私の両親も亡くなっており、会社とは以前から関係もしていない事、又何よりも105歳という大往生であり、身内と言っても殆ど残っておらず、私と兄家族と叔母(母の妹)だけでお見送りをさせて頂きましたので、会社関係の方にはご案内もせず、失礼させて頂きました。
(と言ってもこの頃は既に100歳でしたが)
私は、自分自身で何故死生観が強いのか?分からないのですが、ある時期からそういう考えが強くなっていった一因は、この長生きであった祖母の姿を見て、生きるってどういう事?その反対に死ぬってどういう事?と身近に考える様になった事にもあると思います。
病気であれば回復すれば、復帰もできますが、100歳を超えて施設に居るのって、何に希望を持って生きていくのか?と、死にたいという祖母に、どう言えば良いのか?いつも分かりませんでした。
施設に入っておられる80代後半の人の事を、”若い人は良いなあ、何でもできて。”こんな言葉も聞かされると、人生って長いんやな、と感じさせられました。
そう考えると、40代や50代でも、諦めている様な人も多い様に思いますが、まだこの先、何十年もあるのです。
でもその逆もあり、明日、死は訪れるかもしれません。
そんな事をいつも考えさせられました。
事業にはあまり関わっていなかった様ですが、昨年11月にリノベーションした南ビルは、創業者が建てたものですから、報告して喜ばせようと、完成後にチラシを持って行きました。
”おばあちゃん達が建てた南ビルを壊さずにリニューアルして残す事ができた”と報告すると、凄く喜んでくれたのですが、いくら、おじいちゃんが建てたビルだと言っても、”よう、こんな立派なビルを建てて、あんた偉かったなあ~”と私が建てた新しいビルだと思い込み、最後まで理解してくれませんでした。
明治39年生まれ・・まだ幕末から明治を作った人達も残っていた時代からですから、どれだけの変化を見てきたのでしょう。
我々も、皆、意識していないだけで、それだけの変化、ひょっとするともっと大きな変化がこの先、待っているかも知れません。
その中で、何時迎えるかも知れない死の時に、自分は、よくやったなあ、自分の子供達には、胸を張って誇れるなあ、そう思えるのが、私自身の目標です。
おばあちゃんの死の報告と、私の記録に変えて~
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