ウエダ再興に向けて当初から行って来た事は、全て自分の経験に基づく事からです。
全く自由競争の繊維業界に身を置き、自社にアンチ的な先の開拓役を経験した事で、売れる仕組みについて勉強する事ができ、自分で創業して経費感覚を身につけ、色々な商社に出入りして、色々な業種を知り、IT企業の役員で、ネットバブルを経験し、IT系の世界、考え方を見て来たこれら全ての経験が、ウエダの存在価値を考える事に繋がっています。
ウエダに来た頃は卸不要論が叫ばれていましたが、卸が不要というよりも、どの業種の中間業者も総じて、商品を川上から川下に流しているだけで、何の付加価値も生んでないのですから、そんな仕事や会社が存在する意味がないと思っていました。
人間関係や既得権だけで商売するのではなく、実力本意でオリジナルのビジネスを構築しながら、地域に密着し、細かなフォローができれば、どんな時代になっても付加価値を持ち続けると思いますし、それがウエダを再興していく上でずっと考えて来た事です。
唯一他に誇れる、XEROX販売についても、そんな事で喜んでられない理由はそこにあったのと、それに加えて、コピー機ビジネスでは、設置後何年間かの保守、メンテで儲かるという仕組みであるのに、ウエダはその部門が外に出てしまっていて、コピー機業界の常識ではおよそ考えられない、”馬鹿じゃないの?”という構図だったのです。
しかし私には、この仕組みの方が一般ビジネスからすると特殊である様に感じるのと、私の場合、現状の戦力から発想、構築していくので、無いものを恨んだり、羨ましがったりする習性はなく、それがなくてもやっていける様にしなくてはいけない、それがウエダとしての特長になる、そう考えていました。
”XEROXでXEROXに勝つ”これはそんな発想を端的に示した言葉ですが、社内だけでなく富士ゼロックス京都の社長にも、こんな非常識極まりない事を、はっきり言っていました。
コピー機ビジネスは、通常、元々納入した販売店がそのまま継続して販売していくという、暗黙の了解があります。
極端な例では、XEROXをある先に、ある販売店が話を進めていると、まだ売ったわけでもないのに、他の販売店はその先にはXEROXを進められないのです。
そんな業界で私は、XEROX社が直接売っている先に対してまでも、堂々と、ウエダからXEROXも買った方が得ですよと話していきました。
ウエダという独立系の会社がXEROX商品もXEROXから買うより、総合力でウエダから買った方がメリットがあるという様にしないと付加価値(存在価値)はないと思いますし、そういう存在でないと、究極的にはXEROX社から見ても、ウエダはメリットのない会社になってしまうと思います。
”ウエダの存在価値を作る”これがウエダを再興するに当たり、私がずっと取り組んで来た事です。
2008年5月25日日曜日
2008年5月18日日曜日
ウエダ再興記(36)~ 本当の強み
青政研は30人程の会でしたが、頑張っている人が多く、今までずっと一人で悩んで来た事がまだまだ小さいなと感じる事ができたり、実際に皆同じ悩みを持つ社長であったりするので、業種や規模が違えど、腹を割って話する事ができ、大変刺激を受ける事ができました。
しかしこの頃は、経費は最大限に切り詰め絶対黒字転換を図らなくてはならない時期であり、しかも年収600万円の代表取締役社長としては、付き合いも大変でしたが、自分への投資だと思って、貯金を食いつぶして付き合っていました。
私は、特に若い間は自分への投資にお金をかけるべきだと思っていますが、まだまだ厳しい状況下でもあり、私はお酒も殆ど飲めないのですが、この時期に彼らと交流できたのは大変有意義でした。
先日の70周年式典では、多くの青政研関係のメンバーが会場の中ほどで集ってくれていた事も、嬉しい光景でした。
2002年の10月期に黒字転換しましたが、全く猶予はありませんでした。
リストラ前、ウエダはずっと連結で決算を出しており、売上は50億強でした。
大雑把に言って、ウエダ本社が約22億、コンピュータ子会社が約20億、ウエダシセツという子会社が約10億という構図でした。
売上50億で借入金が約8億で一応黒字の会社から、一気に、コンピュータ子会社は連結から外れ、本社内で約14億程あった文具卸を外に出したので、一時的にしろ、ウエダ本社の決算としては売上8億で借入金8億にもなりました。
まして世の中は貸し渋りの状況ですから、まず、リストラ後の黒字という事は最低限であって、そこからも目に見えて改善を図る必要はずっと続いていたわけです。
青政研に入るまでは、8億という借入も、”こんなの何時返せるのだろう?”と思っていましたが、凄い会社、同年代の凄い連中を目の当たりにしてからは、”頑張れば大した事はないな”と思える様になりました。
残ったウエダ本社での強みを構築していく事は急務でしたが、この時点でウエダで誇れる事と言えば、ゼロックスの販売が毎年全国で3位や4位であるという事くらいでした。
通常、これだけ売っていれば、儲かっていても良いのですが、ウエダには全く喜べない特殊事情がありました。
コピーというのは本来、メンテ部隊を自社に持ち、販売した後の保守メンテで儲かる仕組みであるのですが、ウエダの場合これも、30年程前、創業者の時代に、ウエダ本社は売る会社、メンテ部隊は事務機サービスとして独立しており、社長は叔父に当たる人ですが、法人的には全く別会社でした。
当初は、機械だけでも儲かったので、販売する会社と、メンテする会社の線引きが成り立ったのでしょうが、ドンドン機械では儲からなくなり、その線引きの交渉が長年、仕入先を巻き込んでずっと懸案になっていました。
仕入先を巻き込んでと言っても、仕入先からすると、卸売りで売っているだけの販売会社と、メンテをしっかりやってくれている会社では、メンテをやってくれている会社の方が重要であり、全く交渉になりませんでした。
唯一の販売上位のメーカーと言ってもこんな状況であり、上辺の強みから本当の強みに仕立てていかなくてはなりませんでした。
文具卸に入って来た時と同じく、私は”コピー機業界の常識は知りません”そう、内外に話していました。
しかしこの頃は、経費は最大限に切り詰め絶対黒字転換を図らなくてはならない時期であり、しかも年収600万円の代表取締役社長としては、付き合いも大変でしたが、自分への投資だと思って、貯金を食いつぶして付き合っていました。
私は、特に若い間は自分への投資にお金をかけるべきだと思っていますが、まだまだ厳しい状況下でもあり、私はお酒も殆ど飲めないのですが、この時期に彼らと交流できたのは大変有意義でした。
先日の70周年式典では、多くの青政研関係のメンバーが会場の中ほどで集ってくれていた事も、嬉しい光景でした。
2002年の10月期に黒字転換しましたが、全く猶予はありませんでした。
リストラ前、ウエダはずっと連結で決算を出しており、売上は50億強でした。
大雑把に言って、ウエダ本社が約22億、コンピュータ子会社が約20億、ウエダシセツという子会社が約10億という構図でした。
売上50億で借入金が約8億で一応黒字の会社から、一気に、コンピュータ子会社は連結から外れ、本社内で約14億程あった文具卸を外に出したので、一時的にしろ、ウエダ本社の決算としては売上8億で借入金8億にもなりました。
まして世の中は貸し渋りの状況ですから、まず、リストラ後の黒字という事は最低限であって、そこからも目に見えて改善を図る必要はずっと続いていたわけです。
青政研に入るまでは、8億という借入も、”こんなの何時返せるのだろう?”と思っていましたが、凄い会社、同年代の凄い連中を目の当たりにしてからは、”頑張れば大した事はないな”と思える様になりました。
残ったウエダ本社での強みを構築していく事は急務でしたが、この時点でウエダで誇れる事と言えば、ゼロックスの販売が毎年全国で3位や4位であるという事くらいでした。
通常、これだけ売っていれば、儲かっていても良いのですが、ウエダには全く喜べない特殊事情がありました。
コピーというのは本来、メンテ部隊を自社に持ち、販売した後の保守メンテで儲かる仕組みであるのですが、ウエダの場合これも、30年程前、創業者の時代に、ウエダ本社は売る会社、メンテ部隊は事務機サービスとして独立しており、社長は叔父に当たる人ですが、法人的には全く別会社でした。
当初は、機械だけでも儲かったので、販売する会社と、メンテする会社の線引きが成り立ったのでしょうが、ドンドン機械では儲からなくなり、その線引きの交渉が長年、仕入先を巻き込んでずっと懸案になっていました。
仕入先を巻き込んでと言っても、仕入先からすると、卸売りで売っているだけの販売会社と、メンテをしっかりやってくれている会社では、メンテをやってくれている会社の方が重要であり、全く交渉になりませんでした。
唯一の販売上位のメーカーと言ってもこんな状況であり、上辺の強みから本当の強みに仕立てていかなくてはなりませんでした。
文具卸に入って来た時と同じく、私は”コピー機業界の常識は知りません”そう、内外に話していました。
2008年5月14日水曜日
京都流議定書 その後
今朝は皆和会という集まりの朝食会で、スピーチをする事になっておりましたので、先日の京都流議定書の件について話させて頂きました。
今月末には、私は入っていないのですが、ロータリーでも話させて頂きます。
折角行なった京都流議定書の問題提起を継続していく為に、機会があれば、本意ではありませんが、話もして回ろうと思っています。
今週はその他、式典でスピーチをして頂いた、柏原京都銀行頭取と、ワタベウエディングの渡部社長の所に御礼方々ご挨拶に行って来ました。
お二人とも先日の堀場最高顧問と同じく”あんな式典見たことがない”と大変お褒め頂きました。
それらも全て、京都流を運営してから感じてきた問題意識を、詰め込んだイベントであったからだと思いますし、その発信は、継続していかなくてはならないと改めて思いました。
今月末には、私は入っていないのですが、ロータリーでも話させて頂きます。
折角行なった京都流議定書の問題提起を継続していく為に、機会があれば、本意ではありませんが、話もして回ろうと思っています。
今週はその他、式典でスピーチをして頂いた、柏原京都銀行頭取と、ワタベウエディングの渡部社長の所に御礼方々ご挨拶に行って来ました。
お二人とも先日の堀場最高顧問と同じく”あんな式典見たことがない”と大変お褒め頂きました。
それらも全て、京都流を運営してから感じてきた問題意識を、詰め込んだイベントであったからだと思いますし、その発信は、継続していかなくてはならないと改めて思いました。
2008年5月11日日曜日
ウエダ再興記(35)~ 経済同友会と青政研入会
イベントも終りましので、毎週日曜日のウエダ再興記復活させて頂きます。
2001年に文具卸をジョインテックスに移管しました。
そちらを選んだ社員は転籍し、定番に入る商品は原価に近い値段で買い取ってもらいました。
私の兄もこの時点でジョインテックスに転籍しました。
私が、代表権を持つ際に、”このままではウエダは倒産すると思う。それを防ぐには全面的に任せてもらうしかないがどうする?”という話で、この時から兄との間では、私が全面的にやり、その後ジョインテックスに文具卸を移管することになった際に、兄はそちらに移るという話もできていました。
勿論、任せてもらったからと言って、倒産が防げる保証はどこにもありませんでしたが、ただ言えるのは、私が思い切って手を打つしか、可能性はなかったのです。
その年10月の決算は約7200万円の赤字でした。
これは移管に伴う損などまだ言い訳できる面はありますが、この翌年は絶対赤字にはできません。
このリストラの成否を見つめる、銀行、仕入先からすると、リストラ後に赤字になる様であれば、まず強行な対応に変わるでしょう。
以前から、残ったウエダでの数字のシュミレーションはやり尽くしていましたので、残った事業が例年通りの数字を残してくれると黒字には転換する予定でした。
これは絶対死守しないといけない事でしたので、経費は勿論トコトン切り詰め、2002年10月の決算では2500万円の黒字にする事ができました。
多分、ウエダ本社独自の数字で黒字になったのは、10年近くぶりであったと思います。
この時期顧問で残られていた元役員二人から、”経済同友会だけは入られたらどうですか?あそこは一番まともですよ”と言われました。
勿論、ウエダは縮小して終りではなしに、これから再度、立ち上がっていく為にこの厳しい状況に入り込んでいるわけですから、実商売を考えても、顔を売っていかないと駄目である事は分かっていました。
しかし、数字に疎い私の父が足元を見ず、ロータリーや商工会議所の議員活動など身の丈以上の事をやって来たから、ウエダは倒産寸前の会社になり、社員にも多大な迷惑をかけ、私にしても、これだけの苦労を背負わなくてはならなくなったのだと、私は各種の会活動に対して大変悪い印象を持っていました。
ただ、たまたま二人が言われるので、2002年6月に経済同友会には入りました。
入会すると又たまたま瀧定時代の同期が、40歳以下には青年政策研究部会というのがあり、そこに入る様誘ってきました。
同友会の仕組みすら知らない私は、言われるまま入りましたが、そこは同友会所属の40歳以下の会で、多くは跡継ぎの人達でした。
当初私は、”どうせ老舗の坊ちゃん達が、会と称して遊んでるだけやろ”と色眼鏡で見ていました。
ところが、しばらくすると、このメンバーは、仕事でも私の比じゃなく凄い人が何人も居る事に気づき、自分は、ただひたすら切り詰めて展開してきただけで、彼らに全て負けていると思いました。
この青政研(青年政策研究部会)に入った事が、又私自身や考え方を大きく変えてくれたと思います。
2001年に文具卸をジョインテックスに移管しました。
そちらを選んだ社員は転籍し、定番に入る商品は原価に近い値段で買い取ってもらいました。
私の兄もこの時点でジョインテックスに転籍しました。
私が、代表権を持つ際に、”このままではウエダは倒産すると思う。それを防ぐには全面的に任せてもらうしかないがどうする?”という話で、この時から兄との間では、私が全面的にやり、その後ジョインテックスに文具卸を移管することになった際に、兄はそちらに移るという話もできていました。
勿論、任せてもらったからと言って、倒産が防げる保証はどこにもありませんでしたが、ただ言えるのは、私が思い切って手を打つしか、可能性はなかったのです。
その年10月の決算は約7200万円の赤字でした。
これは移管に伴う損などまだ言い訳できる面はありますが、この翌年は絶対赤字にはできません。
このリストラの成否を見つめる、銀行、仕入先からすると、リストラ後に赤字になる様であれば、まず強行な対応に変わるでしょう。
以前から、残ったウエダでの数字のシュミレーションはやり尽くしていましたので、残った事業が例年通りの数字を残してくれると黒字には転換する予定でした。
これは絶対死守しないといけない事でしたので、経費は勿論トコトン切り詰め、2002年10月の決算では2500万円の黒字にする事ができました。
多分、ウエダ本社独自の数字で黒字になったのは、10年近くぶりであったと思います。
この時期顧問で残られていた元役員二人から、”経済同友会だけは入られたらどうですか?あそこは一番まともですよ”と言われました。
勿論、ウエダは縮小して終りではなしに、これから再度、立ち上がっていく為にこの厳しい状況に入り込んでいるわけですから、実商売を考えても、顔を売っていかないと駄目である事は分かっていました。
しかし、数字に疎い私の父が足元を見ず、ロータリーや商工会議所の議員活動など身の丈以上の事をやって来たから、ウエダは倒産寸前の会社になり、社員にも多大な迷惑をかけ、私にしても、これだけの苦労を背負わなくてはならなくなったのだと、私は各種の会活動に対して大変悪い印象を持っていました。
ただ、たまたま二人が言われるので、2002年6月に経済同友会には入りました。
入会すると又たまたま瀧定時代の同期が、40歳以下には青年政策研究部会というのがあり、そこに入る様誘ってきました。
同友会の仕組みすら知らない私は、言われるまま入りましたが、そこは同友会所属の40歳以下の会で、多くは跡継ぎの人達でした。
当初私は、”どうせ老舗の坊ちゃん達が、会と称して遊んでるだけやろ”と色眼鏡で見ていました。
ところが、しばらくすると、このメンバーは、仕事でも私の比じゃなく凄い人が何人も居る事に気づき、自分は、ただひたすら切り詰めて展開してきただけで、彼らに全て負けていると思いました。
この青政研(青年政策研究部会)に入った事が、又私自身や考え方を大きく変えてくれたと思います。
2008年5月9日金曜日
イベントの意味合い~堀場最高顧問とウエダ再興記・番外編
今日、先日のウエダ本社の式典でご講演頂きました、堀場最高顧問に御礼に上りました。
部屋に入るなり、”良かったな~あの式典”から始まり、”よくあれだけの人を集められるところまでやったな”と言って頂きました。
3日間のイベントが無事終った事、うちの社員がやり遂げてくれた事も大変嬉しかったですが、堀場最高顧問に褒めて頂いた事は、大変嬉しい事でした。
堀場最高顧問が見て頂いても”あれだけの人”という方々が集まって頂いたという事も嬉しいのですが、実はこれには深い意味があります。
ウエダ再興記の方に書いた方が良い話なのですが、倒産に直面したウエダに来て、
八方塞、四面楚歌の状態の中、次々に重大な決断をしていかないといけませんでした。
ある時私は、多分100人居たら99人が下すであろう決断と違う決断、要は1人しかしないであろう決断をしようとしていました。
机上論ではどう考えても、99人の方の決断になるのですが、危機に直面しているからこその勘とでも言いますか、1人しかしないであろう決断でいくべきだと思っていました。
ただ、それこそ、間違うともう取り返しがつかないわけですから、迷いに迷っていました。
その時に、堀場会長(当時)に相談に行ったのです。
素晴らしい経営者の本はたくさん読んでいましたが、昔から堀場会長の考え方、価値観が私には”その通り”と思う事ばかりでしたので、その同じ方向性の考えをお持ちで尊敬する堀場会長がどう判断されるか、すがる思いで相談に行きました。
”私は、全く外部の方に、会社状況を話しし、相談に来るなんて、経営者としては失格です。しかし、それでも迷っており、勿論、会長が言われた通りにして失敗したから・・などという様な事は一切申しませんので、ご意見をお聞かせ下さい。”
そう言って、事情を説明しました。
約1時間、堀場会長はずっと黙って話しを聞いて頂き、私の説明が終ると、会長は、
”今1時間程の話だけでは分からないけれど、今の話だけで判断すると、こっちやな”
と私が決断を下そうと思っていた100人中1人の方を選ばれました。
その瞬間私は、これ以上ない味方を得た気持ちになり、”有難うございました”と飛んで帰りました。
それから約7年、そういう経緯があったので、”ようあれだけの人を集められるところまでやったな”と言うお言葉には深い意味があったのです。
最高顧問もそういう意味で、ホントに喜んで頂いていました。
そういう事もあってか、ご講演の演目もわざわざ”京都スタイル”として頂き、
式典後多くの方に、”堀場最高顧問の講演はいつもにも増して、素晴らしかったな”
と言って頂く様なお話をして頂きました。
これも70周年という節目を迎えるイベントの、誰にも言っていなかった私の一つの意味合いでした。
部屋に入るなり、”良かったな~あの式典”から始まり、”よくあれだけの人を集められるところまでやったな”と言って頂きました。
3日間のイベントが無事終った事、うちの社員がやり遂げてくれた事も大変嬉しかったですが、堀場最高顧問に褒めて頂いた事は、大変嬉しい事でした。
堀場最高顧問が見て頂いても”あれだけの人”という方々が集まって頂いたという事も嬉しいのですが、実はこれには深い意味があります。
ウエダ再興記の方に書いた方が良い話なのですが、倒産に直面したウエダに来て、
八方塞、四面楚歌の状態の中、次々に重大な決断をしていかないといけませんでした。
ある時私は、多分100人居たら99人が下すであろう決断と違う決断、要は1人しかしないであろう決断をしようとしていました。
机上論ではどう考えても、99人の方の決断になるのですが、危機に直面しているからこその勘とでも言いますか、1人しかしないであろう決断でいくべきだと思っていました。
ただ、それこそ、間違うともう取り返しがつかないわけですから、迷いに迷っていました。
その時に、堀場会長(当時)に相談に行ったのです。
素晴らしい経営者の本はたくさん読んでいましたが、昔から堀場会長の考え方、価値観が私には”その通り”と思う事ばかりでしたので、その同じ方向性の考えをお持ちで尊敬する堀場会長がどう判断されるか、すがる思いで相談に行きました。
”私は、全く外部の方に、会社状況を話しし、相談に来るなんて、経営者としては失格です。しかし、それでも迷っており、勿論、会長が言われた通りにして失敗したから・・などという様な事は一切申しませんので、ご意見をお聞かせ下さい。”
そう言って、事情を説明しました。
約1時間、堀場会長はずっと黙って話しを聞いて頂き、私の説明が終ると、会長は、
”今1時間程の話だけでは分からないけれど、今の話だけで判断すると、こっちやな”
と私が決断を下そうと思っていた100人中1人の方を選ばれました。
その瞬間私は、これ以上ない味方を得た気持ちになり、”有難うございました”と飛んで帰りました。
それから約7年、そういう経緯があったので、”ようあれだけの人を集められるところまでやったな”と言うお言葉には深い意味があったのです。
最高顧問もそういう意味で、ホントに喜んで頂いていました。
そういう事もあってか、ご講演の演目もわざわざ”京都スタイル”として頂き、
式典後多くの方に、”堀場最高顧問の講演はいつもにも増して、素晴らしかったな”
と言って頂く様なお話をして頂きました。
これも70周年という節目を迎えるイベントの、誰にも言っていなかった私の一つの意味合いでした。
2008年5月5日月曜日
ウエダ本社70周年記念イベント
Do you Kyoto? Do you Kyotostyle?イベントについては、できれば写真なども入れてレポートを書いてもらおうと思いますが、
私の方からは、まずは報告を書かせてもらいます。
5月1日の式典の事はあまり触れていませんでしたが、これはこれで大変なイベントでした。
これを呼び水に、色々な立場の人を融合していきたいと思っていましたので、通常の
周年パーティーの様に、従来の取引先に来てもらってというよりは、知事以下、京都の政財界の方々にお越し頂き、問題提起を行なおうと考えておりました。
本当にお忙しい中、山田知事、門川市長、前原誠司衆議院議員、福山哲郎参議院議員、商工会議所を代表して、京都銀行の柏原頭取、経済同友会からはワタベウエディング社長の渡部代表幹事にそれぞれお越し頂き、ご祝辞を頂きました。
又、式典では堀場雅夫最高顧問から、”京都スタイル”と題して約40分のご講演を
して頂きましたのと、パーティーの方では、東儀秀樹さんに、ミニコンサートを行なって頂くという、ここからして盛りだくさんの式典でした。
ご祝辞を頂いた皆様方全員、用意された挨拶ではなく、ご自分の言葉でお話して頂き、しかも勿体無いお褒めの言葉ばかりで大変恐縮致しました。
5月1日と言えば、暫定税率復活した日でありましたが、そんな中、前原さん、福山さんも駆けつけて頂きました。
そういう方々が、駆けつけて頂いた事に感心されておられる方、堀場最高顧問のご講演の内容に感心されておられる方、東儀さんのコンサートで感動された方、色々な方がおられましたが、皆さん、総じて満足して頂けたと思います。
お土産も、通常の周年記念などではなく、このイベント用に作った”京都流議定書”のエコバックに、ウエダで作成した”岩上力の知って楽しい京都学”のDVD,
水谷さんとのセミナーの教本である、”ご機嫌指南書”だけであり、知事以下VIPの方々にも、エコバックを下げて帰って頂きました。
京都はまずもって、こんな政財界のTOPの方々も大きな資産であると思います。
これだけの方々が、ホントに気さくに良いことは良いというスタンスで感じ入ってもらえる、これはなかなか他ではないのではないかと思います。
しかしそれでいて、縦割りになる事が多い、ならざるを得ない構図のある京都に対してどうも歯がゆく、そこがまずもっての問題提起でした。
式典の前、VIP控えで使用していた部屋で、山田知事、門川市長、前原さん、福山さん、堀場さん、に山崎副市長も加わり、話されている光景を見て、何か京都に対して、少しでも一石を投じられた感じがして、大変嬉しい気分でした。
私の方からは、まずは報告を書かせてもらいます。
5月1日の式典の事はあまり触れていませんでしたが、これはこれで大変なイベントでした。
これを呼び水に、色々な立場の人を融合していきたいと思っていましたので、通常の
周年パーティーの様に、従来の取引先に来てもらってというよりは、知事以下、京都の政財界の方々にお越し頂き、問題提起を行なおうと考えておりました。
本当にお忙しい中、山田知事、門川市長、前原誠司衆議院議員、福山哲郎参議院議員、商工会議所を代表して、京都銀行の柏原頭取、経済同友会からはワタベウエディング社長の渡部代表幹事にそれぞれお越し頂き、ご祝辞を頂きました。
又、式典では堀場雅夫最高顧問から、”京都スタイル”と題して約40分のご講演を
して頂きましたのと、パーティーの方では、東儀秀樹さんに、ミニコンサートを行なって頂くという、ここからして盛りだくさんの式典でした。
ご祝辞を頂いた皆様方全員、用意された挨拶ではなく、ご自分の言葉でお話して頂き、しかも勿体無いお褒めの言葉ばかりで大変恐縮致しました。
5月1日と言えば、暫定税率復活した日でありましたが、そんな中、前原さん、福山さんも駆けつけて頂きました。
そういう方々が、駆けつけて頂いた事に感心されておられる方、堀場最高顧問のご講演の内容に感心されておられる方、東儀さんのコンサートで感動された方、色々な方がおられましたが、皆さん、総じて満足して頂けたと思います。
お土産も、通常の周年記念などではなく、このイベント用に作った”京都流議定書”のエコバックに、ウエダで作成した”岩上力の知って楽しい京都学”のDVD,
水谷さんとのセミナーの教本である、”ご機嫌指南書”だけであり、知事以下VIPの方々にも、エコバックを下げて帰って頂きました。
京都はまずもって、こんな政財界のTOPの方々も大きな資産であると思います。
これだけの方々が、ホントに気さくに良いことは良いというスタンスで感じ入ってもらえる、これはなかなか他ではないのではないかと思います。
しかしそれでいて、縦割りになる事が多い、ならざるを得ない構図のある京都に対してどうも歯がゆく、そこがまずもっての問題提起でした。
式典の前、VIP控えで使用していた部屋で、山田知事、門川市長、前原さん、福山さん、堀場さん、に山崎副市長も加わり、話されている光景を見て、何か京都に対して、少しでも一石を投じられた感じがして、大変嬉しい気分でした。
2008年5月4日日曜日
終った~!!!!
昨日、お陰さまを持ちまして、Do you Kyoto? Do you Kyotostyle?イベントが無事終了しました。
この様子などについては、又、ブログで書いて行きたいと思いますが、まずは、ご関係頂いた方々に御礼申し上げたいと思います。
あと、手前みそですが、このイベント、私の頑なな思いから、イベントもやった事ない我々で、広告代理店も入れず、あれだけの面々を集め、ポスター、チラシ、看板からコンテンツまでほとんど全て社員だけで行いました。
この厳しい条件に社員達が本当によく応えてくれたと思います。
何故、そこまで拘ったのかについては又ブログで触れたいと思いますが、そんな中、
殆ど、大きな問題もなくやり遂げられたという事が、何よりも嬉しい事です。
少し残念であったのは、我々の力不足もありますが、本当にとんでもない、イベント、お値打ちもののイベントであったと思いますが、それぞれの価値に見合う集客が行き届いてなかった点であります。
それと、このイベントの全ての発端は、このサイトであり、京都流としてイベントを行いたいというところから考えていった事ですが、京都流ユーザーに向けて、そういう感じにできていなかったかなと思う事です。
でもそんな中、雅撫子さん、aoiさん、laviemarieさんにはお目にかかれて良かったです。
京都流議定書としては、今後も京都に対し問題提起をしたいと思いますので、今後ともどうぞよろしくお願い致します。
この様子などについては、又、ブログで書いて行きたいと思いますが、まずは、ご関係頂いた方々に御礼申し上げたいと思います。
あと、手前みそですが、このイベント、私の頑なな思いから、イベントもやった事ない我々で、広告代理店も入れず、あれだけの面々を集め、ポスター、チラシ、看板からコンテンツまでほとんど全て社員だけで行いました。
この厳しい条件に社員達が本当によく応えてくれたと思います。
何故、そこまで拘ったのかについては又ブログで触れたいと思いますが、そんな中、
殆ど、大きな問題もなくやり遂げられたという事が、何よりも嬉しい事です。
少し残念であったのは、我々の力不足もありますが、本当にとんでもない、イベント、お値打ちもののイベントであったと思いますが、それぞれの価値に見合う集客が行き届いてなかった点であります。
それと、このイベントの全ての発端は、このサイトであり、京都流としてイベントを行いたいというところから考えていった事ですが、京都流ユーザーに向けて、そういう感じにできていなかったかなと思う事です。
でもそんな中、雅撫子さん、aoiさん、laviemarieさんにはお目にかかれて良かったです。
京都流議定書としては、今後も京都に対し問題提起をしたいと思いますので、今後ともどうぞよろしくお願い致します。
2008年5月3日土曜日
Do you Kyoto? Do you kyotostyle?イベント 梅田陽子氏
ギリギリになってしまいましたが、完了しなくてはならないので、書かせていただきます。
セミナー最後は梅田陽子さんです。
梅田さんは、年末、年始にかけて教育テレビでエクセサイズの番組を持たれておりましたが、今や引く手あまたな方です。
と、言いますのも、エクセサイズですが、京大の研究室にも入られていたりしますので、エクセサイズで、メンタルヘルスの問題や、メタボの対策として、学術的とでもいうのでしょうか、色々な角度からアドバイスされておられます。
先日もワコールから、はくだけで痩せるという、エクサウォーカーというメタボ用パンツが発売されましたが、それも監修されています。
うちの会社では、梅田さんが研究されている、うつ傾向が簡単なエクセサイズで改善されるという事について、オフィスでできる簡単な体操の実験場となったりしながら、オフィス向けの活用を考えております。
その梅田さんには、3日の日は親子で来て頂くケースが高いので、お母さんはたまには母親を忘れて、女性として受けられるセミナーを行って頂こうと考えていて、
1時間のセミナーで、1時間後に会った子供が、”お母さん何か変わった”と分かる位の講座を行って頂く予定です。
(尚、その効果には個人差がありますので、効果についてのクレームは受付かねますが・・笑)
と、いう事で、女性必見ですので、今からでも明日お時間ある方は駆けつけてくださいませ。
セミナー最後は梅田陽子さんです。
梅田さんは、年末、年始にかけて教育テレビでエクセサイズの番組を持たれておりましたが、今や引く手あまたな方です。
と、言いますのも、エクセサイズですが、京大の研究室にも入られていたりしますので、エクセサイズで、メンタルヘルスの問題や、メタボの対策として、学術的とでもいうのでしょうか、色々な角度からアドバイスされておられます。
先日もワコールから、はくだけで痩せるという、エクサウォーカーというメタボ用パンツが発売されましたが、それも監修されています。
うちの会社では、梅田さんが研究されている、うつ傾向が簡単なエクセサイズで改善されるという事について、オフィスでできる簡単な体操の実験場となったりしながら、オフィス向けの活用を考えております。
その梅田さんには、3日の日は親子で来て頂くケースが高いので、お母さんはたまには母親を忘れて、女性として受けられるセミナーを行って頂こうと考えていて、
1時間のセミナーで、1時間後に会った子供が、”お母さん何か変わった”と分かる位の講座を行って頂く予定です。
(尚、その効果には個人差がありますので、効果についてのクレームは受付かねますが・・笑)
と、いう事で、女性必見ですので、今からでも明日お時間ある方は駆けつけてくださいませ。
2008年5月1日木曜日
Do you Kyoto? Do you kyotostyle?イベント 佐竹雅昭氏
イベントは今日からですが、佐竹さんは3日教育のところでお話頂きます。
何故、佐竹さんが教育?と思われた方は、以前の私のブログをご参照下さい。
このイベントの件をお願いして依頼、しばらくお目にかかれていませんが、相変わらず、自分の信念に基づき、活発に飛び回られている様です。
教育問題だけでなく、格闘ファン或いは、フィギアコレクターとしても有名ですが、
そんなお話も出るかも知れません。
お気軽にご参加下さい。
それと、昨晩の<a href="#l">毎日新聞(関西版)</a>夕刊でDO YOU KYOTO?の件が大きく取上げられました。
DO YOU KYOTO の流れについて、説明されていますので、ご覧下さい。
このイベントも開催中です!
何故、佐竹さんが教育?と思われた方は、以前の私のブログをご参照下さい。
このイベントの件をお願いして依頼、しばらくお目にかかれていませんが、相変わらず、自分の信念に基づき、活発に飛び回られている様です。
教育問題だけでなく、格闘ファン或いは、フィギアコレクターとしても有名ですが、
そんなお話も出るかも知れません。
お気軽にご参加下さい。
それと、昨晩の<a href="#l">毎日新聞(関西版)</a>夕刊でDO YOU KYOTO?の件が大きく取上げられました。
DO YOU KYOTO の流れについて、説明されていますので、ご覧下さい。
このイベントも開催中です!
2008年4月28日月曜日
Do you Kyoto? Do you kyotostyle?イベント 門川大作氏
市長にイベントの基調講演なんて良いの?と思ってしまいますが、この話をお願いした際は、まだ教育長でした。
実は、今だから言いますが、私は門川氏が市長選に出られるのをいち早く感じ取っていました。
それはこのイベントの基調講演の話を詰めに行こうとしてアポイントを取ろうとした際、秘書の方の対応がいつもとは違い、少し歯切れが悪い感じがしたからです。
その後、お話できたのは、市長選にご出馬されるとなってからでした。
その際も”無役で行かなくて良いように頑張るわ”と仰って頂きました。
とは言え、正直大変心配をしていました。
準備としては、来て頂けるという事ですから、印刷などを進めて行ってますし、しかし、そうは言っても市長になられたら、全く立場は違うので、どうなるか分からないな・・と思っていました。
秘書も市長担当の方に代わりますし、前市長からの予定もあるでしょうし、市長の秘書の方にまで予定を衆知してもらえないと安心はできませんでした。
しかし、その点においても、門川市長はしっかりと、この以前からの約束は遂行できる様にと予定を取って頂き、現職の市長が基調講演でお越し頂くという、我々からしますと、ビックプレゼントになったのです。
私が今までお話させて頂く限り、門川さんの場合、その場だけ取り繕って良い様に
言うという事は一度もありませんでした。
お話して、なるほどと理解して頂いた事には、その場から電話をかけて手配をして頂いたり、その実行力にはいつも頭が下る思いです。
そんな方ですから、約束が履行されないという心配はないのでしょうが、それでも
立場が変わって、ましてや大変なポジションになられたのですから、”ゴメン、無理になった”という事があっても当たり前だと思います。
そんな対応を一つ一つ目の当たりにしていますので、私としても、門川市長になって、少なくとも京都が悪くなる事はなく、必ず良くなるという事は自信を持って言えます。
教育については、実は市長となられて、勿論新たに教育長もおられますので、お話しされにくいので、教育についてズバリというお話にはならないと思いますが、市政全体のベースには教育が重要とのお考えが根幹にあると思いますので、そういうつもりで聞いて頂ければ、興味深いお話が聞けると思います。
実は、今だから言いますが、私は門川氏が市長選に出られるのをいち早く感じ取っていました。
それはこのイベントの基調講演の話を詰めに行こうとしてアポイントを取ろうとした際、秘書の方の対応がいつもとは違い、少し歯切れが悪い感じがしたからです。
その後、お話できたのは、市長選にご出馬されるとなってからでした。
その際も”無役で行かなくて良いように頑張るわ”と仰って頂きました。
とは言え、正直大変心配をしていました。
準備としては、来て頂けるという事ですから、印刷などを進めて行ってますし、しかし、そうは言っても市長になられたら、全く立場は違うので、どうなるか分からないな・・と思っていました。
秘書も市長担当の方に代わりますし、前市長からの予定もあるでしょうし、市長の秘書の方にまで予定を衆知してもらえないと安心はできませんでした。
しかし、その点においても、門川市長はしっかりと、この以前からの約束は遂行できる様にと予定を取って頂き、現職の市長が基調講演でお越し頂くという、我々からしますと、ビックプレゼントになったのです。
私が今までお話させて頂く限り、門川さんの場合、その場だけ取り繕って良い様に
言うという事は一度もありませんでした。
お話して、なるほどと理解して頂いた事には、その場から電話をかけて手配をして頂いたり、その実行力にはいつも頭が下る思いです。
そんな方ですから、約束が履行されないという心配はないのでしょうが、それでも
立場が変わって、ましてや大変なポジションになられたのですから、”ゴメン、無理になった”という事があっても当たり前だと思います。
そんな対応を一つ一つ目の当たりにしていますので、私としても、門川市長になって、少なくとも京都が悪くなる事はなく、必ず良くなるという事は自信を持って言えます。
教育については、実は市長となられて、勿論新たに教育長もおられますので、お話しされにくいので、教育についてズバリというお話にはならないと思いますが、市政全体のベースには教育が重要とのお考えが根幹にあると思いますので、そういうつもりで聞いて頂ければ、興味深いお話が聞けると思います。
2008年4月26日土曜日
Do you Kyoto? Do you kyotostyle?イベント 堀木エリ子氏
堀木さんには今回大変失礼な事をしています。
元々はある方の対談のお相手としてお引き受け頂いたのですが、その後、その方のご都合が悪くなり、堀木さんに見合う対談相手をコーディネートするのに時間がかかりずっと待って頂いていました。
すると又その間、岩上さんからこの時間しか無理と言われていた時間に堀木さんの予定を組んでいた事が分かり、対談で受けて頂いていた話を、講演に変えて頂き、しかも人の流れ的には、良くない時間に変更して頂いたという、大変失礼な話でした。
最近では東京ミッドタウンの作品が有名ですが、今や世界で活躍されるアーティストに何て扱いをするのだと、流石に厚かましい私も嫌悪感を抱いたくらいです。
それでも堀木さんは嫌な顔一つされず、講演を受けて頂く事になりました。
いつも言いますが、京都流で凄いという人は、権威、実力があるのに、決して権威ぶらず、ホントに気さくに対応される方々です。
それが京都流の一番発信したいポイントで、文化=権威というのは、京都流では賞賛しません。
堀木さんの理想形は、自分の作った和紙作品が一般庶民の暮らしの中に入り込む事ですが、これは京都流的に賞賛する方の共通する考えで、暮らしの中に溶け込んでこそ文化だという事です。
是非皆さんには、作品もさる事ながら、堀木さんの人間性に触れて頂きたいと思います。
あの、宝塚顔負けの容姿からは想像できない、”男前”な性格で、堀木さん作品を全くご存じない、ビジネスマンや経営者が話しを聞かれても、”経営者としても凄い”と関心されると思います。
”できる”か、”できないか”の選択肢から”できない”を消すと、後はどうやれば”できる”かしか考える事がない、これが堀木さんの名言です。
これはことある毎に私の説教ネタになっています。
そんな事で、建築、インテリア関係の方は勿論、何かをやりたい女性から経営者まで
幅広い方にお薦めの講演です。
毎週日曜日に書いているウエダ再興記はイベント終了まで休ませて頂きます。
楽しみにして頂いている方、申し訳ございませんが、イベントが終れば再開致しますので、又よろしくお願い致します。
元々はある方の対談のお相手としてお引き受け頂いたのですが、その後、その方のご都合が悪くなり、堀木さんに見合う対談相手をコーディネートするのに時間がかかりずっと待って頂いていました。
すると又その間、岩上さんからこの時間しか無理と言われていた時間に堀木さんの予定を組んでいた事が分かり、対談で受けて頂いていた話を、講演に変えて頂き、しかも人の流れ的には、良くない時間に変更して頂いたという、大変失礼な話でした。
最近では東京ミッドタウンの作品が有名ですが、今や世界で活躍されるアーティストに何て扱いをするのだと、流石に厚かましい私も嫌悪感を抱いたくらいです。
それでも堀木さんは嫌な顔一つされず、講演を受けて頂く事になりました。
いつも言いますが、京都流で凄いという人は、権威、実力があるのに、決して権威ぶらず、ホントに気さくに対応される方々です。
それが京都流の一番発信したいポイントで、文化=権威というのは、京都流では賞賛しません。
堀木さんの理想形は、自分の作った和紙作品が一般庶民の暮らしの中に入り込む事ですが、これは京都流的に賞賛する方の共通する考えで、暮らしの中に溶け込んでこそ文化だという事です。
是非皆さんには、作品もさる事ながら、堀木さんの人間性に触れて頂きたいと思います。
あの、宝塚顔負けの容姿からは想像できない、”男前”な性格で、堀木さん作品を全くご存じない、ビジネスマンや経営者が話しを聞かれても、”経営者としても凄い”と関心されると思います。
”できる”か、”できないか”の選択肢から”できない”を消すと、後はどうやれば”できる”かしか考える事がない、これが堀木さんの名言です。
これはことある毎に私の説教ネタになっています。
そんな事で、建築、インテリア関係の方は勿論、何かをやりたい女性から経営者まで
幅広い方にお薦めの講演です。
毎週日曜日に書いているウエダ再興記はイベント終了まで休ませて頂きます。
楽しみにして頂いている方、申し訳ございませんが、イベントが終れば再開致しますので、又よろしくお願い致します。
2008年4月20日日曜日
ウエダ再興記(34)~ IT系の手法とリアルビジネス
しかしその後、何度か会議に出席していると、そんな賢い話より、もっとやるべき事があるのではないの?そう思う様になりました。
その頃、Kという会社は知られていましたので、こちらの業界でも色々な人に会う事ができました。
ところが色々な会社に出入りしてみると、Kという会社だけではなく、多くの会社で、夢と資本政策だけで上場を目指すという様な話ばかりで、実体がない状況でした。
実際あった話で、A4用紙一枚だけの企画書で4億円の出資を引き出したという人も居ました。
多くの会社が、凄く賢く、夢があるのに対して、”商売”という観点からすると、かなり幼稚な感じでした。
その後ライブドアの問題で話題になった様に、殆どのところが、上場自体が目的であり、上場して一攫千金を狙っているだけで、事業を展開する為に資金が必要だから上場するという事ではありませんでしたし、会社を使命感で運営するとか、会社は
世の中の為に・・などという感覚は全く持っていない感じでした。
皆、夢とアイデアを脚色し、それをビジネス感覚なしに賢い資本政策だけで上場まで持っていくというスタイルで、上場してお金を集めて、そのお金でリアル(実体のある)のビジネスを買っていくというスタイルでした。
後に堀江氏が近鉄球団買収に乗り出したり、衆議院選挙に出たりという際にも世間では時代の寵児と持て囃していましたが、私は、その頃のIT系の考え、手法を分かっていましたので、”近鉄買収”と出た瞬間から、狙いは直ぐに分かりました。
要は、実体がなくても、上場して時価総額を上げ、その作ったお金で、実際のビジネス(往々にしてこちらの方が市場での価値が低いケースが多い)を買っていき、実際の売上を作っていくという手法であり、皆が持て囃している頃からずっと私はこの手のやり方は納得いきませんでした。
それが法に触れるか、触れないかは別として、それをやりたいのなら、投資家としてやればいいのであって、株式会社という本来は自分のビジネスを行う為に資本を集めるというスタイルを利用して、行なっている事に腹立たしい思いを持っていました。
しかしこれらの世界を見れた事は私にとって、大変大きな事でした。
ウエダの置かれている状況と、このIT系の対比を見ていると、逆にリアルのビジネスを持っているという事の価値観を改めて感じる事ができ、一つ一つをしっかり売るという事の大切さ、難しさを見る事ができ、それ故、倒産寸前の局面があったウエダも、実感として再生はできる、どんなに縮小しても採算さえ合わせば、それは実体のある数字であり、そこに新たな夢のあるネタ、商品を乗せていけば、これは強みになる、そう確信を持てたのでした。
これが言わばウエダ再興におけるホントの意味のリストラ(再構築)の意味合いでした。
その頃、Kという会社は知られていましたので、こちらの業界でも色々な人に会う事ができました。
ところが色々な会社に出入りしてみると、Kという会社だけではなく、多くの会社で、夢と資本政策だけで上場を目指すという様な話ばかりで、実体がない状況でした。
実際あった話で、A4用紙一枚だけの企画書で4億円の出資を引き出したという人も居ました。
多くの会社が、凄く賢く、夢があるのに対して、”商売”という観点からすると、かなり幼稚な感じでした。
その後ライブドアの問題で話題になった様に、殆どのところが、上場自体が目的であり、上場して一攫千金を狙っているだけで、事業を展開する為に資金が必要だから上場するという事ではありませんでしたし、会社を使命感で運営するとか、会社は
世の中の為に・・などという感覚は全く持っていない感じでした。
皆、夢とアイデアを脚色し、それをビジネス感覚なしに賢い資本政策だけで上場まで持っていくというスタイルで、上場してお金を集めて、そのお金でリアル(実体のある)のビジネスを買っていくというスタイルでした。
後に堀江氏が近鉄球団買収に乗り出したり、衆議院選挙に出たりという際にも世間では時代の寵児と持て囃していましたが、私は、その頃のIT系の考え、手法を分かっていましたので、”近鉄買収”と出た瞬間から、狙いは直ぐに分かりました。
要は、実体がなくても、上場して時価総額を上げ、その作ったお金で、実際のビジネス(往々にしてこちらの方が市場での価値が低いケースが多い)を買っていき、実際の売上を作っていくという手法であり、皆が持て囃している頃からずっと私はこの手のやり方は納得いきませんでした。
それが法に触れるか、触れないかは別として、それをやりたいのなら、投資家としてやればいいのであって、株式会社という本来は自分のビジネスを行う為に資本を集めるというスタイルを利用して、行なっている事に腹立たしい思いを持っていました。
しかしこれらの世界を見れた事は私にとって、大変大きな事でした。
ウエダの置かれている状況と、このIT系の対比を見ていると、逆にリアルのビジネスを持っているという事の価値観を改めて感じる事ができ、一つ一つをしっかり売るという事の大切さ、難しさを見る事ができ、それ故、倒産寸前の局面があったウエダも、実感として再生はできる、どんなに縮小しても採算さえ合わせば、それは実体のある数字であり、そこに新たな夢のあるネタ、商品を乗せていけば、これは強みになる、そう確信を持てたのでした。
これが言わばウエダ再興におけるホントの意味のリストラ(再構築)の意味合いでした。
2008年4月14日月曜日
Do you Kyoto? Do you kyotostyle?イベント 畑 正高氏
ご存知お香の老舗、松栄堂さんの社長さんです。
畑さんも正に伝統と革新をうまく展開されておられる典型の方だと思います。
畑さんに”香道”という言い方をすると、それは”香道”ではないと仰る事があります。
香道にはお家元がおられるし、自分はそういう立場ではないとの事で、”香道”に対して、畏敬の念をしっかり持たれながら、その普及に役立つ事なら、協力は惜しまないというスタンスをお持ちで、今回のイベントについても、”一つの話に限定せずに、一日でいくつものテーマについて、お香を話しても良いよ?”とまで仰って頂きました。
大変ありがたいお話でしたが、セミナーがお香だけに偏ってしまう面もあり、今回は一コマだけをお願いする事にしました。
それだけに伝統の守るべき所、それを広めていくべき所と、リスンを展開されている様に、全く斬新な違う切り口も見事に展開されており、京都流で考える、伝統産業のあるべき姿を体現されている会社だと思います。
セミナーは一コマだけですが、課外ワークショップとして、松栄堂さんの香房見学と
桜橘庵での聞香体験をセットにした、メニューもご用意しております。
これはイベント一日券にプラス2000円はご負担頂かなくてはいけないのですが、
この桜橘庵という場所も、私が以前、ブログにも書いていた様に聞香体験や、老松さんのお菓子作りをしていた所で、一般の方にはなかなか入って頂ける機会は少ないと思います。
この場所は、儒学者・皆川淇園が日本で最初の大学と言われる、弘道館を建てたという由緒ある場所で、吉田松陰も門下生であったことから、彼も通っていたかもしれないという場所です。
尚、松栄堂さんの香房体験だけご希望の方は無料でご覧になれます。
2日も、ホントに休む時間がない程、びっしりのメニューですが、お香だけを勉強されたい方は、この香房見学、聞香体験をされた後、ハイアットで畑社長のお話を聞いて頂くのも、有意義な一日になると思います。
悩ませてすいません!
畑さんも正に伝統と革新をうまく展開されておられる典型の方だと思います。
畑さんに”香道”という言い方をすると、それは”香道”ではないと仰る事があります。
香道にはお家元がおられるし、自分はそういう立場ではないとの事で、”香道”に対して、畏敬の念をしっかり持たれながら、その普及に役立つ事なら、協力は惜しまないというスタンスをお持ちで、今回のイベントについても、”一つの話に限定せずに、一日でいくつものテーマについて、お香を話しても良いよ?”とまで仰って頂きました。
大変ありがたいお話でしたが、セミナーがお香だけに偏ってしまう面もあり、今回は一コマだけをお願いする事にしました。
それだけに伝統の守るべき所、それを広めていくべき所と、リスンを展開されている様に、全く斬新な違う切り口も見事に展開されており、京都流で考える、伝統産業のあるべき姿を体現されている会社だと思います。
セミナーは一コマだけですが、課外ワークショップとして、松栄堂さんの香房見学と
桜橘庵での聞香体験をセットにした、メニューもご用意しております。
これはイベント一日券にプラス2000円はご負担頂かなくてはいけないのですが、
この桜橘庵という場所も、私が以前、ブログにも書いていた様に聞香体験や、老松さんのお菓子作りをしていた所で、一般の方にはなかなか入って頂ける機会は少ないと思います。
この場所は、儒学者・皆川淇園が日本で最初の大学と言われる、弘道館を建てたという由緒ある場所で、吉田松陰も門下生であったことから、彼も通っていたかもしれないという場所です。
尚、松栄堂さんの香房体験だけご希望の方は無料でご覧になれます。
2日も、ホントに休む時間がない程、びっしりのメニューですが、お香だけを勉強されたい方は、この香房見学、聞香体験をされた後、ハイアットで畑社長のお話を聞いて頂くのも、有意義な一日になると思います。
悩ませてすいません!
2008年4月13日日曜日
ウエダ再興記(33)~ IT企業での役員
同時にいくつもの後ろ向きの処理ばかりを行なっていましたが、本来のリストラ(再構築)という意味からすると、それだけではなく、新しい展開もしていかなくてはいけません。
文具卸の連携先の模索、子会社株の売却、物流事業からの撤退交渉、残る事業の立て直し、銀行交渉、という難題を抱えながら、望みをかけてIT系企業の非常勤役員を引き受けていました。
この頃はネットバブルの真っ只中で、この会社も上場する準備を進めていました。
このオーナーは日本のみならず、世界的にみて、インターネットの黎明期から開発に関わっていた人で、後にネットスケープというウェブブラウザ-の前進であるモザイクにも関わっていました。
このモザイクというのは、後に出て、今や殆どの人が使っているインターネットエクスプローラーと同じ役割をするもので、これがなければインターネットにつなげないのですから、本当にインターネットの世界に革命をもたらしたと言っても過言ではないものです。
そんな実績が認められ、これもWindows95が出る以前には、世界で圧倒的シェアと取っていたユードラというメールソフトの日本での権利を、たくさんの大手会社と争そって権利取得していました。
このオーナーD氏と、彼が米国シリコンバレー時代に知り合ったN氏とで運営していた会社Kというのが、私が関わった会社でした。
このN氏という人も大変な経歴を持っている人で、家族全員日本人ですが家はパリにあり、この当時パリに住んでいたlunaparkさん(京都流ユーザー)から紹介してもらったという経緯で、丁度、一つ一つを売っていくというノウハウを持っていなかった
Kという会社で、繊維ではありながら一応、流通を川上から見てきた点と、独立して色々な業種に向けて出入りし営業をかけていた点を期待され、非常勤役員に迎えられたのでした。
ウエダ内での暗い事だらけの話とは対照的に、ネットバブル真っ盛りのこちらの業界では、正に夢の様な話がゴロゴロしており、これらネタをウエダが販売するという様な事ができれば、”苦境から脱却できる”これに望みをかけて、ウエダ内の事だけでもとても時間が取れる状態ではない中、優先してこちらの会社にいく時間を作りました。
今から考えると、ホントに唯一、夢を見れる時間であったので、これがあったから、モチベーションも続いたのかもしれません。
しかし経営会議では、ベンチャーキャピタルや、証券会社、信託銀行など上場に向けて関わっている会社も入って、MBAでも取得していないと分からない様な、賢い話が喧々諤々行なわれ、海外企業との交渉などにも何度か同席しましたが、
参加者は、それぞれが二ヶ国語以上話すので、通訳なしで当たり前の様に英語で行なわれ、こんな所で役員になっていて良いのか?
と初めは戸惑いました。
文具卸の連携先の模索、子会社株の売却、物流事業からの撤退交渉、残る事業の立て直し、銀行交渉、という難題を抱えながら、望みをかけてIT系企業の非常勤役員を引き受けていました。
この頃はネットバブルの真っ只中で、この会社も上場する準備を進めていました。
このオーナーは日本のみならず、世界的にみて、インターネットの黎明期から開発に関わっていた人で、後にネットスケープというウェブブラウザ-の前進であるモザイクにも関わっていました。
このモザイクというのは、後に出て、今や殆どの人が使っているインターネットエクスプローラーと同じ役割をするもので、これがなければインターネットにつなげないのですから、本当にインターネットの世界に革命をもたらしたと言っても過言ではないものです。
そんな実績が認められ、これもWindows95が出る以前には、世界で圧倒的シェアと取っていたユードラというメールソフトの日本での権利を、たくさんの大手会社と争そって権利取得していました。
このオーナーD氏と、彼が米国シリコンバレー時代に知り合ったN氏とで運営していた会社Kというのが、私が関わった会社でした。
このN氏という人も大変な経歴を持っている人で、家族全員日本人ですが家はパリにあり、この当時パリに住んでいたlunaparkさん(京都流ユーザー)から紹介してもらったという経緯で、丁度、一つ一つを売っていくというノウハウを持っていなかった
Kという会社で、繊維ではありながら一応、流通を川上から見てきた点と、独立して色々な業種に向けて出入りし営業をかけていた点を期待され、非常勤役員に迎えられたのでした。
ウエダ内での暗い事だらけの話とは対照的に、ネットバブル真っ盛りのこちらの業界では、正に夢の様な話がゴロゴロしており、これらネタをウエダが販売するという様な事ができれば、”苦境から脱却できる”これに望みをかけて、ウエダ内の事だけでもとても時間が取れる状態ではない中、優先してこちらの会社にいく時間を作りました。
今から考えると、ホントに唯一、夢を見れる時間であったので、これがあったから、モチベーションも続いたのかもしれません。
しかし経営会議では、ベンチャーキャピタルや、証券会社、信託銀行など上場に向けて関わっている会社も入って、MBAでも取得していないと分からない様な、賢い話が喧々諤々行なわれ、海外企業との交渉などにも何度か同席しましたが、
参加者は、それぞれが二ヶ国語以上話すので、通訳なしで当たり前の様に英語で行なわれ、こんな所で役員になっていて良いのか?
と初めは戸惑いました。
2008年4月7日月曜日
京都流議定書イベント 広報活動
”Do you Kyoto? Do you Kyotostyle?”イベントの広報活動が活発になって来ました。
4月5日土曜日の京都新聞朝刊で”京都観光や文化を考えるイベント”という事で紹介してもらいました。
主催は国際日本ホスピタリティー学会となっておりましたが、あれは今回、行政なども協力頂くに当たり、うちからお願いして主催に座ってもらった所です。
今日7日からFM京都でスポットCMを流していただいてます。
私は早速今日、2回も聞きました。
こちらはいきなり、”ウエダ本社70周年併設イベントでは・・”と始まりますので、お聞きの逃しなくお願いします。
又、本日京都リビングFMという局の”ワカバン”という番組で12時~12時半まで、生出演でイベントの案内をさせて頂きました。
これからもちょこちょこお耳にして頂ける事もあるかと思いますが、一番強いのは
”口コミ”です。
京都流の皆様方は是非、こういうイベントに興味ある方には、勧めて下さいます様
お願い致します!
4月5日土曜日の京都新聞朝刊で”京都観光や文化を考えるイベント”という事で紹介してもらいました。
主催は国際日本ホスピタリティー学会となっておりましたが、あれは今回、行政なども協力頂くに当たり、うちからお願いして主催に座ってもらった所です。
今日7日からFM京都でスポットCMを流していただいてます。
私は早速今日、2回も聞きました。
こちらはいきなり、”ウエダ本社70周年併設イベントでは・・”と始まりますので、お聞きの逃しなくお願いします。
又、本日京都リビングFMという局の”ワカバン”という番組で12時~12時半まで、生出演でイベントの案内をさせて頂きました。
これからもちょこちょこお耳にして頂ける事もあるかと思いますが、一番強いのは
”口コミ”です。
京都流の皆様方は是非、こういうイベントに興味ある方には、勧めて下さいます様
お願い致します!
2008年4月6日日曜日
ウエダ再興記(32)~ 色々な経験があればこそ
私も、株式の価格は勿論ですが、それ以外にもいくつかの具体的な条件を出しました。
株式の価格も今であればデューデリジェンス(資産の評価)を行ってという事になるのですが、この頃はそんな知識もなかったので、全て自分で考え、算出しました。
この頃の全ての交渉に言える事ですが、難しい事は分からなくても、原理原則に従い、ホントに死ぬ気になって取り組めば、凄く難しい事を勉強した専門家が出す結論と、かけ離れたものにならず、逆に実際身になる結論を出せると思います。
ディスカウントキャッシュフロー、当時でも言葉は知ってましたが、そんな算出方法よりも、単純に、唯一利益を出していて、しかも毎年コンスタントに見込める収益がある子会社が、グループから外れるわけですので、毎年見込まれる収益がなくなる、という事から考えれば、それを手放す場合は、どの位の見返りが必要か?という話になります。
三年~五年の間には、ウエダ本社を子会社からの収入などに頼らない、自社の本業だけで独り立ちさせないといけない、そう考えると自ずとディスカウントキャッシュフローなど知らなくても、常識的な線は計算できると思います。
株価以外にも、こういう視点でいくつかの条件を出しました。
中でも一番神経を使ったのは、子会社が離れる事により、数字を連結で出す事はできなくなるので、その事により銀行が一気に回収を図って来るであろう事でした。
その為、まず初めに、もし銀行がそういう態度になった場合、U社から借り入れをできる様に話しをつけていました。
(銀行対策の話も以前書きましたが、最悪の事態も想定して、その前にこの話を取り付けていました。)
その後、数ヶ月に渡り、何度も東京へ行き、交渉を重ねました。
この頃同時に進めていた他の問題への取り組みもそうですが、どの問題も半年以上かかっていた事ばかりですので、一つ一つの問題でも本当は十話以上の話は書けると思いますが、話が重くなるのと、公には言えない事もありますので、この交渉についても軽く結論だけにさせて頂きます。
色々な攻防がありましたが、株式の価格、売却後のウエダ本社の懸念される事に対するいくつかの補填の条件等については、私がほぼ考えていた通り、飲んでもらいました。
しかし、今回の売却の目的に一つには、グループ内にあっても無法状態であった子会社とルールの通じる上場会社に入ってもらう事によって、ウエダ本社との連携を図る事がありましたので、売却後の元子会社にも、役員で入れてもらうか、会議への参加を求めていましたが、それは却下されました。
又U社からすると、支配権が取得できれば総額は低い方が良いので、70%の取得にしたいという事で、こちらとしては30%を持っていても、議決権など何の効力もない事は分かっていましたが、あくまで連携が取れるならという事でそれ以上主張しませんでした。
ただ、一番納得はいかなかったのは、様々なルールを無視した子会社代表には、けじめの意味でも、完全に降りてもらうという事を入れておりましたが、U社も色々切れない事情があり、子会社がウエダ本社に内緒で作っていたその子会社の、株主として加わらせ、実際は経営にも関与させるという事でした。
上場会社であるU社がこういうグレーな決着をする事には大変憤りを覚えましたが、私は、その元代表個人を潰す事を目的としているわけではありませんので、これも目をつぶりました。
瀧定時代から含め、梯子を外されたり、裏切られたりという経験を何度もし、ウエダに入ってからはそれこそ命がけで色々な交渉を経てきましたので、この頃には自分がいくら正しくても、大きな視野に立ち、感情を押し殺す事ができる様になっていたのかも知れません。
瀧定に入社二年目位の血気盛んな私に上司が言ってくれた言葉があります。
”お前な、理屈で勝っても商売に負けたら、ビジネスマンとしては0点や”
逃げずに苦労して来た経験は、必ず役に立つと思います。
株式の価格も今であればデューデリジェンス(資産の評価)を行ってという事になるのですが、この頃はそんな知識もなかったので、全て自分で考え、算出しました。
この頃の全ての交渉に言える事ですが、難しい事は分からなくても、原理原則に従い、ホントに死ぬ気になって取り組めば、凄く難しい事を勉強した専門家が出す結論と、かけ離れたものにならず、逆に実際身になる結論を出せると思います。
ディスカウントキャッシュフロー、当時でも言葉は知ってましたが、そんな算出方法よりも、単純に、唯一利益を出していて、しかも毎年コンスタントに見込める収益がある子会社が、グループから外れるわけですので、毎年見込まれる収益がなくなる、という事から考えれば、それを手放す場合は、どの位の見返りが必要か?という話になります。
三年~五年の間には、ウエダ本社を子会社からの収入などに頼らない、自社の本業だけで独り立ちさせないといけない、そう考えると自ずとディスカウントキャッシュフローなど知らなくても、常識的な線は計算できると思います。
株価以外にも、こういう視点でいくつかの条件を出しました。
中でも一番神経を使ったのは、子会社が離れる事により、数字を連結で出す事はできなくなるので、その事により銀行が一気に回収を図って来るであろう事でした。
その為、まず初めに、もし銀行がそういう態度になった場合、U社から借り入れをできる様に話しをつけていました。
(銀行対策の話も以前書きましたが、最悪の事態も想定して、その前にこの話を取り付けていました。)
その後、数ヶ月に渡り、何度も東京へ行き、交渉を重ねました。
この頃同時に進めていた他の問題への取り組みもそうですが、どの問題も半年以上かかっていた事ばかりですので、一つ一つの問題でも本当は十話以上の話は書けると思いますが、話が重くなるのと、公には言えない事もありますので、この交渉についても軽く結論だけにさせて頂きます。
色々な攻防がありましたが、株式の価格、売却後のウエダ本社の懸念される事に対するいくつかの補填の条件等については、私がほぼ考えていた通り、飲んでもらいました。
しかし、今回の売却の目的に一つには、グループ内にあっても無法状態であった子会社とルールの通じる上場会社に入ってもらう事によって、ウエダ本社との連携を図る事がありましたので、売却後の元子会社にも、役員で入れてもらうか、会議への参加を求めていましたが、それは却下されました。
又U社からすると、支配権が取得できれば総額は低い方が良いので、70%の取得にしたいという事で、こちらとしては30%を持っていても、議決権など何の効力もない事は分かっていましたが、あくまで連携が取れるならという事でそれ以上主張しませんでした。
ただ、一番納得はいかなかったのは、様々なルールを無視した子会社代表には、けじめの意味でも、完全に降りてもらうという事を入れておりましたが、U社も色々切れない事情があり、子会社がウエダ本社に内緒で作っていたその子会社の、株主として加わらせ、実際は経営にも関与させるという事でした。
上場会社であるU社がこういうグレーな決着をする事には大変憤りを覚えましたが、私は、その元代表個人を潰す事を目的としているわけではありませんので、これも目をつぶりました。
瀧定時代から含め、梯子を外されたり、裏切られたりという経験を何度もし、ウエダに入ってからはそれこそ命がけで色々な交渉を経てきましたので、この頃には自分がいくら正しくても、大きな視野に立ち、感情を押し殺す事ができる様になっていたのかも知れません。
瀧定に入社二年目位の血気盛んな私に上司が言ってくれた言葉があります。
”お前な、理屈で勝っても商売に負けたら、ビジネスマンとしては0点や”
逃げずに苦労して来た経験は、必ず役に立つと思います。
2008年4月3日木曜日
Do you Kyoto? Do you kyotostyle?イベント 岩上力氏
京都流の皆様には御馴染みの、今や京都検定では唯一の講師である岩上力さんの
セミナーは5月2日の14時10分頃から15時10分頃の予定で行ないます。
岩上さんのお話は本来、試験という側面の京都検定ではなく、京都の心を知るという、京都検定の元々の理念に沿ったものです。
しかし、それが検定向け講座では、本来の伝えるべき話ではなくなってしまう面がありますので、今回は、検定とは離れた、京都の心についてお話頂く予定です。
検定向け講座では聞けない、背景的な事についてのセミナーを、是非、お見逃し無くお願い致します。
又、ウエダ本社では岩上さんと、京都のくらしの12ヶ月として、京都で残すべき、伝えていくべき、1月~12月の京都の暮らし、行事を、分かりやすく解説して頂いたDVDを制作、販売していく予定です。
こちらも合わせて楽しみにして下さい。
決して、専門ではないので、画像などでも素人っぽい部分もあるかと思いますが、
だからこそ、伝えたい話をしっかり押さえた、映像のプロではできない物に仕立てていきましょうと、岩上さんとは話しています。
セミナーは5月2日の14時10分頃から15時10分頃の予定で行ないます。
岩上さんのお話は本来、試験という側面の京都検定ではなく、京都の心を知るという、京都検定の元々の理念に沿ったものです。
しかし、それが検定向け講座では、本来の伝えるべき話ではなくなってしまう面がありますので、今回は、検定とは離れた、京都の心についてお話頂く予定です。
検定向け講座では聞けない、背景的な事についてのセミナーを、是非、お見逃し無くお願い致します。
又、ウエダ本社では岩上さんと、京都のくらしの12ヶ月として、京都で残すべき、伝えていくべき、1月~12月の京都の暮らし、行事を、分かりやすく解説して頂いたDVDを制作、販売していく予定です。
こちらも合わせて楽しみにして下さい。
決して、専門ではないので、画像などでも素人っぽい部分もあるかと思いますが、
だからこそ、伝えたい話をしっかり押さえた、映像のプロではできない物に仕立てていきましょうと、岩上さんとは話しています。
2008年3月30日日曜日
ウエダ再興記(31)~ 株式の売却交渉
U社とは具体的に子会社の株式売却に向けての話を進める事になりました。
U社は、役員が担当として交渉役になりました。
最近はM&Aも一般的になり、小口の案件でも手掛ける所が多いのですが、この頃はまだ一般的ではなく、どこかに頼むという事も分からず、これも勉強しながらの交渉でした。
ただこの頃、私は上場を目指しているIT系企業の役員にもなっており、周りにもビジネスプランを立て、実像がないビジネスでありながら、高値で株式を売っていくというIT企業が多くありましたから、株の試算方式にもいくつかの方法があり、見方によっては、全然違う価値になるのだという知識はありました。
U社の担当役員には、ウエダグループの背景と、以下の様な、株を売却する理由と懸念点を話しました。
売却する理由としては
①グループでありながら全く統治されておらず、このままではウエダの改革が進まない事。
②グループ内では感情的や自分達の思惑ばかりの話で、”会社”としてのルールが通用していなかったので、却ってU社に入ってもらう事により、”会社”としてのルールは通じる様になると思った事。
③このままいけば子会社も分裂するであろうが、分裂後は残った方の業務に私も忙殺されるであろう事から、この場合もウエダ全体の改革には時間がかかるであろう事。
④株式を売却したお金で、物流事業の負債(ウエダの責任分)を一掃しようと考えた事。
そして、
⑤社員約100人という中途半端な規模のコンピュータ子会社や社員達にとっても、U社の傘下に入るという事はウエダの傘下でいるよりは、長い目で見た場合、この時点での選択肢としては得策であると考えた事。
などで、懸念としては、
①グループ連結で数字面の公表をしていたが、このコンピュータ子会社が殆ど利益を出していたので、これがなくなると一気に赤字になる事。
②借入金もグループ全体で行なっている形なので、その売上からすると低いが、実際は長年赤字のウエダ本社の借金で、単体になると、全く売上に対して多すぎる借金となる事とそれが皆に衆知になる事。
③一期が赤字になるだけではなく、グループでの今後の継続的な収益も見込めなくなる事。
④子会社から業務委託費的に上げていたウエダ本社の実際の収入もなくなる事。
⑤これらから銀行から、一気に貸し渋り、貸しはがしの対応をされる事が予想される事。
⑥唯一ウエダ本社の優位点であるXEROXの販売も、子会社が離れると、販売数が落ち、ウエダ本社の優位点は全くなくなってしまう事。
これらを話し、何度かの交渉の後、U社の条件の提示をもらう事になりました。
しかし、出て来た数字は、いくつかの評価の中で、この時の状況下では低くなる方式でのものでした。
U社は、役員が担当として交渉役になりました。
最近はM&Aも一般的になり、小口の案件でも手掛ける所が多いのですが、この頃はまだ一般的ではなく、どこかに頼むという事も分からず、これも勉強しながらの交渉でした。
ただこの頃、私は上場を目指しているIT系企業の役員にもなっており、周りにもビジネスプランを立て、実像がないビジネスでありながら、高値で株式を売っていくというIT企業が多くありましたから、株の試算方式にもいくつかの方法があり、見方によっては、全然違う価値になるのだという知識はありました。
U社の担当役員には、ウエダグループの背景と、以下の様な、株を売却する理由と懸念点を話しました。
売却する理由としては
①グループでありながら全く統治されておらず、このままではウエダの改革が進まない事。
②グループ内では感情的や自分達の思惑ばかりの話で、”会社”としてのルールが通用していなかったので、却ってU社に入ってもらう事により、”会社”としてのルールは通じる様になると思った事。
③このままいけば子会社も分裂するであろうが、分裂後は残った方の業務に私も忙殺されるであろう事から、この場合もウエダ全体の改革には時間がかかるであろう事。
④株式を売却したお金で、物流事業の負債(ウエダの責任分)を一掃しようと考えた事。
そして、
⑤社員約100人という中途半端な規模のコンピュータ子会社や社員達にとっても、U社の傘下に入るという事はウエダの傘下でいるよりは、長い目で見た場合、この時点での選択肢としては得策であると考えた事。
などで、懸念としては、
①グループ連結で数字面の公表をしていたが、このコンピュータ子会社が殆ど利益を出していたので、これがなくなると一気に赤字になる事。
②借入金もグループ全体で行なっている形なので、その売上からすると低いが、実際は長年赤字のウエダ本社の借金で、単体になると、全く売上に対して多すぎる借金となる事とそれが皆に衆知になる事。
③一期が赤字になるだけではなく、グループでの今後の継続的な収益も見込めなくなる事。
④子会社から業務委託費的に上げていたウエダ本社の実際の収入もなくなる事。
⑤これらから銀行から、一気に貸し渋り、貸しはがしの対応をされる事が予想される事。
⑥唯一ウエダ本社の優位点であるXEROXの販売も、子会社が離れると、販売数が落ち、ウエダ本社の優位点は全くなくなってしまう事。
これらを話し、何度かの交渉の後、U社の条件の提示をもらう事になりました。
しかし、出て来た数字は、いくつかの評価の中で、この時の状況下では低くなる方式でのものでした。
2008年3月26日水曜日
Do you Kyoto? Do you kyotostyle?イベント 千宗屋氏
5月2日のお昼から、武者小路千家若宗匠の千宗屋氏にお話頂きます。
今回お願いに行った際、初めて官休庵に入らせて頂きました。
私は、”伝統文化、伝統産業を決してその価値を下げずとも、もっと色々な人々に知らしめる方法がある筈で、色々な立場の人々に草の根的に参加して頂けるイベントにしたい”そう説明させて頂いた時、若宗匠がすぐさま仰ったのが、私は、”伝統文化””伝統”と言われる事自体に、あまり心地よさを感じていないのです、という事でした。
これを聞いただけで、今回のイベントに是非ご参加頂きたいと思いました。
私などの様な不躾者が、それだからこそ、色々な事を気にせず、単純な問題意識から、京都流~そして今回のイベントまで展開してきたのですが、若の様な、本流のど真ん中におられる方が、自ら、伝統と言われていては駄目なんだという事を言われるのですから、大変心強く思ったわけです。
お茶も昔は、生活に密着していたもので、それが今では、別世界のものになってしまった。
本来文化というものは、生活に密着しているもので、祭り上げられるものではない。
かと言っても、今の茶道をそのまま生活に密着させるというのも無理があり、その辺りをどういう折り合いをつけていくのかが、茶道や、伝統文化と言われるものの、
考えていかなくてはいけないところだという事をお聞かせ頂きました。
本流の真ん中におられて、この様なお考えで、展開していこうとされている方々が、垣根無しで集まっていく事ができると、面白いと思いますし、このイベントがそういう切欠になればと思っています。
若宗匠を評しては、大変博学な方で、どんな話でもお話頂けるという事でしたが、今回はまず三千家の成り立ちから、お話して頂く事になるかと思いますので、皆様どうぞお楽しみにして下さい。
今回お願いに行った際、初めて官休庵に入らせて頂きました。
私は、”伝統文化、伝統産業を決してその価値を下げずとも、もっと色々な人々に知らしめる方法がある筈で、色々な立場の人々に草の根的に参加して頂けるイベントにしたい”そう説明させて頂いた時、若宗匠がすぐさま仰ったのが、私は、”伝統文化””伝統”と言われる事自体に、あまり心地よさを感じていないのです、という事でした。
これを聞いただけで、今回のイベントに是非ご参加頂きたいと思いました。
私などの様な不躾者が、それだからこそ、色々な事を気にせず、単純な問題意識から、京都流~そして今回のイベントまで展開してきたのですが、若の様な、本流のど真ん中におられる方が、自ら、伝統と言われていては駄目なんだという事を言われるのですから、大変心強く思ったわけです。
お茶も昔は、生活に密着していたもので、それが今では、別世界のものになってしまった。
本来文化というものは、生活に密着しているもので、祭り上げられるものではない。
かと言っても、今の茶道をそのまま生活に密着させるというのも無理があり、その辺りをどういう折り合いをつけていくのかが、茶道や、伝統文化と言われるものの、
考えていかなくてはいけないところだという事をお聞かせ頂きました。
本流の真ん中におられて、この様なお考えで、展開していこうとされている方々が、垣根無しで集まっていく事ができると、面白いと思いますし、このイベントがそういう切欠になればと思っています。
若宗匠を評しては、大変博学な方で、どんな話でもお話頂けるという事でしたが、今回はまず三千家の成り立ちから、お話して頂く事になるかと思いますので、皆様どうぞお楽しみにして下さい。
2008年3月23日日曜日
ウエダ再興記(30)~ それぞれの選択
具体的に話が進んでいくと、最初の話とは違う事も出てきました。
全員受け入れてもらうという社員も、営業は地元に残れますが、仕入れや営業サポートなどは、東京に一本化される為、女性社員はこの時点で辞めなければないのが、実質的な話でした。
途中から、営業譲渡ではなく、あくまで商品を買い取り、各社で契約を終えた社員を引き継ぐだけという事になっていましたので、移行する社員にはその時点で、退職金を用意しなければなりませんでした。
社員達に話しても良いとなったのは、移行する社員の名前を提出しなくてはならない
1週間前でした。
全社員を集め、この間の経緯、P社が作る新会社の概容、残るウエダ本社のこれからの方針を説明しました。
社員達に酷であったのは、その時初めて説明を聞かされ、人生のかかった決断を1週間以内に、結論を出してもらわなくてはならなかった事、東京でしかポストがない業務についている人は、その時点で、東京に行くのか、辞めるかの選択しかできなかった事です。
私の方もきつい事はありました。
退職金については、遅かれ早かれ払わないといけないので、大きな問題ではありませんでしたが、残るウエダ本社も、順風どころか、いばらの道でした。
大幅な規模縮小と、今までグループ経営などと言ってベールに覆われていた(隠していた)数字が表に出るので、瞬時に立て直さないと、倒産に追い込まれるであろう事は予測できました。
しかしそういう状況の中でも後の体制を全く組めませんでした。
ホントは、こちらから何人かに向けて、ウエダに残ってくれと言って、その人達を起点に早急に組織、運営を考えていかなくてはならないのですが、皆にとっても大きな人生がかかっているので、変に勧誘などせず、自分の考えだけで選んでもらう様にしました。
1週間しか、選択の余地を与えられなかった、せめてもの償いでもないのですが、こちらの希望など言える権利はないと我慢しました。
ただ、猶予はありませんから、この1週間の内には、誰が残った場合はどうする、という何十種類ものシュミレーションを考えていました。
何も策の打てない1週間というのは大変長く感じました。
その間に、東京でしか受け入れのない、設計を担当している社員と、営業サポートをやっている女子社員が付き合っていて、しかも結婚を考えているという事を聞き、この二人が行くというなら東京で採用してくれる様交渉したり、P社には一人でも多くの人が良い形でいける様にいくつかの交渉をしていました。
文具担当の中堅社員が新会社には行かず、辞めようとしている事を聞き、よく考える様に説得したり、この間は社員の行く先の事で奔走していました。
金曜日夜だったと思います、皆の希望が出揃いました。
新ウエダ本社では残す人数も言っていた事もあり、人数についてはほぼ予定通りでした。
残る事を希望した名前を並べ体制を考え出していた頃、事業部を統括していたS部長から電話がありました。
彼は”自分は上司として失格です。皆に期限を切っておきながら、自分は新会社に希望を出しましたが、まだぐらついています。
自分だけ抜け駆けしている様で心苦しいですが、もう一日だけ待ってもらえませんか?”というものでした。
私は特例という事が嫌いですが、文具業界の常識は知らないと言って展開していく私と、文具屋さんの間に入って、辛い役割もやってくれていた事、私の何倍もウエダへの愛着を持っていてくれていた事などを考えると、”Sさんは特例ではなく
ウエダへの貢献を考えると、一日長くする事は不公平ではないと思いますから、明日まで考えて下さい”そう言いました。
翌日S部長は、”一日頂きましたが、やはり新会社の方へ行かせて頂きます”と連絡がありました。
”ウエダの都合で行なった事であり、それぞれの人生だから、やむを得ない、ウエダを選択してくれたメンバーで考えよう”と思っていましたが、やはり皆が去っていくという事を目の当たりにするのには、寂しい思いがありました。
全員受け入れてもらうという社員も、営業は地元に残れますが、仕入れや営業サポートなどは、東京に一本化される為、女性社員はこの時点で辞めなければないのが、実質的な話でした。
途中から、営業譲渡ではなく、あくまで商品を買い取り、各社で契約を終えた社員を引き継ぐだけという事になっていましたので、移行する社員にはその時点で、退職金を用意しなければなりませんでした。
社員達に話しても良いとなったのは、移行する社員の名前を提出しなくてはならない
1週間前でした。
全社員を集め、この間の経緯、P社が作る新会社の概容、残るウエダ本社のこれからの方針を説明しました。
社員達に酷であったのは、その時初めて説明を聞かされ、人生のかかった決断を1週間以内に、結論を出してもらわなくてはならなかった事、東京でしかポストがない業務についている人は、その時点で、東京に行くのか、辞めるかの選択しかできなかった事です。
私の方もきつい事はありました。
退職金については、遅かれ早かれ払わないといけないので、大きな問題ではありませんでしたが、残るウエダ本社も、順風どころか、いばらの道でした。
大幅な規模縮小と、今までグループ経営などと言ってベールに覆われていた(隠していた)数字が表に出るので、瞬時に立て直さないと、倒産に追い込まれるであろう事は予測できました。
しかしそういう状況の中でも後の体制を全く組めませんでした。
ホントは、こちらから何人かに向けて、ウエダに残ってくれと言って、その人達を起点に早急に組織、運営を考えていかなくてはならないのですが、皆にとっても大きな人生がかかっているので、変に勧誘などせず、自分の考えだけで選んでもらう様にしました。
1週間しか、選択の余地を与えられなかった、せめてもの償いでもないのですが、こちらの希望など言える権利はないと我慢しました。
ただ、猶予はありませんから、この1週間の内には、誰が残った場合はどうする、という何十種類ものシュミレーションを考えていました。
何も策の打てない1週間というのは大変長く感じました。
その間に、東京でしか受け入れのない、設計を担当している社員と、営業サポートをやっている女子社員が付き合っていて、しかも結婚を考えているという事を聞き、この二人が行くというなら東京で採用してくれる様交渉したり、P社には一人でも多くの人が良い形でいける様にいくつかの交渉をしていました。
文具担当の中堅社員が新会社には行かず、辞めようとしている事を聞き、よく考える様に説得したり、この間は社員の行く先の事で奔走していました。
金曜日夜だったと思います、皆の希望が出揃いました。
新ウエダ本社では残す人数も言っていた事もあり、人数についてはほぼ予定通りでした。
残る事を希望した名前を並べ体制を考え出していた頃、事業部を統括していたS部長から電話がありました。
彼は”自分は上司として失格です。皆に期限を切っておきながら、自分は新会社に希望を出しましたが、まだぐらついています。
自分だけ抜け駆けしている様で心苦しいですが、もう一日だけ待ってもらえませんか?”というものでした。
私は特例という事が嫌いですが、文具業界の常識は知らないと言って展開していく私と、文具屋さんの間に入って、辛い役割もやってくれていた事、私の何倍もウエダへの愛着を持っていてくれていた事などを考えると、”Sさんは特例ではなく
ウエダへの貢献を考えると、一日長くする事は不公平ではないと思いますから、明日まで考えて下さい”そう言いました。
翌日S部長は、”一日頂きましたが、やはり新会社の方へ行かせて頂きます”と連絡がありました。
”ウエダの都合で行なった事であり、それぞれの人生だから、やむを得ない、ウエダを選択してくれたメンバーで考えよう”と思っていましたが、やはり皆が去っていくという事を目の当たりにするのには、寂しい思いがありました。
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