2007年9月23日日曜日

ウエダ再興記④~あの時の経験に比べれば

私の中学では派閥的なものはなく、このヤンキーグループというのは三十人程の一つのグループでした。

琵琶湖疏水にも近く新設校であった小学校では、クラスも二クラスで、悪と言ってもヤンチャ程度であり、その上、優等生グループに所属していた私は、中学に入学してから、このヤンキー連中には驚きましたし、怖かったのが正直なところです。

ところが三年近く怖い存在であったグループに入ると、そのグループが一塊であったが故に、いきなり学校で怖いモノがなくなったわけです。
しかもグループの中心人物が何故か対等に扱ってくれたりしましたので、序列にも属さず、わりと偉そうにもしてられたのです。

振り返って考えてみますとその後もずっと、色々な集まりに参加しても、別にこちらから擦り寄って行っているわけではないのですが、いつも中心人物と親しくしていて、後から入ったのに、中心に居るという傾向が私にはあり、多分これは昔から持っていた特技なのだと思います。

学校の中で一気に怖いモノがなくなった私は、自分が強くなった様な錯覚を起こし、この頃は少しイイ気になっていたと思います。
ただ、グループに入ったとは言え、その中でも自分をしっかり持っていたのと、特異な存在である特権もあり、遊んでいても、”勉強するから帰る”という事もハッキリ言っていて、自分自身では一線はしっかり守っていたつもりです。

しかし、こういうグループに所属していると、よその学校の悪達とも会っていきますし、当然の様に抗争というものも起こりました。
この頃は第何次かは分かりませんが、校内暴力が全盛の時代で、私の中学でも三年の頃、隣の中学と大抗争が起こりました。

学校からの帰宅途中、グループのメンバーが一人づつ順番にやられていきました。(集団リンチというものです)
この事件は新聞でも大きく取り上げられ、この頃は、大げさでもなく、毎日帰宅途中に本当に殺されるのかもしれないと思ったものでした。

ここまで話すると驚かれた方も多いと思いますし、京都流にはそぐわない話だと思います。
又、大学以降の知り合いなどにも、こんな事は話した事もないですから、ましてや今お付き合いしている方々からすると想像もつかない話だと思います。

しかしこの時の経験も、それ以降何か問題に遭遇した際、あの時の殺されるかもしれないという経験に比べたら大した事はないとか、後にウエダに入って、たくさんの修羅場に遭った際も、腹の中で”あんたら殺されると思った経験なんてないやろ?”
”だからあんたらとは腹の据わり方が違うよ”と思って交渉に臨んだりしてましたので、この経験も馬鹿げた話の様に思われるかも知れませんが、私にとっては大変役立ったものでした。

私の性格に大きく影響した第二のポイントはこの時期でしたので、次回、もう一話だけヤンキー話にお付き合い下さい。

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