2012年4月14日土曜日

正論ではなく、事実として正しい結果

大飯原発再稼動を容認するという方向になりました。

ここでは原発の是非については、感情は別として、私は公開できる様な知識を持ち合わせておりませんので、コメントは控えたいと思いますが、ただ、結論ありきで、進められている様に感じる点はおおいに問題であると思います。

原発がなくて電力が足りるのか?、原発の電力が本当に安いのか?太陽光などを生産するのに掛かる、電力はどの様に計算されているのか?CO2はどうなのか?その電力量、価格で、日本企業は競争力を失うのか?などなど、全てが公開されていない情報の中で、全体を見渡さず、誰もがそれぞれの立場から言っているだけで、どの様に正しい判断ができるのでしょう?

原発問題に限らず、何か問題に対する時、危険だと思う事があります。

それは正論は、現実としては正しくない事を引き起こすという事です。

人を救うべき、人を思いやるべき宗教が、時に戦争を引き起こし、人を殺す事になってきた歴史がある様に、正論は、時に先鋭的になり、他を認めなくなり、根本的な解決には程遠くなってしまうのです。

そしてもう一点、心情、感情と、問題への対処を一緒にすべきではないという事です。

この点は日本人は特に、感情と問題を混在して論議するので、批判で課題解決が見えにくくなってしまうと思います。

原子力についても、その発電の是非は別としても、大変気になる事があります。

一つは、原発が悪者となってしまって、原子力技術そのものの研究を目指す人が極端に減ってしまっている事と、原発の是非を、技術と教育水準の高い日本国内だけの視野で無くす論議をしていて良いのか?という事です。

その間にも中国沿岸部では建設が進められていくのですから、世界全体の枠組みの中で捉えていかないといけないという事です。

どんな事でもそうですが、0か1のデジタル式では問題解決は図れません。

考えるべきは、相手の主張が違っても、自らの利益ではなく、良い世の中を作ろうとする違う立場の人々が、お互いの立場を認めながら連携していく事、これからの世界は、それしか、問題解決は図れないと思います。

相手の立場を理解しない正論は、事実としては正しくない結果に繋がります。

批判しているより、事実として正しい結果を生み出す様、考えていけないでしょうか?

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