2015年1月10日土曜日

2015年から考えるバックトゥーザフューチャー

2015年の第一週が終わりました。

堀場最高顧問とご一緒させて頂いているクオリア朝食会も新年第一回目がありましたが、最高顧問が風邪をひかれてご欠席となり、急遽、現在、同志社大学学長である村田晃嗣さんにお越し頂いての勉強会となりましたが、30分程の題材提供でのお話は、切れ味抜群でした。

我々世代だと殆どが観たのではないか?というバックトゥーザフューチャーパート2という映画は、1985年の30年後の未来である正に今年(2015年)が舞台となっており、そこには車は空を飛んでいるが、今や無くてはならない携帯電話の様な物は全く存在しておらず、人間の想像力というものは、それ程先の世界を読めるものではないという事でした。

その掴みの話は、ファンタジーとして面白いですが、同時に、その主人公であるマイケルJフォックスが首にされる会社の社長は日本人であったらしく、今描かれるとすれば、多分、中国人になるのでは?と続けられた話は、ファンタジーでは済まされない話でした。

日本も、こぞってグローバル化を叫んでいるが、そもそも国単位の話である国際化と、国のボーダーを越えて考えるグローバル化の違いもしっかり認識できていない日本で、この波に乗っていけるのだろうか?世界に出ていく事しかないのだろうか?という問題提起であった様に思います。

米国では、ヒスパニック系移民が流入するフロリダの人口が3位となり、今後は中南米志向が強まっていくであろう。
その考えに基づくと、米国における日系人は4世、5世となっており、日本との繋がりも無くなっているのに対して、インドやベトナムなどは2世も多く、アジア系も図式が変わっていっており、日本の存在感が薄れていく事や、グローバルを考えるにおいては、国単位の国際化ではなく、この様な民族性や宗教というボーダーレスな目で見ていかないと読み取れないと仰っていました。

又、イノベーションというものは、異質なものに多様な都市でないと起こらないというお話から考えても、少子高齢化に加速度的に向かっている日本は、移民受け入れという問題を避けて通る事はできないと思います。

しかし同時に村田学長は、多様性というのは、海外や外国人にだけに目を向ける事なのか?という事も提示されていて、日本国内の多様性という事、そこに目を向けられる人というのが、英語を話せるという事よりももっと重要なグローバル人材であり、日本国内のそれぞれの地方でそれぞれの価値を見出して活躍する事もグローバル(ボーダーレス)な感覚であり、日本にとってはもっと重要な事かもしれないとも仰っていました。

このベースの考えは、全く同感で、私自身もウエダ本社という会社を通して、日本の職場(企業)の変革と、京都という日本の縮図の様な場所から、日本の変革に繋げたいと思っています。

バックトゥーザフューチャーに描かれた年でもあるターニングポイントになるかもしれない今年、色々な意味でリソースも揃って来たウエダ本社も、皆に大きく意識変革してもらわなければなりません。

その意味で、新年初日の営業会議では、ちょっと厳しく話をしましたが、今週はほぼ毎日、各チームが自主的に、自分達の役割について話あってくれていた様子には、成長を感じました。

今、うちのメンバーも若返って、中心は30代ですので、30年前という事は、殆ど人生やり直せる所から考えても、ウエダ本社に入りたいという会社にする事、そして、この仕事がしたいと言えるものにしていく事、それが皆への新年からの宿題です。


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