2007年9月16日日曜日

ウエダ再興記③~優等生グループと不良グループ

もう一つ私の性格に大きく影響を与えた事というか時期が、中学二年の終わり~でした。

今、私の事を知っている人からすると驚かれる話だと思いますが、実際この経験が私の性格には大きく影響を与えているのでカミングアウトしなくてはいけないと思います。

中学二年の終わり~どうなったか?それはその頃からヤンキーグループ、所謂不良グループと付き合うようになりました。

それまで新設であった小学校では、私が初代の児童会長でありましたし、その為中学入学時にも新入生代表の挨拶をした様に、真っ直ぐに優等生グループに所属していました。

その私が、何のキッカケかは忘れましたがヤンキーグループと遊ぶ様になったのですが、優等生グループでは友達なのだけれど、競っていて、何か本音を言っていない部分があるのに対して、悪グループでは、そんな所が全くなく、凄く温かい感じがして、こちらのグループにのめり込んでいっていました。

試験の際など、勉強した?と聞くと、優等生グループではまず、思い切りしていても”全然してない”と言います。
そういう所が私にはどうも好きになれませんでしたが、悪グループでは、本当に勉強を全くしてません。(笑)

又、これも勉強しないからであるからなのですが、この温かみ?を表す象徴的な事がありました。
中学三年では、受験に備える為、クラブも一学期で終わり、皆授業が終ると真っ直ぐ帰るのですが、このヤンキーグループでは、やんちゃなせい?もあったのでしょうか、この時期に確か三人が入れ替わり立ち代り、脚などの骨を折って入院していました。
それを毎日、学校の帰りに皆一緒に見舞いに行くのです。
優等生グループでは考えられない話です。
勿論、勉強したくない、家に帰りたくないからが多くの理由でしょうが、それにしてもこの間3~4ヶ月あったと思いますが、殆ど毎日見舞いに行っていました。
それも馬鹿げた事ばかりしながら、楽しんで行っていました。

その一つは、病院に行く途中の道端に渋柿があるのですが、それをジャンケンして、負けた者が食べるという遊びを、飽きもせず毎日続けていました。
私も何度か負けましたが、渋柿を食べたのは、後にも先にもこの時期だけです。
その遊びが終って歩いていくと今度は甘柿が、ある家の庭に生えているのですが、はみ出している部分があり、これをちょっと頂いて、”ハイお見舞い”と毎日同じではありますが、律儀にお見舞いを持って行っていました。

こんな状態でしたから、大変楽しい毎日でした。
今思うと昔から、腹の中で思っている事と言っている事が違う様な事や人が嫌いであったと思いますし、ウエダに来る様になってからも暫くの間は、そういう事が京都を嫌いであった大きな理由だと思います。

この様な事が原因で、上辺の様な付き合いの優等生グループではなく、中に入ると大変温かいヤンキーグループにひかれたのだと思いますが、この頃の付き合いから色々な事に出会っていきました。

その一端は又次回に書かせて頂きたいと思います。

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