2013年8月18日日曜日

無駄時間のススメ

今回、休暇ではありましたがNYに行って、刺激を受ける事もたくさんありました。

その中でもひょっとすると一番有効であった事は、無駄時間だったかもしれません。

今回、成田経由だったのですが、成田から片道12時間半の飛行機は、如何にも長いなあと思っていました。

以前から積んだままになっている本も数冊持って行ってましたが、結果的には、行き帰りで映画5本と、読書した切欠から、堰を切ったよう様に考えが出てきて、今後の展開などを考える、有意義な時間となりました。

考えてみれば、最近それこそ本を読む時間さえとれていないという状態を続けていたので、じっくり考える時間など全くとれていませんでした。

ただ、ここ最近の、時間に追われた感の中で"考えなきゃ"、と机に向かって考えていても、良い考えは出なかったと思います。
しかし今回は、無駄だなあと思う中、この際、映画も思い切りみてやろうと思って見ながら、その合間に本を読み出すと、ふと考えが出てきて、その後はノートに向かい、改めての今後の展望から、盆明け直ぐの自分自身のやるべき事まで明確になり、これが一番、休暇を取った中で、リフレッシュできた事となりました。

何でもそうですが、一見、無駄な事が、重要な要素となっていたり、効率ばかり追いかけていても、結果非効率になっていたりする事はよくあると思います。
正に、今の日本はそんな所で詰まっているのだと思いますし、オフィスにおいても、一見、無駄なスペースが、有効な"場"となり、価値を生む、そんな方向を目指している私自身が、無駄時間を持てていないというのは、逆行した話になっていました。

こんな話をすると必ず、"そうそう、だから無駄時間や遊びは必要なんだ"、と、自分を慰める人も出てきますが(笑)、あくまで、前提は普段詰め切った状態があるから無駄が効くのであって、その為には、やるべき事、必要な能力、機能を備えなければなりません。

そういう意味でも、分かってはいるのですが、うちの会社で何が足らないかも再度明確にする事ができましたし、どの様な状態が良い循環をもたらすのかも良く分かりました。

私自身が無駄時間を持つ事、つまり、現場にいない事、やっぱりこれが、一番うまくいく形でしょうね。

大きく頷くうちの社員や、会社や組織に勤める方も多いと思いますが、肝心なのは、その為にはどうする?です。





2013年8月14日水曜日

JFKで独り言

今、NYのJFK空港で、書いてます。

二日休ませてもらって、四泊六日で行っていました。

NYは二十年近く振りだったのですが、その街の変貌ぶりには驚きました。

何せ、街が綺麗で、全く、危険な感じがしないのですから、聞いてはいましたが体感すると驚きでした。

実際には、色々な策があったのでしょうが、そのベースとなっているのは、90年半ばに登場したジュリアーノ市長で、就任当時から、NYを安全な街にする!と宣言され、割れ窓理論を用いての、地下鉄などの落書き消しを徹底されました。

前回行ったのが、丁度その前であったので、その話を聞いた際、理屈は分かるけど、そんなの理想の話だと、私などでも思った程です。

ところが、できるもんですね。

本当に、落書き一つなく、子供も一人で放ったらかしでも大丈夫か?と思う程、全く危険な雰囲気がありませんでした。

やはり、無理だと思って諦めてしまう事、皆がやっているから自分もルールを乱してもいいのだ、とか、或いは、誰もやっていなから自分だけがやってもしょうがないとか、自分は関係ないとか、そんな人々の心理が、集団になっていくと、恐ろしくもなり、素晴らしくもなるのだと、目の当たりに感じた気がします。

又、安全な感じは好景気が人々の心理を穏やかにしている面もあるのかもしれません。

やっぱり、海外はイイですね。

狭い日本、小さい業界だけで考えていると、どうしても発想が貧困になるし、明るい方向に行かなくなりますが、やはり、うちメンバーや若い人達にも、海外に出て、発想を広げて欲しいと思います。

ちょっと年寄り臭くなりましたが、20年前には、年間の内、半分くらいは海外で過ごしたい!そんなライフスタイルを夢見て独立したのに、何か、小さい世界で閉じこもり、勝手にもがいている様にも感じました。

そういう意味では、リゾート地でゆったりという休暇ではありませんが、気持ち的には、リフレッシュという感じではないですが、少し転換できた様な気がします。

そんな事をつらつら書いている間に搭乗時刻なのですが、とりあえず40分遅れです。

これくらいは、しょうがないですかね。

2013年8月3日土曜日

コペルニクス的転回

決算期を変更しての第一期も今月で最終となりました。

約一年前、皆には底打ち宣言をしたとは言え、まだまだ3歩進んで、2、5歩下がるといった日々を送っています。

しかし今期は、うちの会社にとっては、大転換期となりました。

長年に渡り、いや、ウエダ本社に来た時から、自社が全国に向けて発信していく事、自社が頭に立ってプロジェクトをコーディネートする事、そして、企業とも単なる物売りではなく、パートナーとして継続的に取り組んでいく事を目指してきました。
それが漸く、いくつか目に見える形として手掛けられる様になったのです。

当社主導で全体の絵を描いた国立大学の新設案件、青山での大規模なシェアオフィスビルの全面施工管理、そして今朝日経新聞にも載っていた、関西で最大級となるリノベーション物件のプロデュース。
これらは計上される数字面でのプラスどころではなく、ウエダ本社にとっては、天地がひっくり返る程の、正にコペルニクス的転回なのです。

ここのポジションに持って来ないと、激減していく卸や下請けとしての付加価値や存在意義が、消え失せていくのは見えていました。

ここのポジションに立つ為に色々な活動も行なって来たと言っても過言ではありません。

この間の変化で、方向が違うと辞めて行く人も居ましたし、これからも有りますが、それは止むを得ない事だと思います。

しかし、でき得るならば、ずっと苦労して来てくれた旧体制からのメンバーも、最終的には羨ましがられる企業の社員、もしくは幹部、そして社長とまでなってもらいたいと思ってきました。

先日来、中途採用の面接を行なっています。
辞める人の補充もあるのですが、ここからは人員の補強も、少しは余裕の持てる様に、以前から居るメンバーとうまく連携してくれる様に、積極的に進めていきたいと思います。

これも昨日発表されていましたが、一昨年、昨年と続けてリニューアルした当社の南ビル、北ビルが合わせてノミネートされていた日経ニューオフィス賞では優秀賞とはいきませんでしたが、近畿ブロックでの特別賞として、リノベーション賞を頂きました。

来期は、ビルも組織もリノベーションする会社としていこうと思います。


2013年7月24日水曜日

今年最後?の京都流議定書

第6回目の京都流議定書も無事終了する事ができました。

参加して頂いた皆さん、そして、丸投げにも近い形でご出演頂いた皆様、本当にありがとうございました。

実は今回のイベントについては、かなり心配しておりました。

毎年、テーマとキャスティングを決めるところまで、色々な絡みの中で構成しているので、私一人で行なっているのですが、今年は最終的にFIXできるのが遅れた事、そして実際イベント準備と当日運営を行なう当社の社員が、かなり入れ替わっており、経験の少ない人が多かったからです。

このイベントは、勿論、日本の価値観を変えないと・・、その為には京都が、こう在らないと・・
そして、我々が意識を変えないと・・というところから始まっているのですが、周り(社員も含めて)から思われている程、CSRや、ボランティア的な事で行なっているものではありません。

今回御登壇頂いたアミタホールディングスの熊野会長のお言葉を借りれば、日本は人口減少で縮小していくのではなく、濃縮していかなくてはならないし、上質化していかなくてはなりません。
その課題と、我々の様なモノも技術もないディーラーが存在価値を示していけるポイントは合致しているのです。

つまり、数量を追いかけるから、安い方が良いし、大きい方が良いとなるのですが、数は縮小していく日本において、そして我々中小企業で、しかもディーラーという存在では、そこの意識を皆さんに変えて頂かないと生きていけないのです。

それを訴えていっているのであって、実は自社自身の為でもあるわけです。

我々はイベント屋でもなければ、見せかけのCSRで行なっているのではないので、数を目的とした集客は一貫して行なわず、あくまで営業行為の中で共感して頂ける方を見つけて行くという事に拘っているのですが、そこの腹落ち感がまだ社員にも無いところが最大の課題で、毎回、イベント自体は本当に素晴らしく見事に行なってくれるのに、何かお祭り的に本業とは別物になっていたのでした。

自社にとっての強みとして、京都流議定書を挙げる社員も多くなってきた割に、それをしっかり自分の大事なお客様、これから取り組んでいきたいお客様に伝えているのか?と言えば、全く、そんな感じではなかったので、「この形(私一人で企画をする)で行なうのは今年で最後、来年から開催も含めて、自分達でどうするのか?を考えて今回のイベントに臨んで欲しい」、直前の四、五日前に、そう皆に言っていました。

その最後通告?も功をそうしてか、最後の二日ほどで集客にも本気になってくれた様にも思いますし、イベントが始まると、明らかに、人数、習熟度は昨年までより落ちている筈なのに、全く問題なく、当日起こる色々な事もその場で臨機応変に対応してくれました。

来場者の方からも数々の対応、雰囲気に関してのお褒めの言葉を頂きましたが、二年目からずっと関わってくれている嘉村氏が、「運営が肩に力が入らず、凄くスムーズにできてますね」と言ってくれたのですが、実はその通り私も感じていました。

そして何よりも、場とつながりラボという、"場"を考える専門家が、その様に感じてくれたのですから、大変嬉しい評価でした。

今年のテーマは、"人をつなぐ、人を生かす、地域、町、未来"でしたが、これも縮小する日本で、人を生かし、それを繋いでいけば、そのグループが力を発揮し、 そしてそれぞれの独自性が生かされていけば、それぞれの地域で生きていける、との想いからなのですが、今回のイベント運営で、当社自体もそれを正に体感した様に感じました。

本業とイベントを行なう意味の乖離について、今年初めて、少し現場に落ちた感じがありましたので、来年は、ちょっと違う形の、新たな京都流議定書にしていきたいと思います!

社員の皆さん、と、いう事です(^o^)




2013年7月14日日曜日

商いの原点

今週は、シスコシステムズの平井社長のお陰で有り難いことがありました。

経済同友会の例会で講演頂いたのですが、そのお話が素晴らしかったと、あるTOPの方から、お電話頂き、”あんな素晴らしい人を呼んで来る岡村君の感覚が鋭いね”と、人を例会で紹介しただけなのに、大変お褒め頂いたのです。 

お褒め頂ける事は勿論嬉しいのですが、実はその事よりも、私自身が、知って欲しいことや知って欲しい人を紹介しているので、それが思った様に気に入って頂けると大変嬉しいのです。
コーディネーター?冥利につきるというか、自分でも、何屋さんなのだろうと思う時もあります(笑)

今週、greenz.jp  http://greenz.jp/2013/07/12/imukino-ueda/という若者に人気のWEBマガジンに、インタビューをうまく纏めて頂いていたのを見て、考えてみれば、ずっとこんな事をやっていたのだと納得していました。

繊維業界で最大手に居ながら、その会社とは取引しないというアンチの会社への切り込み役を、一人で命じられていたり、独立して創業してからは、逆にたった一人の会社でありながら、総合商社に対して、”あなた方の知らない物を持ってきます”という事を売りに出入りしていたり、又、商社に出入りできるところを期待され、反対に、メーカーや販社の営業代行として動いていたり、考えてみれば、自分が良いと思う物を、そうは思っていない人に知ってもらう事、そしてその価値が見出されて陽の目を見る事が、ずっとやって来た事であり、好きな事だったのだと気づきました。
それが今は”人”に向いているだけで、この”人”素晴らしいと思った人が、他の層では全然知られていなかったりすると、何とか知って欲しい、特に、私自身が、素晴らしいと思う人や層が繋がって欲しい、それだけなのだと思います。 
この記事で書いてもらっている通り、これがそもそも、商いの原点であり、それを行なっていただけなのだと思います。

何でこんな事やっているの?そんな役ばかりやっていて、何になるの?どこで儲けるの?これらの質問を受けて、いつも答えに困るというか、何となく違和感を覚えていたのも、私自身は、決してボランティアや、仕事と別枠で考えているわけではなく、”商い”と一緒というのか、”商い”の一環で行なっている感じなのです。 

元々、ビジネスは物々交換から始まり、ある人から見れば全然価値の無い物を、価値があると思う人と、それぞれ交換していたわけですから、ひょっとすると、貨幣で考えると100円の物と100万円の物を交換した事だってあったかも知れません。 

貨幣というものができたから、100円と100万円を交換する事など有り得なくなって、そんな事をする人は馬鹿じゃないか、何故そんな損な事(役)をするのか?という感覚になるのです。 










自分が素晴らしいと思う人が、その人の事を知らない層で素晴らしいと認識してもらえれば嬉しいじゃないですか? 
自分が良いと思う商品が、それを知らなかったお客様で喜んでもらえれば嬉しいし、それができれば、自分は、商品を作る技術も無く、 大きな課題に立ち向かう能力が無くても、人の役に立てるのですから、そこに存在価値が生まれると思うのです。 
そして会社の場合、存在価値が生まれれば残っていけるわけですし、その存在価値を見出してくれる人が多ければ多い程、
会社は永続できるのだと思います。
 今週は、それこそ、こんな素晴らしい人をもっと知って欲しい、違う層に理解して欲しいという方々を集めた
京都流議定書があります。 
ウエダ本社の社員は、是非、その価値を自分のお客様に届ける、もしくは、お越し頂いて感じて頂くという事に全精力を
注いで、自社、そして自分自身の存在価値を高めて欲しいと思います。

2013年7月8日月曜日

日本を変革する夫婦誕生!

昨日はテラルネッサンスの鬼丸さんの披露宴に出席してきました。

色々な方が書いておられますので、まずは元リッツ日本支社長の高野さんのFBhttps://www.facebook.com/noboru.takano.31     では凄い出席者のお名前と、宴自体の様子は、
鬼澤さんのブログ http://ameblo.jp/onikko-nikki/entry-11567949079.html  をご覧下さい。
(楽をするな!と怒られそうですが、内容被ってしまうという事で・・笑)

今回改めて、一人の強い想いがここまでの力を生み出すのだという事と、それを通して大袈裟でも
なく、生きていく上で何が大事なのか?という事、人生って何だろう?という様な事まで
考えさせられました。

披露宴なのに出席者である私の方が、特に最近時間に忙殺されていたので、やっぱりそうか!と大
きな気付を与えてもらいました。

お父さんを早くに亡くし、長男である彼は、高校から親元を離れ、新聞配達や深夜のバイトをしな
がら、世界から紛争を無くしたいと、本で見ただけの岡田多母さんを訪ね、その岡田さん
が、着る物食べる物の世話まで続けて来られた事が、ここまで凄い方々が全国から集まる
存在となり、良い世の中を作っていく為の大きなうねりを起こしていく中心となるのです
から、人の縁、信頼が一番大事な物だと目の当たりにした気分でしたし、何かを行なって
いくのには、目的ではなく、使命から考えないといけないと再認識しました。

幾らお金や地位を持っていても、これだけの方々が、スケジュールを合わせて集まるなてあり得
ないし、もし、権力で集めたとしても、ホテルの人もあんな経験は無いと言われる様な、200人が
一つなる雰囲気は絶対に作り出せません。

物質的な富は常に変動しますし、その繋がりは、はかない淋しいものです。

又、自分達が楽しんでいるだけの繋がりも、折角この世に生まれて来た、もうこの瞬間瞬間は二度と
ない人生を歩んでいる人間として、まして、何でも手に入り、全て自分の意思で決めて
いけるという恵まれた日本に生まれている者としては、本望を果たしていないのではない
か?もっと大きな使命を果たすべきではないか?と思うのです。

そんな想いを持ちながらも、俗世間で過ごしていくと、つい忘れがちになるのですよね。

しかしそれにしても、これだけの実践者を集めながら、それぞれの方の活動を紹介しながら、見事に
がり示していかれた、大久保寛司さんのライブ感溢れるファシリテーターぶりには脱帽
でした。

こんなイベント見た事ない!と堪能していると、三時間近く経過してからのケーキ入刀で、これが
披露宴だっと思い出しました(笑)

鬼丸君、暢子さん、本当におめでとうございました。

初めて会った時から数ヶ月、ずっと、如何に貴女は自分と結婚すべきか?を説き続けて、目標を達成
した鬼丸君、こんな素晴らしい女性を口説き落として、思い込みは”奇跡”を起こす事証明
してくれました。

これも是非、今後の自分自身の活動の大きな糧として欲しいと思います。

暢子さん、昨日参加していた以外にも全国に大勢居る鬼丸君支援者は皆、よくぞ受けてくれた、と
大感謝していると思います。

"岡村さんにも是非会って欲しいんです"と素晴らしい方を何人か紹介してくれた暢子さんの強烈な
巻き込み、きっと鬼丸君、テラルネッサンスにも今後大きな力をもたらしていくと思います。

昨日はそんな、日本を変革する事になるかもしれない夫婦誕生の場に、位合わすことができた幸せな
一日した。

2013年6月29日土曜日

今年は、京都流議定書の”答え”です。

今年で6回目を迎える京都流議定書ですが、今年のテーマは、「人をつなぐ、人を生かす、地域、町、未来」として、今後の日本、少なくとも一部の大企業を除いての日本企業や、お金が幸せを計る指標ではないと考える日本人にとって、ここに答えがあるという構成となっています。

一般的には企業も、縮小する日本市場だけを相手にしていけば、落ちていくしかないので、逆に人口が増えるアジア、そしてアフリカに出て行くべきだ、グローバルに展開しないと、という考えがそれこそスタンダードの様に言われています。

果たしてそうでしょうか?

私は全くそうは思いません。

数を追いかけるビジネスは、産業革命から続いて来たモデルであり、大量生産で発展を遂げてきました。

インターネットが開放され、その後、マイクロソフトの囲い込み戦略から、リナックスなどオープンソース型のモデルとなり、SNSで知らぬ間にネットワークが張り巡らされるという時代になっています。

意図的に囲い込んだりするのではなく、最終図は予想できないが、面白そうな物や場を与えて、そこに人や情報が集まり、繋がる事が価値を生んでいく様になった時代に、足元や日本国内を見ていけば、生かされていないどころか、利用を考えた事もなかったというものや、数や効率のみを追いかけるモデルの中、置き去りにされた素晴らしいものが沢山あると思います。

中央一極集中して、それを割り振るというモデルは、大量生産時代にはそれこそ効率が良いのですが、数を追いかけず、それぞれの個性を生かしていく時代には、適応できるわけがありません。

東京のど真ん中で、東京が特殊であるのに、それが標準と思って、そこから分配していっても、間違いだらけになるのは、誰でも想像がつく筈です。

少子高齢化で人口減少するから、と言うけれど、日本の社会は、女性すら活用できていないのです。

高齢者って、単純に実年齢で考えますが、その経験や知識をこのまま埋没させていくのでしょうか?

健常者と障がい者という様な分け方をしていますが、そんな区別しかできないのでしょうか?
健常者と言われる人でおかしな人も沢山いますし、身体は健常なのに不満ばかりで惰性で生きている様な人と、身体には何らかの障がいがあっても、凄い能力を持っていて、一所懸命働き、生きている人と、どちらが健常なのだろう?と思います。

そんな事を考えても、やっていない事だらけで、やれる事だらけです。
そして日本や日本人本来の良さ、強みは、次から次と新品を買って消費していったり、その場所を食い尽くして、新たな領地を求めていくというスタイルでは無い筈なのです。

”Mottainai”精神が日本のベースであり、それは明らかに、次から次へのモデルではありません。

縦割りでそれぞれでやっているのではなく、横や斜めの繋がりを持つだけで価値は生まれたり、それぞれの地域が自分達の独自性を磨いて、それぞれの良さを生かしていく様になれば、四季折々、風光明媚な資産は、世界でも類の無い、そして賞賛されるべき価値だと思います。

少なくともこれからの日本は、中央(国)から分配されてやっていく時代ではありませんし、それでは持たない事は明白です。

人や、その場所の特徴を生かして繋がっていく事、各地域が独自性を持っていく事、これができれば、
日本は元気になっていきます。

価値観の変革を唱えて行なってきた京都流議定書も、言わばその答えを出しているのが第6回を迎える今年であり、今年の初日は、独自性を発揮する”地域”としての京都を考えていきます。
その中での企業とは何を指針とすべきか?その中での金融のあり方は?人の繋がり、こころの繋がり、そう考えていく中で宗教都市京都の大きな役割などを考えます。

二日目は、就労についてハンディを背負う人の積極採用を掲げるISFネット代表の渡邊社長の講に、
毎年行なって頂くブロックスさんのワールドカフェもテーマを合わせて頂き、”働く”事や、”人”を考えていきます。
又、一見関係なく見えるアフリカの問題も、先進国の利益、効率追求のしわ寄せから紛争問題が引き起こされており、人口増のアジア、アフリカを求めていくモデルの警告をテラルネッサンスさんの活動などから学び、三日目は、”女性力”として、活躍する女性起業家と山田知事のコラボの後、午後は、ソーシャルイノベーター、それを応援するサポーター達が集まって、未来へ向けてのダイアログを開催するという内容で綴っています。

是非是非、日本の大転換期を京都流議定書で感じて頂きたいと思います。

2013年6月23日日曜日

生命体としての考え

昨日もミラツクギャザリングというワークショップでスピーカーというのか、話題提供者として京都流議定書を行っている理由について話させてもらいました。

売上最大、効率追求、そんな評価だけではなく、目に見えないものを評価する価値観の重要性を唱えておりますが、言ってみればこれは反金融工学社会と言える様に思います。

お金、数字でしか考えられない人には、何故、ウエダ本社でこんなイベントを行なっているのか?を説明しても全く理解してもらえません。

何処で儲かるの?とか、お金にならないなら、何が目的?という話です。

そんな視点で人の動きを見てみると、よく見えてきます。

相手の立場で全然態度が違う人、要は、目先の商売のメリットなどがあれば擦り寄り、メリットがなければ、良い歳しながら挨拶すらしない?できない?社長さんも結構おられます。

又、自分の楽な事、楽しい事ばかりに明け暮れている経営者やリーダー達も、ある意味、損得的な感覚で行動するからそうなるのだと思います。
(本能の欲求のまま動いている人も居ますが・笑)

こちらのタイプの人は、他人の為に汗をかいたり、しんどい事を行なうなんて理解できな
いですから、やはり何が目的?となるのです。

先日、田坂広志さんは、機械論パラダイムは20世紀の考え方で、便利になった結果、全てを機械的に見てしまい、便利な物は我々の世界観を変えてしまった。
と、仰っていましたが、数値化してしまう事、感性ですら工学として見える化していく事が賢く、しかも便利だという感覚を見直していかなくてはならないと思います。

最適化は人間の持ちたがる幻想であり、デザインよりも現実の方が進んでしまうものだとも仰ってました。

企業も社会も市場の生命体だという考えは私も全面同意!で、生き物である市場をコントロールしようとした金融工学から、感性までをコントロールしようとする感性工学というものは、考えてみれば恐ろしい、尊大な話です。

企業も生命体であり、そうであれば、まずは存在する意義、価値が無いと、そもそも自然界では生きていけないのです。

自分が目先儲かる、メリットがある、という事より、面白くないかもしれないし、しんどいかも知れないけれど、自分の役割、使命を果たすこと、まずはそれが生命体としてのあるべき姿ですから、そんな発想からすれば、ウエダ本社が京都流議定書というイベントを行なうなんて、何も不思議な事なんてないでしょう?

でも、私の様な考えをする方が異端だとは分かっていますが(笑)

2013年6月16日日曜日

我利⇔利他

今週は東京で、未来をつくるデザイン展最終日セッションで、田坂広志さんの講演や、野村さんのフューチャーセッションに参加させて頂いた話や、ISFネットさんが青山で作られた、託児所付き、色々な支援メニューが満載されたシェアオフィス、匠ソホラの開所式への出席と、そこでの坂本光司先生や渡邊代表についての話、そして昨日、往復7時間かけて日帰りで行って来た伊那フォーラムの話と、
話題満載なのですが、逆に絞りきれず、心に残ったことや気づきは、合間をぬって、FBで入れていく様にしたいと思います。

昨日の伊那フォーラムは、塚越会長と、元世界銀行副総裁の西水美恵子さんがゲストとの事でしたので、そりゃ行かなきゃ!という事と、今年入った新人が行きたいと言ってくれたので、リーダー1名含む4人で参加して来ました。

昨年までは主催が分かれて二日に跨っていたのが、今年から一本化されたのは良かったのですが、参加者からすると、翌日の伊那食品さんでのセミナーが無くなったのがちょっと残念で、日帰り強行軍での参加でした。

愛知のある親しい方が、皆、同じ話をされる、しかも同じ事ばかり話されるのに、何故わざわざそれを聞きに全国から集まるのか?という様な事をFBで言っておられましたが、正にその通り!で、何故かわざわざ強行軍でも行くのですよね?

そして今回も又、同じ話、しかも、塚越会長でも西水さんでも、大事だと仰るポイントは同じである話を聞き、できていない自分、足らない自分を見つめなおすのです。

しかし同時に、話としては同じでも、直接触れる、その場の雰囲気を感じるという事は重要で、やはりその為には行かないと体験できないですね。

手段と目的を間違わない事、リーダーの本気、普遍的な幸せなどがキーワードですが、世の中、これらの逆方向に動いてきた事が、今の歪みを生んでいるのだと思います。

つまり、目的を見失って手段ばかりに追われている現状、そこにはリーダーの本気度の欠如もそれを助長する一因でもあり、皆が、自分の為の目先の利益ばかりを追い求め、又、その手段ばかりを講じるという悪循環に陥っているのだと思います。

塚越会長は、世の中を良くするにも、自分を良くするにも、利他しかなく、利他は普遍的で、究極の幸せなのだと仰っていました。

西水さんは、人類、世の中を変えていくのは、よそ者、若者、変わり者、だと仰っていました。

もう若者では行けない私は、何の為にこんな事やってるの?意味分からん、と言われる変わり者で行こうと思っています。

日帰りでしたので懇親会には出ず、厚かましくも鬼澤さんにチラシを渡して帰ってきたのですが、伊那フォーラムの集まりで、京都フォーラム(京都流議定書)の案内をして頂くという、これって一見、我利の様に見えますが、京都流議定書に参加して頂く方々同士が、より良くなれば、という利他心からでしたので、鬼澤さん、参加者の皆様、どうかご容赦下さい!そして7月の京都流議定書には是非ご参加下さい!

人間は、やはり、我利と利他を行きかうのでしょうね。。

2013年6月8日土曜日

大人な会社

先月卒業していった女性の代わりに、新たに事務が入りました。

この女性、ある老舗料亭で勤めていたのですが、最終面接で話を聞かせてもらった私自身が、大変勉強になりました。

老舗料亭ですから、徒弟制という料理の世界で、事務でも何も教えられない中、色々な事をやらなくてはならないという事、しかも、事務所や、事務などにはお金をかけないという、厳しい環境でありながら、その話が決して不満ではないのです。

それどころか、お客様のお出迎えなど、事務と関係ない仕事でも、やらなくてはならないという事や、自分の対応が悪いと、折角おいしい料理で満足してもらった事が台無しになってしまう、とか、何故、そんな風にできるの?という質問にも、お客様の為、お客様が喜ばれる事が嬉しい、などという意識を持っているのです。

多分、我々の会社の方が、経営品質など、社員満足、顧客満足、社会との調和などについても圧倒的に”勉強”していると思います。

ましてこの女性は、決して誇張する様なタイプではなく、事実を淡々と話すタイプだけに、余計に考えさえられました。

何故、決して環境が良いと言えない中で、不満にならないどころか、事務でありながら、お客様の事を考えて、向かって行く様になるのか?
それも教えられたり、マニュアルでもなく自主的に行うのか?と。

そこには、やはりブランド力、ロイヤリティー、誇りというものが強く作用しているのだと思います。

そしてもう一点は、高級店だけに、お客様が自ずとターゲッティングされていて、事務の人まで含めて皆が同じお客様に向いているのです。

これは強いですね。

我々の様なところは、この自社に誇りを持ってもらう事と、自社のお客様を明確にする事にずっと悪戦苦闘しているのですから。

やっぱり勉強だけ幾ら一所懸命やっても駄目だと思い知らされた気分でした。

やはり本質的な、誇りを持てる会社にする事、それを良いと思ってもらうお客様をしっかり作っていく事、それが普通に備わっている会社、そんな大人な会社がイイですね。





2013年6月1日土曜日

働いて美しくなる!

昨日、12年強勤めてくれた事務の女性が退職しました。

先日、皆での卒業式は行いましたが、最終日の昨日は、内務メンバーで送別会を行なっており、私も会合が終わってから参加しました。

最後の挨拶でも、彼女自身が、「ウエダベーシック10で色々勉強できた。これからの人生でもこれを思い出して糧としていきたい」と言ってくれた通り、ある意味、ウエダ本社での教えを忠実に吸収し、一番変化をしてくれた社員でもあり、それだけに、自分の人生に踏み出して行く事なので、会社としては痛いのですが、嬉しい”卒業”だったのです。

彼女は私がウエダ本社に関わって、まだ社長にもなっていなかった頃に入社した、私にとってはウエダ本社での最初の後輩でもありました。

本当に真面目な子でしたが、仕事はずっとやっていきたいと言っていたので、面談の度に、やりたい事は無いのか?話し合いました。
事務という職種は、一生続けていく事を考えると、色々と競争にもさらされて厳しいので、自分の在りたい姿からやりたい事を考えていくべきだと、話し合ってきたのです。

ある時から、秘書的な素養を身につけたいと勉強したり、「漸くやりたい事が見つかりました!」と、ある時からアートフラワーやガーデニングを勉強する様になり、ウエダ本社の今では広告塔的な位置づけともなる屋上緑化も、毎朝始業前に一人ででも手入れしてくれていました。

人格が磨かれれば女性は内面から美しくなるんだな、と感じさせてくれたのも彼女でした。

女性に限らず、考えてみれば当り前の話ですが、不満ばかりか、やる気なくダラーっとして仕事をしているのと、大変な中でも文句言わず、積極的に向かっていくのと、どちらが美しく格好いいでしょう?

それが恐ろしい事に仕事の場合、毎日、しかも起きている間の殆どの時間をその姿で過ごすのですから、元々の姿から、美しもなったり、醜くもなったりするのは当然の事ですが、意外とそんな風にはとらえられていないのは不思議な事だと思います。

そこの内面を磨こうともせずに、上辺ばかり化けようとしたり、エステに通ったりするのって、何か勿体無い気もします(笑)

働くという事は、そういう意味では、趣味や生活の糧となるお金ももらいながら、自分自身が成長し、その事によって自分が綺麗に、格好良くなっていく為の、そしてそうなれば、当然、自分の人生が豊かになるという、最強、最幸の手段なのです。

そしてウエダ本社では、この女性の様な社員を増やしていって、働いていて美しくなっていく職場環境と、仕事観を広めていきたいと思います。

イキイキとして格好よく働く、女性、男性を日本企業に溢れさせていきたものです。

皆、仕事観を変えて、美しくなりましょう!


2013年5月26日日曜日

海賊と禅問答のリーダーシップ

大変時間かかりながら、漸く、海賊と呼ばれた男を読み終わりました。

心が揺さぶられるという感じで小説を読んだのは、高校時代に竜馬がゆくを読んで以来かも知れません。

これだけの逆境につぐ逆境の中、一人でも、その人が人格を備え、それだけの想いを持ち続けると、これだけの事ができてしまうということは、仮にもリーダーとして取り組んでいる者としては、言い訳の余地はなくなりますね。

ウエダ本社ベーシック10には、”原因を他人に求めず、できない理由を言うのではなく、どうしたらできるかを常に考える人”という項目がありますが、私自身もできていない理由を見つけ、自ら限界を作っていたようにも思います。

しかし、この本で感心するのは、どの分野にも、自分の立場や利益ではなく、国の為、公の為にリスクを張れる、気骨のある人物がおられたのだという事であり、それらが繋がって今の我々の生活があるのであって、どこかでパーツが繋がっていなければ、全然違う世の中になっていたであろうという事です。

という事は一人の想いでも、又それに共鳴して動く人や繋ぐ人のそれぞれ”一人”が、国を変えたり、後世の人々に大きな影響を与える事になるのです。

それがワクワクするところで、再度、想いを強めて頑張らないと!と力むところですが、が、これが又悩むところでもあります。

実はこの本と共に何冊か並行して読んでいたのですが、そのうちの一冊が、元ソニーの天外さんが書かれた”教えないから人が育つ 横田英毅のリーダー学”という本。

こちらは、ワクワク感ではなく、フリーフォールで落ちる際の、一瞬”ウッ”となる様な感覚とでも言うか、内蔵が何とも言えない苦しさを感じます。

一部の人にしか分からないと思いますが(笑)、横田さんは、人は自分自身で気づいた
り、納得した事でしか心底動かないし、教えたり、指示するという事では、本来の成長
はしないという考えで、徹底的に内省するのを待つ、まるで禅問答の様な対応で、こちらも又、そこまでやるか?というレベルです。

一見全く違いますが、この二人のリーダーに共通するのは、マニュアルや手法ではなく、徹底的に”人”を見て、”人”に対する想いだけで展開されていると言っても過言ではない所です。

自分では精一杯やっているつもりという限界や、何故こうならない?というギャップなど、全部、頭で考えている事ですが、シンプルに’人”と向き合い、仲間と共生していく事、それを目的にしていきたいと感じました。

再度、「宇宙を想え、人愛せ」という社是を自分自身に擦り込んでいきたいと思います。

2013年5月19日日曜日

出井さん、やはり大経営者です。

今週は、副部会長を務めさせて頂いている京都経済同友会の例会に元ソニーの出井さんにお越し頂きました。

1995年、ソニーの社長に創業メンバー以外で初めて大抜擢され、第二創業として、日本の経営では馴染みがなかったカンパニー制などを打ち出していかれた出井さんは、その直前に独立創業していた私にとっては、とても斬新に見えました。

ご自分でもお仰ってましたが、ソニー内部でも出井さんについては賛否両論あるところです。

しかし、先日もお話を伺っていて、当時20万人から15万人に減らしたという話など、日本で、いや世界でも、何人がそんな立場の経験があるでしょう?

その立場にならないと絶対に分からない事だらけだと思います。

まして、あのスティーブジョブズまでが憧れ目指した様に、世間からは素晴らしいと思われている中、それでは立ち行かないと改革を行っていくというのは、半端な精神では持たないし、その立場になった人しか、分からないのです。

規模やレベルは当然比べるにも厚かましいですが、私がウエダ本社に来た際も、中身は倒産寸前なのに、世間からは良く思われている中、改革を進める大変さ、割りが合わず、やってられない!という心境を何度も経験しましたが、あれだけの組織で、周りから素晴らしく思われていた会社を変革しようとされた事自体ができる事ではありません。

"守成は創業より難し"です。

しかしそれが道半ばで達成できずに、その後バッシング的な話への対応も、出井さんは格好いいと思いますし、あの様なスマートさ、しなやかさを持ちたいと思いました。

今、ある首長が、ある発言への反論を繰り返していますが、発言自体の是非は別として、もしくは正論であったとしても、あの立場としてはどうなのか?と思います。

それこそ、あの立場にならないと分からないのかもしれませんが、公の立場や、それだけの想いがある人は、誰に何と思われ様と、誤解を受けようと、そんな事は関係なく、公益の為に進むだけで、周りの評価は意に関せず、歴史が自分をいずれ評価するという位の対応をしてもらいたいものです。

こんな事を間近で感じながら、社員にいくら伝わらなくても、言い訳しない様にしよう!と、決意している私は、世界が小さいですね。

2013年5月12日日曜日

ホンマ物の経営者

またまた堀場最高顧問のお話に感服しきりでした。

今週は、いつも勉強させて頂いているクオリアに、新たなメンバーが加わったので、”クオリア”についてのお考えを改めて聞かせ頂きました。

難しい話もホントに分かりやすく、いつも、一瞬にして皆を引き込まれる話術と、深い見識には、いつも感服させられます。

クオリアの日本語訳は質感という事だけれど、私の訳(感覚)では、”グッとくる”ことで、ただ単に感激とか美しいなどと言うのは”クオリア”ではない。

このグッとくる感覚をキャッチして、それをどう行動に移すか?それが重要である。

この面白い!と思った事を行動に移す受容体の遺伝子はアングロサクソンでは100人中50人持っているのに対して日本人では2人しか持っておらず、ここがベンチャーやイノベーションを興していかなくてはならない今後にとって致命的なポイントである。
しかし、高級動物ほど後天的な環境で変えられるので、50対2の差を近づけていく事ができる。

それだけにこの、グッとくるという”クオリア”が重要なのであって、皆も、自社の事業は勿論だが、それだけでは駄目で、世の為、地球の為、日本の為に”クオリア”という感覚を身に着け、そして行動して欲しい”そんなお話をされていました。

そして私が最も驚いたのは、80歳までは好きな事をやって来られて、いつ死んでも良いと思って
来られたそうですが、80歳を越えてから、まだまだ知らない事だらけだと思われてから、時間が惜しくてたまらなくなったとの事で、今でも貪欲に知らない事を正に探求しておられる事でした。

視力の低下というのは、見える見えないの低下ではなく、読んでいても理解できるスピードが落ちる事であり、まだまだ勉強したい岩波書店の全15巻の哲学書や、宇宙物理の全18巻を読んでいくには、全く時間が足らず、110歳くらいまで生かして欲しいと仰っていました。

ここ最近、実はこの視力について、全く同じ感覚を持っていて、読書に対しての集中力(スピード)の低下を私も感じていたのですが、今年89歳になられての知識欲、探究心、生命力を前に、私など全然ひよっこのなのに、衰え的な事を感じていた事に、情けないやら恥ずかしいやら、後頭部を殴られた気分でした。

私なりのクオリアの理解は、五感プラスαの感覚ともいうべきモノであり、これは京都流議定書で重要だと言っている価値観にも繋がっているモノです。

所謂、目に見えない価値であり、数値化できないモノです。

最高顧問曰く、本物とホンマ物は違う。

本物は正しい物であり、本物の反対は偽物である。

東京は本物志向であり、それに対して京都はホンマ物志向。

ホンマ物の反対は、モドキであり、故に本物とホンマ物は違う。

この差、この感覚、この価値がクオリアであり、これからの日本が最も重要視しないといけないモノだと思うのですが、堀場最高顧問は正に京都が生んだホンマ物の経営者だと思いますし、我々は、少しでもそのホンマ物を学び、継承していかなくてはならないと思います。

2013年5月6日月曜日

”海賊と呼ばれた男”が居た時代

今年に入ってからも、より時間が無くなっており、本を読む時間も取れていない状況でしたが、連休前に、せめて話題の本くらいはと、"海賊と呼ばれた男"を買い、今読みながら、色々な事を考えさせられています。

出光興産創業者の出光佐三氏の、壮絶としか言い様のない、生き様、使命感、などについては、読まれる方それぞれに感じる事があると思いますので、ここでは触れませんが、率直な感想として、何故もっとこんな素晴らしい企業の話が広く伝わっていないのか?という事と、こういう壮絶な”戦い”をして来られた人や企業などがあったから、現在の営みがあるのだと改めて感じました。

その頃の”戦い”とは、何も、戦争自体の話ではなく、日露戦争で世界の列強国に肩を並べ、第二次世界大戦で敗戦し復興を遂げていくという過程では、日本人全体がそれぞれの立場で戦っていたのだと思います。

戦後教育から、イデオロギーの問題などで、我々は近代史をしっかり教えられずに来ましたが、どういう思想であれ、その歴史、自分達のルーツを知る事は、そもそも今の自分達を肯定するにも必要だと思います。

戦争は悪いし、人を殺すなどあってはならない事ですが、その背景も知らずに、現在の様な、生きていく上においての苦労をしていない人達が、今の状況においての判断で、軽々しく当時の是非を言う事などできないと思います。

勿論、戦争を肯定しているのではありません。

色々な意味で、”戦い”を経験していない今の日本人が、これから大転換していく中で、色々な決断をしていけるのか?と、上っ面の論議を聞く度に不安を感じるのです。

堀場最高顧問が、人間が本当にパニックになるのは、今日から食べる物が無いという状況と、死にたくないのに殺されるという事しかないと仰られますが、生死を分けた判断を繰り返して来た人達の事を、平和で物が余った時代に生まれ育った我々が、その判断の是非を考えられる筈がないのです。

良いも悪いも、今、有るのは、その歴史が有ったからであり、イデオロギーが歴史を変えられるわけではないので、しっかりとその事実は伝えていかなくてはならないと思います。


ウエダ本社も、5月1日で75周年を迎えましたが、この本とも重なる時代を潜り抜けて、戦って来たから今を迎えられるのだと思いますし、そんな歴史が刻まれた組織は、決して我々だけのものではないので、やはり、先の時代に繋げていかなくてはならないと改めて感じました。

最後に、こんな素晴らしい精神で創業された企業が、それだけの評価をされているのか?については疑問のあるところであり、戦後の高度成長の中では、二番手、三番手であっても、極端に言えば、素晴らしい”精神”が無くとも、仕組み化がうまい方が、売上、利益を上げ、拡大し、賞賛されて来たのではないかと思います。

今後の日本においては、こんな歴史や、精神を持っている所を、もっともっと賞賛し、そんな企業が実際、好業績になるという社会を形成していく事、それがこれだけの歴史や背景を持ち、少子高齢化社会に向かっていく我々が、示すべき未来像なのではないでしょうか?


2013年4月29日月曜日

最年少と最年長?の理事

先週は京都経済同友会とNPO法人ミラツクの総会に出席しました。

一般社団法人に移行した経済同友会では常任幹事からの移行で、ミラツクではこの総会で新しく、それぞれ理事に就任しておりました。

こういう会合も時間は取られるのですが、大変勉強になりますし、逆にその様にしないといけないとも思います。

京都経済同友会では、まだ私が一番年少の理事でもあり、他は名だたる経営者ばかりですので、そこに名前を連ねているだけでも面映いのですが、会議などでの皆さんの発言を聞いているだけでも、企業としてそういう考えをされるのか?とか、そういうポイントを見ないといけないのかなど、大企業、有能な経営者の考え方に触れる、貴重な機会になっています。

一方のミラツクは、自分が"未来をつくる"という意志を持った人の集まりであり、こちらでは最年長に近い存在ですので、何故、その若い間から、そんな想いになって、そこまでするのか?と、一人一人背景や育った環境まで聞きたくなるくらい刺激を受ける若者に出会えます。

最年少と最年長の連日の総会を見て、やはりこれが、私の役割なのかなあとも思います。

ミラツク総会で聞く様々な問題も、結局は消費者であり、国民の意識が変わらないと解決に繋がらないという話にも出ていましたが、その通りだと思います。

NPOだけではダメでしょう。

企業をソーシャルに向かわせた方が早いかも知れません。

国、行政は、今までのお金の使い方、決定と執行の在り方を見直さないと話にはなりません。

消費行動で意思を示していく事のできる国民は、企業、商品、勿論政治家を選別していかなければなりません。

全ての問題は、国民が変わらないと根本的解決にはつながらないでしょう。

それだけに、NPOが、企業が、行政が、という話ではなく、それぞれの立場で活動していかなくてはならないですし、それらが混じり合っていかないといけないと思います。

その中で私は、最年少であり、最年長であるという立場で繋いでいきたいと思いますし、オフィスに関わるウエダ本社として、多くを占めるサラリーマンの国民としての意識を変えていきたいと思います。

その最初の壁は自社内ですが。

2013年4月21日日曜日

数十年後のビデオレター

4月20日付けで、ウエダ一筋に42年務めて頂いた元管理部長が退任されました。

またまたウエダにとって、精神的に大きな穴が開いた感じでもあり、淋しい限りです、

私が入る事となってから、貸し渋り、貸し剥がしと言われた頃の銀行との怒鳴り合いの交渉や、仕入先から、力づくでの現金支払いへの変更要求とそれに関しての出荷停止措置、又、それに絡んだグループ内での不明瞭な資金流出などなど、当時、四面楚歌状態で正に”戦って来た”経緯を、唯一知っておられる方でした。

正直、そんな苦境を乗り切っていく戦略を練ってもらえる、”切れ者”ではありませんでしたし、誠に失礼ながら、関わり上からも、一番怒った回数もある方でした。

しかし、内心は腹立たしかったと思いますが、一度も反論される事なく、ずっと堪えて頂いていた様に、正に”実直”という言葉がピッタリの、会社の事を誰よりも思って頂いていた方でしたので、定年も関係なく居て頂きたかったのですが、介護の問題もあり、定年を機に退職される事となったのでした。

先日、その方の送別会で、社員達がサプライズで用意してくれた、お嬢さんからのビデオレターには、
長年、苦しい事にも愚痴をこぼさず、家族の為に頑張ってくれたお父さんへの感謝が述べられていました。
それと共に、「社長の事を助けて欲しいと、千恵子(亡くなった私の母)さんに言われているから、自分にはその使命がある」と、ご家族に言っておられたとの話もされていました。

この話は私自身も、元部長から数ヶ月前に初めて聞かされたのですが、お嬢さんの感謝の言葉だけでも涙腺がやられてるのに、そんな事まで家族に話されて勤められて頂いていたと思うと、涙を拭いきれませんでした。

創業者の娘である私の母は、自分が小さい頃から手伝い、言わば青春も捧げて来たウエダを残したいという想いは誰よりも強かったと思います。
その会社こに”入らざるを得なくなった”私への協力を、自分では何もできないので、この方の実直さにかけていたのだと思います。

他の社員からすれば、”社長も涙もろくなったなあ”くらいの感覚だったかもしれませんが、インタビューを見ながら、色々な人の想いを感じると共に、業績が悪かったせいで、社員の人生や家族など、どれだけの人に歪みをもたらしていたのか?という申し訳ない気持ちと、そんな中でも毎朝早くから文句も言わず、出勤されていた事への感謝など、実は、感動だけではない、入り混じった心境だったのです。

やはり会社は、良い成績を上げないと誰の為にもなりません。

今、まだまだ結果が出ていないという事においては、やはり私の責任であり、その能力不足から、十分報いる事ができず、負担を強いている状況であるのですが、そんな中、ウエダ本社では結婚や、出産が続いています。

大変嬉しいオメデタイ話なのですが、その反面、大きな責任を感じます。

これから生まれて来る子供達が数十年後、今居る社員達も、このお嬢さんの様に、立派に成長されたお子さんから感謝を述べられたり、家族の方から、良い生活を送れたと言ってもらえる様な会社を築いていきたいと思います。

そして、数十年後にも、その子供達が、”お父さん(お母さん)、良い会社で勤められて良かったね”と言っているビデオレター(形は変わっているでしょうが)を、皆で見たいものです。


2013年4月14日日曜日

リヴオンの入社式と、寺ルネッサンス

尾角光美さんのリヴオンの入社式が、うちの会社で行なわれました。

初めての事であり、それらしくもしたいので、応援してくれる人にも集まってもらい、”働く”ってなんだろうを皆で考える、温かい会にしたいという事でした。

その最後に、贈るメッセージを頼まれていたのですが、この新入の女性も含めて、参加者の半数が僧侶という中での挨拶でしたので、社員や、家族にすら話していなかった様な、死生観を話させて頂きました。

私も含め多くの経営者は、関わりのある人に対して責任を負って経営していく中で、宗教観~哲学と、どんどん深い所に入っていって、漸くそんな心境になる所を、20代の若い僧侶達は、必然的に身につけているので、一般的な働き方を話しても意味無く思え、もっと深い所から話をしないとと思った事と、普段では、重く受け止められるので遠慮する所を、ここでは安心して?深い所から話させてもらったのです。

働くという事については、役割を果たす事、役に立つ事、生きる事である、という話が当たり前に出てきて、普段、社員や、多くのサラリーマンにも考えて欲しいポイントが、呼吸をするかの様に出てくる姿を見ると、やはり宗教観が備わっていれば、人の考えも的を外す事はあまり無い様に思いましたし、今の日本に足らないのは正にこの点だとも痛感しました。

働き方を考える為には、生き方を考えないといけないですし、”生きる”を考えるには、”死ぬ”という事から考えないと、その意味はなかなか出て来ないと思います。

つまり死生観がないと、働くというものも、しっかり捉えられないのです。

何故、勉強しないといけないのですか?

何故良い学校に行かなくてはならないのですか?

そもそも良い学校って何ですか?

良い会社ってどんな会社でしょう?

何の為に働くのでしょう?

何故、お金が必要なのでしょう?

楽してお金を儲けて、楽しく過ごしても死んだら何か残るのでしょうか?

そもそも必ず死ぬのに何の為に生きるのでしょう?

私の場合、実は、そんな所から全て考えているので、やっている事は、その時々の役割で変わっていますが、生き方、方向性は、ずっと変わっていない様に思います。

安心して思い切り話をすると、ある僧侶から、是非、僧侶達に話をしに来て下さいと言われました(笑)

僧侶の方も迷われているのでしょうが、混迷の時代、社会との繋がりを期待したいと思いますし、リヴオンの行なっている、お寺の復興”寺ルネッサンス”は今後の日本にとって、本当に重要なプロジェクトだと思います。

2013年4月6日土曜日

スタジオーLの働き方

先日もコミュニティーデザイナーの山崎亮さんとお話させて頂く機会がありました。

過疎地などの再生などのプロデュースで有名ですが、私が大変興味を持っていて、一度じっくり教えを乞いたいのは、山崎さん率いるスタジオLさんの仕組みと働き方です。

スタジオLさんでは全員が個人事業主であり、ある人が取ってきた仕事を一緒にやるメンバーを社内で公募し、報酬も自分達で決めるのです。
自分で取ってきた仕事を人選から経費まで全てを考え、残ったものが自分の取り分という考え方なので、どの様に経費を使うかから働き方まで自由で、全ては自己責任なのです。

しかもこの仕組みでは、プロジェクトを取って来れる人はそれでやっていけるのですが、取って来れない人は、自分のできる事を磨いていかないといけないですし、コミュニケーションが取れない人は、関わりが持てないので社内でも仕事が貰えないのです。

ですから自ずと、まだスキルがなく若い間は、何でもやります!という精神、素直に吸収していこうという精神がなければ、やっていけないのです。

実はこれ、働き方、仕事との関わり方において、私の理想とする仕組みで、そんな働き方の集団にしたいという想いを持っていたのですが、それを山崎さんは実践されているのす。
と同時に、山崎さんに憧れたり、今の話題性に興味を持っている特に若い人達には、注目されている格好いいところだけではなく、こういう厳しいところも知って欲しいですし、会社勤めの人も、仕事は文句を言ってやっているものではなく、自らが望んでやるものであり、それで食べていけるスキルや経験がなければ、何でもやります!という素直さがないとやっていけないという事を分かってもらいたいと思います。

そして働くという事は、当たり前ですが辛いものでも悪いものでもありません。

ワークライフバランスという言葉を間違って捉えた事が本質を歪めてしまったと思いますが、スタジオLさんの様に、どの様に、どんな経費や時間を使って行なうのかも自分で決めていくというのが本質であり、それでいけば、ワークかライフかどちらですか?でもなければ、時短が良くて、長時間働く事が悪というものではないのです。

多分スタジオLさんでは、長時間働く事が悪と思っている人はおられないと思いますし、スキルも経験も無い若い人は、むしろ望んで長時間働かれていると思います。

スキルも経験も無く、何でもお膳立てをしてもらい、それが無ければ不満を言っている様な人達が、時短や権利ばかり主張していって、その人達自身がこの先、しっかりやっていけるのでしょうか?

20代や30代は寝る間も惜しんで働くべきだと山崎さんは仰っていましたが、私も同感です。

権利や自由というものは、義務や責任を果たすから得られるものであり、ワークとライフをバランスさせるという様な分けた考えからは、人間らしさ、真の人間性を尊重した考えは生まれて来ないと思います。

嫌な事や苦しい事だから長時間は悪いのですが、やりたい事、自分を成長させる修行であれば、長時間は自分の為です。

「おもしろおかしく」 「イヤならやめろ」 最後はまたまた堀場さんの社是や著書ですが、やっぱりこれが本質です。

2013年4月1日月曜日

新入社員を迎えて思う、人材という資産

今日から、新入社員二名が仲間になってくれました。

元々は、一人の女性社員が産休に入るので、その間に契約かバイトで来てもらえる人を探そうとして、知り合いの先生にお願いしたのですが、うちの方向性を知って頂いている先生方から、価値観にも合いそうで、素晴らしいと紹介された人であったので、結果的にほぼ新卒正社員と同じ様な形で、入ってもらう事になった仲間です。

かなり上向いたとは言え、まだまだ厳しい攻防を続ける業績の中で、予定していなかった社員を、しかも一人の穴埋めに二名を入れるというのは、損益計算上は、間違った話なのだと思います。

人件費をコストと考える経営では、間違った経営者でしょう。

しかし、そもそも人にスポットを当て、人を生かす事でトータルのパフォーマンスを上げていくべきと考え、それを推し進めていく事を会社の存在意義とするウエダ本社では、その方向性、価値観に共鳴してくれる人、その実現を一緒に目指してくれる人が居れば、入ってもらうべきだと思い、今回の採用となったのです。

そして今日、そんな経緯と直前に決まった事から、時間の無いながら、皆からメッセージを集め、映像を作って形にしてくれた社員のお陰で、昨年までの入社式という形ではなかったですが、温かく迎え入れる事ができたと思います。

又、それに大きく貢献して頂いたのは、二人のご両親でした。

日にちが無い中、お手紙をお願いしたのですが、両家とも、お父さん、お母さんから、それぞれ素晴らしいメッセージを頂き、それが映像内で読み上げられていました。

そのお手紙にしたためられたメッセージは、全社員で共有し、教訓としても良い程、本当に素晴らしい内容で、その後に、私が話す事になっていたのですが、トンでもないと急遽取りやめた程でした。

こんなに素晴らしいご両親が大事に育てて来られた事を見て、入ってもらった事が正解だったと確信できました。

やはり人材は損益計算書で考えるのではなく、バランスシートの資産で考えるべきだと思います。

そして、そういう社員や、ステークホルダー達に集まってもらう為にも、自社の価値観を発信していく事、共鳴した人達に協力してもらえる事が、数値化できない大きな資産になるのだと改めて感じた日でした。