ここ最近ずっと、読書や、ゆったりとしたインプットの時間が取れず、アウトプットばかりしている感じです。
そんな中、唯一のインプットと言えば、やはり色々な人と会う事でしょうか。
ある幸福学の研究によると、たくさんの友人を持っていても幸福感には繋がらず、多様な友人を持っている人は幸福感を感じる傾向にあるそうですが、この一週間でも、ソーシャルシネマダイアローグに集まる人、リリースでの学生達から、京果会館や他のプロジェクトやビジネスで関わる方々、大学、行政関係者など、多様な方々に出入りして頂けるのは本当に有難い事だと思います。
そんな中、今週は信頼資本財団さんが五回シリーズで行なっておられた、ソーシャルシネマダイアローグの最終回が有りましたが、その題名は、"幸せの経済学"というものでした。
グローバリゼーションに対するローカリゼーションを題材にしたドキュメンタリー映画で、主張しているポイントには全く同感なのですが、残念だったのは、その中で大企業は"悪"的なフレーズも有った所でした。
何故、人との繋がりや、環境や自然との共生、人類、生物の本質などを考えたり、地球や宇宙を守ろうという人達からでも、"悪"という発想が生まれるのでしょう?
何故、他の意見やポジションの人を認められないのでしょうか?
"〜すべき" という意識が強い人は、"〜すべき"正論以外は"悪い"となり、時には他を攻撃するケースを見かけます。
今、問題となっている特定秘密保護法案や、原発の問題など、国家や人類がどうなる?という話から、ちょっとした勉強会や、プロジェクトなどでも、そうしない、そうやらないのは、おかしい!と言う人も多いですが、同質の人達だけで集まっていくと、どんどん正論化し、先鋭化していく様になってしまうのだと思います。
ビジネスの世界では、うまく話を進められるかどうか?は、相手のポジションや背景を考え、ボールは何処にあるのか?を意識できているかどうか?に関わっていると思いますが、"〜すべき"という想いの強い人は、ボールが何処にあるのか?は関係なく、ボールは自分にないのに、シュートばかり考えている様なもので、得点には繋げられないのです。
同じ感覚、同じ種類の人達だけで繋がっていると、他への文句や、批判が生まれやすくなって、素晴らしい想いを持っている人なのに、何も生み出す事ができず、不満や批判ばかりという残念な姿になってしまう恐れもあると思います。
多様な人達との繋がりを持つ事は、違う意見が少なくとも"悪"という感覚にはならず、不満が少ないという事は、感謝するケースも多くなり、それが感謝の数とも相関性のある幸福感を感じ易くするのかも知れません。
まだまだ暫く、ゆったりとしたインプットの時間は取れそうにありませんが、多様な人々との付き合いを通して、幸福感を得られる人間性を養っていきたいと思います。
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