2006年12月30日土曜日

この期に及んで・・のインド総括

今回で一番インド的なポイントである、ガンジスの沐浴に向かいました。
その日は朝5時頃から出かけて聖なる河に向かったのですが、まだ夜明け前から、祭りの様に人が一杯でしかも全員が河に向かっていました。



河に着くと、テレビなどで見たことのある光景がそこにありました。



とても濁った汚い河に入ってこの世での懺悔をするという宗教的な部分と、



その横で歯を磨いていたり、洗濯をしていたりという生活場になっていたり、火葬場もあり、そこで火葬した灰をこの河に流すという又聖なる部分とが混在していて、
その光景には全く頭も混乱させられました。



インドに初めて行ってみて、ほんの一部しか見てないと思いますが、それでも死生観というのは、変わったというか、色々考えさせられました。

牛も馬も犬も人間も同じレベルで生きているというか、乳飲み子を抱いて泣きながら物乞いをしている人間が居て、可哀相と思っていると、それを演技でやっていたりする姿も見えたりし、”生きる”という事に必死なんだという事を感じました。
それに対して、死んだ時に、聖なるカンガー(ガンジス)に火葬して灰を流してもらうのが、一番の栄誉という事なので、火葬場でも死というものに関して、暗い感じを受けないというか、あっけらかんとした感じさえ受けました。

この対比が何か不思議な感じがして、生というものへの感覚が明らかに違う事がわかりました。
多分この辺りのインドでは、イジメ自殺も、うつ病も無いと思います。
皆生きることに必死なんです。
精一杯生きて、その証というか、その結果あの聖なるカンガーに流してもらえるのです。

この感覚の違いは勿論色々な要因から来ると思いますが、その中でもやはり日本との圧倒的な違いは宗教観ではないかと思いました。
インドはたくさんの宗教が入り混じっているのですが、どの宗教かというよりも、全ての人のベースに宗教があり、その上にそれぞれの生と死がある様に思いました。

多くの人が無宗教と答える日本にとって、世界の国々や人を理解するには、多くの国、民族が深く抱いているこの宗教観を理解しないと、何も理解できないのではないかと思いましたし、今後はこういう宗教観の様なものも見て、世界を見、世界を見る事によって日本を見て行きたいと感じさせらたインド視察でした。

来年はちょっと視点が変わるかもしれませんよ?

という事で多分今年最後になると思います。
今、京都流コミュニティーでは色々な問題提起を行なってもらってますが、そんな所から来年もどう変わっていくか、、来年もどうぞよろしくお願い致します。

2006年12月29日金曜日

今日で終了しました。

ウエダ本社は今日で営業は終了致しました。
今年は最後の日に忘年会を行い、先程帰って来ました。

リーガロイヤルホテルで、仕入先も招待して和気藹々と行いましたが、色々企画を練ってくれた幹事達や、意外と居る芸達者なメンツのお陰で盛り上がった会で終わることができました。

こういう姿を見ると、一年経って、うちの会社も成長しているなと感じました。
決して、規模の大きい会社ではありませんが、京都的価値観でいくと、良い会社には
なって行っていると思います。

京都流サイトをやった事も、会社全体にも少なからず良い影響をもたらせているのですかね?

先月からブログを書く事が少なくなって来ていますが、この年末年始には、来年のブログの展開を考えてみます。

まだ、インドのガンジスが残っていますので、それを後日今年の締めくくりにしたいと思います。

2006年12月23日土曜日

京都流を考える

いぬまゆさんがこういう名前のコミュニティーを立ち上げてもらい、一気にたくさんの問題提起をしてもらっていて、本当に嬉しいです。

京都検定が終わった後、どうしても目的意識が希薄になる所ですので、大変有り難く、コメントを入れようと思ったのですが、どれもが良いテーマを頂いているので、
お礼かたがたブログの方に書かせて頂く事にしました。

いぬまゆさんに問題提起頂いているテーマについては、もう少し皆さんの意見を頂いてから、私は意見入れようと思いますので、是非是非、忌憚の無いご意見をよろしくお願い致します。

ただ、ブログの展開についてはどう持っていくかは難しいですねぇ?
京都流の特徴は、かなり内容がディープな事ですよね。
それだけに、京都通の方、京都に思いいれがある方が、このサイトを見つけて頂くと、ここは凄い!という事で、居ついて頂けますが、そこまで詳しくない方は、とてもこのレベルでは、発信できない・・という事になっていると思います。

私もこの立場でなければ、絶対!書けてないと思います。(笑)
実際、いぬまゆさんも言われてましたが、私も京都ネタだと、殆ど書けないですからね。
このサイトで収益を上げていれば、堂々日中から、色々な所に出歩いて行ってブログ書く事が、仕事と言えるんですが・・
そんな身分で、やれる様になるといいですね(笑)

でも、京都流では、相互リンクもお断りしている(相手側で貼って頂くのは勿論歓迎です)位で、全くここではビジネス展開することを考えておりません。
それが又、他のサイトと違う特徴で、分かりにくい所かも知れませんが、どこかとビジネスする事によって、そこに気を使う様になりたくないのです。

あくまで京都流では、京都検定の元々の理念に沿ったものを応援していこうとしていますので、ビジネスを行なって、或いは、関係があるからという事で、理念と合わない事をしたくないのと、その事によって、言いたい事が言えなくなるという事を避けたいのです。
今まで、私の様な文化度の低い者が、厚かましく、凄い方々の所に物怖じせずお邪魔しておりますのも、京都流サイトはビジネス追求していないからです。

我々の様な、ちっぽけな者が、京都を少しでも変えて行こう、或いは守って行こうとすれば、この行き方しかないのではないかと思っています。
それだけに今後も、理念追求の為に、言いたい事が言えるポジションでいたいと思っています。

ただ、折角京都流に参加頂いている方々にとって、ここに参加していれば、ブログをここで書いていればメリットがあるという様にはして行きたいですので、皆さんからのご意見をお聞かせ下さい!
言うだけは勝手ですから!但し、聞く側も、出来ることしか出来ませんが・(笑)

いぬまゆさん、うまく皆さんの意見引き出して下さいね!

2006年12月17日日曜日

一力 舞写真

昨日入れられなかった一力さんでの舞の写真のみUPします。
撮り方もうまくないですが・・雰囲気だけでも感じて頂ければ・・です。



一力亭で・・

昨日、正確には一昨日になる15日、ある会合で一力亭さんに行っておりました。

これも羨ましがられる話だと思いますが、私も一力さんに行けるなんて、年に一度この会合で行く位です。
その時の舞の写真は、変えたばかりの携帯で撮っている為、新しいメディアが必要で今まだUPできませんが、近々UPします。
実はインドの一番肝心なガンジスもまだUPしておらず、ちょっと最近サボっているのですが、忘れてはおりませんので、もう少しお待ち下さい。

15日は忘年会もかなりのピークで祇園も人が多かったですし、観光客も一力さんの前には、集まっており、その横を暖簾をくぐって入って行くのは、若干の優越感がありました(笑)

今回は、この会の一番の大きいお兄さん(祇園風の言い方)であられます、本家尾張屋15代当主の稲岡傳左衛門さんにお蕎麦についてお話頂きました。

京都は地下水に恵まれているので、その水のお陰で、そばも京都が一番美味いと仰っていました。
その地下水というのは40度位の軟水らしく、京料理でもそうだが、昆布だしがその水でないと全然違うそうで、菊乃井さんも東京に店を出されてますが、水は京都から持っていかれているそうです。

現在住んでいる者としても、あまり京都が水で恵まれているなんて感じた事はないのですが、こういう話を聞くと、多くの伝統産業、技術が、三方を山に囲まれた京都の地下水のお陰であるのだという事がよく分かりました。

古都技でもインタビューさせて頂きたい様なお話でしたが、この会には、古都技でお世話になった池坊由紀さんや、パゴンの亀田さん、実は1月にご登場頂く事になる、松栄堂の畑さんもメンバーであり、来られていました。

そう言えば、亀田さんには、”取り上げてくれて有難う。あのサイト見てる人結構多いんやね?あれに出してもらって、何人もサイト見たって言われて、恥ずしかったわ”と言って頂けました。

凄い方々にご協力頂いているので、皆さんが見て頂いていて、そういう反応が、出て頂いた方にフィードバックされて喜んで頂けると、私としても本当に嬉しいですし、
ホッとします。
これからも、そんな反響はドンドン起こして下さいね!

2006年12月13日水曜日

今日は何の日?

今日は何の日かご存知ですか?

12月13日、討ち入りの前の日!!も正解でしょうが、今日は事始めという日です。
新年の準備を今日から始めるという日で、本来はこの日からお歳暮を持って挨拶に行くという日です。

京都流常連の皆様は当然ご存知だと思いますが、祇園ではこの日は朝から、芸妓さん、舞妓さんが、お家元の所に挨拶に行かれます。
その光景を撮ろうと多く人が待ち構えていたりするらしいです。

京都新聞の夕刊の一面にも、5世井上八千代お家元に芸妓さんが挨拶されている写真が載っていましたが、そんな中私は、またまた役得な事をさせて頂いてました!!

今日は終日、事始めの挨拶でお忙しかったと思うのですが、一段落した後に、お家元にインタビューさせて頂いていたのです。

私も勿論お話させて頂くなんて初めてでしたが、品格があるというのは勿論ですが、素直にカッコいい!と思いました。
よく思うのですが、何かを極めて来られた方というのは、何とも言えない、雰囲気、格好良さをお持ちだと思います。
上品な品格の中に、一本のしっかりとした芯が通っているという格好良さです。

まだ、私共の都合もあり、UPできるのはかなり先になりますが、その様子を皆さんにも少しでもお伝えできればと思っておりますので、お楽しみにして下さい。

私も色々勉強になりましたし、大変興味深いお話ばかりだったのですが、編集するのが、ちょっと先になりますので、感激が覚めないうちに書かせて頂きました。
決して皆さんを羨ましがらせる為だけに書いたのではありませんので、ご了承下さい!(笑)

2006年12月10日日曜日

楽しまれました??

皆様試験の方は如何でしたか?

試験という響きはどうも良くないですよね?
よく、仕事などが終わった際に、お疲れ様でした!とかご苦労様でした!って言いますが、私の大好きな堀場製作所最高顧問の堀場雅夫氏は以前、これを言われると腹が立つと仰っていました。
”ワシは好きで仕事しているから、全然疲れていないからお疲れ様でしたと言うな”、というと、”ご苦労様でした”と言われる、”いや、全然苦労だと思ってないよ”と言うのだけれど、どうも日本人は仕事を苦労とか、しんどいものに思ってるのではないか?と。。

という事なので、私は今日検定受けられた方々には、この二つの言葉を言わなかった
のです。
元々の皆さんの動機からすれば、結果はともかく、ここまでこの目標に向かって、楽しんで来られたと思いますので、それが一番重要な素晴らしい事だと思うからです。
又本当はそれが、京都検定の一番の主旨だと思うし、これだけ検定が話題にもなってしまって、”試験”というイメージになってしまっているので、その主旨の所を守って行きたいという事から始めた”京都流”である訳です。

ですので、検定に向け1年間楽しんで来られて、何もなく過ごして来られた人より、大変素晴らしい一年を過ごして来られたと思いますので、お疲れ様、ご苦労様ではなく、”楽しまれましたか?”と言わせて頂きました。
でも今日くらいは、余韻に浸りながら、ほっと一息ついて下さい。

そういう主旨ですので、京都流は京都検定が終わったから終わるわけでも勿論無いですし、むしろ、残念ながら検定に受からなかった方が、京都への興味を失われない様に、受かられた方が、より京都について好きになって頂ける様に、微力ながら、活動して参ります。

ふうりん様から、”日本に京都流があって良かった”なんていう身に余るお言葉を頂きましたが、大手の会社や、ビジネスありきで展開される多くのサイトと違って、お金無い、企画力無い、人手かけられないという中で、何とかやって来て来れてますのも、勿論、事務局ノブや、新人よしこなどの頑張りもありますが、ふうりんさん始め、スタート時からずっと応援して下さったhickeyさん、ろぷさん、busstopさんや
mittsuさん、maruさん、snowflakeさんほかたくさんの方々に支えて頂いたお陰だと思います。
本当にどうも有難うございました!!

で、検定終わった今日からも、まだまだ楽しみましょう!又、私を筆頭に、京都の事をよく分かってない人達を楽しませて下さい!

2006年12月9日土曜日

適切に判断しました!

ついに日付ではもう明日ですね。

今やこんなブログ読んでる間ないかもしれませんが、皆さんどうか、楽しんで下さいね!
受かっても落っこちても、それは京都好き度とは関係ないので・・
受かった人は京都通だけれど落ちた人が京都通ではないわけではないですから。

と他人事の様に言っているという事は、以前にろぷ様より、単刀直入に質問を受けていた私めは・・受験致しません!!

適切に判断した結果、実はジュニア京都検定を受ける事に致しました。

別にそんなに引っ張る事は無かったのですが、我々京都流は、京都検定とジュニア京都検定の応援サイトです!
そこを忘れてはいけない事と、ジュニア京都検定という名前で小学生の検定というイメージが強いのですが、実は大人も受けられるという事のアピールの為、ジュニア京都検定を受ける事を決意した次第でございます!

ちょっと大そうですか?(笑)

で、この辺りが、適切に判断しますというお答えをした着地点としては、良いかなと自分では気に入ってるのですが・・(笑)

安倍総理は靖国へはどうするんでしょうね?

皆さま、頑張って下さい!

2006年12月5日火曜日

もうすぐですね。。

ご無沙汰してすいません!

全然書けてないので、落ち込んでる?などのご心配もお掛けしていたかもしれませんが、元気です!
ただ、単純に色々仕事が多くて時間が取れてないだけですが、もうすぐ復帰しようかと思ってます。
ちょっと歯切れが悪いのは最近皆様のお陰もあって、アクセスも開設以来、下る事なくずっと右肩上がり来ており、(華々しくはないですが・・)サイトも動いてきているので、このまま公式ブログからはフェードアウトしようかな??というのも、ちらっと考えたりもしてたりします。。(笑)

もうすぐと言えば、ホントもう直ぐですね??
まあ試験を楽しんで下さいね!あ、ちょっと他人事っぽかったですか?(笑)

2006年11月26日日曜日

この場をお借りして話させて頂きます(後)

苦境を脱して財務内容的にも恥ずかしくない様になった頃には、父は既にボケもあり、その介護も母がやっていました。
その際も、”あんたは会社の事だけしっかりやってくれたら良い、それが一番や”と言ってくれていました。
その言葉に甘えて私は会社の再建、発展に専念させてもらいました。

父は昨年自宅で亡くなりました。
これも死という事については突然でしたので死に目には会えませんでした。

その後も人に迷惑を掛けるのが嫌いな母は一人で住んでいました。
我々子供にも面倒をかけたがらなかったのです。

インドから帰ってすぐ、私が福岡出張中の朝、兄から電話がありました。
兄が迎えに行った時、母は心不全で亡くなっていたのです。
私が最後に話したのは、インドから帰国して、関空から電話したのが最後でした。
本当に全く突然過ぎて、親に対して何もできていなっかた事が悔やまれてなりません。
確かに会社を再建して仕事面では両親に顔向けできるとは思いますが、両親の死に目にも会えてないんです。
私も自分で創業してから結婚し、その後ウエダの建て直しに奔走していたので、自分に余裕も無かったのですが、ようやく少し余裕も出てきた段階だったのですが。

兎に角人の世話にはなりたがらなかったのと、派手な事を嫌っていた母ですので、会社の者以外には殆ど知らせず、本当に身内だけでの密葬ですませました。
それは母の性格を考えても良かったと思うのですが、今ウエダがあるのは、母の功労も大きかった事、父が良い格好ばかりできていたのも、母が裏で全て苦労していたお陰であった事を知ってもらう事で、少しでも浮かばれればという事と、何も出来なかった私の償いの少しにでもなればと思いこの場で書かせて頂きました。

京都検定や京都通の方々には全く関係ない話であり、検定の勉強をされている時に重い話になってすいません。

多分ウエダの幹部でも知らない話も書きましたが、ウエダに関係する人には、今ウエダがあるのは・・という事も再認識して欲しいと思いますし、京都流を通じて私と繋がりを持って頂いた方々にも、こんな背景もあって今京都流も生まれているわけですので、これも何かの縁という事でご容赦頂ければ嬉しいです。

インドから帰って今までと違う死生観とか、今まで全く興味もなかった宗教の事も少し勉強しなきゃと考える様になった途端の出来事でした。

この場をお借りして話させて頂きます(前)

最近、ブログにあまりじっくりと向かえてません。
ただでさえ、仕事が山積している上に、実は今月の8日に母が急死し、その絡みの事でも時間が取られ、やらなきゃいけない事だらけでちょっとキツイ状況です。
という事でこれからもブログに対して若干手薄になると思いますが、ご了解頂ければ幸いです。

今日はそのエクスキューズと共に、他人の手を借りるのを嫌い、ずっと人の事ばかりやって来て、苦労ばかりして来た母ですので、最後に陽の目ではないですが、皆さんにも知って頂く事で、少しでもその苦労が報われればと思い、ウエダの創業にも関わっていた母の事に触れたいと思います。

ウエダというのは私の母方の祖父、つまりこの母のお父さんの創業であります。
しかしこの祖父は私の母と血のつながりはありません。
上田の祖父は私の母の実父が亡くなった後に、祖母が再婚した相手で、思春期であった母は反発もしたらしく上田の籍には入らず、実父の中西という籍のままでいました。
上田の祖父からすると、自分に懐かない子供は可愛くなかったでしょうから、可愛がってもらったという感覚はなかったようです。

しかし、その養父がウエダを創業したので、青春時代は会社の配達から経理などを手伝っていたそうです。
後に私の父(岡村)と結婚をし、私の父が後に二代目となるわけですが、それも当初は養父から反対をされていたのですが、根っから商売人の上田の祖父は、ウエダに事務機部門を導入しようとの思いから、機械に多少明るかった岡村を入れる為に一転賛成して結婚する事になったそうです。

私の父は商売人タイプではなかったと思います。
2代目でもあり、お金(数字)にはあまり強くなく、義父との関係もあるでしょうが、
見栄・体裁が先走るタイプでした。
そんな父ですので、創業者である祖父が亡くなり、バブルが弾けると、業績はドンドン落ちて行っていました。

弟であり、小さい時からウエダには入らないと言い、繊維商社から30歳の時に独立をして別で会社をやっていた私が入らざるを得なかった時には、会社は問題だらけの大変な状況でした。
多分、2年程遅ければ倒産していたと思います。

しかし、外で良い格好ばかりしていた父の功罪?もあり、ウエダは外から見るとまだ良い会社に思われており、それを変えて行かなくてはならない私は業界内では勿論、社内でも社外でも悪役でした。
お父さんはそんな事しなかった・とかお父さんはもっとこんな風にしてた・とか、そりゃ父はお金の事、会社の事、社員の事などを考えずに、良い格好ばかりしていたわけですから気楽なものですよね。

この頃には一番母の苦労が分かりました。
この私のやっている役回りをずっと母はやっていたんだとこの時初めて分かりました。

2006年11月21日火曜日

インド日記⑥

インド日記⑤が抜けましたが、タージマハルが⑤でしたので今回は⑥です。
ですが、今日も日記というより、ちょっと風景写真でお茶を濁させてもらいます。

見ていると綺麗でおいしそうに見えるんですがね・・



デリーよりももっと雑踏で、マスクを持って行っていたのですが、マスクをしていても苦しかったです。



インドのスクールバスならぬスクールチャリです。
セレブの子供達なんでしょうね。





でもこんな野良牛も多いです。



仕事柄、こんな所も気になりました。
街角のコピー屋さんです。



ベナレスの雑踏をバックに一枚

2006年11月18日土曜日

タージマハル

国威が最盛期にあったムガル帝国の第 5代皇帝シャー・ジャハーンは、 その王妃ムムターズ・マハルに先立たれると、国中が 2年間の喪に服すことを命じ、20年以上の歳月をかけてこの墓を作ったとの事で、タージ・マハルとはムムターズ・マハルの名前が変化したものとの事です。

これを聞いてもその壮大さが分かると思いますが、実際これは実物を見ると壮大そのものでした。
名前は知らない方でも、この写真などは見た事あるんではないでしょうか?



赤砂岩の南門



をくぐると、正方形の庭園があり、その奥に約 100メートル角で高さが 7メートルの大基壇があり、高さ65メートルのドーム屋根の建物となっている。
これが全て純白の大理石でつくられているという口では言い表せないものです。



近くにいくとたくさんの象嵌の装飾が埋め込まれており、



以前サイトにも登場してくれたアミタさん(網ちゃん)は来たら良かったのに・・と思いました。

この建物の後ろ側は川が流れており、遠くまで見渡せる様になっています。
この後ろ側に回った時、インドの赤ちゃんが可愛いかったので、写真を撮らせてもらったりしていると、抱っこして撮れという事で撮らせてもらいました。
これは、お金の請求はなかったですよ(笑)

2006年11月16日木曜日

桜橘庵

今日は以前にこのブログでもお話した事のある桜橘庵(HPはこちら)という所にお邪魔しておりました。
京都ツアーというブログに出てくる、主に外国人向けのゲストハウスという事で紹介していた所です。

ここは御所近くの、元は江戸時代の儒学者皆川淇園の私塾である弘道館であったという所で、とてもこれが京都の街の真ん中にあるとは思えない、広さと静けさと佇まいです。
それが、会員制のゲストハウスとして11月からプレオーオープンされており、私の紹介した方との今後の展開の話があり、私もお邪魔していたというわけです。

元々は、外国の方をお招きして色々な文化をお見せする様な場所を造りたいとのコンセプトであった様ですが、私はこの話を聞いた時から、日本人いや京都人にでもすごくニーズのある話だと思っていました。

お茶やお香など敷居が高いと思いがちなものでも、こちらでは、最初は誰でも知らないんだという事から、その人のレベルに合わせてご対応頂けるので、私の様な文化度が低い者には大変ありがたいと思います。

このポイントが多くの伝統産業や文化には欠けているのだと思います。
それで、一部の方だけで行なわれていて、京都人ですら知らないという事が問題なんだと思います。
それで文化度の低い私が、もっと知らしめるべきじゃない?との思いから、こんなサイトまでやる様になったわけですが、レベルは全然高いですが、この桜橘庵さんも
決して迎合したり、レベルを落とす事はする必要はないが、知らしめる、そして文化に触れる、体験する、という事が重要だし、そんなコンセプトの場所がなかったという事で始められたわけです。

てな事で、京都流のコンセプトに共通する部分もありますし、何よりも私が勉強させて頂いて、文化度を高める為にも、今後桜橘庵さんについても微力ながら応援していきたいと思います。

法然院

今日、経済同友会の例会で法然院のご住職のお話を聞きました。

大変、分かり易く宗教についてお話頂き、宗教を身近に感じる事ができました。
まず、日本には約75000の寺院があるそうですが、それだけ残っているのは、今までの日本の殆どの寺院が先祖供養に重点を置いて来たからで、それはそれだけの寺院があるにもかかわらず、日本人の多くが無宗教であると答える事とも関係があるとおっしゃってました。
というのは、言わばビジネスになる先祖供養にばかり力を入れて来て、本来の大きな寺院の役割である、聞法という様なそれぞれの仏教の意味合いを説くという事を行なっていなかったからだという事です。

又ご住職曰く、全ての仏教で教えが違うわけで、本来はそれぞれの教えを知り、自分にあった宗派を選ぶべきであり、自分が楽になる考えの宗派を選ばないと、本来の意味がないとも言われていました。

又、昔は農業であったり、狩猟であったり、同じ事の繰り返しで生活をしており、単純であった為、あの世に生きがいを見つけようとしたが、今は常に決断を迫られる時代であり、そうすると、この世で生きがいを見つけられる人、決断力、発想力を持っている人には素晴らしい時代だが、生きがいが見つけられない人には苦しい時代である。
又それだけに現代において、同じ事を繰り返している寺院の空間はより重要性を増してくるのではないかという様な事も話されていて、大変興味深いお話でした。

最後に現代における京都の寺院の役割は、それぞれの宗派の事をしっかりと説き、拝観する寺から聞法する寺となり、自分の人生を考えて頂く上で切欠となる寺院になれないか?という事を考えて行動されているという事でした。

こんな風に考えてくれる寺院が多くなれば、そして75000もある中の多くがこの様な考えの寺院になってくれれば、道徳感、人生感から教育の問題まで一気に改善され、正しい、立派な宗教観を持った日本人が出てくるようになってくると思うのですが・・

法然院の梶田ご住職の事は今後も注目したいと思います。

2006年11月14日火曜日

インド日記③

今クリックボタンに使っている写真は、デリーからアグラという街に移動する際に乗った現地の特急列車の前で撮ったものです。
朝6時過ぎの電車で2時間弱乗車してアグラに行きましたが、特急列車!!につき車中ではお菓子



とチャイのサービスがありました。
しかし、今回の旅行中もそうですが、帰国後も原因不明の腹痛で即入院!という様な事もしてられないので、歯磨きもミネラル、生野菜を含め生の物は一切食べず、使うものも除菌!と注意しているだけに、こんな所で気を許しては元も子もないので、念には念を入れチャイには一口もつけませんでした。
熱しているので大丈夫とは思いますが、これ、やばそうでしょ?



途中の通過駅の線路近くで、多くの人が、しゃがんでいる光景がありました。
何で皆こちらを向いて座っているの?と見ていると、何とそれは朝のお勤めをしていたのです。
京都流ではふさわしくないかも知れませんが、これはインド日記ですので、下品でも何でもなく、本質のまま分かり易く言うと、”野グソ”をしていたわけです。
この光景は、へび遣い以上のインパクトがありましたが、さすがに写真を撮る気にはなれませんでした。

アグラに着き、こんな光景を抜けて、世界遺産タージマハールに向かいます。

2006年11月13日月曜日

九州国立博物館

先週の9日に福岡に行っておりました。
これはウエダの仕入先で金剛という会社があり、そのディーラーの会があったからです。
何故福岡であったかというと、九州に日本で4番目の国立博物館が出来て1周年が経ち、その会でここの本田博物館科学課長にお話をして頂き、翌日視察するというものであったからです。
残念ながら私はそれには行けなかったのですが、ウエダとの関係、京都流との関係にちょっと触れてみたいと思います。

この日本で4番目の博物館は、およそ100年ぶりにできた、21世紀初めてものであるので、環境建築という事であったり、自然との共生や市民と共に歩む開かれた博物館、
生きている博物館を目指すというものです。
又、従来の博物館の役割というのは、収集保管、調査研究、展示公開、教育普及という事であったのですが、ここではそれに加えて、文化財との関わり、地元の伝統技術等との交流の拠点になれというミッションがあるそうです。

これなどは京都流のミッションとも共通することもあり興味深く聞かせて頂きました。
色々なイベントなどの効果もあり、驚いた事に1年間で230万人が訪れたという事で、
日本の博物館では考えられない集客だと思います。
ちなみに京都で私も見に行った伊藤若冲と江戸絵画展が来年1月1日~3月11日まで開かれます。

又、このウエダのメイン仕入先の一つである金剛というメーカーは、この博物館でも収蔵庫を担当しているのですが、書架、移動棚などのTOPメーカーで日本の多くの博物館、図書館等に納めています。
ウエダも書架等は納めたりしているのですが、京都流ともつながりもある事だし、もっと博物館、美術館にも絡める様にしたいと思います。
そうすると、京都流とウエダ本社のビジネスをうまく繋げていく事になりますからね。。

2006年11月9日木曜日

インド日記②

私も行く前に勉強しなきゃと本も読みましたが、古代からの流れは複雑で殆ど頭に入りませんでしたので、難しい話はさておき、今のインドで特徴的な事は、人口が11億という事。
でもこれは中国と同じで、数えられっこないんで、確実にそれ以上いるという事。
中国と違ってそこが正に今後インドは凄く成長すると言われているのですが、若者の比率が圧倒的に高い事。
でもその中で、3000万人程しか税金を納めてない、要は払える層はそれだけしかいないという事。何せ1日1ドルで生活している人々が圧倒的に多いそうです。
カースト制は表向きなくなっているという事だが、無視しては考えられない事。
それと何よりも特徴的なのは、たくさんの宗教があり、それを複雑に混立させながら、バランスと取っている事です。

日本人のよく持つ間違いの一つに、インドは仏教の国という錯覚がありますが、全人口の0.8%だそうで、ヒンドゥー教が約80%、イスラム教が約13%です。
又、インド人のイメージでターバンを巻いているというのがありますが、あれも、西欧からすると日本人はちょんまげを結っているという程の間違いではないかもしれませんが、シク教徒のみでこれも全体の2%だそうです。

首都はデリーです。というと、ニューデリーじゃないの?と思われる方もおられるかと思いますが、デリーの中にニューデリー、オールドデリーという地区に分かれているので、特に現地ではデリーという様です。
で、首都と言ってもこんな感じです。



で、この中をサイクルリキシャと言われる乗り物に乗って走りました。
京都の人力車みたいなもんでかねぇ~。



車やバイク、自転車、歩行者、歩行牛、等色々な物?が同じ道路で一緒に動いており、横から抜いていくわ、反対車線から抜くわ、後ろからバスにクラクション鳴らされまくりだわ、まず声を上げずに乗る事は無理だと思います。

どんなジェットコースターも怖くないと言われる方は一度乗って見られたら良いと思います。
これは怖い筈ですよ。だって、レールは無いわけですから、しかも色んな角度から色んな物がこっちに向かってくるわけですから。。スリリングです。

そんな中、インド人の人懐っこさを表わしているかのように、前の方に乗っていた女の子がずっとこちらを見て微笑んでました。



これなんかもズームで撮ろうとしていると、振り落とされそうになるので、これでも良く撮れた方なんですよ。

もの凄い街の喧騒とこの女の子の可愛い微笑みのギャップがよかったです。。

2006年11月7日火曜日

インド日記①

今回は会議などは外して、毎日分というよりは雑感として書いていこうと思います。

10月29日に関空を出発し、シンガポール航空でまずシンガポールへ約7時間、そこで
約2時間のトランジットがありました。
シンガポールの空港はとても大きく、免税店もたくさんあったのですが、それも見ず、この間をぬって、ラウンジで今度今月の古都技にご登場頂く、パゴンの亀田さん
に、UPする内容をみてもらいチェックをしてもらってました。

てな事で今月UPの古都技は、友禅をアロハにして大成功を収めてられている、和と洋をうまくミックスされたパゴンの話を、古都技に載せるのに、シンガポール航空のラウンジで校正を受けていたというグローバルなものです。
そんな思いで見て下さいね!

で、シンガポールから約6時間弱かかってデリーへ到着したのが、現地時間の23時過ぎ
(日本時間では26時半)、ホテルに入ったのは、自宅を出て、丁度21時間後といういきなりの長旅でした。

翌日、スズキの工場に向かうバスの中でいきなり出くわしたのが、予告編でUPした
へび遣いの光景です。
うまい具合に、車が止まる所でやっていて、皆が写真を撮ったのを見て、きっちり、
”マニー”と請求していました。

これについては、きっちり”仕事”しているわけだし、皆写真撮って楽しんだわけですから、ガイドがチップを払っていました。

こんな感じでインドの旅はスタートしました。

2006年11月5日日曜日

帰国しております!

昨日インドより無事帰国しました。
という事で本の出版記念パーティーにも参加する事ができなかったのですが、なかなか面白かったようですね?

流石につかれていたのか今日は多分数年ぶりに10時間以上寝てました。
公式行事で回った部分は京都流ではあまり関係ないと思いますので、省略しますが、
今日はまじめにやっているという所の写真だけ入れておきますね。

インドで一番大きい日本企業であるスズキ自動車の工場視察に行った所です。
ヘルメット姿イケてます??



デリーの商工会議所との意見交換会風景



私もしっかり参加していました。



皆さんがご興味ある風景は明日以降ボチボチと・・