昨日もミラツクギャザリングというワークショップでスピーカーというのか、話題提供者として京都流議定書を行っている理由について話させてもらいました。
売上最大、効率追求、そんな評価だけではなく、目に見えないものを評価する価値観の重要性を唱えておりますが、言ってみればこれは反金融工学社会と言える様に思います。
お金、数字でしか考えられない人には、何故、ウエダ本社でこんなイベントを行なっているのか?を説明しても全く理解してもらえません。
何処で儲かるの?とか、お金にならないなら、何が目的?という話です。
そんな視点で人の動きを見てみると、よく見えてきます。
相手の立場で全然態度が違う人、要は、目先の商売のメリットなどがあれば擦り寄り、メリットがなければ、良い歳しながら挨拶すらしない?できない?社長さんも結構おられます。
又、自分の楽な事、楽しい事ばかりに明け暮れている経営者やリーダー達も、ある意味、損得的な感覚で行動するからそうなるのだと思います。
(本能の欲求のまま動いている人も居ますが・笑)
こちらのタイプの人は、他人の為に汗をかいたり、しんどい事を行なうなんて理解できな
いですから、やはり何が目的?となるのです。
先日、田坂広志さんは、機械論パラダイムは20世紀の考え方で、便利になった結果、全てを機械的に見てしまい、便利な物は我々の世界観を変えてしまった。
と、仰っていましたが、数値化してしまう事、感性ですら工学として見える化していく事が賢く、しかも便利だという感覚を見直していかなくてはならないと思います。
最適化は人間の持ちたがる幻想であり、デザインよりも現実の方が進んでしまうものだとも仰ってました。
企業も社会も市場の生命体だという考えは私も全面同意!で、生き物である市場をコントロールしようとした金融工学から、感性までをコントロールしようとする感性工学というものは、考えてみれば恐ろしい、尊大な話です。
企業も生命体であり、そうであれば、まずは存在する意義、価値が無いと、そもそも自然界では生きていけないのです。
自分が目先儲かる、メリットがある、という事より、面白くないかもしれないし、しんどいかも知れないけれど、自分の役割、使命を果たすこと、まずはそれが生命体としてのあるべき姿ですから、そんな発想からすれば、ウエダ本社が京都流議定書というイベントを行なうなんて、何も不思議な事なんてないでしょう?
でも、私の様な考えをする方が異端だとは分かっていますが(笑)
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