2008年11月12日水曜日

京都流社説 ~TOPの見識と京都流

昨日は、二人のTOPの発言が注目を集めましたが、私もこれには、情けないというか、虚脱感さえ感じました。

今、教育が悪いとか、若者が云々とかといわれますが、昨日のお二人は、年配のしかも地位のある方々です。

まず、兵庫県知事。
私は以前このブログでも被災記を綴った様に、神戸であの震災を経験しています。
その兵庫県知事が、こともあろうに、関東大震災が起こればチャンスだなどと言うなんて事は信じられません。

私は本来はどちらかというとマスコミに批判的で、彼らは自分の伝えたい様に編集するので、事実が歪曲されることがよくありますが、昨日のニュースでのテープを聞くと、実際その通りに言われているし、それが知事が言われる様に、そんな意味で言ったのではないということだとすると、普通なら、自分のボキャブラリーの無さを恥じ、お詫びするという姿勢になると思うのですが、”何故その様に取られるのか分からない”と言った発言になるのは
それこそ、理解できませんし、これが震災を受けた兵庫県のTOPということが何とも言いようがなく、情けないところです。

又、もうお一人の幕僚長については、思想については、私がこの場で軽々しく言えることではないと思いますが、国を組織として見た場合、私の立場から言えるのは、組織(会社)を運営する立場としては、あの態度はおかしいと思います。
しかもあの方は、それこそ縦型社会のTOPであった訳であり、組織の論理、ルールという事を叩き込まれている筈である方が、何が問題なのかを分かっていないという事にも大きな問題を感じます。

何度もいいますが、思想自体を論じているではありません。
同じ思想であっても、立場や状況によって、言えなかったり、我慢しなくてはいけなかったりするのが、社会であり、組織であるのです。
それが、その思想を言ったのが何が悪いという感覚は、昨今の目に余る身勝手な犯罪でのコメントと同じ様な感じを受け、ある種恐ろしさも感じたという事です。

これもTOPとしては、私の思想はそうだが、”今の立場で自分がやるべき事ではなかった”という様な潔さを求めますし、彼の求める国粋的な考えには、その潔さはないのでしょうか?

企業の不祥事もそうですが、最近は若者だけではなく、TOPの見識の無さ、品格の無さを感じる事が多くなったと思います。
格闘家の佐竹さんなどは、だから”武士道精神を復活させないと日本は駄目だ”との思いで、活動されてますが、
私もだから”京都流の精神を広めないと・・”という様な事を思ってしまいます。

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