昨日は長野県の小布施で、完全なる有機農法で完全なる国産ワインに挑戦する小布施ワイナリーの曽我さんと、小布施の資産を見事に生かし、街づくりに成功されている市村町長のお話を聞きました。
まだ30歳代だと思いますが、本当に純国産で本物の有機栽培でのワイン作りに挑戦されている曽我さんのお話は、目から鱗の話ではありましたが、誠に本質を突いたお話でした。
本物の有機栽培の為には、化学品が含まれた肥料もやらない、糞を肥やしに使うと言ってもその家畜の餌が加工品であれば、それは有機ではないとの事で、痩せた土地で、自然のバクテリアなどが共生し絡み合って土壌を作り、その自然の力で育てていく事に拘りを持たれているのです。
農薬は当然使わないので、虫も一匹一匹殺していかなくてはならず、その作業は決して気持ちの良いものではないけれど、そんな殺生をしながら、それらの虫の命も頂きながら、育てた葡萄であるという事も分からなくてはいけないと仰っていました。
小布施町の街づくりのお話も、街の埋もれた資産を見出し、そこに光を当て、町民の力を引き出し、自分達の色々な力が絡み合って醸成されていく様な感じを受けました。
結局は一見全く違う話を聞いても、自治体であれ企業であれ、そして動物でも果物でも、そして土ですら、補助に頼ったり、肥料に頼ったりして、易きに流れた事は、そのもの自体の力を弱める事になり、最もやらなくてはならない事は、そのもの自体の力を強めていく事だと改めて感じました。
私も常々、何故か死生観が強く、何故この虫は生きているのか?という様な事から発想し、企業においても、この世に存在する限りは、その存在自体が、世の中の役に立たなければならないと考えていたりするのですが、その自然の摂理的な考えが、やはり正しいのだと腹に落ちた感がありました。
微生物が共生関係を生む土があれば、肥料などは要らないという話もありましたが、町であれ、組織であれ、人々が共生関係を生む土壌作りが重要なんですね。
良い土、良い葡萄を残すには、次の世代の為にという発想でかからないとできないとも仰っていましたが、人や組織を熟成させるにも、その位の覚悟を持って臨まないといけないのだと痛感しました。
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