2017年8月8日火曜日

京都流議定書の10年間を改めて

先週の金曜から日曜日は、10周年を迎えた京都流議定書でした。

よくも10年も続けられたものですが、今となっては元々の事や、誰にどの様にお世話になったかなど、知らない人も多いので、改めて振り返りたいと思います。

以前、輝かしい頃のウエダ本社では、独自の販売会や、得意先を招待した旅行、芸能人を呼んでの大規模なイベントなど、地域、お得意先様、業界に向けて、先駆けた展開を行なっていました。

再建の為にウエダに入社し、少し落ち着いてきた頃、何人かの方から、”ウエダフェアを復活しないのですか?”、”70周年はどうされるのですか?”などと聞かれる様になりました。

今から40年前の40周年式典は、京都国際会議場で行なったり、50周年、60周年もホテルで盛大に行なっていました。

少し落ち着いたとは言え、同様に盛大にする余裕などないし、又、私が入って改革を進めて、従来通りのウエダフェアというものでも意味がないと思い、どうせなら、入社以来、再建を進めながら、一方では新規の展開を見つけるべく、色々な所に首を突っ込んでいたので、それら本業以外で私が関わっているものを全部集めたものができないか?と考え、関わりのあるものを洗い出し、環境、教育、伝統文化という3つにカテゴライズしてみました。

それを、ハイアットリージェンシー京都を立ち上げて来られた、横山総支配人に提案した所、未だに、これだけ外資系と日本の良さのそれぞれを理解し、双方を説いて進めていく能力を持ったホテルマンには会った事がないと思える横山氏が、即座に、”これは面白い!3つのカテゴリーがあるのなら、どうせなら三日間のイベントにしませんか?”と言って頂いたのですが、結果的には、それが10年間、三日間のイベントとなった全ての理由でした。

初年度は、環境系の団体の展示コーナー、聞香やサッカーの課外イベントなども開催、何と、ハイアットリージェンシーさんの一階と地下を全館使ってという、結果的にはとんでもない規模で行なう事になったのですが、横山氏始めハイアットの皆さんには、10年間多大なお世話になりました。

伝統文化のカテゴリーでは、老松の太田さんや、伝統文化プロデュース連の濱崎さんには、企画からプロデュースまでご尽力頂き、難しい伝統文化というテーマも形作れた事で、重みを作って頂きました。

そして、教育の所では当時の門川教育長に講演をお願いし、その際に教えて頂いた、ドイツのメルケル首相が世界でのスピーチで、DO YOU KYOTO?という、環境においての転換期となった京都議定書の開催地であるKYOTOを、環境に良い事をしてますか?という動詞として使われたという事を、日本の人はおろか京都の人も知らないという事を問題提起として、『DO YOU KYOTO?  DO YOU KYOTOSTYLE?』というテーマで開催する事にしたのです。

ところがその年、門川教育長が市長選に出られて見事当選され、講演はどうなるのか?と心配したのですが、京都市長としてそのままご登壇頂き、お陰で門川市長が初めて出られた外部イベントとなって、その後も市長には特別な思いを持って頂いて、毎年応援して頂く事になったのでした。

これだけのイベントですが、当初から貫き通した事があります。

それは自分達で手作りでやらないと意味がないとの事で、代理店なども入れず、企画、運営、会場準備、ネットワーク、看板、サインなど全て社員で行ないました。

又、集客も数を追って広告などを行うのではなく、自分達で呼び込むか、あくまでこの主旨に賛同して、ご協力頂けるものに限りました。

協力頂くと言えば、ご出演頂く方も基本的には無償協力という、厚かましいにも程がある事を通して来ましたが、本当に主旨に共感頂いてご参加頂いた皆様と、逆に共感はしていませんでしたが(笑)、これだけのイベントを作り上げてきてくれた社員達には、本当に感謝致します。

お金を掛けられなかった事はありますが、お金で買える物、呼べる人、頼める仕事を入れてしまうと、理念がブレてしまうので、そこは最初から拘ったのですが、特に最初の頃のこの踏ん張りが最も辛かった所でした。

それでも踏ん張って来られたのも、主旨を理解し、ご協力頂いた沢山の方々のお陰です。

ここまで振り返って、お世話になった方など、これだけではとても書き切れませんので、この後、分けて書く事にします。

つづく。












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