2007年11月18日日曜日

ウエダ再興記⑫~ 営業代行とウエダとの関わり

体系的に展開できるビジネスを作らないといけない、そう思って言わば繊維業界に見切りをつけた私は、商社に出入りするという事を強みに、色々なビジネスコーディネートを行なうようになりました。

世の中には、凄い技術力を持っているが販売力がない会社、ネタは持っているが商品化できない会社がある一方、縦割りの中の一つの業界しか知らず、その中だけで永年同じアイテムを、全く同じアイテムを持っている多くの競争相手と狭い世界で戦っている多くの会社があります。

それらをうまくコーディネートするだけで、埋もれている商品が陽の目を見たり、余計な競争をしなくて良かったりするという構図が理解できていましたので、販売力のない会社の代わりに営業代行という肩書きで商社などに提案する動きを行なっておりました。

いくつもの、又様々な商社に出入りしていると、面白い事に色々な商品、情報が集まる様になりました。
そんな動きをする様になったある時、文具・事務機ルートに売れないか?という商品があり、創業して2,3年目かにウエダと文具・事務機業界に出入りする様になりました。

小さい頃から父親の会社には絶対入らないと言っていて、必要以上に親の世話になりたがらず、会社も全くウエダと関係なく立ち上げて来た私が、少し角が取れたのか、この頃初めて、折角ある父親のルートやコネなども利用すれば良いじゃないか?と思える様になりました。

いくつか私の元に持ち込まれたネタを、ウエダに提案をしに何度か行きました。
何度か提案しても話が全然進まない、面白い商品を取り入れようというやる気というか、意欲を全く感じませんでした。

”あんな状態じゃ駄目だ”ウエダの事で父親に初めて意見しました。
しかしその時点の私は、ウエダを何とかするという事ではなく、私に持ち込まれたネタを何とかモノにする事が狙いでしたので、他府県の同業者(文具卸)を紹介してもらい、いくつかの会社を回りました。
ところが、何処へ行ってもウエダとよく似た感じでした。
売りたくないの?と思う程、その商品のあら捜しでもしているかの様に、後ろ向きな質問、逆にチラシや販促物はどれだけ提供してもらえるか?という要望ばかりでした。
そんな完璧でフォローもしっかりしている商品なら、何処でも売れるし、そんな商品を扱ってもメリットないでしょ?
大体そんな商品なら私が持ってくる必要もないし、あなた方に相談に来ませんよ。
そこまでになってないから、面白いし、御社にとって有利な商品に仕立てられるんでしょ?
どこへ行ってもこんな感情になりました。(実際言ってましたが)

この体質がこの業界全ての体質であり、ここからの脱却が会社の命題であるという事を実感する様になったのは、後にウエダに入る様になってからでした。

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