感があった事と、今年は、ご協力頂く方々と摺り合わせをしてキャスティングなどを決めた後は、その調整含めて私は殆どタッチせず、当日も何もしなくて良い状況で対応してくれた事が大変な収穫でした。

臨機応変に対応する姿を見て、ハイアットリージェンシーのスタッフの方もお世辞抜きで感心して頂いていた程でした。

京都流議定書は、ウエダ本社の70周年の際に第1回を始めたのですが、先日亡くなった堀場最高顧問には、その70周年パーティーの懇親会で基調講演をお願いした他、第2回でもクオリア時代として基調講演や、第4回では門川市長との鼎談にもご出演頂いており、正に、京都流議定書に対しても多大なご協力を頂いておりました。

堀場最高顧問に報いる為にも、理想とも言える、”おもしろおかしく”という働き方、生き方を、働く環境の総合商社として広げていく事、そして、今回の京都流議定書を、ウエダ本社自身にとって、実業とソーシャルの交わる元年としたいと思います。

2015年7月19日日曜日

堀場最高顧問に頂いた深いご縁

今週も色々ありましたが、何と言っても大ショックの訃報が入ってきましたので、堀場最高顧問について、綴りたいと思います。

今まで何度も堀場最高顧問の事は書いておりますが、改めて、感謝と共に振り返りたいと思います。


私の親父は、堀場最高顧問から、”社会人になってからの初めての友人”と言って頂いたのをずっと誇りに思っていました。

堀場製作所の前身、堀場無線研究所が烏丸五条で創業したての頃、飛び込みセールスをかけて、意気投合したのが私の親父だそうです。

まだ終戦後の食糧事情もよくなかった頃には、最高顧問の奥様のご実家から送られてくるお米をお家で一緒に食べさせて頂いていたそうで、この事は、三年程前に奥様にお目にかかった際、奥様も鮮明に覚えておられたほどでした。

倒産の危機に直面したウエダ本社に入り、八方塞がりで誰にも相談できず、悩みに悩んだ私は、それまでに多くの経営者の本を読んだ中で、殆ど全てという程、考え方がバッチリ合うと思っていた堀場会長(当時)がどの様に考えられるかを知りたくて、相談に行った事もありました。

倒産の危機に直面した中では、決断のミスが即刻命取りにもなります。

しかし、そんな中、机上論では100人中99人が正解と言うであろう選択が、どう考えても良いとは思えず、堀場会長にアポ取りをさせて頂き、1時間、思いのたけを話させて頂いたのです。

”全くの部外者に、会社の秘密情報も相談するなど、私は経営者としては失格ですが、それでも、どうしようもなく、今まで、ほぼ全て、そのお考えを納得する事ができた会長が、どの様に判断されるか知りたくてご相談に上りました”と、約1時間話させて頂きました。

会長はその間ずっと集中して聞いて頂き、その後、”1時間の話だけでは分からないが、この話だけでワシが判断するとしたら、こっちを選ぶな”と、100人中99人が選ばないだろうと思う、私がそちらにしたいと思っている方でした。

その一言で私は、”ありがとうございます、これで腹が決まりました!”と言って立ち去り、その後の難局に思い切り臨めたのです。

あの時会長が、私と違う方を言われていたら、どうしていたか?想像した事もありませんが、後にして思えば、私の説明ぶりで、私が決断を下している方は会長からすれば手に取る様に分り、その背中を押して頂いたのだと思います。

しかし、そのお蔭で、危機も乗り越える事が出来、その後も、 ちょこちょことアイデアを持ち込んだりする内に、”けったいな(変わった)奴や”と堀場会長から最大級の”賛辞”でご紹介を頂ける様になり、会長の所に相談に行かれた方が、”岡村に会え”と言われたのでと、こちらに来られる事もしばしばありました。

10年前に親父が亡くなった際、その頃には会社も一息つける様になっていたので社葬を行い、最高顧問に葬儀委員長もお願いできた事は、ウエダ本社で、私が親父に対して喜んでもらえる唯一の事だったと思います。

そんな親父の時代から60年以上にも渡るご縁の堀場最高顧問のご逝去は、私にとっても、勝手に親父の様な存在に思っていた事もあり、親族以外の死で、一番ショックなものでした。

お教え頂いた事で、私の考えや展開には大変影響を与えて頂いたと思いますし、ある意味、ウエダ本社を救っても頂いたのですから、皆とも共有する意味も込めて、あと少し、後日、続けたいと思います。

2015年7月12日日曜日

ギラギラとキラキラの交わるところ

今週も一週間を振り返ってみると、幅広い人と会っているものだなと改めて思います。

色々とロスもあるのですが、これが私自身の特徴でもあり、自分でも好きな事なのだと思います。

決して、”つるむ”のは好きではないのに、色々な会にも出たりして、人付き合いが良いのか、悪いのか、よく分からないね、とも言われたりするのですが、自分でも不思議です。

ただ、自分に無い感覚を持っている人、知らない事をやっている人、しかもそれが、自分の欲や利益の事ばかり考えて行なっているのではない人に興味を持つのと、そういう人と会って刺激を受けるのが好きなのだと思います。

幅広い人とお付き合いをしていると、人の事はよく見えてきます。

同じやる気を持って精力的に動く人でも、自分の為に動いている人と、所謂ソーシャルと言われる人では同じ目の輝きでも、ギラギラとキラキラの違いがあります。

最近はソーシャルというのも一般的になって、その中にも色々な人が出入りしますが、まず決定的に違うのは、ギラギラの人は、食い散らかしていくというか、都合の良い時だけ寄ってきて、その後なしのつぶてで、違う所に行ったりしています。

又、我々の様に、しょっちゅうイベントなどを開催していると、興味があるからではなく、メリットがある時だけ現れて、自分の人脈形成だけに都合よく利用して、自分のビジネスを広げている人も、よーく見えます。

あと、ソーシャルビジネスとか、ソーシャル課題に向かっていっているのに、自分の意見、話ばかりでヒアリングができない人も、それではソーシャル課題は解決できないと思います。

世の中の課題を解決していくのですから、一つ一つ、絡んだ糸を解いていかなくてはならないですし、そこには、それぞれの立場からの、思惑、利権なども絡んでいます。

その立場も知ったり、理解していけないと、こちらスタンスの課題解決を唱えても、独りよがりの域を出ないのです。

それだけにむしろ、ソーシャル課題に向き合っていく人は、より、他者(違う立場の人)を配慮できる必要があると思います。

特に、ビジネス領域どっぷりの人と接するには、時間をしっかり守る、報告などをしっかりするという事が大事で、それをやらない人(何等かの障がいで、できない人は違います)を受け入れるというのは、多様性とは全く違います。

ソーシャルビジネスを、ビジネスを絡めて社会の課題解決をしていくものという様に言っていますが、逆に今、世の中の課題と繋がっていない仕事や会社などあり得るのでしょうか?

或は、課題解決できない様な会社が、この先、特に日本という先進国において、残っていけるでしょうか?

世間や市場の声や課題を拾って、それを紐解いて解決していく事が、ビジネスの基本であり、その為にお客様の声をしっかり聞ける人を育て、聞ける会社になっていかないといけないと思います。

人口が増える新たなマーケットを求めてのグローバル化が危険なのは、いつまでも、モノを良くすれば、足らない所に持っていけば売れるという、自分スタンスが通用していくので、そのままの発想で、これから人口が増えていく後進国を浸食し、その発想を広めていく事だと思います。

市場の声や課題に真摯に向き合わないと生きていけなくなった日本から、真のソーシャルビジネスを生み出し、その会社がグローバルで活躍する様にしなくてはならないと思います。

今年の京都流議定書は、経済とソーシャルの交わるところというテーマで開催しますが、皆が、その交わるところに向かっていってほしいものです。

2015年7月5日日曜日

顧客スタンスの穴

先週辺りから、コピー機ビジネスにおいて、従来無かった発想で展開しています。

一般的に考えれば全然大した話ではないのですが、それでも、ここで詳しく書く事は止めておこうと思う様に、業界的には画期的な事だと思います。

しかしこの展開、もう十年程前から、ずっと、うちの会社ではやるべきだと言い続け、その理由も語り続けて、漸く、スタッフがやる気になって展開してくれる事になりました。

興味持って頂ける方は、”別途”ご説明させて頂きますが、単純に言えば、ただ、真にお客様スタンスを追求するだけの話なのです。

「お客様スタンスに立って」、どの業界でも、散々言ってきたフレーズです。

ただ、本当にそうでしょうか?

多くの業界、いや、ほぼ全ての業界で、自社の利益の為に、お客様スタンスというフレーズを利用しているだけではないでしょうか?

メーカーは以前は、望まれる商品を世に生み出し、それを買ったり、使ったりするだけで、人々を便利にしたり、満足感を与えたりしていたので、物を販売すればお客様スタンスは成り立っていました。

しかし、物が行きわたって溢れる様になり、他社との差別化ができない中では、メーカーのお客様スタンスは、あり得なくなってしまっています。

メーカーは自社と同様の他社商品を販売するなどできないのですから、お客様スタンスではなく、自社発信でのアピールをするしかないのです。


ましてや、我々の様な、物も技術もない小規模ディーラーが、自社スタンスに立って、自社が儲かる事を優先してやっていては、存在価値など生まれる筈がありません。

それを唱え続けて来て、まだまだながら、漸く、そういう考えを持ち始めて、動いてくれる様になってきました。

今週は、リノベーション、町づくり、ある選定委員など、様々な相談を持ち掛けられました。

建築でも不動産でも、デベロッパーでもない中で、相談を持ちかけて頂けるのは、今一番に求められているのは、自社スタンスや、偉い先生の作品の押しつけでもなく、真に顧客の声を聞いて、それを具現化してくれる所なのだと思います。

先月末から、土日は勉強会に行っており、ブログにじっくり向かえていませんが、そこからも、顧客スタンスの穴が大きく見えてきます。

そして、コピー機の展開に、顧客スタンスを感じない方は是非お声掛け下さい。

最後は宣伝になってしまいましたが、これは自社スタンスでの”押し”ではなく、有益な情報提供ですのでご容赦下さい(笑)

2015年6月28日日曜日

癌細胞になってないでしょうか?

今週は発生生命学の講演と、ビル経営サミットという、今までにはない毛色の違うセミナーでパネル登壇をさせて頂き、新たな刺激を受けました。

ビル経営サミットというのは関西で年に一度、ビルオーナーや不動産業界の方向けに開催されているそうで、違う切り口として展開しているビルオーナーとしての立場で話をさせて頂いたのですが、もう一方の発生生命学というのは、京都大学大学院理学部の高橋教授の”細胞の声を聞く”という講演を聞いて、陶芸美術作家の近藤高広さん、武庫川女子大名誉教授の高田公理さんと共に、ディスカッサントという役割でディスカッションを行うという、手ごわいものでした。

どんな話ができるのか?と思って聞いていましたが、「細胞は社会を作るという考え方」で、細胞の社会はオーケストラというお話は、組織の構造などと重ねて聞いていると、大変面白く、むしろ聞きたい事が沸沸と湧いてきました。


細胞というのは、本当に不思議で、分節というものを繰り返し、違うものが生まれていくのですが、正しい場所で正しい役割を、愚直にというのか、寸分違わず行わないと、異常をきたしてしまうのです。

発生生命学というのは、主に、生後16時間~3.5日の脊椎動物を使って研究するそうですが、それは、この期間は人間も鶏も、全ての脊椎動物が全く同じ決まった法則で分裂をするらしく、それがその後、全く違う部位を作り、全く違う種類の生き物になっていくので、その間の研究から、様々な事が分かってくるそうです。


オーケストラというのは、それぞれ全く別の楽器を受け持つ奏者が、それぞれは個の力を最大発揮しながら、楽曲の完成系を共有しながら、最高のものを創り出すという事で、細胞の活動と例えられるのでしょうが、企業経営、組織運営も全く同じ構図で、素晴らしいオーケストラが理想です。

癌というのは、細胞社会の破綻で、体をきちっと作っているのは、どの様な事が行われているのか?を研究する事で癌対策になったり、不幸にも、間違った認識の為に大きな差別にも繋がったハンセン病の原因となるレプレ菌というものの働きも、初期化するという役割だけで言えば、IPS細胞と同じ所もあり、有効に使う事ができないか?など、何時間あっても飽きそうもないお話でした。

私の興味が何処にあるか?

当然、組織になぞらえて考えると、個々がその場所でその役割をしっかり行なうと、しっかりハーモニーが生み出せるという体系と、その中で、個々がその力を最大化させようとする使命、モチベーションの生み方、そして、そこから分裂、分節を正しく生み出し、違う部位や違う組織を生み出し、その上で同じ個体として生きて行く為に、何が必要で、どの様にすべきか?というところですが、一見関係ない様に思う、細胞、発生生命学というものから、なるほど!と思わせて頂きました。

常々思っている事ですが、会社と言っても、この世に存在する限り、そこで働く人や、建物や備品も全て、分子、細胞からできているのですから、宇宙や自然界の一部であり、そこで行なわれる活動は、自然の摂理に則ったものでないと、おかしな事になるのです。

会社も、自然界や宇宙の中でいけば、単なる細胞の一つか、大きくても部位の一つなのですから、その中で、自社だけで利益を追求していって、目先、その周りで素晴らしいとされていても、地球や、宇宙全体から見れば、果たして正しいのか?と思ってしまうのです。

癌細胞も、自分達では悪いなどと思っていませんし、規則正しく、細胞としての役割を果たしていたところからちょっと逸脱しただけなのです。
しかも、その逸脱と、新たな部位を作り正しく変わっていくのとは紙一重で、その違いは、俯瞰的に宇宙から見るのか、数千年の未来から見るのか、もしくは、生命の起源からでも考えないと、見えてこない事だと思います。

グローバル展開での拡大、自社の数字上の大成功も、資本主義経済の中では正しい事なのですが、自然の摂理に則って考えたり、宇宙的視野で俯瞰的に見た時に、癌細胞と同じ事になっていないのか?

そんな振り返りを、企業や組織のTOPは考えてほしいものです。

影響は極々小さいですが、私は常々、そんな事を振り返る経営をしていきたいと思っています。

2015年6月21日日曜日

京都流議定書の最大のピンチ

今月の日経新聞、私の履歴書は、理化学研究所の松本理事長です。

というよりも、まだ、前、京大総長と言った方が馴染みがあるかもしれません。

私は一度だけ、幸運にも、一対一でお話をさせて頂いた事があります。

厳密に言えば、お話をさせて頂いたというよりも、私がプレゼンをさせて頂いたと言った方が正確ですが、3年前の京都流議定書にご出演頂けないか?と30分のお時間を頂き、京都流議定書の目的から、今年のテーマ、そして松本総長にご出演頂きたい理由を、反応を伺いながら、初対面でお話させて頂くのですから、大袈裟ではなく、十年以上振りに、”勝負”のプレゼンをさせて頂きました。

その甲斐あって、ご理解頂き、ご出演頂く方向で調整して頂く事になったのですが、鼎談でご一緒頂く、門川市長が、全国制定指定都市の市長会で出演頂けなくなり、”市長が出ないなら、”止めときます”とのお断りを、一旦頂く事になったのです。

今年で8年目となる京都流議定書ですが、振り返ってもこの時が一番のピンチだったと思います。

その時既に、島津製作所の服部会長は、松本総長との絡みを楽しみに、ご出演を快諾して頂いておりましたので、その再調整が必要な事、そして何よりも、三日間の最初の鼎談のキャスティングが振出に戻るという事で、今年で京都流議定書も終わったか、と思った程でした。

市長の代行というのは、その方がどうという話ではなく、”京大総長と同じ板に乗せるのは失礼だ”と、ある大御所にもご指摘を頂きました。

想いだけで突っ走り、その主旨をご理解頂き、それまでは、各界の重鎮の方々にも、体裁や格というものを外してご参加頂いて来たのですが、私が抱いていた、京大総長のイメージとは全く違う強烈なリーダーシップをお持ちの松本総長は、やはり格を考えないといけないのか?と落胆もしました。

しかし、その強烈さとは裏腹に、直接、お電話頂いたり、私の稚拙なプレゼンもしっかりお聞き頂く姿勢からも、何か”権威”などと言われる感じではない温かさも感じていたのですが、結果的には、
その見方が正しく、”受けましょう!”と言って頂いたのでした。

少しお話させて頂いた中でも、今、の”教育”というもの、そして未来の日本に向けて改革すべき事、その中で、京大というものが果たすべき役割を、本当に、熱く、考えておられるのが分りましたのと、それこそ、名誉や私利私欲からではないという事も、よく分りました。

その時の印象から、強烈なリーダーシップとは裏腹な温かみを感じで来たのですが、今回の連載では、貧しい中で育って来られた事や、お子様が重度の障がいを持っておらた事などを知り、背景が分かった様で、一人で特別な想いで楽しませて頂いております。


心底、全体の為に大きな発想で改革を成し遂げようとすると、ある部分の人には不都合な事となり、ある部分では必ず悪者になります。

それが嫌だから、怖いからと、皆に良い顔、甘い言葉ばかり言っている人が、改革を起こせる筈がありませんし、結局はその方が、自らの保身で動いている人なのです。

又、表面上は同じ事であっても、単に偉そうにやっている人や、我欲や名誉でやっている人とは、必ず違いは出るものですから、その違いをしっかり見分ける様にしないといけないと思います。


日本人は、とかく、耳障りの悪い事を嫌うのと、批判を浴びてでもやろうとする人を悪者扱いし、追いやってしまいますが、これも教育を変えていかないといけない一つのポイントでしょうね。

京都流議定書も、こんなピンチも有りながら、本当に関わって頂いた全ての皆さまのお蔭で今年8年目を迎えます。

松本元総長は、宇宙を利用するという壮大な研究を行って来られ、人類が生きていく圏域全体をも研究していくという事で、生存圏研究所を作られましたが、できるだけ大きな所からの発想と、目の前の事、足元をしっかり見据えていく事が大切なのだと思います。

そういえば、ウエダ本社の社是は、”宇宙を想え、人愛せ”でした。

普遍的で、イケてますね。


松本総長に、”出ない”と言われ、困りながらも、お詫びかたがた、それでもの出演依頼に、”私は気にしてもらわなくていい”と二つ返事で快諾して頂いた服部会長にも、人の縁というものを教えて頂いた気がします。

今年の京都流議定書も、そんな縁を繋いでいきたいと思いますので、沢山の方が、又、その縁を繋ぎにお越し頂きたいと思います。



2015年6月13日土曜日

次回ミラノへ行く際には

先週はミラノ出張の為、ブログを休みましたが、11日に無事帰国しております。

FBでミラノ万博が期待外れと書いた事に反響が大きく、少し驚きましたが、1年近く前から、この、”食”の万博に行こうとしていた私としては、期待外れ以外言いようがありませんでした。

食の万博という事で、各国の農産物や食材の紹介があり、それについて味わえたり、学べたりするものと思っていた事と、万博というものに対して、他国は日本ほどの位置づけではないのかもしれませんが、歴史博物館ならまだしも、郷土資料館という感じのパビリオンにはガッカリしかありませんでした。

考えて見れば、日本は大阪万博が、その後の輝かしい発展のスタートであったので、万博というものを特別視しているのかも知れません。

日本館だけが真面目に一所懸命構成している姿を見て、そんな風にも感じました。

20年近く振りに訪れたミラノの街は、全くその風貌を変えず、繊維商社に勤めていた頃、入社三年目か四年目で、営業が商品企画をしているのに行かないのはおかしいと、パリ、ミラノの展示会に行く事を直訴し、結果を見せないと何を言われるか分からないと、安ホテルに泊まりながら、朝から晩まで、店頭調査で歩き回った事を思って感慨深いものがありました。

ただ、その頃は、店にしか向かっていなかったので、リノベーションに関わっている今、改めて見るミラノの街は、面白い建物や風景だらけで、以前とは違って、俯瞰的に見ながら、同じ歩き回るのでも、楽しく、ワクワクしたものでした。

今回の出張は、三年に一度行なわれる京都商工会議所の会頭ミッションという視察にミラノの所だけご一緒させて頂き、その後、一人ミラノに残ったのですが、錚々たる方々に交じって、ホテルも”かなり”ランクダウンした所を取ってもらい、飛行機もエコノミーで行きました。

一年前から行く事も決め、まして、ミラノだけにしたので、予算的には十分余っていましたし、参加する社長の中で、ほぼ一人だけエコノミーで、ホテルも別というのは、恥ずかしく思う事もあるのですが、今回は、私自身も新たな展開へ向けてのものでしたので、ベンチャーを立ち上げる気持ちになって参加しました。

昨今のソーシャルイノベーター界隈では、この経費感覚(やる事と、時間と、お金がリンクして考えられていない)を持ち合わせていない事が危惧されますが、一方、隆々としていた企業が潰れていく大きな要因は、見栄、体裁から恰好悪さを受け入れらない事だと思いますので、新たな展開をしていくに向けて、成功祈願も含めて、その様に臨みました。

欧州は多くがそうである様に、建て替えなどができないミラノの中心地は、以前と全く同じ表情でしたが、周辺部では、数年前から、新たな街の広がりを見せている様で、特に京都などは、街づくりにおいては、大変参考になる、モデルにすべきものだと感じました。

20年近くの歳月を経て、全く変わらない街の様子を見て、ベンチャースピリットも改めて呼び戻された今回ですが、一日では疲れが取れず、時差ボケも治らず、体力だけはその歳月を感じています。

50代、ベンチャースピリットを持ちながら、再度、ミラノ、イタリアに戻って行く時には、新たな展開でも成果を出して、体力だけはカバーできる様に、良いホテルで、飛行機もゆったりとした席で行きたいものです。

2015年5月31日日曜日

50代 螺旋階段を登る様に 

今週は東京で、第四回の社会イノベーター公志園のキックオフが開催されました。

実行委員や伴走者、そしてこれまでの登壇者(フェロー)など、関係者のみという会でありながら160名もの人数で、17時~懇親会終了予定の22時半まで、基調講演、委員やフェロー、今年の出場者からの1分刻みのスピーチが数十名、その間に福島の歌い手aveさんの歌有りと、相変わらずビッシリと作り上げられていました。

そんな中、私も、オープニングで実行委員4人のスピーチの一人として、2分の枠で、その後には、武田薬品会長の長谷川実行委員長の開会宣言という、”気軽に話して下さい”と言われても、なかなか難しい状況で、話させて頂きました。

こんなスケジュール押しまくるだろうなと思いましたが、流石にスピーチも鍛えられた方が多いのか、ほぼ予定通りに進行し、大盛り上がりの内に終了したというか、時間的に終了せざるを得なかったという盛り上がりでした。

実際に各方面で活躍している熱い想いを持った実践者と、それを応援、伴走する人達の集まりですから、異様なエネルギーが充満していたと思います。

そんな中、基調講演で、アフガニスタンで30年に渡り、人道支援を行ってこられた医師でペシャワール会代表の中村哲さんのお話には感動しました。

異様なエネルギーとはまた違い、30年もの過酷な活動を行っている理由を聞かれ”自分は逃げ足が遅かったから”と答えられる冒頓(ぼくとつ)としたお話からは、長年、現地の人の為に、命をつぎ込んで来られて磨かれた言霊を感じました。

医者として現地に入られながら、干ばつ対策で、大手建築会社が行う様な、工事用水路や貯水池工事を行ってこられた中村さんは、どうしてそんな事までされるのか?という問いに、医者の仕事とは、①生命を守ること②より良い人間を作ること であり、できる事があるのに、その場から逃げ出していくのが気持ちが悪いから、と答えられ、自分の置かれた場所(役割)を大事にする事だと仰っていました。

いつの頃からか、大成功した大富豪という人より、中村さんの様な方を格好いいと思う様になり、自分の成功を追求してギラギラといている人や、スキルや能力があるからと自信満々な人を見ると引いてしまう様になっているのですが、一方では、それが自分の会社の停滞感にも繋がっている様にも感じます。

どんな事でもそうですが、0か1か、白か黒かのトレードオフの関係ではなく、両者のバランスの中で、動いていくものなのだと思います。

という事で、今年の京都流議定書は、”経済とソーシャルの交わるところ”というテーマであり、基調講演をお願いした田坂広志さんは、常々、世の中の全ての物事の進歩や発展は、一直線ではなく、あたかも螺旋階段を登る様に進歩・発展していくと仰っています。

一見、相反する様なものが交わり、元に戻ったかの様な状態が実は、上の段に居るという状態の進歩が、成熟社会の発展の仕方なのだと思います。

成熟と言えるのか、私も50代、再度?ビジネスをしっかり展開したいと思っています。

2015年5月24日日曜日

経済とソーシャルの交わるところ

土曜日はKYOCAでの勉強会で講演させて頂きました。

なんとそれは、尊敬する伊那食品工業の塚越さんや、沖縄教育出版の川畑さんなどもおられる会だったのです。

と言うと、驚かれると思いますが、それぞれ会長ではなく、息子さん達なのですが、それでも素晴らしい会社に向けて、何を話するの?ですが、二世の会というのか息子さん達が多い会なので、そこは年配者として”経験”を話するしかないか?と思っていました。

ところがメンバーリストを見ると、私よりも年配で上場企業の役員の方も数名おられ、”経験”の話も通用しないか?との事で、”京都”での気づきから、今の展開に至るところ、それがKYOCAに繋がるところをお話させて頂きました。

こういう場合、規模を追いかけない、継続性を重視する”京都”の価値観は、他府県の方からすると聖域の様で使えるネタですね。

他府県の方に通用するという事は、海外の方に向けては、より分からない(真似できない)価値観であり、それって考えてみると”京都”だけの事なのか?本来は、”日本”自体の話じゃないの?そして、それが日本本来の強みじゃないの?と思いますし、それが京都流議定書の発端であり、企業経営においても、目指しているところなのです。

と、いう事で、今年も京都流議定書を7月24日~26日ハイアットリージェンシーで開催します。
(一部KYOCAで開催予定)

元々は、祇園祭りの山鉾巡行の後、京都のホテルも一旦、人が引くという事もあり、その翌週の金、土、日の三日間開催するという事でスタートしたのですが、昨年から後祭りが復活し、翌週も祭り真っ盛りとなっても変わらずご支援頂いたり、昨年はオープンが重なったKYOCAでの開催という中でも多大なご協力を頂いた、ハイアットリージェンシーさんに会場を戻して開催致します。

数値化されない価値と共に京都流議定書で訴えるもう一つの大きなポイントは、多様な人が交差する事による価値創造という事ですが、従来パターンでは初日が門川市長始め、京都の政財界の方が多く、三日目がソーシャルビジネスを手掛ける若者中心のワークショップと3日間の中で分かれていたところが、8年目を迎えた今年はうまく混じり合って、初日は京都市のソーシャルイノベーションクラスター構想に絡んだセッションとなり、三日目は逆にミラツクのコーディネートの下、経済同友会の今後の展開にも繋がる内容となっていきます。

という事で、今年の京都流議定書のテーマは、”経済とソーシャルの交わるところ”とし、改めて、今後の日本の価値創造を考えていきたいと思います。

2015年5月18日月曜日

ユニバーサルマナーという考え

今週はKYOCAでユニバーサルマナーシンポジウムが開催されました。

これはユニバーサルマナー協会と日本食育コミュニケーション協会が共催するイベントで、ホテル ラ・スィート神戸の檜山総支配人の顧客ロイヤルティについてのお話や、食育コミュニケーション協会の石原代表の何を食べるか?よりもどういう気持ちで食べるかが重要というお話など、大変勉強になるお話でした。

その中でも、ミライロ代表の垣内さんのユニバーサルデザインや、バリアに関してのお話は、正に目から鱗でした。

垣内さんやミライロさんについてはFBやブログでも何度か取り上げておりますので、ご存知ない方は是非HP(http://www.mirairo.co.jp/)をご覧頂きたいのですが、バリアをバリューにという言葉の通り、人生の長さは変えられないが、幅は変えられるという思いそのままが生き方に表れていて、20代とは思えないですし、障害というものもすっ飛ばしてしまって、プレゼン自体も図抜けて素晴らしいですが、一言一言染み入る様に入ってくるのです。

ユニバーサルデザインというのは、何もスロープや手すりを付けるという事だけではなく、色々な人に優しい、それぞれの人の立場に立たないと意味を成さないという事も良く分かりました。

障害は様々で、それぞれで必要な事は違いますから、スロープがあれば良いなどという話ではないのです。

ある素晴らしい飲食店のお話をされていました。

垣内さんが電話で、”車椅子で行っていいですか?”との問いに、そのお店の方は、即座に、”勿論どうぞ!”という素晴らしい答えの後に、”ただ、5センチの段差が1段ありますので、どうかご了承下さい”と付け加えられたそうで、それには感激したとお話されていました。

段差があれば駄目ではなく、段差が何センチか、何段なのかで、一人で行ける場合もあれば、何人かに手伝ってもらわないといけない場合など様々で、それが分れば対処でき、垣内さん曰く、この情報バリアの解消こそが重要なのであり、その為に、多くの人が、その様な事に気づき、その様な気持ちで接する事が、障害者に対してという事のみならず、今後の高齢化社会に向けて大変重要だとのお話でした。


今週は、クオリア朝食会での山下副知事のお話や、京都経済同友会での増田代表幹事の活動方針のお話もありましたが、モノが売れない時代のイノベーションの生み方、生まれ方という様な共通した内容でした。

イノベーションを生んでいる都市に共通するのは、多様性があり、アーティストなど感度が高い人が集まっている事や、同性愛者が多かったりする事だそうですが、それは、感度が高く、他の人を思いやれたり、受け入れる土壌があるからではないでしょうか?

多様性を認める、それぞれの立場の事を慮れるという事が、これからは特に重要になるのだと思います。

そういう意味においては、今、日本でソーシャルという事で活躍している人達で気になるのは、雰囲気や価値観がかなり同質化している事、それこそ多様な年代の群れ社会、縦型社会の経験が少なく個が強まっているせいか、立場や、その背景を考えられず、かえって他の考えが認められなくなっている様に思う事です。

同質の中では皆優しく、立場の弱い人にも受け入れるのですが、違う思考や方向性の人には、何故その様になるのか?すら知ろうともせず、自分の立ち位置からの感覚だけで判断するのです。

又、約束を守るとか返事をするという、何をおいてもの基本がしっかりできず、周りに迷惑をかけている光景もよく見ますが、大きな社会課題の解決を目指している人が、他者配慮ができないという本末転倒な話も多く、それ故日本では、NPOやソーシャルビジネス支援より、従来型企業をソーシャルに向かわせる方が有効だという意見も多くなってきています。

垣内さんやミライロさんが唱えるユニバーサルマナーという概念が、お店のみならず一般企業であれNPOであれ広まっていけば、多様な人を受け入れ、多様な人それぞれの事を慮れる世の中を生む事となり、イノベーションを生む町や国に向けてのベースとなる様に感じました。

ウエダ本社としても、ユニバーサルデザイン、そのベースとなるユニバーサルマナーという考えを学び、京都をイノベーティブな都市にしていく、そして京都から日本をイノベーティブに変化させる一助になっていきたいと思います。


2015年5月10日日曜日

尾角光美さんの親族

今週は、尾角光美さんの結婚式に出席させて頂きました。

GWの6日、東京の増上寺で行なわれる式に、親族役として、という異例なものでした。

尾角さんは遺児のグリーフサポートなどを行う、リヴオンhttp://www.live-on.me/about/index.htmlという一般社団法人を設立し、その代表を務めるまだ30歳を越えたばかりの女性です。

二度に渡るお父さんの事業の失敗とその後の失踪、それによる鬱状態のお母さんとの長年の生活、そして光美さんが大学入学直前のお母さんの自殺、別れて暮らしていたお兄さんは、再会できたと思ったのも束の間、長年の苦労からの病死。

神様は、あえて能力ある彼女に試練ばかり与えるのではないか?と思う程の状況下、グリーフという深い悲しみを持つ人のサポートを行ない、又、お寺が心の拠り所となるべきと、お坊さん向けに講話?をしたりもしています。

そんな奮闘をしてきた彼女が結婚する事となり、”私には親族が居ないので、親族として来て下さい”と言ってくれるのですから、本当に”喜んで!”出席させて頂いたのでした。

彼女と出会ったのは、6年前、第二回の京都流議定書で、ホームズビーの嘉村氏が、素晴らしい活動をしている7団体を集めて、学生未来市という企画を行ってくれたのですが、そこに出ていて、そこでも一位になったのが彼女でした。

その後、何度か京都流議定書で出演してもらい、そこで紹介した大久保寛司さんが、各地の講演で彼女を紹介して頂き、その筋?でのスターにして頂いたり、他にも色々な繋がりが生まれたので、彼女はいつも、芽が出た事の源は全て京都流議定書に繋がると言って感謝してくれているのですが、逆に私の方が彼女から、貴重な事を学ばせて頂いています。

世界は6人たどれば誰とでも繋がるという話もありますが、それも間近で彼女に見せてもらいました。

嘉村氏から私、大久保さんへと繋がり、何と6人目でダライラマ法王にたどり着いたのです。

親族もないという状況で、荒んでいてもおかしくない、むしろその方が当たり前くらいの経験をして来た一人の女性が、それでも自分の役割を持って一所懸命に取り組んで生きていけば、ダライラマ法王にも会え、しかも会うだけではなく、法王が日本に来られた際のイベントまで仕切る存在になるという光景をまざまざと見せて頂いたのでした。

結婚式に行くと、親族には、元日本IBM会長の北城さん、大久保寛司さん、同じく元IBMの間宮さんと、元リッツカールトン日本支社長でホスピタリティー界の神様的存在の高野さんもおられ、こんな方々と”親族”にもならせて頂きました。

北城さんも大久保さんが紹介された事により、このリブオンの理事に就任しておられることもあって、披露パーティーの席も、私は北城さんのお隣で、こんな事も経済界の理屈では絶対にあり得ない扱いです。

これらも全て、親族がいないという尾角さんだからこそ、人の繋がりというものの有り難さを感じ、今ある元は何か、何から生まれて来ているのか?を感じておられるからこその配慮なのだと思いますが、又、だからこそ、支援が集まり、繋がりという資産を生んでいるのだと思います。

又、血は繋がっていないですが、親族として参加している、それぞれが自分が親父のつもりでいる方々が、心底から良かったと思っているのですから、何が幸せで、人の価値、資産って何なんだろう?人生や、生きている意味、役割というものを改めて考えさせてもらいました。

どんな状況に置かれても、自分の役割を考え、繋がりや、今ある元を大事にする事で、道は開かれていくのでしょうね。

尾角さん改め、中藤光美さんには、深い悲しみを持った多くの人に寄り添っていく為にも、自分自身が幸せの補給をしていってほしいと思います。


2015年5月3日日曜日

100周年に向けて~働きたい人がドンドン集まる会社に

今週、5月1日は77回目の創立記念日でした。

最近、うちの会社も新しい人が多くなって、文具のウエダ、事務機のウエダというものを知らない人も増えているので、こういう機会を通して、原点に帰る、原点を知るという機会も必要だと思います。

今週も社員との食事会を行いましたが、まずは一巡、全員と食事をしながら、仕事、会社についての話をしました。

皆と話をしてみて、皆がそれぞれで会社の事を良くしようと考えてくれている事はよく分りました。

それがうまく繋がっていないのが問題なのですが、それは個々,それぞれの視点から考えているからだと思います。

皆がお客様に向かうこと、そしてその為にも、ウエダ本社として目指すべきもの、大事にするもの、その価値観を生み出す背景や、資産を共有していかなくてはならないと思います。

今週は面接も行っていました。

来年の新卒採用も、経団連に入っていない企業では真っ盛りの様ですが、そんな動きとは関係なく、KYOCAで働きたいという学生だったのですが、KYOCAでは募集もしていないので、就活を行いならがインターンで関わって頂く事になりました。

今年の就活もなかなか大変で、協定に参加しない会社では既に内定を出していく所もある中、協定に参加する企業は8月からしか動けず、と言いながらも、エントリーシートは先に受け付けるという事で、先に動く企業、後からしか動けない企業それぞれが、学生の囲い込み、繋ぎとめに必死となり、そもそも社会経験がない学生は、より、その選定に悩む事になってしまいます。

そんな世の中なのですから、新入社員が直ぐ辞めるという問題は、学生側だけの問題ではないのは明らかです。

確かに毎年大量採用する大手にとっては、人材計画は重要で、良い人材を大量に”確保”する事は、継続的な発展の生命線でもあると思います。

ただ、もっと、各企業は自信を持って、自社の強みを発揮する、或は、作っていくという事に力を入れるべきだと思います。

ブランディング、広報、リクルート戦略は、”数”が必要な大手はしょうがないとしても、協定に参加しない企業では、普段の活動、姿勢、それこそ企業理念から、自社の使命、価値を鮮明にし、それに合う人、共鳴する人を集めていくべきであり、少子化に向かう中、新卒では、”数”より”質”=やりたい気持ち(モチベーション)を目指すべきだと思います。

ウエダ本社では新卒も、中途も、随時募集をしていますが、当社では、学歴、成績など、全く関係なく、如何に”入りたい”か?という意思のみです。

働く環境の総合商社を掲げていながら、KYOCAの様に、募集もしていないのに、働きたいという人が集まるという様になっていないですが、創業からの理念や、積み重ねて来た強みを資産に、働きたいという人がドンドン集まる存在となって、特に中小企業の在り方に問題提起していきたいと思います。

100周年を迎えた時、そんな、世の中に価値提供できる存在になっているか?

それを目指して、またその次の100年に向かっていきたいものです。

2015年4月26日日曜日

牛にひかれて善光寺に来たら、

今週は、東京、長野と出張して来ました。

金曜日に長野県の高山村で行なわれたトップフォーラムに合わせて、その前日には東京でアポを取り、翌日の土曜日は、善光寺界隈の町おこし、リノベの動きを案内して頂くという三日間でした。

東京では、以前からやりたかった展開を、ある有力な所が進めている事を知り、自分の狙い所が間違っていなかったと確信する反面、一気にできない資金、能力不足を感じると同時に、京都にばかり居て、発想が小さくなっている自分にハッとしました。

トップフォーラムでは、山里の原風景を次代に継承すると熱い想いで取り組まれる高山村の久保田村長と、日本初の搾乳機を製造し、世界トップシェアを4製品も持つオリオン機械の太田社長の講演でしたが、差別のない信頼の経営、一級の社会人と一級の製品作り、全員経営と衆知の結集を経営理念に掲げておられる太田社長の人格の素晴らしさ、社員を大事にされる企業姿勢に、こちらでは、まだまだ想いの足りなさを感じました。

翌日は、以前、スタディーツアーのご一行でKYOCAに来られていた、アドイシグロの石黒社長に、善光寺界隈でのリノべ、町おこしの見学ツアーをビッシリと組んで頂き、根を張った取り組みの数々を見学させて頂きました。

折角長野に行くので、善光寺界隈のリノベ物件を教えて頂いて、見て回ろうと思っただけなのですが、折しも、善光寺さんは七年に一度の御開帳でしかも大法要という日に当たり、大混雑の中、皆さんのスケジュールも確認頂いて、色々な方ともお引き合わせ頂くという、至れり尽くせりのコーディネートをして頂きました。

石黒さんとは、一度しかお会いしていないというか、KYOCAをご案内しただけで、お話もしていないくらいなのですが、ご縁を頂いたのは、リノベについて、私がアドバイスも頂いている大島さんや吉原さんという事もあり、やはりリノベについての価値観が合うのか、石黒さんからご紹介を受ける方々の展開も大変しっくりと来ました。

やはり、町でもビルでも空き家でも、それを生かしていこうとする際、デザインやお金も大事なのですが、それよりも、それをどの様にしたいかの想いが合っている事が最も重要だと改めて感じました。

善光寺さんの御開帳時期に、こんな方々に会えて、活動も見せて頂く事ができるなんて、正に、”自分の意思からではなく他人に誘われて良い方向に導かれる”という意味の故事、「牛にひかれて善光寺参り」そのものでした。

トップフォーラムでは、メンバーの凄い方々から聞くお話が又、大変勉強になるのですが、今回も沖縄教育出版の川畑会長から言って頂いた言葉が響きました。

人事を尽くして天命を待つというが、そうではなくて、天命に従って人事を尽くすのだと。

最近、”岡村さんもそんな感じになってきたのじゃない?”と心強い言葉を頂きました。

牛にひかれて?善光寺さんに来たらご開帳だった、

それは自分の天命を知り、頂いたご縁を大事にして、人事を尽くしなさいという事なのかもしれません。

2015年4月19日日曜日

aeru gojo と女性の働き方研究所

今週月曜日の朝礼には、和えるhttp://a-eru.co.jp/の飯田さんも参加されました。

実は aeru meguro に続いての二店目が京都に aeru gojo として今秋オープンする予定ですが、その準備室が四月からウエダ本社内に置かれています。

ウエダ本社としては、イベントスペースなどに使っていた北ビル3階 http://www.ueda-h.co.jp/rentalspace.html を 女性の働き方研究所として、働く女性を集めていこうとしており、aeruの人材募集や広報などに向けて、コラボして一緒にイベントを開催していきます。

北ビル3階は北山杉を使ったミーティングスペースや、北山ヒノキを敷き詰めたフロアもあり、そこで、お子さんを遊ばせながら、お母さんが横で仕事するという姿を想像しています。

”そんな小さい子は連れて行かない”、”そんなのお母さん自体が仕事できない”というのが正論だと思うのですが、それでも、子供を連れて行って働ける環境というものを広げていく事が必要だと思いますし、子供が平気で出入りするオフィスビルというものも普通にしていきたいのです。

丁度この日から、産休、育休を取得していた女子社員が、1年7か月ぶりに復帰し、働く環境の総合商社と銘打っているウエダ本社としても、働く女性の支援、どの様に関わっていくべきか?を研究していきます。

今年6年目となるこの社員は、私がウエダ本社に来てから、リクルート活動をして、初めて新卒採用した総合職の社員で、当初は一人しか採用するつもりがなかったのが、結果三人の採用、しかも二人が女性という内の一人でした。

その場をパッと明るくでき、気に入られる独特のキャラクターなので、それだけのブランクもなかったかの様に、お客さんからは復帰を大歓迎して頂いている様です。

うちの会社には、他にも保育園に預けながら時短で勤務している社員もいますが、この新卒から入社し、結婚、出産、育休、育児しながらのキャリア形成という一連の流れを、我々としても一緒に経験し、どんな事が起こるのか、制度だけではなくどんな組織、風土、関係性が必要なのかを体感していきたいと思っています。

我々の様な中小企業は、一人一人の人生と直結しているので、社員達はそこまで思ってないかもしれませんが、こちらが勝手に、感慨深かったり、責任感じたりしてます。

普段から社員や学生などにも、何の為に生きるのか?そして何の為に働くのか?という事や、今、生きている事や、皆が凄い確率で生まれ、同じ時代に一緒に活動する会社で行なう仕事であるからこその使命、という様な、くさーい話をよくします(笑)

そういう意味でも、多大な時間をかけて、沢山あった応募の中から初めて新入社員として採用した3人が、5年という歳月で、それぞれの人生で大きな転換期を迎えていくのですから、うまく成長してくれて良かったという思いや、家族が増えての責任も感じ、これからも一緒に経験していきたいと思うのです。

この年の新卒でウエダ本社を受けて、不採用になりながら、その後、再びウエダ本社を受け、中途入社してくれている社員も新婚で頑張ってくれています。

そんな縁が集まり、それぞれ、そして、その家族の人生の大きなウエイトを占めるのが仕事であり、そこで活動するのが会社であり、職場なのです。

それが、単に収益を上げる為の企業(組織)であり、報酬だけの関係で繋がり、競争に勝っていく為に、弱い立場の人や、ある一面において効率が悪い人が冷遇され、働く側も、生活の為だけに働き、働く事が悪い事の様な風潮、それら全てを変えていきたいというのが、ウエダ本社として、目指しているところです。

と、偉そうな事を言ってますが、その為には、自社がその姿を実現しないといけないので、綺麗ごとではなく、自分達が体験して、進めていこうとしている段階です。

そんな企業、職場、働き方を目指そうという企業や人は、是非、何らかの形で一緒にやりませんか?

ウエダ本社自身が大企業になりたいとは思いませんが、沢山の人と沢山の企業が集まる会社(存在)にはなりたいなあと、最近、改めて考えています。



2015年4月12日日曜日

変わらない為に変わる

日経平均株価が15年ぶりに2万円を超えました。

マスコミなどの取り上げ方や、その中でインタビューを受ける人達の様子を見ていると、バブルに向かっていった時と同じ様な感じがするのが気がかりです。

景気は良い方がいいのですが、地方創生という大盤振る舞いの使い方にも、当初から危惧していた従来型のバラマキ的な感じも受けます。

人間というものは、本当に喉元過ぎれば、で、又、同じ様な事を繰り返すのでしょうか?

景気というのは、正に、実体経済に世間一般の”気分”を加えたものという様なものですから、皆の”気”を良くしないといけません。

その意味において、アベノミクスでの点火はいいのですが、折角、若者を中心に、お金ではない価値を生み出しかけている中、射幸心を煽る様なものになっていないか?気になります。

田坂広志さんは、世の中は螺旋階段の様に発展すると仰っていますが、一見、元の位置に戻っている様に見えるが、それは上の段に昇っていて発展しているという事なので、その様である事を祈りたいものです。

2000年と言えば丁度、私がウエダ本社に関わる事になった時期です。

当時は、貸し渋り、貸はがしと言われていましたが、現在は、金余りで銀行は貸し出す先がなく困っています。

ネットバブルと言われたIT業界では15年の間に、栄枯盛衰というものをまざまざと見せらつけれ、3世代くらいの入れ替わりがあったのではないかと思うほどです。

15年という歳月は、全く違う世の中になっていると思いますが、政治手法は、それだけの変化に対応しているのでしょうか?

”変わらない為に変わる”というのが生命の本質なのだそうです。

反対に変えようとしていて変わらないというのが最悪ですが、日本の政治の事を言っている場合ではなく、自社の事も心配になりました。

今日は統一地方選の投票日です。

変わらない為に変わる選挙にしたいものです。

2015年4月5日日曜日

ハワイの不動産王と日本の稀代の経営者

今週も芸能界の方も含めて、本当に幅広い、色々な人と会いました。

その中でも印象的だったのは、ハワイの不動産王と言われ、サンフランシスコジャイアンツの共同オーナーでもあるDUANE氏のスケジュールをコーディネートをさせて頂いた事でしょうか。

HAPAというハワイのVIPの方々が日本に来られる際のアテンド役を務めておられる、Very 50代表の菅谷さんから、DUANE氏が観光で回られる一団と別に、京都で面白い活動をしている人と会いたがっておられるとの事で、KYOCAの案内を頼まれたのです。

その上で、沢山の方にも会いたいとの事でしたので、丁度その日に私も出席する事になっていたクオリア朝食会に参加して頂く事にしました。

その日は、我らが御大、堀場最高顧問も久しぶりに出席との事で、メンバーの参加率も高く、様々な経営者と一挙にお会い頂けるという事と、何よりも日本の稀代の経営者である堀場最高顧問に直接会って頂くというのは、なかなか貴重な機会だと思ったからです。

DUANE氏は、一代で20社程の企業集団に仕立て上げながら、自分が成功したなどとは思った事がなく、まだまだと好奇心を持ち続けておられる一方で、日系人三世という背景から、日本の為に、ハワイとの間でご自分がブリッジをかける事ができたら、との強い思いを持っておられるのですが、それなどは正に、堀場最高顧問から、経営者たるものは、恵まれた存在なのだから、自分の事業だけ考えるなどという事では駄目で、社会の為、世の中の為にその役割を果たさないといけないと教えられている事と、全く符合した話でした。

KYOCAもじっくり不動産王の目でご覧頂いた後、京都の伝統産業を海外発信する、GO ON プロジェクトの仕掛け人である各務さんと会われ、その後、KYOCAのテナントで、日本の耕作放棄地を無くす事に取り組むマイファームの西辻さんに会って頂くというスケジュールで、またまた、幅広く好奇心と事業意欲をこの一日で発揮されたことと思います。


ここ最近、入院されたり、体調を崩しておられた90歳の堀場最高顧問は、話始めは、話づらそうな感じでしたが、段々熱を帯び、最後の方は全く従来の声量で、

・難しい事を言うのが哲学の様に言われるが、日々の中に哲学はあるのであって、シンプルなものが哲学である。

・先生も同じく、難しい事を簡単に誰にでも分る様に説明できるのが優秀であるという話から、湯川秀樹教授の授業が分り難いとボイコットした話まで披露されていました。

又、東大以外の帝国大学の成り立ちは、地域の産業と共に、各地に合わせた発展に向けての研究を行う事であるので、産学連携などと唱える事自体がそもそもおかしく、京大と京都企業が地域の為に共同研究を行うのは当たり前の事である。

などなど、堀場節炸裂でした(笑)

このお二方を見て、これだけ成功されても、まだまだ好奇心が人一倍強く、想い、信念が強いからか、生命力の強さを感じます。

自分の欲、特に、物欲や名誉欲では、高齢になり、病気になった段階で目的を失い、あの強烈さを継続する事はできないと思います。

そう考えると、やはり、何の為に生きるのか?何の為に企業経営を行うのか?という目的が見えてくると思います。

経営者たる者は、その与えられた役割から、社会の為、世の中の為に身を投じる、と発想していくと、ゴールの見え方が変わり、生命力も違ってくるのだと思います。

90歳としても、私にもまだ40年もあります。 

まだ、勝負時はこれからですね。


2015年3月29日日曜日

源流を集めていく事

今週は、水、木と東京出張、それ以外は社員とのコミュニケーションを図るという一週間でした。

東京出張はKYOCAへのテナント誘致や広報などの営業が目的ですが、少しづつ色々な可能性を模索し繋ぎ合わせていっている感じで、丁度、京都流議定書を立ち上げていく時と同じ様な感覚だなと思い出していました。

今年で8回目を迎える京都流議定書も、初めは、色々な分野、バラバラな物を集結していくにおいて、一つ一つのパーツ作りの様なイメージでした。

今でもまだ、何をやっているのか理解されにくいですが、当初は周りの方からは、何をやっているのか全く分からなかったと思います。

大きな川も、その源流は、チョロチョロっとした湧き水であり、そこに他からの流れが合流していきますが、大きなプロジェクトも、最初はその源流から始まるので、最初はそれを興していくイメージです。

KYOCAの動きでも、そのチョロチョロっとした湧き水がいくつか出て来て、京都流議定書も立ち上げ時期はこんな感じだったなと思い出していたのでした。

ウエダ本社として行っているのは、人の繋がりが価値を生むという事、それも多様な人の交差がその価値を生むという事を証明する?事であり、色々な活動に関わっているのも、それこそ、それぞれの源流を合わせていく事を目指しているのです。

今週、もう一方で行なっていた社員とのコミュニケーションは、人の繋がりが価値を生むという事を証明したいと言っているウエダ本社が、一人一人、”個”で動いているだけで、全然繋がっていないという笑えない話からでした。

私自身、KYOCAに専念すると言って、現業の所は皆に任せていたのは、リーダーの養成と、皆で運営する組織に向けて行きたかったからで、あえて放置していた面もあるのですが、皆、それぞれに、いい会社にしたいとは思ってくれていながら、目標はあれど、そこまでのロードマップが示されておらず、それぞれの取り方、向かう先がバラバラになり、それぞれで疑心暗鬼が生まれているという感じでした。

とは言え、以前から比べると土壌は出来てきているので、少し話をすれば、それぞれに気づきを持ってくれるので、私自身の関わり度合、コミュニケーションの取り方が不味かったのだと思います。

京都流議定書やKYOCAでは、私自身が湧き水を作る所から行っているのですが、ウエダ本社では、皆、それぞれが湧き水を貯めてくれています。

それを最終的には一つの流れに集めていく事、再度、そこに注力したいと思います。

2015年3月22日日曜日

コンプレックスをバネに

最近、ブログの出だしは同じ様になってしまっています。

がしかし、今週も本当に沢山の素晴らしい人、それもバラエティーに富む方々をと会いました。

という事で今週も色々あるのですが、その中でも、私自身が楽しみにしていたミライロの垣内さん について書きたいと思います。

垣内さんについて、ご存知ない方は、こちらhttp://www.mirairo.co.jp/company/profile をご覧ください。

私自身は、垣内さんについては、これまた今週にお立ち寄り頂きましたが大久保寛司さんや、同じく尊敬する高野登さんから、何度もその素晴らしさを聞いておりました。

その垣内さんと初めて会えたのは、昨年12月のリディラバのイベントで、ほんの10分程のプレゼンだったのですが、衝撃を受けました。

題名は忘れたのですが、106cmから見る世界、とか、そんな感じだったと思います。
垣内さんは、先天的でしかも代々からの遺伝で、骨形成不全症という難病で、車椅子の所謂、障害者(ミライロさんでは、この表記を使われます)です。

私は元々、差別や偏見というものに反発を持っている方なので、過度の接し方はせず、一般レベルよりは障害者に対しても、普通に接したりはするのですが、正直、”格好いい”とまで思ったのは初めてでした。

たかが10分程なのですが、その堂々たるプレゼンからは、色々な苦難と戦って、真剣に生きてきたからこその強さと、大きさを感じたのです。

その垣内さんから会いたいと言って頂いて調整したランチでしたので、ホントに楽しみで、じっくり話をしても、生き様のレベルが違うので、心が洗われる感じでした。

17歳の頃、寿命は45歳と宣告された垣内さんのスマホには、1日1日減っていく45歳までの日数が表示されています。

現在51歳の私は、もし同じ病気であれば、もうこの世にいません。

人生は長さなんでしょうか?

目の前の実年齢はまだ27歳かの青年の方が、どれだけ、沢山の経験をし、濃い人生を送っているかと思うと、人生とか、生きる、って何なんだろうと考えさせられます。

障害のある自分や環境を恨み、悲しんだと仰ってもいましたが当たり前の話です。
それをある時から、そのコンプレックスをバネに変え、可哀想だから守ってもらうというのではなく、障害者だからこそできる事、という発想に変えて起業して来られたのでした。

このランチは、垣内さんは面識がないとの事でしたので、これまた素晴らしい黒岩さんにお引き合わせする為に、ルクロにしたのですが、今やパリでも評価される有名フレンチを経営される黒岩さんも、その原動力はコンプレックスであり、唯一、褒められた家庭科での授業から、今の展開に至っているのです。

そう考えると、どんな人にもコンプレックスは有り、障害だとか、色々なハンディキャップの問題も、
何とか、前向きなコンプレックスに変える事ができると、周りの環境も変わっていくのではないかと思います。

逆に普段、身体的に健常と思っている我々の方が、コンプレックスもバネにする程強くもなく、単なる短所として捉えているのではないでしょうか?

私は、機械系、工作系全く駄目、ITリテラシーは低いし、家事も全くできず、生活していくには出来ない事だらけです。

お酒がアレルギー的に飲めないし、経営者は皆さん多趣味なのに対して全く無趣味で、幅が狭く面白くないというのが、実はコンプレックスです。

でも、それでは駄目だから趣味でも作ろうとトライしても、全然楽しめなく、それが駄目だなと、そこに又、コンプレックスを感じていました。

垣内さんと話をさせて頂いて心躍る自分を感じ、このコンプレックスをバネにして、刻まれていく自分の残り時間を、世の中の課題解決に向けて使い、生きていた証を刻んでいきたいと改めて感じました。

人生50年と言っていた時代で言えば、一人生終わってしまっています。

コンプレックスを克服するのではなく、そうだからこそできる事で、もう一人生を濃く生きたいと思います。

2015年3月15日日曜日

商売の基本、まず社内から

今週も出張も含めて、色々な方をご紹介頂いたり、色々な方が相談で来られたりで、毎日、毎日、新たな刺激があって、面白い一週間でした。

一週間で会った人を挙げていくとすれば、幅広く、そしてそれぞれで興味ある方にとっては有名な方に会っているので、本当に恵まれた立場だと思います。

東京出張の目的は、KYOCAについての営業なのですが、二日間で私がお会いしたい方に的確にお会いする事ができるのも、人の縁としか言いようがありませんし、信用という積み重ねられた資産だと思います。

的確に会いたい方に紹介して頂けるのは、それを紹介して頂いている方が信用が無いと難しい事ですし、その紹介者が、私の事や、話の内容に価値があると思ってもらえないと、簡単には進みません。

私自身は、そんな価値を大事に思っていますので、紹介をお願いするのは、相手の方にとっても良い話であると思える場合であり、一方的なお願いはしません。

逆に、私が紹介を頼まれるケースもあるのですが、その場合も、紹介をする人にとって役に立つ様な話であると判断しない限り、むやみに紹介はしていません。

しかもこれは、うちの営業から私の繋がりある人に紹介を頼まれても、全く同じスタンスで、紹介する相手にメリットを感じない場合は、自社のビジネスでも一切紹介しないのです。

これは、仕入れ先からも頼まる事があるのですが、多くの”モノ売り”をやっている人には分からない感覚だと思います。

モノ売りで成り立つのは、それが自分の会社しか売っていなかったり、少なくとも他社から買うよりメリットがある場合であり、そうでない限りは、売りたいこちら側の手前勝手な話であり、お客様に不利益を与える事となるのです。

昔はそんな、モノ売りが成り立っていたのは、モノが足らなく、モノを供給する事がお客様の幸福に繋がっていたからであって、モノが有り余っている現在も、多くの会社が同業者と競争して販売しているモデルはほぼ手前勝手な話だと思います。

仕入先の大メーカーのTOPにも、今まで偉そうにも何度も、”お客様スタンスで、ってよく言いますね”と、それこそ、よく言いますね、と言われる話を言っているのですが、本心でそう思っています。

繋がりや信用というものは、その人や会社が長い間かかって築いて来たものであるので、それをいい加減な事や、手前勝手に売りたいだけで崩してしまうという事は大変勿体ない事だと思います。

この繋がりを大事にしていけば、どんな商売であれうまくいくし、それも永くパートナーとして続いていける、それが商売の基本だと思います。

うちの会社も折角、面白い繋がりが沢山生まれていっているのですが、肝心の社内が繋がっていないですね。

その問題も認識しているので、そこを繋いでいきたいと思います。




2015年3月7日土曜日

川畑会長からの個人講座

今週は、京都の水尾という柚子の産地に行っておりました。

私も初めて行ったのですが、京都市内であり、JRの保津峡という駅から4キロという距離にありながら、その山道を走った先にある集落には30軒だけ、小学校は廃校ではなく、通う対象者が居ないので休校になっているという地区なのです。

柚子と言えば四国というイメージですが、水尾が日本では発祥とも言われており、しかも、種から育てた柚子は、水尾だけだろうと言われています。

じゃあ他は何?って事ですが、種からだと実が成るのに20年近く掛かるので、殆どは接ぎ木で育てられているそうで、そういう意味では、柚子から生まれ育った柚子というものは、水尾産だけかもしれないという貴重なモノなのです。

しかし、それはそうと、何故、そんな産地にまで行くの?しかも事務機の会社が?という突っ込みを受けそうですが、勿論、これはKYOCAに関しての仕事であり、この水尾産の柚子が、やはり高齢化で引き継ぎ手が無くなる事に楔を打てないか?という事で、ル・クロの黒岩さんと共にお邪魔したのでした。

今週は、これまた、尊敬する経営者のお一人、沖縄教育出版の川畑会長が京都に来られ、食事をご一緒させて頂きました。

会長含めて5名での食事だったのですが、有り難い事に、途中からは、会長から私へ、何を目指しているのか?残したい事は何なのか?という質問攻め?の個人講座となりました。

普段は社員に向けて行なっている様な問いかけを、いくつも問いかけして頂き、そんな席でありながら立ち止まって考える事ができました。

そもそも、そんな風に私自身が問いかけを受ける事って少ないので、考える事ができたのと、同席していた人見社長の、私自身よりも、うまく私の展開、考えを分析した解説に感心すると共に、大変整理ができました。

人見さんには、毎年三日間開催している京都流議定書の二日目の午後枠を、京都フォーラムとして二年目から開催してもらって来て、言わば、京都流議定書をベースにして行なって来た私の展開を最も理解して頂いているのですが、それにしても、ずっと私の考えを見て来たの?と問いたくなる程的確で、社長業よりも向いている事があるのでは?と感じました(笑)

そんな質問の中でどうしても自分自身で引っかかる事がありました。

それは、何か一つ残すとしたら?という質問と、それは本業とどう関わりがあるのですか?という質問でした。

私が行いたいのはやはり価値観の変革であり、多様性を認める社会を作ること。
その為には、一つでも一方でもなく、沢山の事が少しづつ動いていかないと実現できないので、色々な事に関わっているのと、それが本業とどう関わるかという点については、その価値が認められていかないと、そもそも我々の様なディーラーなんて要らないし、中小企業のそれこそ、一つのモノや技術を持たない会社は存在価値がないのです。

という事なので、思い切り全てが本業に繋がっているのです。

モノが流れなくなった今、効率や売上だけを追いかけるのではなく、その価値観を変えていけば、色々な人や会社や、町がそれぞれの特徴でやっていけるのです。

20年かかる水尾の柚子の価値が認められる事により、その貴重な技術や特徴が残されていくことになるのです。

とすると、その中で、それを推し進めていったウエダ本社は生き残っていないでしょうか?

多分、そんな事はなく、むしろ皆から必要とされる存在になっている筈で、とういう事は自分達の商売にしっかり結びつくのです。

それをシンプルにどう伝えるか?

それができた時、ウエダ本社は、面白い存在になっているんじゃないでしょうか?

あ、ついでと言っては何ですが、それを一緒に目指してくれる人、独立する力をつけたい人、変な会社が好きな人、新卒、中途、学歴不問で、募集しておりますので、是非!

2015年3月1日日曜日

目指している経営において、有意義な一週間でした。

今週は、月曜日の知恵の場で、バグジーの久保さんのお話からスタートしました。

年間150回ほどの講演で全国を駆け巡りながら、社員さんやその家族、辞めたスタッフにまで、誕生日には手紙を送ると言われるその数なんと486名。

社員を家族というなら、それ位当然でしょ?とサラっと仰るのですから、社員と一緒に参加している殆どの社長は、下を向くしかないですね。

美容業界でいち早く正社員にしたり、週休二日制にしたり、大晦日も休みにするなども全て、社員を家族だと思う所からの発想なのです。

又、美容業界の人に勉強してもらう為、全国で行なわれている輪読会には3000人が会員となっているそうです。

この知恵の場、東京や九州でも開催されているそうですが、この京都の知恵の場は全く別物で、雰囲気が素晴らしいと、他で参加されている方は必ず仰いますが、これなどは、関西の事務局であるブロックス西川さんのコーディネート力、又、これも人に対しての熱い想いの賜物だと思います。

水曜日には、京都で障がい者雇用に関するセミナーがあり、日本で一番大切にしたい会社の著者である坂本教授が講演されていました。

7000社の素晴らしい企業を訪問しておられるという坂本先生のお話は、実例に基づいたものばかり、しかも今回は障がい者雇用に絞ったお話で、障がい者雇用を何とかしたいという想いだけでスタートされた会社が、沢山の支援者を集め、見事に業績も上げておられる例をいくつも上げておられ、ここでも企業経営の目的は、社員とその家族、仕入先などステークホルダーを大切にすることという話がベースになっていました。

このセミナーには最近コラボさせて頂いている、ル・クロの黒岩さんと一緒に参加していたのですが、この黒岩さんは、坂本教授も一押しされる、人を大事にしたスタイルで展開されるフレンチレストランで、こちらも飲食業では珍しい全員正社員にしておられる企業です。

土曜日には、ビジネスプランコンペedge2015ファイナルに参加していました。

率直な感想で言うと、ちょっと小じんまりしているなと感じたのですが、審査の間に講演された井上英之さんのプレゼンが見事でした。

ソーシャルビジネスという分野では第一人者とも言える井上さんは、30分しかない講演枠で、再度、プレゼンターを全員上げ、自己紹介と何故この活動に及んだのかを1分程で話させたのです。

すると、それぞれ、本番の10分程のプレゼンよりも良く、少なくとも共感が生まれたのでした。

井上さん曰く、プレゼンでその事だけを話ている場合、聞いている側は、左脳で話を分析するだけで、その場合は、足らないから駄目という思考になってしまう。

そうではなく、この人がどんな人でどんな星(夢)を見ているのかを見せると、足らない事がかえって共感、支援を呼び込めるという強みになるという事を、見せて頂いた様でした。

今週会った素晴らしく尊敬できる人々も、皆さん、どんな人がどんな想いで、ハッキリと星を見ていたり、皆に見せている様に思います。

やっぱり、巻き込み、共感力の差だな~と感じさせて頂き、最後に納得までした一週間でした。

しかし、振り返ると、錚々たるメンバーとご一緒させて頂いていて、本当に私は幸せ者だと思います。

いい加減、自社の社員やその家族、ステークホルダーにフィードバックしたいものです。

2015年2月22日日曜日

結果を追わずして結果を出す

今週は毎年この時期に開催される、富士ゼロックス販売店の年間表彰式で帝国ホテルに行っておりました。

年に一度で、年間の順位も分かる事もあり、自社の色々な意味での位置づけを俯瞰的に見ることもできて、私にとっては、落ち込みや反省、方向性の確認など、色々な考えが沸き起こってくる良い機会となっています。

順位については、今年は20位にも入れませんでしたが、ドンドン全国規模の販売店が参入し、今年度1位の会社も初参加であり、又1位、2位の会社は、従来、他メーカーでの販売を切り替えての参入であったりで、比較対象にはならないとは思います。

ただ、自社の獲得ポイント自体が昨年をも下回ている事は間違いないですし、その結果よりも、ウエダ本社としての新たな方向において、コピービジネスが絡んで来れていない所が、一番の問題であります。

現在とは全く規模が違うとは言え、3年連続日本1位となっていた事もあり、以前からこの表彰式に参加しておられる皆さんからは、”どうしてるんですか?””ウエダさんがあの大手と戦ってくれないと””他で何かやっているでしょ?”など、色々な声を掛けて頂きます。

全国から300社弱が集まる会で、そんな風に知って頂いていたり、期待もして頂けるのは大変有り難い事ですが、結構、グサリと刺さります(笑)

しかし、負け惜しみでもなく、1位になった際、その檀上でのスピーチで言っている様に、我々は、この物売りのインセンティブに乗らない販売店、つまり、本当にお客様スタンスに立ち、オフィス、企業全体を考えるディーラーを目指しているので、ここでの順位は気にしていません。

ただ問題なのは、ウエダ本社として目指している方向で、オリジナル的な価値が生まれかけている中、コピービジネスがその方向性で動けていない事であり、そういう意味においても、ウエダ本社としてのコピービジネスは今年が一番ボトムであると思います。

今回の出張でも、色々な方と会い、又面白い方々を紹介もして頂きました。

KYOCAの相談に寄ったある会社の社長さんの展開を聞いていて、うちの会社の課題がよく分りました。

その社長さんは、いくつもの事業、会社で、数字の立て直しをして来られたのですが、共通して行って来られているのは、その事業の”幹”は何なのか?を徹底的に考え、それをできれば一言、全体の誰もが分かる言葉で表す事なのです。

そこには、徹底的に時間を掛けておられる様ですが、それさえ作れれば、後は皆がやってくれて自分はする事がないとも仰っていました。

ウエダ本社の課題は、理念、価値観と実業が繋がっていない事だと皆が認識していますが、結局それは全て私の責任で、この”幹”は作っているにしても、一言で誰もが分かる様に言い表せていないところが、原因なのだと痛感しました。

昨年の表彰式の後のブログを見ると、5年後には、違う方向性に行きながら、表彰式に参加できている様にしたいという事を書いていましたが、後4年の内には、目指す方向、ウエダ本社としての価値観を築きながら、この表彰式でもしっかり表彰して頂ける状態にしたいと思います。

その気持ちをまず一言で表すと、”結果を追わずして結果を出す”です。

その為に、コピービジネスのメンバーも腹落ちする一言を生み出したいと思います。

2015年2月15日日曜日

ショコラボから見る甘くとろける世界

今週はバレンタインデーでしたが、多分生まれて初めて、ピークとなる11日の祭日に、関西では多分一番凄いであろう梅田阪急のチョコレート販売の特設会場に行っておりました。

この歳で、何か血迷った? わけではありません。

今後一緒にやっていくであろうショコラボ代表の伊藤さんが、その特設会場の真ん中で講演される事になっていたので、それを見に行ったのでした。

ショコラボhttp://chocolabo.or.jp/というのは、知的障がいを持った方の工賃UPを図ること、職を広げていくことを目指した、就労支援施設です。

その活動に、パリにも店を持つ有名フレンチ、ル・クロhttp://www.le-clos.jp/のオーナーシェフ黒岩さんがレシピ開発、システム構築など全面支援され、障がい者支援で買うのではなく、おいしいから、スタイリッシュだから買うというチョコに仕立て、オペレーションも素人が運営できる様にし、全国で知的障がいを持った方に職の”場”を広めていこうとしておられる、素晴らしいそれこそソーシャルビジネスなのです。

梅田阪急でしかもピークの日に講演など、どの様にしたらできるの?という話ですが、JRのWEDGEという雑誌に掲載されていたショコラボの記事を、阪急阪神の役員の方がご覧になり、こういう所と取引をしなさいという事で始まったそうです。

横浜のショコラボさんではランドマークタワーのチョコも製造しておられるそうですが、これも取組に賛同された三菱地所さんが、商標使用を無償で提供されているとの事でした。

ここ最近、荒んだ状況が進んでいる様にも見える中、一方ではこの様な、素晴らしい活動をしておられる人や企業を支援しようという動きも確実に広がっています。

私自身も大変恵まれているのは、こんな素晴らしい想いを持っている人達に囲まれている事であり、次から次に、ちょっと訳分からないくらい多様な人が、紹介や相談で、寄って来て頂ける事です。

中には、ソーシャルを利用して自分の利益の為に行っている人や、素晴らしい活動なのに、違う価値の人を批判ばかりする人もいます。

経済界では、相変わらず、規模の大小や業績だけで、対応をガラリと変える人、成功していて立派そうでも、業績が自分よりも劣っている人には偉そうな態度を取る人など、まだまだそちらの感覚の方が多いのもまだ現実です。

大混雑で大行列の阪急では、凄く不思議な感じを受けました。

それだけ大混雑しているのに、全く殺気立った感じが無く、むしろ、温かい雰囲気さえあったことです。

勝手なメルヘンチックな纏めと思われるかもしれませんが、本チョコか義理チョコかの想いの差はあれど、誰かの為に行なう事、想いが集まると、あの様な雰囲気になるのを感じました。

チョコレートの原料であるカカオの木の学名は、ギリシャ語でテオブロマ(神の食べ物)と呼ばれているそうですが、人々にとってチョコはそんな存在なのかもしれません。

ショコラボが、多くの人達の殺気だった感じを無くし、他人を想い、多様性を認める社会を広げていくこと、効率や規模の拡大にしか目を向けないギスギスした社会を甘く溶けさせていくことを期待し、私も協力していきたいと思います。


2015年2月8日日曜日

新たな定義の若者会議で

相変わらず今週も月曜日から、KYOCAでの食イベント、おもてなしを学ぶ知恵の場に始まり、盛和塾京都の泊りがけでの総会、勉強会、京都わかもん会議のゲストで終了という一週間でした。

最近はKYOCAの事にほぼ専念し、発信もその関連ばかりなので、それを見てもらっている方からは、最近、より色々な事をやって、凄いね!と言って頂くのですが、ハッキリ言えば訳わからんと言われているのだと思います(笑)

私自身では、今まで色々な事をやって来た事、それも考えて行なってきた事を一つの所に集約して行っているのですが、現象は広がっているので、ドンドン広げている様に見えるのでしょう。

盛和塾京都の総会で、二年間の代表世話人が終了しましたが、色々な経営者の集まりで、自分の事業以外に時間を割く人、役を担う人が不足しており、リーダーになるの人材不足が言われています。

そもそも盛和塾発祥の京都で、私が代表を務めなければならない事がそれを象徴していますが、経営者も小粒化?しているというのか、直接的に事業に繋がる事しか関わらなかったり、自分の楽しみばかりに時間を費やしている人が多くなっている様に思います。

最近、理念経営の重要性などもよく話題になりますが、経営者の中でも、何故そんな話題になるのか?不思議に思います。

本来は、会社というものも、世の中に必要であるから存続していくのであって、その為には、自社がどうあるべきなのか?何を大切にしているのか?から始まる筈で、理念からスタートするのが当然だと思います。

ただ実際は、創業した当初は理念どころではなく必死で展開し、ある程度落ち着いてから理念が作られる事が多いのも事実ですが、業績も安定した後も、立派な企業、立派な社長が、使命や立命も無く、自社や自己の利益、楽しみだけを追いかけているのには、寂しい思いがします。

企業への評価も、量的なものから質的なものに変えていかないと、世の中変わらないと思いますし、企業も、量的な売上や規模の評価より、地域なども含めたステークホルダーから尊敬される様な、質的な評価を目指していくべきだと思います。

社会的課題に向かう企業に投資する市場を形成する動きもある様ですが、素晴らしい事に挑戦していく土壌、自社の事ばかりではなく、地域や他者の為に動いていく風土を形成していく為にも期待するところです。


昨日は、京都わかもん会議というものに参加しましたが、30歳以下限定で、一泊二日、24時間体制で未来について語り合う有料イベントに、沖縄、北海道からも含めて40名の定員が一杯となっていました。
しかも、参加目的も皆がびっしり書いていた様に、何かを行動している人、行動を起こしたい、想いのある人ばかりで驚きました。

小布施モデルとも言われる、小布施の町づくりの基礎ともなっている小布施若者会議に触発されて行われた様ですが、こういう会議が全国に広がっている事からしても、今の若者達には大きな期待が持てると思います。

若者の定義も、年齢で考えるのではなく、世の中に向かう、夢や想いや行動力を持つ人として、業種、職種、役職、世代などを越えて、横串を刺していく様な会議が広がっていけば、もっと面白くなると思います。

その時は私もゲストではなく、若者として参加したいものです(笑)



2015年2月1日日曜日

京都駅西部エリアのワクワク感

今週は私にとってはビックニュースが入って来ました。

KYOCAの真横に新駅ができるという事が、日経新聞、京都新聞に発表され、明日、月曜日にJR西日本と、京都市の間で調印されるとの事です。

以前から話は出ていましたし、できるとすればKYOCAビルの真横しかないという事も分かっていたのですが、それでも本当にできるとなると、門川市長始め、ご関係各位の努力も多少は分かっているだけに、感慨深いものがあります。

JRの新駅ができるという過程を、当該関係者の一員として、つぶさに見ていけるという経験など、なかなかできることではないので、ワクワクします。

来年春に鉄道博物館が目の前にでき、その三年後に新駅が決まった事で、このエリアは、一気に京都市内では一番の開発エリアになっていくでしょう。

その場所、それは地域であれ、組織であれが、或はお店であれ、盛り上がっていく為には、ワクワクした人が集まって来るかどうか?にかかっていると思います。

ブランドを形成できているメーカーやお店は、それを手にする事、身に着ける事で満足感を得る人がワクワクして集まるのであって、芸能人や、スポーツ観戦に集まるファンの様子は、その最たるものでしょう。

セミナー、ワークショップなどを見ていても、問題はワクワクの種類であって、お金や名誉にワクワクして集まる場と、自分の欲ではなく、地域や世の中の為に費やそうとしている人達が集まったワクワクの場とは、全く違う雰囲気になります。

ここでもよく取り上げさせて頂く伊那食品工業さんでは、3万坪にも及ぶ広大な敷地を社員さん達が自主的に毎日掃除をしておられるのですが、先日参加した百年塾の際、塚越専務は、自分達が楽しんでいると、イイ人が集まって来て、そんな事も自然にできる様になってくると仰っていました。

自社とそこで働く自分が、そこで行なう事が世の中と繋がっている事が分かり、それにワクワクすれば、その様な凄い循環が起こるのでしょうね。

京都駅西部エリアは、今後、大資本や、デベロッパーのプロ達が入ってくる中で、ワクワク感は広がっていくのですが、世界の中の京都、日本の本当の強みを世界に向けていく源ともなる京都のワクワク感のあり方は、よく考えていかなくてはなりません。

お金や、資本投下型の開発でのワクワク感、そしてそれに群がる人が集まる開発は、京都で行なうべきではないと思います。

そういう意味でもKYOCA、そしてそこで行なわれるイベント、ワークショップなどは、どんなワクワク感が集まり、発信していけるのか?あの地域や京都に取っても、大きなポイントになると思っています。

明日は、3・11後に、大量消費型の現代に危機感を感じ、食べ物、エネルギー、仕事を自給する、持続可能な暮らしを目指し、”狩猟女子”と呼ばれる畠山千春さんをお迎えしてのワークショップ、明後日は、おもてなし経営の5回シリーズ「知恵の場」の3回目で、ヨリタ歯科クリニックの寄田先生の講演があり、それぞれ満員です。

それぞれ集まる人のタイプや活動領域も違いますが、共通する事は、他を思いやる未来へ向けてワクワクする人という事でしょうか?

梅小路公園、水族館、京都鉄道博物館、そして、和食の源とも言える京都市中央卸売市場、そんな施設が集積するエリアで、位置的にもその真ん中となるKYOCAには、そんなワクワクを集めていきたいと思います。



2015年1月25日日曜日

共鳴場をつくること

今週の行動を書くと、いつも以上に、何をやっているんだ?という印象を持たれると思いますが、いつも以上に、その体感などから、やっぱりそうかという確信にもなった週でした。

水曜日は、午後から、役を務めている盛和塾と京都経済同友会で立て続けに会議、夜東京へ入って木曜日はいくつかのミーティング後、夜京都へ戻り、翌金曜日は、午後からKYOCAで行なって頂いた経営実践塾に参加し、土曜日は朝一から再び東京へ日帰りで行ってきました。

金曜日の経営実践塾は、元JCメンバーを中心に、全国から京都に集まられた際、その師匠的存在の鬼澤さんを中心に人見さんがコーディネートされている経営の勉強会ですが、JCではなかった私も毎年参加させて頂いており、それを今回は、KYOCAで行なって頂くという事と、ゲストスピーカーが、いつもクオリアでご一緒させて頂いている京大大学院教授の山口先生であったので、何としても、と参加したのでした。

多分、特に他府県の経営者はご存知ない山口先生のお話と、図抜けたバランス感覚は、衝撃を与えられるであろうことと、尊敬する鬼澤さんとのあり得ない組み合わせは、両者を知る我々にとっては面白い事は見えていました。

しかも講演は二本立て。
原発問題と、ノーベル賞の裏側を、実際のデーターや関係者の証言に基づく分析から、経営者、リーダーとしての判断、イノベーションが生まれる仕組みなどを分かり易くお話頂き、参加者、大満足というか、”歓喜”という反応でした。

そして翌朝再び東京に向かったのは、鎌倉投資の方が中心に作られたNPO法人「いい会社をふやしましょう」が行われた”いい会社の理念経営塾”に出席する為でした。

通常は、帰って来て直ぐ行くなどという事はしないのですが、今回のゲストは矢島里佳さんと川人ゆかりさんで、この二人をコーディネーター役の大久保寛司さんに紹介していたのが私であったのと、別々に素晴らしいと思っていて、活動領域が全く違う二人が大久保さんの元で絡み合される所を見たいというのと、親心?的心配もあってのことでした。

矢島さんは、今や全国放送のコメンテーターとしても出演している様に、露出も多く、華々しい活躍をされていますが、川人さんは、それを目指さず、ある意味”職人的”に現在は地域興しや、それに関わる若者達のキャリア支援などを行っています。

川人さんの能力と特にバランス感覚は、今活躍しているソーシャルイノベーターと言われる中でも、
滅多に居ない存在なのですが、果たしてその”いぶし銀”的考えと、表面的には地域興しだけに見える彼女の活動から、その背景や、狙いが、経営者に理解してもらえるか?を心配しておりました。

しかしそこは、大久保さんの流石!のコーディネートもあり、見事にその凄さが引き出され、こちらも参加者に大きな衝撃を与えていました。

そして、ここで、何故そんな事やっているの?ということですが、それにはいくつもの理由があります。

・一つは単純に素晴らしいと思う人を多くの人に知って欲しいこと。
・そして、その活動が広まることによって、何かの解決、改善に繋がれば嬉しいこと。
・又、それが自分という存在が媒介となったことで実現できたら、自分自身の存在価値も発揮できること。 そして、それは意外と誰にでもできて、大きな効果があるということも示したいことなどからです。

この二つの勉強会でも、素晴らしい存在の方を知らない層があり、それを知ると、又、そこから価値が生まれる事もありますし、有能で、同じ様な事を行っている人同士が出会わなかったりすることが、大変勿体なく、大きな損失だと思うのです。
そしてそれが、自分という存在が媒介となって繋がり、ひょっとすると一生巡り合わなかった人や事柄が繋がって、新たな価値を生み出したり、存続できたりする事になれば、この上なく嬉しいし、凄いことだと思うのです。

昨日も私がこのセミナーに参加すると決めてから、それぞれの人に会って欲しい人、そこに来る人に紹介したい人などを何人もお誘いし、休憩時間などは、紹介で忙しかったです。

しかし又そこで、お前の役に何か立つのか?という声も聞こえてきそうですが、山口先生のお話で、イノベーションには共鳴場を作るという事が大きな要因となっているという事がありましたが、これは、全てに共通することだと思いますし、どんな事にもこの共鳴場を作る事がないと駄目なのだと思います。

矢島さんも、川人さんも、伝統や地域というそれぞれの世界で共鳴場を作って行かれているのであり、しかし、この共鳴場を作るという事は、その規模、インパクトの差こそあれ、誰にでもできる事なのです。

それを組織、企業に持ち込む、それがウエダ本社としての狙いであり、”物理”の考えに従えば、一瞬、一瞬の再現性が無く、見過ごしてしまえば、一生出会う事もなかった繋がりを、自分達が繋げられる事やできる役割を見出す事が、働き方の変革を目指す我々の存在意義だと思っています。

我々が媒介となって、”いい会社をふやしましょう” 

2015年1月18日日曜日

100年先を見据えて、私の役割

今週は、どうしても阪神大震災から20年という話題に触れないわけにはいきません。

何度も話していますので、知って頂いている方も多いですが、私は正に震度7の、ど真ん中で被災しましたので、事あるごとに、色々な光景を思い出します。
(ご興味ある方は、以前まとめたこちらをご覧ください)

マスコミなどでは”区切りの年”などと言う表現を使います。

何が区切りなのか分かりませんがそれでも、20年という年月は、その時に生まれた赤ちゃんが成人するのですから、明らかに時代は変わっていっていると思います。

これを機に、NPOやボランティアが日本に根付く様になったとも言われた流れは、今のソーシャルビジネス、ソーシャルイノベーターという流れに繋がってきており、課題先進国と言われる日本を、今後救っていく力になっていくことでしょう。

今週初めの三連休には、長野で高野さんが始められた百年塾(こちらをご参照下さい)に参加していました。

今回は、地域と人を大切にされる長野の代表企業である伊那食品工業の塚越専務、中央タクシーの宇都宮社長、小布施堂の市村社長の講演とサプライズゲストの大久保寛司さんのコーディネートでのパネルディスカッションという内容でした。

中央タクシーさんの話を聞きたいと言っていたので、有り難い事に高野さんからお誘いを頂いて参加させて頂いたのですが、前回は、この立ち上げの時に参加させて頂いていたものが、今では10か所以上の地域に広がっているとの事でした。

高野さんが百年先を見据えて、地域に”想い”を植え付けていこうと始められた百年塾は、、各地に、この様な素晴らしい企業と、それを目指し、応援する人達に広がっており、高野さんの植林活動が若い芽を出していっている様でした。

昨日は、盛和塾京都の新旧世話人会でしたが、12月末までの代表世話人であった私は、他の旧世話人と共に送り出されました。

昨年度実施した、昔の塾長講話のDVDを使った勉強会では、丁度20年前、震災後のものも二度あり、昨年は、震災当時からを振り返る機会も何度かありました。

稲盛塾長はよく、稲盛和夫の才能は稲盛和夫個人のものではなく、その才能を世の中に役立てる為にあるのだと仰います。

とても比べられる話ではありませんが、私もこの考え方がしっくりと来るところがあり、単に利益を上げて、自分は楽しく生きるという事では満足できず、才能などはないですが、自分の果たせる役割、自分が役に立つ事には、積極的に臨んでいきたいと思っています。

会社が儲かって、沢山の雇用を作り、沢山の税金を納めるという事業家として本来の貢献だというのが、真っ当な意見だとは思うのですが、そもそも会社は何の為に存在するのか?、会社が社会にどの様な役割を果たすのか?など、そんな哲学を、物が売れなくなった頃から、経営者も見失ってしまった様に思います。

あんな災害は生きている間には起こらないだろうと思っていましたが、不幸にもこの間に、東日本大震災が起こってしまいました。

”災難に合うのは、自分が過去(前世)から積んできたカルマ(悪い業)が消える時なので、喜びなさい” 阪神大震災で被災された経営者に稲盛塾長がDVDの中でアドバイスされていました。

そして土地にもカルマがあり、それを清算した所が発展するものなのだと仰っていましたが、阪神地区、そしてまだまだ復興などとはほど遠い東北は、それこそ百年先には、あの災害があったからこそ、素晴らしい地域になったのだという様にしなくてはなりません。

その為には、区切りなどはあり得なく、百年先を見据えて、自分の役割を意識し、行動し、繋いでいく人を広げていく事が必要だと思いますし、ボランティア元年と言われた年に生まれて成人となっていく人達が、カルマが取り去られた地域、そして日本で、新たな価値を作っていってくれると思います。

そんな新たな価値観を持って、自分の役割を持ち、自ら行動していく人達を応援していける風土、土壌を作っていく事、それがもう五十代に突入してしまった私の役割かと思っています。



2015年1月10日土曜日

2015年から考えるバックトゥーザフューチャー

2015年の第一週が終わりました。

堀場最高顧問とご一緒させて頂いているクオリア朝食会も新年第一回目がありましたが、最高顧問が風邪をひかれてご欠席となり、急遽、現在、同志社大学学長である村田晃嗣さんにお越し頂いての勉強会となりましたが、30分程の題材提供でのお話は、切れ味抜群でした。

我々世代だと殆どが観たのではないか?というバックトゥーザフューチャーパート2という映画は、1985年の30年後の未来である正に今年(2015年)が舞台となっており、そこには車は空を飛んでいるが、今や無くてはならない携帯電話の様な物は全く存在しておらず、人間の想像力というものは、それ程先の世界を読めるものではないという事でした。

その掴みの話は、ファンタジーとして面白いですが、同時に、その主人公であるマイケルJフォックスが首にされる会社の社長は日本人であったらしく、今描かれるとすれば、多分、中国人になるのでは?と続けられた話は、ファンタジーでは済まされない話でした。

日本も、こぞってグローバル化を叫んでいるが、そもそも国単位の話である国際化と、国のボーダーを越えて考えるグローバル化の違いもしっかり認識できていない日本で、この波に乗っていけるのだろうか?世界に出ていく事しかないのだろうか?という問題提起であった様に思います。

米国では、ヒスパニック系移民が流入するフロリダの人口が3位となり、今後は中南米志向が強まっていくであろう。
その考えに基づくと、米国における日系人は4世、5世となっており、日本との繋がりも無くなっているのに対して、インドやベトナムなどは2世も多く、アジア系も図式が変わっていっており、日本の存在感が薄れていく事や、グローバルを考えるにおいては、国単位の国際化ではなく、この様な民族性や宗教というボーダーレスな目で見ていかないと読み取れないと仰っていました。

又、イノベーションというものは、異質なものに多様な都市でないと起こらないというお話から考えても、少子高齢化に加速度的に向かっている日本は、移民受け入れという問題を避けて通る事はできないと思います。

しかし同時に村田学長は、多様性というのは、海外や外国人にだけに目を向ける事なのか?という事も提示されていて、日本国内の多様性という事、そこに目を向けられる人というのが、英語を話せるという事よりももっと重要なグローバル人材であり、日本国内のそれぞれの地方でそれぞれの価値を見出して活躍する事もグローバル(ボーダーレス)な感覚であり、日本にとってはもっと重要な事かもしれないとも仰っていました。

このベースの考えは、全く同感で、私自身もウエダ本社という会社を通して、日本の職場(企業)の変革と、京都という日本の縮図の様な場所から、日本の変革に繋げたいと思っています。

バックトゥーザフューチャーに描かれた年でもあるターニングポイントになるかもしれない今年、色々な意味でリソースも揃って来たウエダ本社も、皆に大きく意識変革してもらわなければなりません。

その意味で、新年初日の営業会議では、ちょっと厳しく話をしましたが、今週はほぼ毎日、各チームが自主的に、自分達の役割について話あってくれていた様子には、成長を感じました。

今、うちのメンバーも若返って、中心は30代ですので、30年前という事は、殆ど人生やり直せる所から考えても、ウエダ本社に入りたいという会社にする事、そして、この仕事がしたいと言えるものにしていく事、それが皆への新年からの宿題です。


2015年1月3日土曜日

2015年 働く人の資本主義~いい会社をふやしましょう

明けましておめでとうございます。

元旦の日経新聞社説は、今年が戦後70年、自民党結党60年、日韓国交正常化50年、先進国サミットがスタートして40年、プラザ合意30年、世界貿易機関の発足から20年、京都議定書が発効してから10年と、内政、外交、経済の枠組みを形作ってきた事柄の節目の年であると書かれていました。

正に戦後70年間、自民党一党支配は弊害もあったとは言え、これまでの日本の繁栄をもたらせました。

ニクソンショック後の先進国サミットにも参加した日本は、プラザ合意以降バブルに突入し、その後失われた20年を経験、その間、温暖化対策の大きな指針となる京都議定書が発効されたCOP3の議長国を務めました。

そんな数々の節目となる2015年は与党が3分の2を占める中、今後の日本にとって大きな岐路になると思います。

同じ日経の一面には、働きかたNextという特集が組まれ、”変えるのはあなた”という見出しがついていました。

様々な節目と共に今年は阪神・淡路大震災からも20年となります。

ボランティア元年と言われた年に生まれた人が二十歳を迎え、衣食住足りた中、失われた二十年も、それが当たり前で育った世代が社会に飛び出していくのですから、絶対安定の与党は、従来の価値観ではなく、新たな価値観を捉えて、そちらを向いて、それらをサポートしていってもらいたいものです。

豊田章男社長も教えを請われる伊那食品工業の塚越会長から、昨年直接伺った話ですが、年輪経営などを掲げて来られた起源が何処にあるのか?をつい最近思い出されたそうです。

それは20年以上前に、あの”海賊と呼ばれた男”のモデルであった、出光佐三氏のインタビューが編纂された”働く人の資本主義”という本にあったそうで、私も早速買って読みました。

驚く事にそれは1968年のインタビューで、アポロ11号が月に降り、科学技術が華々しい未来を開く一方、米ソが対立する東西冷戦時代という時代に、”出光では資本主義、社会主義、共産主義の良い所を取り入れた”、「働く人の資本主義」を目指していると仰っているのでした。

又、福祉とはお互いに仲良くすることであり、日本は心の福祉、外国は物の福祉を第一としており、日本民族が祖先から教えられ、数千年実行してきた心の福祉、和の在り方を外国人に教える事が大事とも仰っているのです。

そして、事業においては、清廉潔白、責任感を重んずるということは、一生懸命働いて自分の為のみではなく、人の為、国の為に尽くす、そして命がけで公共性を発揮するという事で、今日の言葉で言えば事業の社会性が大事だと、この時点で仰っているのです。

昨今のソーシャルビジネスという事に、違和感を感じ、事業と直接的に繋がっていない様に見える活動を何の為に行なうのか?という質問に辟易としている私にも、我が意を得たりの内容も多くありました。

漸く外国からも首相の名前を覚えてもらえる様になった政権で、数的にも安定した運営をできるからこそ、その力を、出光氏が唱えておられる様に、日本民族が本当の姿に帰って、フィロソファー(哲学者)となっていける様に向けて欲しいと思います。

ウエダ本社としても改めて、出光氏の意思を引き継がれた様な塚越会長や、”いい会社”を目指しておられる経営者や会社から勉強させて頂いて、日本こそが、世界平和、人類の福祉を教える存在となっていけるという出光氏の意思に則って、働く人の資本主義を広めていく使命を持っていきたいと思います。

またまた大風呂敷を、、と思われるでしょうが、新年の所信としてお許し下さい。