2013年6月29日土曜日

今年は、京都流議定書の”答え”です。

今年で6回目を迎える京都流議定書ですが、今年のテーマは、「人をつなぐ、人を生かす、地域、町、未来」として、今後の日本、少なくとも一部の大企業を除いての日本企業や、お金が幸せを計る指標ではないと考える日本人にとって、ここに答えがあるという構成となっています。

一般的には企業も、縮小する日本市場だけを相手にしていけば、落ちていくしかないので、逆に人口が増えるアジア、そしてアフリカに出て行くべきだ、グローバルに展開しないと、という考えがそれこそスタンダードの様に言われています。

果たしてそうでしょうか?

私は全くそうは思いません。

数を追いかけるビジネスは、産業革命から続いて来たモデルであり、大量生産で発展を遂げてきました。

インターネットが開放され、その後、マイクロソフトの囲い込み戦略から、リナックスなどオープンソース型のモデルとなり、SNSで知らぬ間にネットワークが張り巡らされるという時代になっています。

意図的に囲い込んだりするのではなく、最終図は予想できないが、面白そうな物や場を与えて、そこに人や情報が集まり、繋がる事が価値を生んでいく様になった時代に、足元や日本国内を見ていけば、生かされていないどころか、利用を考えた事もなかったというものや、数や効率のみを追いかけるモデルの中、置き去りにされた素晴らしいものが沢山あると思います。

中央一極集中して、それを割り振るというモデルは、大量生産時代にはそれこそ効率が良いのですが、数を追いかけず、それぞれの個性を生かしていく時代には、適応できるわけがありません。

東京のど真ん中で、東京が特殊であるのに、それが標準と思って、そこから分配していっても、間違いだらけになるのは、誰でも想像がつく筈です。

少子高齢化で人口減少するから、と言うけれど、日本の社会は、女性すら活用できていないのです。

高齢者って、単純に実年齢で考えますが、その経験や知識をこのまま埋没させていくのでしょうか?

健常者と障がい者という様な分け方をしていますが、そんな区別しかできないのでしょうか?
健常者と言われる人でおかしな人も沢山いますし、身体は健常なのに不満ばかりで惰性で生きている様な人と、身体には何らかの障がいがあっても、凄い能力を持っていて、一所懸命働き、生きている人と、どちらが健常なのだろう?と思います。

そんな事を考えても、やっていない事だらけで、やれる事だらけです。
そして日本や日本人本来の良さ、強みは、次から次と新品を買って消費していったり、その場所を食い尽くして、新たな領地を求めていくというスタイルでは無い筈なのです。

”Mottainai”精神が日本のベースであり、それは明らかに、次から次へのモデルではありません。

縦割りでそれぞれでやっているのではなく、横や斜めの繋がりを持つだけで価値は生まれたり、それぞれの地域が自分達の独自性を磨いて、それぞれの良さを生かしていく様になれば、四季折々、風光明媚な資産は、世界でも類の無い、そして賞賛されるべき価値だと思います。

少なくともこれからの日本は、中央(国)から分配されてやっていく時代ではありませんし、それでは持たない事は明白です。

人や、その場所の特徴を生かして繋がっていく事、各地域が独自性を持っていく事、これができれば、
日本は元気になっていきます。

価値観の変革を唱えて行なってきた京都流議定書も、言わばその答えを出しているのが第6回を迎える今年であり、今年の初日は、独自性を発揮する”地域”としての京都を考えていきます。
その中での企業とは何を指針とすべきか?その中での金融のあり方は?人の繋がり、こころの繋がり、そう考えていく中で宗教都市京都の大きな役割などを考えます。

二日目は、就労についてハンディを背負う人の積極採用を掲げるISFネット代表の渡邊社長の講に、
毎年行なって頂くブロックスさんのワールドカフェもテーマを合わせて頂き、”働く”事や、”人”を考えていきます。
又、一見関係なく見えるアフリカの問題も、先進国の利益、効率追求のしわ寄せから紛争問題が引き起こされており、人口増のアジア、アフリカを求めていくモデルの警告をテラルネッサンスさんの活動などから学び、三日目は、”女性力”として、活躍する女性起業家と山田知事のコラボの後、午後は、ソーシャルイノベーター、それを応援するサポーター達が集まって、未来へ向けてのダイアログを開催するという内容で綴っています。

是非是非、日本の大転換期を京都流議定書で感じて頂きたいと思います。

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