2008年4月13日日曜日

ウエダ再興記(33)~ IT企業での役員

同時にいくつもの後ろ向きの処理ばかりを行なっていましたが、本来のリストラ(再構築)という意味からすると、それだけではなく、新しい展開もしていかなくてはいけません。
文具卸の連携先の模索、子会社株の売却、物流事業からの撤退交渉、残る事業の立て直し、銀行交渉、という難題を抱えながら、望みをかけてIT系企業の非常勤役員を引き受けていました。

この頃はネットバブルの真っ只中で、この会社も上場する準備を進めていました。
このオーナーは日本のみならず、世界的にみて、インターネットの黎明期から開発に関わっていた人で、後にネットスケープというウェブブラウザ-の前進であるモザイクにも関わっていました。
このモザイクというのは、後に出て、今や殆どの人が使っているインターネットエクスプローラーと同じ役割をするもので、これがなければインターネットにつなげないのですから、本当にインターネットの世界に革命をもたらしたと言っても過言ではないものです。
そんな実績が認められ、これもWindows95が出る以前には、世界で圧倒的シェアと取っていたユードラというメールソフトの日本での権利を、たくさんの大手会社と争そって権利取得していました。

このオーナーD氏と、彼が米国シリコンバレー時代に知り合ったN氏とで運営していた会社Kというのが、私が関わった会社でした。
このN氏という人も大変な経歴を持っている人で、家族全員日本人ですが家はパリにあり、この当時パリに住んでいたlunaparkさん(京都流ユーザー)から紹介してもらったという経緯で、丁度、一つ一つを売っていくというノウハウを持っていなかった
Kという会社で、繊維ではありながら一応、流通を川上から見てきた点と、独立して色々な業種に向けて出入りし営業をかけていた点を期待され、非常勤役員に迎えられたのでした。

ウエダ内での暗い事だらけの話とは対照的に、ネットバブル真っ盛りのこちらの業界では、正に夢の様な話がゴロゴロしており、これらネタをウエダが販売するという様な事ができれば、”苦境から脱却できる”これに望みをかけて、ウエダ内の事だけでもとても時間が取れる状態ではない中、優先してこちらの会社にいく時間を作りました。
今から考えると、ホントに唯一、夢を見れる時間であったので、これがあったから、モチベーションも続いたのかもしれません。

しかし経営会議では、ベンチャーキャピタルや、証券会社、信託銀行など上場に向けて関わっている会社も入って、MBAでも取得していないと分からない様な、賢い話が喧々諤々行なわれ、海外企業との交渉などにも何度か同席しましたが、
参加者は、それぞれが二ヶ国語以上話すので、通訳なしで当たり前の様に英語で行なわれ、こんな所で役員になっていて良いのか?
と初めは戸惑いました。

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