経済同友会の例会で講演頂いたのですが、そのお話が素晴らしかったと、あるTOPの方から、お電話頂き、”あんな素晴らしい人を呼んで来る岡村君の感覚が鋭いね”と、人を例会で紹介しただけなのに、大変お褒め頂いたのです。
お褒め頂ける事は勿論嬉しいのですが、実はその事よりも、私自身が、知って欲しいことや知って欲しい人を紹介しているので、それが思った様に気に入って頂けると大変嬉しいのです。
コーディネーター?冥利につきるというか、自分でも、何屋さんなのだろうと思う時もあります(笑)
今週、greenz.jp http://greenz.jp/2013/07/12/imukino-ueda/という若者に人気のWEBマガジンに、インタビューをうまく纏めて頂いていたのを見て、考えてみれば、ずっとこんな事をやっていたのだと納得していました。
繊維業界で最大手に居ながら、その会社とは取引しないというアンチの会社への切り込み役を、一人で命じられていたり、独立して創業してからは、逆にたった一人の会社でありながら、総合商社に対して、”あなた方の知らない物を持ってきます”という事を売りに出入りしていたり、又、商社に出入りできるところを期待され、反対に、メーカーや販社の営業代行として動いていたり、考えてみれば、自分が良いと思う物を、そうは思っていない人に知ってもらう事、そしてその価値が見出されて陽の目を見る事が、ずっとやって来た事であり、好きな事だったのだと気づきました。
それが今は”人”に向いているだけで、この”人”素晴らしいと思った人が、他の層では全然知られていなかったりすると、何とか知って欲しい、特に、私自身が、素晴らしいと思う人や層が繋がって欲しい、それだけなのだと思います。
この記事で書いてもらっている通り、これがそもそも、商いの原点であり、それを行なっていただけなのだと思います。
何でこんな事やっているの?そんな役ばかりやっていて、何になるの?どこで儲けるの?これらの質問を受けて、いつも答えに困るというか、何となく違和感を覚えていたのも、私自身は、決してボランティアや、仕事と別枠で考えているわけではなく、”商い”と一緒というのか、”商い”の一環で行なっている感じなのです。
元々、ビジネスは物々交換から始まり、ある人から見れば全然価値の無い物を、価値があると思う人と、それぞれ交換していたわけですから、ひょっとすると、貨幣で考えると100円の物と100万円の物を交換した事だってあったかも知れません。
貨幣というものができたから、100円と100万円を交換する事など有り得なくなって、そんな事をする人は馬鹿じゃないか、何故そんな損な事(役)をするのか?という感覚になるのです。
自分が素晴らしいと思う人が、その人の事を知らない層で素晴らしいと認識してもらえれば嬉しいじゃないですか?
自分が良いと思う商品が、それを知らなかったお客様で喜んでもらえれば嬉しいし、それができれば、自分は、商品を作る技術も無く、 大きな課題に立ち向かう能力が無くても、人の役に立てるのですから、そこに存在価値が生まれると思うのです。
そして会社の場合、存在価値が生まれれば残っていけるわけですし、その存在価値を見出してくれる人が多ければ多い程、
会社は永続できるのだと思います。
今週は、それこそ、こんな素晴らしい人をもっと知って欲しい、違う層に理解して欲しいという方々を集めた
京都流議定書があります。
ウエダ本社の社員は、是非、その価値を自分のお客様に届ける、もしくは、お越し頂いて感じて頂くという事に全精力を
注いで、自社、そして自分自身の存在価値を高めて欲しいと思います。
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