昨日は、以前にクレームを頂いたお客様の所に訪問しておりました。
最近、当社としての課題だと以前から考えて来た事が原因の問題が連発しています。
それは簡単に言ってしまうと感度の問題なのですが、その問題に対しての対策を色々取り組んでいるつもりではいるのですが、色々出てくると、結局は効果を生んでいないという事であり、どうしたものか?と悩みは深いです。
感度って、言ってできるものではないのですが、問題があった際に、元々は大した問題ではなかったものが、少しづつの掛け違いや、考えずに行っていた為に、大変な事になってしまうという事がよくあるのです。
私はよく、以下の話も社内で言います。
一つは日本語的表現が嫌いであるということと、性格の良い人がビジネス上とんでもない悪人になり、性格が悪い人?が、ビジネス上信頼を得る人になるという事です。
日本語的というのは、頑張ります!や努力します!できるだけ、などの表現ですが、日本の社会においては、何もやっていないのに、或いはやるつもりがないのに、これらの表現で文章を構成すると、さも" 頑張っている"様に感じますし、多くはできていない時に、それで通ってしまい、問題が隠されるのです。
その表現を用いて、あまりキツイ事を言えない、ハッキリNOと言えない人が話すとどうなるか?中身が無いのに、さもやっている文章になり、悪い事を言えないから、良い表現にしてしまうのです。
最も象徴的だったのは、前首相の米軍沖縄県外移設についての対応でした。
あれなどは、仕事上でも"できない"社員の典型の様な話でしたが、その後も、堂々と出てこられるというのは、余程感度に問題があると思います。
私はこれらの対策としても、質問に対して答えから先に言う事を練習する様に言っています。
或いは、英語的発想の仕方とでもいうか、S+Vの文型をベースに話するという事です。
" あなたはそれをやったのですか?"
の問いには、"はい、やりました。"か、"いいえ、やっていません。"が答えです。
その上で、なぜならば、〜だったから、などという
修飾する言葉を付けていくのです。
これが、日本の会話では、この型を使わない事や、何か、その言い方はキツく感じたりするので、余計な修飾語を一杯付けるのです。
そして、問題なのは、話し方だけなら良いのですが、こういう考え方になり、こういう考え方の人同士で話をしていると、何も問題が深堀されず、問題に気づかなかったり、或いはお互いがお互いにとって都合の良い解釈をしていて、分かった時には、相当両者の間には溝が出来ていて大きな問題となるのです。
それが、キツイ言い方をする事ができる、性格が悪い?人だと、 "それはできない"とか、"私はやる"とか、ハッキリ言うの
で、ビジネス上では結果、嘘をつく事がなく、ビジネス上では良い人となるのです。
うちの会社でも、良い人ばかりという根本的な問題は、当初から分かっていたので、以前は話し方なども注意していたのですが、それでは、皆が萎縮するだけなので、最近はずっと聞く様にしてきました。
しかし考えてみれば問題は変わらず、ただ言いやすくなって、問題が出やすくなっただけなのかもしれません。
早くもっと "悪い人"を増やさないと。と、同時にキツイ言葉を聞ける人を育てないと。
京セラフィロソフィーでは、"小善は大悪に似たり、大善は非情に似たり"という項目がありますが、本当にその人の事を思う深い思いは、表面上は非情な、大変冷たい、キツイものに似ているものなのです。
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