2008年9月7日日曜日

あとがき②~ 原理原則とプロ社長

よくあれだけの事を思い切ってやったね?とか、どういう考えで行なったのか?と聞かれる事があります。

それについては、考え、能力などという事ではなく、ただ必死であったという事と、私が業界外の人間で、しがらみや業界独特の考えを持っていなかった事がラッキーであったと思います。
そしてその事で、シンプルにビジネスの原則に従って正しいと思う方向に展開していっただけだと思います。

又、元々継ぐ前提ではなかった事と、自分で創業していた経験もあったので、グループで50億強という売上数字も、それを死守しようという発想はなく、どんなに小さくなってもまず採算を合わすという発想を持てた事も大きな要因だと思います。

普通は50億強の規模から10億強にまで、世間の目を気にしたり、小さくなる事への恐怖があってできないのですが、私の場合は、全てゼロベースから考えられる事ができ、実体のある数字が10億あって、70年もの歴史を持つ会社が、その上に新規展開をしていけば、ゼロから起業していくというより、大変面白い会社になるではないか?
そういう発想で再構築をして来れたという事であって、能力の問題ではないと思います。

又、私は瀧定という厳しい会社で、梯子を外されたりした経験も、後から考えると大変良かったと思っています。
それだけの経験をなかなかできないからです。

結果を出さないと、自分がいくら正しいことを主張しても、他人は聞いてくれない事を経験し、その後は、仕事において全て自己責任と考えられる様になりました。

仕入先がミスをした、得意先がいい加減、相手の話が途中から変わった、景気が悪くなった、色々な事がありますが、それで文句を言っていても何も得をしません。
要は結果を出さないと、誰が悪いと言っていた所で、誰も聞いてくれないし、誰も得をしないのです。

そんな事もあってか、私は仕事というものに対して、プロ意識を持っているつもりです。
私の中のプロの定義は、お金を貰う以上の効果を出す人であり、例え月給10万円であっても10万円のプロでないと駄目だと思っています。
与えられた仕事、求められた仕事で常に期待以上の結果を出さないと駄目だと思っています。

その感覚が日本人には希薄である様に思いますし、言い訳をさせて頂くとすると、私のその感覚がなかなか情緒的な日本人には理解してもらえないところだと思います。

ウエダ本社の取締役になれば、何と思われようと、ウエダ本社の経営を守る、良い方向に舵を取るという事が求められる仕事であり、私としてはそれを追求してきただけでした。

社長になってからは、負債の処理も含めて、会社価値を高める事が、最大の仕事だと思っていますし、そういう意味で私は、プロの社長という事を意識して経営を考えているつもりですが、この点については、常に大企業の社長さんにも負けないつもりは持っていると思います。

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