2007年12月2日日曜日

ウエダ再興記⑭~ 身の回りの変化とIT系との接点

ウエダの流れとは別に私の方も色々な事がありました。

エムズカンパニー設立後丁度一年経った頃、阪神大震災がありました。
以前、阪神大震災被災記をこのブログで書きましたが、一人で独立して間なしでもあったので、事務所としていた自宅マンションも半壊となり、何も身動きの取れない神戸には居れず、京都に避難して仕事を続けてました。
その時にブログにも書きましたが、全然関係ない他府県の人々がボランティアで神戸に入っているのに、神戸で被災した自分が、仕事の為に京都に避難して、暖かい所に居てテレビを通して神戸を見ているという事に大変嫌悪感を感じました。
しかし独立して一年の私はこの時期に仕事ができなくなる事=会社を諦めなくてはならないという気がして神戸に残る決断はできませんでした。

その後、震災の前日に結納をしていた現在の家内とその年の秋に結婚し、三年後には長男が生まれました。
一人で何とか食べられるかどうかの時期に結婚し、子供ができると、当たり前ですが二人分、三人分の生活費を稼ぎ出さなくてはならず、独立という字の通り、独りでやっていくという事の大変さを充分に体験しました。
瀧定時代には”何事も自分のお金と思って判断する”という事を叩き込まれましたが
この時ほど、その意味を実感できた事はありませんでした。

lunaparkさんとはずっと貿易のパートナーで殆ど毎日やり取りをしていましたが、彼女がパリに移り住んでから、”私がパリでつるんでいる日本人女性のご主人の会社が、飛ぶ鳥を落とす勢いのある会社らしいよ”との事でした。
”K”という会社で、”ユードラ”というメールソフトの権利を取って凄いらしい。との事でした。
私の事を前職がIT系だと思っていて、ITリテラシーも高い様に思われている方もおられるのですが、実は今でもとても苦手で、特にこの頃は”ユードラというメールソフトどころか、メールソフトって何?というレベルでしたので、この話には全く関心を示しませんでした。”

ところがウエダが大変だとか、何とかしてくれと言う話が耳に入ってくる様になって来て、lunaparkさんに"そう言えば、前から言っていた人の会社一度紹介してくれる?”という事で紹介してもらう事になりました。

これがIT系との繋がりの初めで、ウエダとIT系を繋いでいく切欠になるのでした。

0 件のコメント:

コメントを投稿