2008年4月6日日曜日

ウエダ再興記(32)~ 色々な経験があればこそ

私も、株式の価格は勿論ですが、それ以外にもいくつかの具体的な条件を出しました。
株式の価格も今であればデューデリジェンス(資産の評価)を行ってという事になるのですが、この頃はそんな知識もなかったので、全て自分で考え、算出しました。

この頃の全ての交渉に言える事ですが、難しい事は分からなくても、原理原則に従い、ホントに死ぬ気になって取り組めば、凄く難しい事を勉強した専門家が出す結論と、かけ離れたものにならず、逆に実際身になる結論を出せると思います。

ディスカウントキャッシュフロー、当時でも言葉は知ってましたが、そんな算出方法よりも、単純に、唯一利益を出していて、しかも毎年コンスタントに見込める収益がある子会社が、グループから外れるわけですので、毎年見込まれる収益がなくなる、という事から考えれば、それを手放す場合は、どの位の見返りが必要か?という話になります。
三年~五年の間には、ウエダ本社を子会社からの収入などに頼らない、自社の本業だけで独り立ちさせないといけない、そう考えると自ずとディスカウントキャッシュフローなど知らなくても、常識的な線は計算できると思います。

株価以外にも、こういう視点でいくつかの条件を出しました。
中でも一番神経を使ったのは、子会社が離れる事により、数字を連結で出す事はできなくなるので、その事により銀行が一気に回収を図って来るであろう事でした。

その為、まず初めに、もし銀行がそういう態度になった場合、U社から借り入れをできる様に話しをつけていました。
(銀行対策の話も以前書きましたが、最悪の事態も想定して、その前にこの話を取り付けていました。)
その後、数ヶ月に渡り、何度も東京へ行き、交渉を重ねました。

この頃同時に進めていた他の問題への取り組みもそうですが、どの問題も半年以上かかっていた事ばかりですので、一つ一つの問題でも本当は十話以上の話は書けると思いますが、話が重くなるのと、公には言えない事もありますので、この交渉についても軽く結論だけにさせて頂きます。

色々な攻防がありましたが、株式の価格、売却後のウエダ本社の懸念される事に対するいくつかの補填の条件等については、私がほぼ考えていた通り、飲んでもらいました。

しかし、今回の売却の目的に一つには、グループ内にあっても無法状態であった子会社とルールの通じる上場会社に入ってもらう事によって、ウエダ本社との連携を図る事がありましたので、売却後の元子会社にも、役員で入れてもらうか、会議への参加を求めていましたが、それは却下されました。

又U社からすると、支配権が取得できれば総額は低い方が良いので、70%の取得にしたいという事で、こちらとしては30%を持っていても、議決権など何の効力もない事は分かっていましたが、あくまで連携が取れるならという事でそれ以上主張しませんでした。

ただ、一番納得はいかなかったのは、様々なルールを無視した子会社代表には、けじめの意味でも、完全に降りてもらうという事を入れておりましたが、U社も色々切れない事情があり、子会社がウエダ本社に内緒で作っていたその子会社の、株主として加わらせ、実際は経営にも関与させるという事でした。

上場会社であるU社がこういうグレーな決着をする事には大変憤りを覚えましたが、私は、その元代表個人を潰す事を目的としているわけではありませんので、これも目をつぶりました。

瀧定時代から含め、梯子を外されたり、裏切られたりという経験を何度もし、ウエダに入ってからはそれこそ命がけで色々な交渉を経てきましたので、この頃には自分がいくら正しくても、大きな視野に立ち、感情を押し殺す事ができる様になっていたのかも知れません。

瀧定に入社二年目位の血気盛んな私に上司が言ってくれた言葉があります。
”お前な、理屈で勝っても商売に負けたら、ビジネスマンとしては0点や”
逃げずに苦労して来た経験は、必ず役に立つと思います。

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