都民ではありませんので、関係はないのですが、何か、ん〜と思ってしまいます。
そんな中、ちょっとビクっとした事があります。
その人の事を全く知らなかったりしても、ある人が推薦してたり、応援していたりすると、知らない候補者の事を、その推薦者のカラーで見てしまう様になります。
知らなかった人なのに、その推薦や応援者の印象で、イメージ付けしてしまうのです。
私もよく、推薦や、支援を頼まれたり、頼んだりしてますが、それを見た人から、私のせいでその人や団体のイメージ付けをしてしまっていたり、逆に、あまり良くその人の事を知らずに安請け合いしていたが為に、私も違う印象を持たれてしまう事にもなるのだと感じました。
この何年か私の周りには、仲良くと言うのか、仲良さげに話をしているけれど、実は、二、三度しか会ってないとか、実は何をやっているのか深く知らなかったという人がたくさん居ます。
ずっと以前から知っていて何十回会っている人より、深く知っている感じがするのですが、やっぱり価値観が合うというのか、同志というのか、二、三回しか会っていないのに、居心地が良いと感じるのは、信頼している人が信頼している人という、信頼の二乗になっているからなのでしょう。
信用と信頼は大きく違うと思いますが、信用した相手、信用の二乗だとそこまでいかない様な気がします。
信用は信じて用いるのに対して、信頼は信じて頼るのですから、似ている様で真逆に近い感覚があります。
信用は、人格など関係なく構築する事は可能で、ビジネスライクにできますが、信頼は、相手の人格から信じたもので論理的なもの以外、感覚的、直感的なものも含まれる感じがします。
貿易決済でL/Cというものを使いますが、この日本語は信用状で、これは見ず知らずで、その国の事すら知らない相手と、銀行が介在して取引を行うのですが、この様に信用は、マニュアル化してロジックで作れますが、信頼はロジックでは作れないと思います。
と、正しいのかどうかは分からない自分の考えを分析していくと、何故、都知事選で、ん〜と思うのか?に気付きます。
いくら良い事を言っていても、そこに戦略や、推薦、応援を含めた色々な人の思惑などが見え、正しい事であっても、信頼まではできないからではないのか?と。
相互依存、利他、、、信頼できる集団を作って、そういう人とビジネスやプロジェクトも行なっていきたいですし、そんな世の中にしていきたいものです。
まずはその為にも、ロジックで考えても信用できる人から作り、信用できる仕事から始めていかないといけないのでしょうね。
改めて、アミタホールディングスの熊野会長が創設された信頼資本財団というネーミングへの想いの深さを感じます。
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