2019年5月19日日曜日

ウエダ本社してまんね。

今週は、今年で解散となる盛和塾で、京都塾としてはどうするのか?について、過去の代表世話人に説明する顧問会がありました。
京都は発祥塾だけに難しいですが、やはり稲盛塾長の意を汲んだ結論になればと思います。

先日ある方のSNSで、その稲盛さんのお話が投稿されていましたが、改めて感じた事と、この感覚がウエダ本社での展開なども説明しやすいので、纏めてみたいと思います。
ご覧になっておられない方はこちらをご覧下さい。

ここで一番のポイントは、関西以外の方は文字だけで果たして意味が伝わっているのか?とも思いますが、河合隼雄さんが書かれていた「あんた花してはりまんの?わて、河合してまんね」というくだりで、稲盛さんも、これで自分の役割と存在を理解でき、その後利己的なエゴを無くし、利他的な発想に転換できたと仰っている点です。

大変不遜に思われるでしょうし、全然できてないので、偉そうに言うな!と言われると思いますが、実は私もこれに近い感覚がベースになっていて、特に数年前から明確に、この感覚を意識して展開しています。

自然の摂理に則ってというのは、稲盛さんだけでなく、これまた尊敬する伊那食品工業の塚越会長もよく仰いますが、私も、この世に存在するものは、人間であれ、花であれ、そして会社であっても同じで、自然の摂理に従ってその存在を、命を使って全うしていくものだと思っています。

ですから、「あんた花してはりまんの?わて、河合してまんね。」
というニュアンスは、”めっちゃわかる〜”となるのですが、そもそも自分の意志で生まれて来た人などいないので、今の姿はたまたま花となったり、河合となっただけで、それはこの世の中での役割を果たす姿なのだと思うのです。

稲盛さんも、稲盛和夫の能力は個人のモノではなく、与えられたモノなので、それを世の中に対して使っていくのが役割と思われたという事ですが、これは稲盛さんだけの話ではなく、皆に共通した話だと思います。

数年前から明確になったというのは、それこそ盛和塾京都で代表をさせて頂いた際に改めて、自分自身の役割や強味を考えてみると、人を繋ぐ事、特に、NPOやソーシャルなど世の中を変えていこうとする人たちの能力と熱意を、最大化できる様に繋げていく事が岡村の役割であり、その強味を、ウエダ本社という存在を使って少しでも大きな事にしていくのが、命を使っていく使命なのではないか?そして、ウエダ本社としても、それが役割であり、それを行なっていく事で存在意義ができるのではないかと思ったのです。

そう考えると、稲盛さんの様な事はできないと思っていたものが、岡村でも、勿論、ウエダ本社の皆それぞれにも役割、出来る事はあり、ウエダ本社は、それを実現していく装置とも言うべき場であろうと思ったのです。

そんな話を、ウエダ本社でやって来た展開と照らし合わせて頂くと、何となくご理解頂けるのではないか?と思いますが、よく、本物とポーズでやっている所の違いという話もしますが、これも、この考えで見てもらうと、その違いを感じてもらえるのではないか?と思います。

そもそもの存在や社会に対しての役割から考えて展開している所と、自社からスタートして、CSRにしろ、SDGsにしろ考えていくのは似て非なるもので、多大な利益を上げ、多額の寄付したとしても、海外含めて取引先、環境などに対して多大な負荷をかけて自社だけが上げた利益だとしたら、それは賞賛されるべき企業とは言えないと思いますし、それでいて、又、SDGsをやらないといけないというのは、全く、滑稽に見える話で、存在から考えている本物とは全く違ってみえます。

稲盛さんの記事を見て、折角、この意味も理屈ではなく分かっていたのに、行動が中途半端で情けないなあと感じた今週でしたが、改めて、「岡村してまんね」、と言える様にそして岡村と共にそこに集う人がそれぞれ、「〜してまんね」と言えて、それぞれがその役割を増幅する装置としてウエダ本社を使い、その事が「ウエダ本社してまんね」とスタッフ皆が言える様にしていきたいと思います。

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