最近でも、会う方々がフェイスブックや、ブログの事を話題にして頂き、どうしてそんな考えになったのか?と聞かれる事がよくあります。
最近は少なくなりましたが、どこで儲けようとしているのか?とか、何を狙っているのか?とか、ポーズでやっている様に思われるケースもあります。
しかし実は、世の中の為・・的な事を考える様になったのは、最近ではなく、30歳で自分で創業する際には、今ほど”ピュア”?ではありませんでしたので、まずは自分がある程度の成功をしてから、という考えではありましたが、自分で決めた以上の資産は持たず、全て世の中に還元するとか、それを色々な意味でのハンディキャップのある人達の支援に使いたい、などと言っていたのです。
何故、そんな想いを持っていたのかは分かりません。
ただ、やはり、宗教心というのか、人間は必ず死ぬ、という事から発想していて、どうせ死ぬのに、目先の欲や、資産や、快楽や、そんな為に生きていて何になるんだろう?という想いが強く、必ず死ぬのに生まれて来ているには意味があり、という事は、何かできる役割を果たさないといけないし、その役割をできる限り大きなものにしていくのが、人間としてやるべき事(使命)なのではないか?そんな想いを持っていました。
それが存在意義だとか、存在価値という言葉をよく使う理由なのかも知れませんし、自分自身も会社も、存在する限りは、その存在意義を考え、その意義がないと、役割を果たしていない事にもなるので、その存在の価値を高めるべきだと思っています。
そんな発想からの展開であり、それが世間からはCSRとして捉えられ、授業をさせて頂く事になったりするわけですから、大企業の”社会的責任”とは全く違う感覚だと思います。
でも、自分の子供にでもそうですし、社員でもそうですし、少しでも自分と関わった人には、そんな発想を持ってもらえたらと思って、又、そういう話をしてしまうのです。
そんな視点を持てれば、少なくとも、嫌な事や厳しい事に向う対処の仕方が変わって、生き方も変わると思うのです。
ここまでの話は、重くなるので、あまりしないですが、最近、だんだん、”マジメ”なのがバレてきて、よく聞かれるので、ちょっと自分自身の分析をしてみました。
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