振り返ると、私がウエダ本社の社長になったのは12年前の5月であり、創業者から続けていた社報での社長コメントも6月から引継ぎ、7月には、その年、日韓共同開催されたワールドカップの話を書いていました。
"代表チームはその国を映す鏡" と言われるという話から、日本サッカーは1対1が弱いという事を書いていたのですが、12年経った今回も同じ様な印象があったのではないでしょうか?
マスコミなどの開催前の持ち上げ方から、負けた後の掌をかえした酷評や、全く正反対に、検討を讃えて温かく空港で迎える姿も日本を表していると思います。
結果を出せなかったアスリートにとって、慰められるのは決して嬉しくなかったりするそうですが、外国では同情的に検討を讃えるという事は少ない様に思います。
シュートで終わるとか、枠にシュートを蹴っているとか、どうベストを尽くしたのか?どう役割を果たしたのか?に対して厳しく、できていなかったり疎かにしていた事に対しての同情は無い様に思います。
対して日本は、結果だけでの上げ下げが極端で、中身とは関係なく、結果良ければ凄く持ち上げ、悪い場合は酷評と、逆に、感情的に可哀想と、同情するところもある様に思います。
この辺りは、実はうちの会社内でもずっと感じてきた所であり、このポイントを何とか掴んでくれないかとずっと取り組ながら、うまくいっていません。
企業にとって、毎期、毎月の成績は得点であり、勝敗という結果です。
お金をもらっているプロである以上、結果は残さないといけません。
ただ、何とか数字を上げろと、精神論で結果だけを追っても無駄であるのと、逆に、精神論だけで結果関係なく、頑張ったんだからと慰めるのも、プロとしてはナンセンスだと思います。
プロセス思考とでも言うのか、その目標を達成する為に、どの様に考え、どの様に行動するのか、そしてそのプロセスに対してどれだけ厳しいかが重要なのです。
パスやドリブルを繋いで、毎回シュートで終わったのか?は、やるべき事はやったのか?という問題であり、サッカー先進国のファンは、まずそこを見ている様に思います。
そこができていないとそれこそ日本の比ではない酷評も受けるのですが、シュートで終わると外しても一定の評価を受けるのはそういう理由で、日本の場合は、そのプロセスは関係なく、入ったかどうかで賞賛と酷評を決め、酷評がきついと、今度は同じプロセス、結果なのに、判官贔屓ともいうべき感情で、頑張ったんだからという同情論が出てくるのです。
勿論、ここに日本人の良さもあるのですが、この点が、最後には1対1の勝負時での弱さに繋がっている様に感じてなりません。
結果だけで一喜一憂、上げ下げしていたのでは長い目で見た成長はできないと思います。
しかし、プロセスには厳しい会社、仲間でありたいと思いますし、それが1対1を磨いてく事にも繋がると思います。
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