2010年9月16日木曜日

教育ビジネスの功?罪?

今日は大阪で開かれていたニューエデュケーションフェアを覗いてきました。

教育に関しての専門イベントで、地道に根付いて来て今年も大盛況の様子でした。
教育についてもデジタル化が凄まじく、デジタル教科書など情報が溢れかえっているという様相でした。

この状況に反して、私はここ最近、教育ビジネスにおいて、ちょっと違和感を感じています。

確かに、今のICTや、デジタルコンテンツは必要な流れで、教育の質を変えるという点においては、疑う余地はありません。

ただ何か、デジタル、ICT化に流れていく中で、教育の精神というものが置き去りにされた感、もっと言うとそういう事無しにビジネス競争のみに進んでいっている面を感じてしまうのです。

確かに今の子供には慣れしたんだツールを駆使し、進んだ手法で学んでいく事は素晴らしいとは思うのですが、何か手法ばかりが進んでいって、本来の教育にあるべき、人を育てる、育むという事がどうも制作側に感じられないのは,私が付いていけていないからでしょうか?

大阪からの電車で、先週パート2を先に読んでいた、”裸でも生きる”のパート1を読みながら帰りました。

アジア最貧国のバングラデシュの様子が描かれていますが、生きる為に生きるという表現がありますが、およそ考えられない劣悪な環境の中、彼らにはそこを離れるという選択肢がないという話があります。

それに対して日本では、小学校の教育ですら、最新のツールで、これでもか~という程のコンテンツが並び、選択する事が難しい程、情報が溢れかえっています。
そこまでツールを用意して、過保護すぎるくらい提供された中で育った子供達は、果たして自ら切り開いていったり、生きる力を養えていけるのでしょうか?

何となく私のモヤモヤ感はそんなところにある様に思います。

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