2008年2月17日日曜日

ウエダ再興記(25)~ どんでん返しのメインバンク

取引変更の交渉も、永年お世話になった所に対して、いきなり明日から変更しますというわけにもいきませんから、実際は、同じ様にリストラ計画を説明する事から始めました。

しかし予想した通り、都銀の態度は目に見えて、変わりました。
当座貸越という契約で、殆ど実際は利子だけ払っていて、元金は張り付いたままで返済していないという状態で来ていたものを、1年の証書貸付に変更してくれと言ってきました。
1年の証書貸付という事はその間に元金も返済し、1年後には完済しなくてはならないわけですから、実際できるわけのない話です。

この都銀ともこの後何度も怒鳴りつける様な交渉をしながら、その間に地方銀行にメインになってもらう交渉を進めました。
怒鳴りつける交渉をしてはいましたが、腹の中ではこうなる事は予想していました。

ところが、計算違いであったのが、都銀を切りにかかり、険悪なムードになった所で、リストラ計画大いに賛成と言って、メインになってくれる筈であった地銀の態度が変わった事です。
今までずっと、都銀のサブで居た為、その地銀からすると大変不利な条件であったのを、ここぞとばかりに条件変更を言って来たのです。

この地銀に対しては、リストラの事業計画も提出し、年間2500万円しか返済原資がない形で、それに基づいて計画を立てていましたが、そんな事はお構いなしで年間5000万円返済、しかも同じく当座貸越から証書貸付に変更して、利率も1%近く上る話でした。
”あなた方、地銀が都銀と同じ様なスタンスで、事務的に、役所的に、そんな対応をしていて良いのか?”交渉役の部長に、又腸が煮えくり返る思いで怒鳴っていました。

と同時に、この交渉も大変シビアなものでした。
メインであった都銀とは既に決裂していて、カバーをしてくれる筈の地銀とも揉めるわけですから、間合いを少し間違うとやはり倒産という可能性もある局面でした。

この時、救ってくれたのが、新規でサブに入ってもらった京都信用金庫です。
当時の本店長に流れを話すると、一度うちで肩代わりする提案をしましょうか?との事でした。
しかも数日後、京信から出て来た提案というのは、この頃の状況を考えると尋常ではない破格の条件でした。
私が驚いて本店長に、どうしてここまでやってくれたのですか?と聞いたところ、
本店長は、予想される御社の返済原資から考えると、これくらいの条件にしないと無理でしょう?と言ってくれました。

地銀には、事業計画、返済計画もしっかり出していたにも関わらず、こちらの事など一切考えない案であったのに、京信の方は、事業計画も出していないのに、状況を類推して、うちを生かす為に、こちらの返済余力から逆算しての、条件を出してくれたのでした。

意気に感じた私はその場で、ずっと話して来た地銀に代えて、京信をメインに据える約束をしました。
メインになってもらうべく話して来た地銀には、今度は新規で入って来た信金のサブにつく事を、納得してもらう交渉をしなければなりませんでしたが、そんな交渉くらいはやらないと申し訳ないと思いました。

納得の行かない事は相手が誰であれ、主張して行きますが、相手が腹をくくって考えてくれた事に対しては、こちらもそれに応えなくてはいけない、それが私の全てに共通する基本的なスタンスです。

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