2007年1月22日月曜日

阪神大震災 被災記③

体育館に行くと、既に体育館の端っこは一杯でした。

ところが、端っこなのにすっぽり空いている場所が所々あります。
何故、あそこだけ空いてるのだろうと不思議に思い、よーく見てみて分かりました。
その空いている場所の上にはバスケットゴールがあるのです。

余震で落ちてくる事を警戒して空けていたわけです。
またまた、皆冷静に考えているものだな~と一人で感心しました。

皆が空けているとさすがに気持ち悪く、私は体育館の真ん中近くに一人で陣取りました。
周りは皆、家族で避難していて、そんな中、真ん中で一人では、非常に居づらく、場所だけ確保して外に出ました。
外では、体育館だと居心地が悪い人達が、車の中でヒーターをつけ、過ごしていました。

私もそうしたかったですが、車にはガソリンが少ししか残っていない為、そんな事はできないので、一人で気楽だけれども大変寒い車の中と、少しは寒さがマシだけれど居づらい体育館を何度も往復して過ごしました。

この当時、他の人より少し恵まれていたのは、携帯電話を持っていた事です。
この頃はまだ一般の人で携帯を持っている人は少ない時代でしたが、この一年前から独立して仕事をしていた私は、携帯を持っていました。
NTTの一般電話は殆ど繋がらないので、公衆電話は大変な行列になっていましたが、携帯はまだかかり、家族や、現在の家内に何時間かおきには無事の連絡ができました。
かと言っても今の携帯とは違うので、バッテリーが持ったないですから、こちらから無事だけを伝えて、直ぐ切って、次は又二時間後に連絡するというような状態でした。

夜になると、朝から燃えている火事はやたら激しく見え、真っ赤な火が徐々に近づいてくるのが分かります。
体育館の外に出る度に心配になって、マンションを見に帰りました。

その途中の自動販売機にコーンポタージュスープの缶がありました。
穴場だったのか、この夜になっても残っていたので、迷わず買いました。
体は冷え切っていましたし、手もかじかんでいましたので、ホントは一気に飲みたかったですが、手を温めながら、少しづつ飲み、体の中に温かいスープが入るのを感じながら、ゆっくり飲みました。

そんな事を繰り返していて、夜の9時か10時頃だったかと思います、初めての救援物資でおにぎりが届きました。
一人一個でしたが、朝から初めてのまともな食べ物でした。

つづく。

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