昨日ウエダ本社でも賞与支給がありました。
業績が芳しくないので、社長としては偉そうに言える話ではありません。
しかしそれでも今回、殆どの社員が御礼メールをくれました。
京都流議定書イベントの際、バグジーの久保さんが、”うちの社員は、毎月の給料や賞与が支給された際、全員、社長に御礼を言います”というお話をされていて、皆、それを聞いていたからだと思います。
久保さんも当然、”自分に御礼を言え”という馬鹿な話ではなく、社員の教育、しつけの為に、あえて言われているのです。
まずは、会社に行っていれば給料、ボーナスは当たり前の様に貰えるという仕事感を払拭させるという事があると思います。
又、今給料が貰えるという事はどういう事なのか?、その状況が作られ、守られているという事に感謝できる人を育てるという意味も
あると思います。
何故それが必要か?
給料、ボーナスが払われるのが当たり前と思っていると、それがベースで、足らない事、無い事が全て不満となり、”うちの会社は、~がない、あんな事、こんな事をやってくれない、~がないからできない”という他者批判、他人依存、自己逃避となり、その循環の人は、マイナスのスパイラルに陥っていくか、良くても、”趣味に生きる”という、仕事はそこそこで休みだけを楽しみにしているという生き方になるのです。
又、あれが悪い、誰が悪い、と言ったり、思っている人に、良い循環が生まれる確立は圧倒的に低くなると思います。
という様な思い、教えがあるので、そんな言いづらい事まで言われているのだと思います。
私もよくあるのですが、社長には、こう対処すべきという際、当然それは、社員の立場として、こんな事に思いがいかないと駄目だとか、
こんな社員、人間に育って欲しいという事なのですが、社長である私にこんな風にしなさいと自分で言っている様に聞こえるので、なかなか言いづらいのです。
しかし、言いづらいからと言って言わないのは、社員の為にならないので、久保さんなどは、そんな事も臆せず、社員にとって必要な事であれば、ハッキリ言っていかれるのだと思います。
そんな話を聞いて、それをやろうと思ったうちの社員達は、仮に真似から入った事だとしても、良い循環の第一歩だと思いますし、そんな事ができる、他責にせず、自責で考えられる社員達ばかりになると、会社なんて絶対良くなると思いますし、実は、自分達が良い
待遇を受ける為にも、最も確実な方法だと思います。
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