2013年10月13日日曜日

大連にて、生物原理主義?

今週は水曜日の福井への日帰り出張の後、木曜から大連に来ています。

ネジ一本から全て内製化している事で有名な、ある仕入先の工場視察がメインでしたが、圧倒的な規模と量を目の当たりにし、我々の進むべき方向も再認識する事ができました。

昨日は、旅順の二百三高地に行きましたが、日露戦争時のそこでの日本軍の反転がなければ、今の日本はどうなっていたのだろうと思いを馳せていました。


あの時、乃木将軍が采配を続けていたら、反転は無く、日本は日露戦争に負け、全く違う国になっていたでしょう。

いや、ひょっとすれば、ロシアの支配下に置かれていたでしょうから、日本という国も無かったかもしれませんし、あったとしても共産主義国になっていた事でしょう。

太平洋戦争も起こっていないでしょうし、第二次世界大戦にも起こっていないとすれば、原爆投下もされていないし、戦後復興もないのですから、一体どんな日本、どんな世の中になっていたのでしょうか?

戦死された方、生き残った方、それぞれの組み合わせも違う訳ですから、私や、今居る人達も産まれてもいないかもしれないのです。

     (東鶏冠山  ロシア兵の宿舎跡)

そんな事を考えると、自分が生きている意味というのは、自分だけのものではないという事がよく分かります。

その途中、途中で、誰かが違う選択をしていたら、今とは全く違う世の中になっていたのです。

そんな中で、やはり会社というものも、儲けるのは手段であって、まずは、そもそも何の為に存在するのか、させるのか?からスタートしないといけないと思います。

こういう事においては、私はかなり原理主義的で、経営者の中でも、こんな所から考えている人は少なく、最近も自分が違うのかなあと思う事もあったのですが、このタイミングで、近代日本の言わば転換の地に来た事にも、意味を感じ、思いも新たにする事ができました。


今生きる我々は、敗戦後、奇跡の発展を遂げて来た日本が成功をしたと思っていますが、長〜いスパンで見た時、日露戦争に負けていた方が、良かったのだという事にもなってしまうかもしれません。
しかし、それは残念ながら誰にも分からないのです。

今、我々の思いや決断で、遠い将来の、国や地球や宇宙の姿が変わっていくのです。

こんな事を言うと、なかなか理解されないのですが、学生は意外と喜んでくれるので、又何処かで話します(^^)

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