一昨日夜と昨日だけでしたが、初めて福島に行ってきました。
震災後という意味ではなく、生まれて初めての福島だったのですが、まず下り立った郡山駅周辺は、あまりにも普通の光景である事に驚きました。
福島にいる間、大人でマスクをしている人を一人も見ませんでしたし、ショッピングや外食などもこちらでの様子と全く変わらない光景でした。
しかも初日に会った面々は、何とか福島を再興しようとする素晴らしい志を持った人達ばかりで、想像していた被災地の光景とのギャップに面くらいました。
しかし実際深く話しをしてみると、やはり各家庭、各個人に凄まじいドラマがあるのです。
9歳のお子さんと人生や、生死についてトコトン話合い、そのお子さん自身の結論で、避難せず残る事を決断したが、5年後、10年後に、もしその子が癌にでもなれば、自分は一生悔やんでも悔やみきれないだろうと仰る方や、どこの家庭でも、夫婦
や、親子や、親戚で、震災、いや原発問題が無ければ、揉める必要もなかった身内が喧嘩ばかりしたり、いがみ合ってしまったりしたとの事でした。
一人もマスク姿を見なかったという大人たちの異常?な姿とは反対に、通学時には自治体から支給された放射能測定器を首から掛け、マスクをした子供達の姿に出会います。
ただ、これはとても子供達を守るという主旨とは思えるものではないのです。
自分達では数値が見れず、3ヶ月後に役所に届けると、基準値以下か以上かの結果だけが知らされるという、データー取りが目的?としか思えない様内容なのです。
そう、親達も疑いながらも、3ヶ月後で、数値自体を教えてもらえなくとも、子供達の為に何も分からないよりもマシだと、すがる思いで着けさせているのです。
一見どころか、どう見ても震災前と全く変わりのない光景でありながら、こんな状況が、いつまで続き、その先にどの様な事が待っているのか?分からない中で生活をされている姿は、岩手で見た、全て無くなったしまったという光景とは又違って、胸が締め付けられる思いがしました。
昨日は半田さんが車で、ガイガーカウンターを乗せ、福島市から飯館村まで案内してくれました。
ダッシュボードにカウンターを載せて走っているだけでも、数値が高まる所も多く、しかも原発への距離や、周りが小高く囲まれているか、開けているかなどが数値に影響するという規則性はなく、測っていないと、何処が高いのかは分かりません。
飯館村は原発から40キロ辺りに位置し、避難命令が出て立ち入り禁止となっている20キロ地区とは違って、住むべきではないという地区で、それは、危ないけれど保証はしませんという意味なのです。
そこは立ち入り禁止ではないだけに車は往来しているのですが、両側の店、会社、家はほぼ全部閉鎖されているという、異様な状況でした。
こんな状況に対して我々が何ができるのか?頭の整理がつきません。
又、岩手の時もそうでしたが、たかが一日か二日、しかも見に行くだけという様な事で良いのか?そんな思いもずっと持っていました。
しかし、やはり現地へ行ってみないと分からない事だらけでもあり、多くの人が、その現状を知ってくれているだけでも、現地の方にとっては大きな力添えになると思いますので、行ける人は少しでも現地へ行き、一人でも多くの人に伝えていく事、それだけでも大きな力になると思います。
"この時期によく福島に来てくれた " そう言って喜んで頂いた様子を見て、モヤモヤが取れた様な気がしました。
誰でもができる大きな貢献は、その人や、その場所に思いを寄せる事、寄り添う事なのだと思います。
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