2015年1月18日日曜日

100年先を見据えて、私の役割

今週は、どうしても阪神大震災から20年という話題に触れないわけにはいきません。

何度も話していますので、知って頂いている方も多いですが、私は正に震度7の、ど真ん中で被災しましたので、事あるごとに、色々な光景を思い出します。
(ご興味ある方は、以前まとめたこちらをご覧ください)

マスコミなどでは”区切りの年”などと言う表現を使います。

何が区切りなのか分かりませんがそれでも、20年という年月は、その時に生まれた赤ちゃんが成人するのですから、明らかに時代は変わっていっていると思います。

これを機に、NPOやボランティアが日本に根付く様になったとも言われた流れは、今のソーシャルビジネス、ソーシャルイノベーターという流れに繋がってきており、課題先進国と言われる日本を、今後救っていく力になっていくことでしょう。

今週初めの三連休には、長野で高野さんが始められた百年塾(こちらをご参照下さい)に参加していました。

今回は、地域と人を大切にされる長野の代表企業である伊那食品工業の塚越専務、中央タクシーの宇都宮社長、小布施堂の市村社長の講演とサプライズゲストの大久保寛司さんのコーディネートでのパネルディスカッションという内容でした。

中央タクシーさんの話を聞きたいと言っていたので、有り難い事に高野さんからお誘いを頂いて参加させて頂いたのですが、前回は、この立ち上げの時に参加させて頂いていたものが、今では10か所以上の地域に広がっているとの事でした。

高野さんが百年先を見据えて、地域に”想い”を植え付けていこうと始められた百年塾は、、各地に、この様な素晴らしい企業と、それを目指し、応援する人達に広がっており、高野さんの植林活動が若い芽を出していっている様でした。

昨日は、盛和塾京都の新旧世話人会でしたが、12月末までの代表世話人であった私は、他の旧世話人と共に送り出されました。

昨年度実施した、昔の塾長講話のDVDを使った勉強会では、丁度20年前、震災後のものも二度あり、昨年は、震災当時からを振り返る機会も何度かありました。

稲盛塾長はよく、稲盛和夫の才能は稲盛和夫個人のものではなく、その才能を世の中に役立てる為にあるのだと仰います。

とても比べられる話ではありませんが、私もこの考え方がしっくりと来るところがあり、単に利益を上げて、自分は楽しく生きるという事では満足できず、才能などはないですが、自分の果たせる役割、自分が役に立つ事には、積極的に臨んでいきたいと思っています。

会社が儲かって、沢山の雇用を作り、沢山の税金を納めるという事業家として本来の貢献だというのが、真っ当な意見だとは思うのですが、そもそも会社は何の為に存在するのか?、会社が社会にどの様な役割を果たすのか?など、そんな哲学を、物が売れなくなった頃から、経営者も見失ってしまった様に思います。

あんな災害は生きている間には起こらないだろうと思っていましたが、不幸にもこの間に、東日本大震災が起こってしまいました。

”災難に合うのは、自分が過去(前世)から積んできたカルマ(悪い業)が消える時なので、喜びなさい” 阪神大震災で被災された経営者に稲盛塾長がDVDの中でアドバイスされていました。

そして土地にもカルマがあり、それを清算した所が発展するものなのだと仰っていましたが、阪神地区、そしてまだまだ復興などとはほど遠い東北は、それこそ百年先には、あの災害があったからこそ、素晴らしい地域になったのだという様にしなくてはなりません。

その為には、区切りなどはあり得なく、百年先を見据えて、自分の役割を意識し、行動し、繋いでいく人を広げていく事が必要だと思いますし、ボランティア元年と言われた年に生まれて成人となっていく人達が、カルマが取り去られた地域、そして日本で、新たな価値を作っていってくれると思います。

そんな新たな価値観を持って、自分の役割を持ち、自ら行動していく人達を応援していける風土、土壌を作っていく事、それがもう五十代に突入してしまった私の役割かと思っています。



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