2014年4月27日日曜日

三方良しは、全ての規範

今週は京都府立大学での授業の他、KYOCAに関わってもらう事になる学生、NPO、地域コーディネーターなど、若い人達と話をする機会の多い一週間でした。

授業は別として、私の周りに集まってくる若者というのは、自らの意思でやりたい事に向かっていたり、問題意識を持っているので、皆キラキラとしていて、話していても気持ちよくなります。

一方で、うちの会社も含めてキラキラとして働いていける社会人はなかなか居ない様に思います。

では、学生が素晴らしく、社会人は駄目なのでしょうか?

昨年参加したリリースでの私の学生への問いかけは、キラキラしていた皆さんの先輩はどの様になっていますか?

キラキラしていないとすれば何が課題で、どんな会社、組織であれば、そのモチベーションを生かしていけると思いますか? (どの様な会社を増やしていけば良いと思いますか?)というものでしたが、学生が素晴らしく、社会人が駄目なのではなく、素晴らしかった学生も社会人で曇ってしまう人が圧倒的に多い様に思います。

学生と社会人の圧倒的な差、それは、結果に対しての責任であり、数字というお金が絡んでいる事です。
その為に、制約条件が沢山出てくる中で曇っていくのでしょうが、これには両サイドの問題があります。

片側は会社(組織)側の問題で、型にはめようとしたり、固定概念でその芽を潰してしまうケースともう一方は、学生側(若者側)で、今まで、好きにやっていた事が、数字という成果を出すためには、理不尽な事も含めて沢山の制約条件の中でやっていかなくてはならず、好き勝手やれない事が不満になったり、注意、指摘に対して弱かったりするのです。

三方良しは近江商人の経営哲学で、その事業などの在り方を説いたものですが、理念的な事は勿論、仕事や、何をするにおいても、長期的な成果を出すためには、これが基本ではないかと思います。

営業上では、お客さん、仕入先、自社という三方が良くないと駄目ですが、組織で働く人がその組織内でパフォーマンスを上げる為には、その組織の方向性と、それを向ける相手先、そして自分のやりたい事の最大公約数を出す事ですし、相手先の代わりに、そこに制約条件が入る場合もあるでしょう。

その様にどんな事でも三つの要素の最大化を図る事が仕事であり、事業なのだと思いますが、これは、言うは易しです。

自分と相手が良ければという、二方は簡単ですが、三方は難しい。

学生時代や、数字が絡まない活動ではイキイキしてられるのも、この二方だけで良いからだと思います。

私もいい歳になって、社長業も20年、創業から、上場スキームから、倒産危機など、色んな経験をしてくると、最近は、人の見方について、やっぱり思っていた通りだったというケースが多いです。

皆からは評価されているけど絶対におかしい、スキル、能力は高いけどねえ〜?とか、思っていると、やっぱり違ったでしょ?となるのですが、多くの人がそれに気づかないのが不思議ですが、良い時や平常時は、誰でも綺麗事は言えるし、良い人でいられるのです。
要は、二方良しでもやっていけるのです。

ところが常から三方を考えている人でないと、悪くなった時の対処ができず、多くの場合逃げてしまうのです。

授業などでは必ず話しますし、若い人達に常に言っているのは、そう考えると、嫌な事をする事、怒られる事、耳障りの悪い事を指摘される事、ハードワークというのは、マイナスな事なのでしょうか?
全く逆で、若い内ほどそんな経験をする事が何にも変えられない貴重な資産になるのです。

そう考えてみると、大変有能な若手が多い反面、残念な人も多いですね。

授業など、一見、本業に関わりのない事を受けたりするのも、一人でも考え方を変えて、素晴らしい能力を発揮してくれると、社会や働き方や、それを通して教育の在り方も変わっていくと思いますし、働く環境の総合商社と名乗っているウエダ本社としての、三方良しの実現に向かうのです。

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