2011年12月30日金曜日

2011年総括と決意に代えて

もうこれで、今年の仕事?は終了致します。

平日は、ほぼ毎日書いていたこのブログも、イベント終ったあたりから、UPを減らさせて頂き、ちょっとした事はフェイスブックに上げ、ブログ、社内掲示板、を使い分ける様にしました。

その理由は、想いを発信していく目的は色々あるのですが、それを少しでもそれぞれの対象の人に伝えたいという事と、もう一つは、現場で走り回らないといけない状態となり、ブログをゆっくり纏めて書くという時間が取れなくなったという事でした。

後者の理由に関連して、業績は最悪であり、一時期の明るい雰囲気は後退し、理由は様々ですが、退職者も数名出て、それが又、よりバタバタする状況に繋がり、より雰囲気も落ち込むという状況となっていました。

しかしこれら全て、目指している方向への段階であり、私自身は、後退しているという意識は全くなく、むしろしっかり向かって行っている証拠だと思っていました。

昨年の、三度目の京都流議定書辺りから、”凄く楽しそうな良い会社”と言われる事が増え、見かけは確かにその通りでしたが、あくまでそれは表面上であり、ベースは全くできていませんでした。

表面上だけでもそう見える会社というのも、簡単にはできません。
しかし、それだけでは継続的な良い会社にはなれるわけがなく、その為には、一旦、どうしても落ち込む時期や問題が頻発する時期を経験しないといけないのです。

実際やっている人は、表面上だけでも穏やかに過ごせる方が良いでしょうから、一旦落ちるという事は、動揺もしていたと思います。

しかし、ここを通らないと、ウエダ本社が目指している会社などできるわけがないし、そもそもウエダ本社の存在価値など作り得ないのです。

そういう私も、計算づくと言いつつも、正直、キツイ面もありましたが、漸く、年末あたりで、光が見え出して来た様に感じます。

表面的に盛り上がった時期、課題噴出して精神的にも落ち込んだ時期を経て、漸く、地に足着いて、”良い会社”に進み出した、までいかなくても、進み出そうとしている感じになったと思います。

数字は、以前の姿であり、まだ厳しい状況は続くでしょう。

ただ、ここからは確実に反転していくと思います。

我々の目指す、”良い会社”の定義は、共有化できたと思いますし、来年は、本物の”良い会社”へ向けて、歩みを進めて行きたいと思います。

今年の総括と決意に代えて。

今年一年お疲れ様でした。 そして、ウエダ本社や私に関わって頂いた皆様、有難うございました!

2011年12月24日土曜日

継続できたクリスマス、何も無いクリスマス

昨日FBに入れていましたが、クリスマスプレゼントの手配を忘れていたある施設に、何とかプレゼントを持って行く事ができました。

ここは、稲盛さんが自費で建てられた、虐待を受ける児童の養護施設ですが、出来て8年目、最初の年から、クリスマスプレゼントを送っていたのですが、これがうっかりしていて昨夜に思い出し、今年は間に合わないかと焦りました。

と言うのも、年代はバラバラ、状況もバラバラの子供達がたくさんいるので、通常の物では選定が難しいという事と、又、支援者などから物を貰えたりする事は、子供達にとって、甘えになってもいけないという施設長の考えもあり、皆で使える物、施設で使ってもらえる物で、子供達にも喜んでもらえる物を考えないといけないので、なかなか難しいのです。


考えた挙げ句、先日、月食もあったし、あれが切欠で興味を持つ子も居るかも?と天体望遠鏡を思いつき、買って届けに行きました。

スタッフの方に渡して帰ろうとしたのですが、名前を言うと、初めて会う方なのに、情報共有されているのか、知って頂いていた様で、リーダーの方を呼びに行って頂きました。

”今年は中学三年の子が多く、今受験でスタッフもピリピリしてます”と言われていました。

多分スタッフの方は一生懸命、何とか皆が独り立ちできる様に、しっかり大学までは行ける様にと考えられているのだと思います。

年に一度しか行かない者がとても偉そうに言える権利はないですが、でもそんな辛い経験をして来た子らには、私個人的には、何とか生きてるだけで、そのままで素晴らしいと思ってくれたらなという思いが有り、またまた沖縄教育出版さんの話をさせて頂きました。

I'm OK, You are OK, We are OK. 皆、そのままで素晴らしい。

沖縄教育出版さんのベースの精神で、障害を持った方もイキイキと信じられない働きをされる由縁です。

私が居る間にも、施設に預けられている子のお母さんが面会(一緒に暮らすと虐待をするので、普段は離れて生活させ、徐々に距離を縮めていくのです)に来ていましたが、やはり普通の親子の感じとは違っていて、横に居ても、心苦しい感じになりました。


皆それぞれ、子供との関係、親との関係など家庭内で問題は多かれ少なかれ持っていると思います。

クリスマス、何の予定も無いとか、ボヤいていませんか?

何もなく、過ごせているなんて素晴らしい事ですよ!

最後のフレーズだけは、何処へも連れて行かない、うちの家族へのメッセージです(笑)

2011年12月21日水曜日

ちょっと染みました。

今日は、盛和塾塾長例会忘年会が東京で開かれました。

先週京都で西日本版が行なわれたのですが、私は、別会合で行けず、同じバージョンの東日本版に出席して来ました。

稲盛塾長の話も、実は、同じ話を何度も聞いています。
しかし、面白い事に、同じ話しでも、その時の自分の状況や感情などで、全く捉え方が違うのです。

今日聞いた話も以前聞いた事はありました。

しかし、今日は、何故か、全く違って、染入って来ました。

経営者の必要な三つの心得というお話で、それは①謙虚にして驕らず ②思念は業をつくる(思いは必ず実現する) ③宇宙の働く二つの力を得る というものでした。

ここではとても書ききれるものではありませんが、その中でも一番納得した話のみ紹介し、そして自分の戒めとしたいと思います。

それは謙虚にして驕らずという事ですが、これには成功したのは、自分に才能があるからだと過信してしまうからそれを戒めよという意味よりも、今回の気づきは、自分に才能がある、その才能は自分のものである、と思う事が傲慢であるのであって、そうではなく、その才能は、天から与えられたもので、自分のものではないという意味だったのです。

自分のものではないから、その才能を自分が凄いなどと驕らずに、皆の為に使いなさいという事なのです。

自分が生まれて来たのは、今の容姿で、今の国で、或いは人間で、生まれて来ようと誰か決めた人はありますか?

誰一人、自分で決めた人は居ない、という事は、この今の自分で生まれて来たのは、与えられたものであって、山、川、草、木、森羅万象 全ては同じ物であって、たまたま自分は、人として、今の姿、才能を持って生まれて来たのであって、それは貴方自身、私自身のものではないとの事なのです。

稲盛和夫は、ファインセラミックスの技術を開発する能力を与えられたのであって、それは稲盛和夫個人のものではなく、だから、その技術や才能を世の為に使わなくてはいけない、そこで驕ることなく、その才能を持っているのが偉いのではなく、ただ単に役割が違うだけなのだというお話でした。

思えば、私が自分の価値観を意識した最初は、小学二年生の時、先生が言っておられた、”大臣も社長も偉いのではなく、それは役割の違いだけで、人は皆平等なんです”という事でしたが、今日はそれが森羅万象、全て同じという話で、与えられた役割、その役割が違うだけというお話に、再び衝撃を受けました。

今まで、自分のサラリーマン時代や、独立創業した際、倒産の危機を逃れた経験など、その他にも同世代の社長でもしていない様な色々な経験をして来ただけに、それらからの学び、体感から得たものを、何とか社員達に伝えたい、これさえ分かれば、良くなるのに・・その思いが強くありました。

しかしある意味、自分のやって来た事、やって来れた事は、才能と捉えて、それを自分の物にするのではなく、少なくともまず、社員を幸福にする事に費やすのだという発想に、徹してみようと思いました。

自分の才能というと偉そうに聞こえますが、決してそうではなく、誰にも才能はあるのです。

それこそ、役割が違うだけで、私は、新規事業立ち上げや、赤字の立て直しなどのマネジメントにその才能を発揮するという役割であり、社員の幸福を追求を実現していく事がやるべき事なのです。

今も宿題を出していることもありますが、皆も再度、自分の才能、それをそれぞれの役割に充てて全うしていく、他の社員や、パートナー、お客様、地域社会に役に立てるにはどうすべきか?それを考えて欲しいと思いますし、皆でシンプルにそれを追いかけて行きたいと思いました。

2011年12月15日木曜日

ルナシアさんの躾に学ぶ

先日、エステで素晴らしい経営をされているルナシアの取材を受けました。

ルナシアタイムズというお客様向けに出されている誌面に、何と、男性として初めて登場させて頂くのです。

それは、又、発行された際に、紹介させて頂きますが、そのルナシアさんを経営する吉野さんから以前聞いた事で、大変感心した事がありました。

それは、入社当時からスタッフには、注意されたり、怒られたりした時には、お礼を言いなさいと指導しているという事でした。

この事を教えるという事は凄く大切な事だと思います。

私は以前から不思議に思っている事があります。

殆どの日本のサラリーマンは、怒られたり、注意されたりする事を嫌がりますが、よくよく考えると、これは大変おかしいと思うのです。

学生時代のクラブ活動や、その後の趣味などでも、その事に興味のない人からすると、何故そんな、しんどい事するの?と思うようなトレーニングを行ったりしています。
しかも、特に学生時代などでは、その練習が何に繋がるかも分からないのに、鍛錬を繰り返しているのです。

ところが特にサラリーマンは、仕事でどれだけそんな練習、鍛錬をしているのか?と言われれば、あまりしていないと思います。

その中で怒られる事、注意される事は、仕事を上達させる上、同じ失敗を起こさない様にする為、又もっと重要な事は自分自身が成長する為に必要なことなのです。

しかも、仕事は趣味やクラブ活動とは違って、その事でお金を貰い、生活、人生をかけているのです。

それなのに、注意されたり、怒られたりする事を避けたり、逃げたりするという事、つまりは自分の成長から逃げる事って変だと思いませんか?

この構図が分かれば、本当は”注意して頂いて有難うございます”なんですが、それを躾けされている吉野社長と、それを素直に実践されているルナシアのスタッフの方々は、本当に素晴らしいと思います。

2011年12月13日火曜日

お知らせブログ

今日はお知らせです。

と言ってもご存知の方も多いのですが、最近ブログを少なくして、ちょっとした想いなどはフェイスブックで上げる様にしています。

フェイスブックではブログの案内というか、誘導を行なっていましたが、フェイスブックをご覧になられていない方には、案内ができていませんでした。

あまり更新しない中でもブログを見て頂いている方があるので、気づいたのですが、コンスタントにご覧頂ける方は、ウエダ本社のフェイスブックページにイイね!を押して頂くか、私のフェイスブックで友達申請を頂ければと思います。

ただ、基本的には、お会いした事が無く、メッセージなどを入れて頂いていない方は、申請をお受けしていませんので、ブログ見ていた・・など、メッセージは入れて頂けます様お願い致します。

ブログとフェイスブックを使い分けて、何らかの発信は毎日続けていきますので、今後ともお付き合い下さい。

2011年12月11日日曜日

縁と想いの大切さ

フェイスブックでも書いていましたが、昨日、法然院で尾角光美さんが、Pray for Tibet というイベントを行なっていました。

チベットでは自殺をすると、15代に渡って地獄に行くと伝えられている為、自殺する人など有り得ないという中で、僧侶が焼身自殺を謀っているという背景にあるチベット問題について、1ヶ月前、ダライラマ法王に会った事で深く知り、その問題意識から、このイベントを企画したそうです。

その彼女の行動力には、頭が下るばかりですが、この事から、強い想いや縁というものは凄いものだと、しみじみ思うのです。

実は、私がある人に紹介した事から、なんと私から数えてたった四人を経て、ダライラマ法王にまでたどり着いてしまったのです。

私などは大した役割ではなく、私が紹介した人が凄い方で、その方が、次々に凄い方に紹介された為、たった四人で法王にたどり着く事に至るのですが、それでも凄いと思いませんか?

強い想いと、素晴らしい人間性が伴うと、たった四人を介しただけで、ダライラマ法王にたどり着くという事実、そういう可能性を、我々もよーく考えるべきだと思います。

我々誰でもが、実は大きな可能性を秘めているという事なのです。

ダライラマ法王までとはいかないかも知れませんが、たった四人で凄い人に出会える、たどり着けるという事、何も特別な環境に恵まれなくとも、一生懸命、自分の思う事、世の中に対して必要であると思う事を粘り強く行なっていく事で、全然違うステージに出れる様になるのです。

殆どの人が生まれた環境や、持っている才能などで、成功する人は、ごく一部で自分には関係ないと思っている様に思います。

縁を大切にし、想いを持って日々自分を磨いていくと、誰にでも大きな可能性があるのだと思います。

かく言う私も、全然想いと、努力が足らないと思いますし、今後もより一層努力したいと思います。

2011年12月7日水曜日

今の風潮でいいのかな?

先日、FBでの躾けも必要という事を書いて、結構反響がありましたが、同じ事で、仕事上や、組織上でもどんどんフラット化が進み、垣根が無くなっていっています。

又、組織の風通しが言われ、話しやすい環境、それを作り出すのは上司の責任、傾聴し、本音を引き出し、上司(社長)は、ぐっと堪えて待つ、それが求められます。

我々の時代・・などと思うと、歳だという話になってしまいますが、こちらが正論でも反論の余地無しという事が多々ありましたし、結果(成果)も出せていない中、正論を言っても、負け犬の遠吠えで、言い訳にしか取られず、言った方が惨めな思いをしました。

上司やましてや社長など(と言っても、そこそこの規模の会社では社長と話する事や会う事、見る事すら無い)は、こちらが言ったある一言や、一面だけで、誤解も誤解、全く間違った解釈で、トンでもないレッテルを貼られたりしました。

何も、その時代、そんな上下関係が正しいと言っているのではないのですが、少なくとも、独立や、厳しい状況を経験してきた私からすれば、あの様な(教育であったのかは疑問ですが)経験ができて良かった、と心底思っています。

自分が正しい事を示す為に、言う事を聞いてもらう為に、ただ結果を出すしかなかった、という経験、それでも誤解を受け、悔しい思いをたくさんして、それでもそれ以上に又結果を出すしか、方法は無かったという経験が、何ものにも変えられない資産となっているのです。

フラット化や、上下関係の無い風通しの良い組織、物わかりの良い上司、それを当たり前の様に思っている風潮を感じてなりません。


"上司が分かってくれない" "聞く耳を持ってくれない"

私からすれば至って当たり前です。

何も今の自分の立場を擁護しているのではありません。

自分がサラリーマン時代に経験し、どうすれば好転するかを体感した事から言っているのです。

ある意味、甘やかし過ぎではないか?と思います。

仕事というのはお金を貰っている側であり、プロなのですから、そう考えると、職場に蔓延する、そんな感覚って、おかしいと思いませんか?


練習もろくにできない、設備も無い、市民ランナーがオリンピック候補になろうかとしていますが、陸連なり、強化選手は何をしているんだ!と思っていないでしょうか?

そう思うあなたは、お金を貰っている仕事や職場で、~が足らない、~をしてくれない、だからできない、と言っていないでしょうか?

2011年12月1日木曜日

11'12月ウエダ本社社報

《100周年を誇れる会社として迎える為に》

早いものでもう今年も最終の月になりました。

ビジネスにおいては、時間が重要で、いくら良い事を一生懸命行なっても、時間内にできなければそれは“仕事”ではない、とよく言っていますが、そういう意味では、我々はまだまだ“仕事”ができていません。

一生懸命やっている“つもり”、対策を考えている“つもり”なだけで、バタバタしながら、漫然と時間が過ぎていくという事を繰り返しています。

 ここから脱却する為には、やはり、遠くをはかる、理想や夢から考える、或いは逆にシンプルに、そもそも何をしたかったのか?どうあるべきなのか?を考える事、それを腹に据える事を徹底しないといけないと思います。

そういう私自身が、この数年は、未来図や、そもそもウエダ本社がどうあるべきなのか?について、しっかり考えられていなかったと思いますし、今ある厳しい状況は、私自身の思いが足らなかった事が原因だと反省しています。

来年は創業して75年目を迎えますが、再度、創業100周年には、ウエダ本社という会社は、どうありたいのか?どの様な状況を目指すのか?を考えてみたいと思います。

ここに来た際から言っている通り、ウエダ本社は、私や私の身内の会社ではありません。

皆の人生、皆の生活が掛かった場であり、皆や皆のご家族の方々も、誇りを持ってもらえる会社、周りから賞賛され、尊敬される様な素晴らしい会社に作り上げていかなくてはなりません。

私自身も100周年の際に居るのかは分かりませんし、その時点で居ない人も多いでしょう。


しかし、自分が居た会社に、家族や親戚、或いは知人が入り、繁栄していっている会社であって欲しいと思いませんか?

自分達の親族や知人が、誇りを持って安心して働ける会社を作りませんか?

100周年に向けて、日本人の仕事観や、職場環境を変革し、人々がイキイキと働く良い会社を広げていくこと、そんな、本業を通して日本を良くしていく事ができる、素晴らしい場であり、会社にしたいと思いますし、その思いから再度、下期、そして来年を考えていきたいと思います。