2013年8月23日金曜日

盛和塾30周年と、改めて思うこと

今週は、ほぼ盛和塾だけで終わった一週間でした。

何度か書いておりますが、盛和塾とは、今から30年前、京都の若手経営者が、経営を教えて欲しいと、当時京セラ社長であった稲盛氏に懇願してスタートしたものですが、今では海外含む70塾、約8500名の経営者が稲盛哲学を学ぶ組織となっているものです。

今週はその京都塾の30周年の例会とそれを記念しての一泊二日の海水浴ツアーがあり、最終打ち合わせ含めて、ほぼ今週は盛和塾のみの一週間でした。

そんなビックイベントがある年に、サブではあるとは言え代表世話人を受けるに当たってはかなり悩みました。

12年前、倒産寸前の会社に入る事になった時から、3期連続赤字の会社などは存在する意味が無い、そんな事にでもなれば社長を辞めると社内外に公言して経営に邁進し、その後無借金にもしてきました。
それが3年前、メイン顧客の倒産によって赤字転落となり、今期はその3期目で、この8月が勝負のかかった決算月でした。

そんなタイミングでしたので、"自分には実質の、必要以上に費やせる時間がない" と代表については固辞していました。

しかし、今期メインの代表となる永田さんから、"その為の二人代表であり、今年は自分がメインだから、岡村さんはできるところをやってくれれば良い"と言ってもらった事や、業績はまだ底でしたが、組織的には底を打っている手応えも持っていた事、そして何よりも、会社を良くする為に、私自身が一からどっぷりと稲盛哲学を学ぶ必要性を感じていた事から、最終的に代表を受ける事にしました。

そんな中で、京都塾の30周年=盛和塾の30周年とも言える例会と翌日からある一泊ツアーには、想いを持った全国からの塾生が集まられるので、どの様におもてなしするか?どんな出し物をして、どんなお土産にするか?記念の映像や記念誌などはどうするか?などが話され、そんな中から、コーラスや和太鼓も自分達で行なうと事が決まっていきました。

やってくれるのはいいけど、代表なんだから自ら率先してやるべき!と思う気持ちと、その状況下で必要以上の事に時間を費やしている場合ではないという気持ちで悶々とした数ヶ月でしたし、実際の所、練習にもあまり参加できませんでした。

そんな状況も永田代表と共に事務局世話人の藤本さんが理解して、他の準備も自分達で進めてくれ、コーラス、和太鼓については隙間時間に、スマホで自主練をしました。

そして迎えた例会当日、遠くはブラジルからも含めて約1200名の塾生が全国から集まり、二人の経営体験発表と塾長の問答が行われた後、懇親会が始まりました。

私の仕事はここでの挨拶だったのですが、今まで色々挨拶も行なってきた中で、恐いという気持ちになったのは初めてでした。

それは1200名を前にしてという事、稲盛塾長が目の前で聞いておられる事だけでも大緊張ものですが、その稲盛塾長に30数年前、数人の社長が頼み込んで指導を仰がれ、その後、25名のメンバーで設立された勉強会に、時間など全く取れないと言いながらも、一回一回塾長が皆の想いに応えていかれた積み重ねが、30年経ってこれだけの人数に広がり、その繋がりの中で、その発祥の地の周年の挨拶を、塾長とチャーターメンバーや諸先輩方の前で、学びも少ない、しかもそのイベントでろくな働きもできていない私が偉そうに話せない、本当にそんな気持ちになったのでした。

考えていた内容を変えて自分の気持ちで話させて頂きましたが、挨拶の大きな意味、役割を考えさせられました。

その後の難関は京都塾生70名でのコーラス。

70名もの経営者が4ヶ月の間に十数回の練習を重ねて、と言いたい所ですが、皆忙しいですから、全員集まる事はなく、まともにはできない中、それぞれ自主練も重ね、指導をして頂いた同じ塾生の吉野さんの、見事な、褒め、なだめのリードで、結果、替え歌"塾長に会えて良かった"を熱唱し、想いを感じて頂いた事もあるでしょうし、大変な労をかけて行なってこられた事を思い出された事もあるのか、塾長も感極まられるというシーンもあり、我々も声をつまらせました。

そんな感動の例会の翌朝は、バス7台を連ねての宮津へのツアーでした。

これも旅行会社さながら、綿密な打ち合わせと詳細な台本までを作ってくれた藤本世話人の数ヶ月に渡る獅子奮迅の活躍で、280名もの方々を引率し、海岸での屋台設営、各種アトラクション、翌日の観光、それぞれの帰路まで、全て問題なく終わらせる事ができました。

この日も、海水浴終わって皆さんが休憩されている間にも、我々は太鼓の直前リハを行ない、そのまま夜の懇親会に突入という、運営から出演からの目まぐるしい状態で、懇親会の初っ端、和太鼓の披露となりました。

こちらは、日曜日夜に4時間の練習を3回だけという状況でしたので、これも専ら各自が映像を見ての自主練を重ね、これも指導して頂いた塾生であり、太鼓センターの東社長の見事な作曲、演出、指導のお陰で、東さん自身、こんな拍手はなかなか無いと言われる程、皆さんに喜んで頂けるものとなりました。

懇親会最後は又、締めの挨拶でしたが、ここではもう殆ど終わった気分で、前日の挨拶とは打って変わって、リラックスして、自分の気持ちそのまま話させて頂きました。

その後は会場を移して稲盛塾長もお付き合い頂いて、ほぼ全員参加での二次会、京都塾だけでの打ち上げ、それでも感激は治まらず?の、部屋に集まっての会は3時まで続きました。

どんな勉強でもそうですが、その事以外が大変勉強になります。
特に経営などは、机上で勉強できるものではなく、経営者が如何に人間力を高められるかだと思います。

近くで見ていると、稲盛塾長が、騒がしくなった会場の中でも、アトラクションであったり、我々のスピーチなどに対しても一番真剣に耳を傾けておられる姿や、80歳を越えられて、大変疲れておられるにも関わらず、全ての行程にも参加され、遊泳においては自ら率先して泳いで行かれる姿などを見ると、一発で魅了され、だから人はついて行くだろうなと感じました。

決して言葉だけではないのですね。。

あの巨艦JALまでもが、二年で変わったのは、まやかしでも何でもない事も良く分かった気がしました。

他の塾生さんや、一緒に動いてもらう世話人の考え、取り組み方も勉強になりましたし、本当に実りと心地よい緊張感と疲労感に包まれ、最終日は天橋立、伊根町の観光の道中、帰り道もずっと、バスの中では爆睡状態でした。

次年度に向けては、私自身が腹落ちした盛和塾の素晴らしさを、あまり出席されていない盛和塾生に浸透させる事、そして 塾生である社長が、各社に稲盛哲学を浸透させてもらうフォローをして、良い会社を広げていく事に尽力していきたいと思いました。

またまた、お前が言うな!と言われない様に、自分から精進致します。

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