2006年11月26日日曜日

この場をお借りして話させて頂きます(前)

最近、ブログにあまりじっくりと向かえてません。
ただでさえ、仕事が山積している上に、実は今月の8日に母が急死し、その絡みの事でも時間が取られ、やらなきゃいけない事だらけでちょっとキツイ状況です。
という事でこれからもブログに対して若干手薄になると思いますが、ご了解頂ければ幸いです。

今日はそのエクスキューズと共に、他人の手を借りるのを嫌い、ずっと人の事ばかりやって来て、苦労ばかりして来た母ですので、最後に陽の目ではないですが、皆さんにも知って頂く事で、少しでもその苦労が報われればと思い、ウエダの創業にも関わっていた母の事に触れたいと思います。

ウエダというのは私の母方の祖父、つまりこの母のお父さんの創業であります。
しかしこの祖父は私の母と血のつながりはありません。
上田の祖父は私の母の実父が亡くなった後に、祖母が再婚した相手で、思春期であった母は反発もしたらしく上田の籍には入らず、実父の中西という籍のままでいました。
上田の祖父からすると、自分に懐かない子供は可愛くなかったでしょうから、可愛がってもらったという感覚はなかったようです。

しかし、その養父がウエダを創業したので、青春時代は会社の配達から経理などを手伝っていたそうです。
後に私の父(岡村)と結婚をし、私の父が後に二代目となるわけですが、それも当初は養父から反対をされていたのですが、根っから商売人の上田の祖父は、ウエダに事務機部門を導入しようとの思いから、機械に多少明るかった岡村を入れる為に一転賛成して結婚する事になったそうです。

私の父は商売人タイプではなかったと思います。
2代目でもあり、お金(数字)にはあまり強くなく、義父との関係もあるでしょうが、
見栄・体裁が先走るタイプでした。
そんな父ですので、創業者である祖父が亡くなり、バブルが弾けると、業績はドンドン落ちて行っていました。

弟であり、小さい時からウエダには入らないと言い、繊維商社から30歳の時に独立をして別で会社をやっていた私が入らざるを得なかった時には、会社は問題だらけの大変な状況でした。
多分、2年程遅ければ倒産していたと思います。

しかし、外で良い格好ばかりしていた父の功罪?もあり、ウエダは外から見るとまだ良い会社に思われており、それを変えて行かなくてはならない私は業界内では勿論、社内でも社外でも悪役でした。
お父さんはそんな事しなかった・とかお父さんはもっとこんな風にしてた・とか、そりゃ父はお金の事、会社の事、社員の事などを考えずに、良い格好ばかりしていたわけですから気楽なものですよね。

この頃には一番母の苦労が分かりました。
この私のやっている役回りをずっと母はやっていたんだとこの時初めて分かりました。

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