2011年5月10日火曜日

行政マンから頂いたメール

ある京都の行政マンからメールを頂きました。

私のブログもいつもご覧頂いている様で、少しでも発信していかなくては、と思われてのメールではないのか?と思い、仮にそうでなかったとしても、やはり伝えていくべきと思い、内容抜粋の上、引用させて頂く事にしました。

役人的、公務員的、あまり積極的な仕事をしない時に、こういう表現を使ったりしますが、私は民間の半端な社長などより、とてつもなく熱い思いで素晴らしい仕事を行われている素晴らしい行政マンをたくさん知っています。

そんな熱い思いのこもったメール以下、抜粋いさせて頂き引用させて頂きます。y

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先日ようやく実施したボラバス派遣で陸前高田に行ってきたのですが、それ以後、現地に入るボランティアの数の減少や自衛隊の派遣規模縮小など被災をされておられる方々にとって、マイナスとしか思えない動きが実際に起こり、それがまたメディアを通じて流されています。

私たちが入った地域はやや内陸部の矢作という地域でした。

広い田んぼにがれきが多数流れ込んでいるのを、60名という人数スケールを生かして、一気に手作業でそれらを2日間にわたって撤去するというものでした。

その地域の自治会長さんが最後におっしゃってくださったのが「ここしばらく笑いというものを忘れていました。ですが、皆さんには笑いを届けていただいた。本当にありがとう。」そんな意味合いのことでした。

現地に入った時、あまりの惨状にそれまで和やかだったバスの中は静まり返り、「これをどうしらいいんだろう???」という思いに変わりました。

しかし、わずか2日間とはいえ、目に見えてきれいになっていく田んぼを見て、持ち主の方が「田んぼを耕す気になりました。とおっしゃったことが私自身、力の源となりました。

地域を再生・復興させるのは結局地域の方々です。

私たちはその手助けをさせていただくだけ。

その意味から、今回のボラバスの役割は十分果たせたと感じています。

ひとつひとつの力がうまく作用してセンターは立ち上がりました。

そのおかげで今回のボラバスが出せました。

これからまだまだ続くであろう支援活動ですが、今回と同じように、さまざまな人たちの思いをうまくつなぎながら活動していこうと思います。

こうやってメールを打っていても、涙が出そうになります。

私たちは、あなたたちのことを決して忘れない。また行くから。

帰るときに、私からはこう伝えました。
「毎月、京都からは東北のどこかにボラバスを出します。みなさんのところにまた来るかもしれないし、他のところかもしれません。でも必ずまたここにもきます。」

自治会長さんは、「立ち直ったら、うまいもんとうまい酒を用意しておきます。かならずここに来てください」とおっしゃい
ました。

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引用終わり〜


明日、二ヶ月を迎えます。

被災された方にとっては長い二ヶ月であったでしょうが、先が見えず、これからまだまだ長い戦いが続きます。

我々、被災していない人達が、もう何ヶ月か、と思う様になったら、或いはマスコミがそんなフレーズを使ったら、それは、風化し始めたという事だと思いますから、そんな感覚がでだした時から、より声高に注意を呼びかけ、本当の支援をしていかないといけないと思います。

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