2006年12月30日土曜日

この期に及んで・・のインド総括

今回で一番インド的なポイントである、ガンジスの沐浴に向かいました。
その日は朝5時頃から出かけて聖なる河に向かったのですが、まだ夜明け前から、祭りの様に人が一杯でしかも全員が河に向かっていました。



河に着くと、テレビなどで見たことのある光景がそこにありました。



とても濁った汚い河に入ってこの世での懺悔をするという宗教的な部分と、



その横で歯を磨いていたり、洗濯をしていたりという生活場になっていたり、火葬場もあり、そこで火葬した灰をこの河に流すという又聖なる部分とが混在していて、
その光景には全く頭も混乱させられました。



インドに初めて行ってみて、ほんの一部しか見てないと思いますが、それでも死生観というのは、変わったというか、色々考えさせられました。

牛も馬も犬も人間も同じレベルで生きているというか、乳飲み子を抱いて泣きながら物乞いをしている人間が居て、可哀相と思っていると、それを演技でやっていたりする姿も見えたりし、”生きる”という事に必死なんだという事を感じました。
それに対して、死んだ時に、聖なるカンガー(ガンジス)に火葬して灰を流してもらうのが、一番の栄誉という事なので、火葬場でも死というものに関して、暗い感じを受けないというか、あっけらかんとした感じさえ受けました。

この対比が何か不思議な感じがして、生というものへの感覚が明らかに違う事がわかりました。
多分この辺りのインドでは、イジメ自殺も、うつ病も無いと思います。
皆生きることに必死なんです。
精一杯生きて、その証というか、その結果あの聖なるカンガーに流してもらえるのです。

この感覚の違いは勿論色々な要因から来ると思いますが、その中でもやはり日本との圧倒的な違いは宗教観ではないかと思いました。
インドはたくさんの宗教が入り混じっているのですが、どの宗教かというよりも、全ての人のベースに宗教があり、その上にそれぞれの生と死がある様に思いました。

多くの人が無宗教と答える日本にとって、世界の国々や人を理解するには、多くの国、民族が深く抱いているこの宗教観を理解しないと、何も理解できないのではないかと思いましたし、今後はこういう宗教観の様なものも見て、世界を見、世界を見る事によって日本を見て行きたいと感じさせらたインド視察でした。

来年はちょっと視点が変わるかもしれませんよ?

という事で多分今年最後になると思います。
今、京都流コミュニティーでは色々な問題提起を行なってもらってますが、そんな所から来年もどう変わっていくか、、来年もどうぞよろしくお願い致します。

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