2012年11月6日火曜日

島根で嘆きの壁?

先週末は島根へ行っておりました。

理由は、師匠である大久保寛司さんに、お誘い頂いたからであり、島根出身である、鎌倉投信の鎌田さんが、中村ブレイスhttp://www.nakamura-brace.co.jp/さんを始め、びっしり企画して頂けるから、との事からでした。

実は島根は初めてであり、最終日に出雲大社にも行けるし ・・と、若干軽い気持ちも混じりながら、参加させて頂きましたが、初っ端に中村ブレイスさんで、撃沈されました。

義肢・装具のメーカーを人口500人の町で創業されたのですから、皆から、何を考えているのだ、
マーケットが無いと総反対だったそうです。

しかし、
-最初は一人のお客様から一歩一歩
-貧乏でも心は豊かだった
-採算よりも他の人を喜ばせてあげたい
-できないと思うより、やれると思う方が楽しい

などなど、その醸し出される雰囲気から、これらの言葉がポーズや上辺で仰っているのではなく、心底、本当にその様に思われているという事がよく分かります。

元々そんな素晴らしい人格を持たれた方が、楽しんで、世の為、他人の為に人一倍努力されるのですから、中村社長も仰るとおり、”採算が合わない”と言われた物(技術)が他の物に応用できたり、希望を燃やしていくと、奇跡が起こるのだという事でした。

フィリピンで、子供向けの義足の話があった際、まず日本の20~30万もする義足をまず買えないし、買ったところで成長に合わせて調整していかなくてはならない事、その技術は簡単に習得できるものではない事などから、現地の素材である竹、職人技術も有る竹細工に目を着け、現地の職人さんを使って義足を作る事に挑戦され、5000円程で買える、竹の義足を開発されたのです。

これが全てを表す様に、心底、自分の事は一切考えず、他の人に喜んでもらう事を追及して来られて、ここまでの成功を収められたのですが、それまでのご苦労などは、我々の比ではない、想像を絶するものであったと思います。

それなのに・・慌てず、一歩一歩やっていけば、周りの人が助けてくれる、最初は一人のお客様から始まったのだから150人になれば150倍になって、全て有り難い事であり、支えているつもりが自分達が支えられているのです。

との事なのです。

斜陽的なメインの事業と、それ故変革を目指し、その方向に明確に進めているつもりの我々は、現実には進めておらず、落ち込んでいく従来のポジションに留まっているギャップの中で、まだまだ苦しんでいたのですが、その自分が何と小さく、何と浅い想いであったのだろうと気づかされ、嘆きの壁の前の信者の様な心境で、何か懺悔の様な気持ちで泣けて来ました。

しかし勿論、同時に大きな勇気も頂きました。

我々なんかの存在は、やはり一歩一歩、お客様の喜んでもらう事を追求していけば良いのだと。

一歩一歩慌てずに成長する・・気づけば、言葉は違えど年輪経営として、信州辺りで何度も聞いている話と全く同じなんですが。。

と、それを考えると、我々は一歩一歩でも進んでいるのだろうか??と思ってもしまいますが、この衝撃の島根の旅は、これだけではないのです。

”恐ろしき島根”の続編は又纏めます。

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