2016年8月7日日曜日

お・も・て・な・しの語源

リオオリンピックが始まりました。

絶対間に合わないと懸念されていましたが、表面上はトラブルも無く、見事な開会式も行われていました。

悲観的なのか、減点主義的なのか、良い面では、きっちりしている、細部まで拘る、という性質からか、日本人の感覚ではあり得ない、出来っこない話が、実際はできてしまう光景を見ると、色々と考えさせられてしまいます。

細かな問題はあれど、それ以上のパフォーマンスを上げれば隠れてしまう、やりゃいいじゃない?という南米的なのか、大陸的なのか、そんな感覚があるではないか?と思います。

次回のホスト側の知事として、土壇場でバタバタとした都知事選も終わり、結果的には初の女性都知事が誕生しました。

その都知事にも相変わらず、ファーストクラスで行くのか?スイートルームに泊まるのか?と下らない質問や、それを取り上げ議論するテレビなど、全体を見る事や、論理的に整理して考えるという事が、日本人はいつからこんなに苦手になったのかと思います。

私個人は、貧乏性にできているのと、社長だからという特別扱いが嫌いなので、基本的には新幹線でも普通車、海外出張もエコノミーで行っていますし、会社に来る社長宛ての贈り物も、それらはウエダ本社の社長に贈られる物で岡村個人の物ではないからと、社員に全て分けています。

しかし、一般的には、TOPは成果を上げる事が仕事なので、ファーストクラスやスイートルームでも、その環境だからそできる仕事であるなら、堂々と取ればいいいと思います。

その問題と、前知事の様に、家族の食事や旅行に当てていたという問題は全く別で、それをごっちゃに論議する事が馬鹿馬鹿しく、見識のある方でも平気で、あんな少額で問題にするのはおかしいと言っている人もいたりします。

又、片側で揚げ足取りの様な感覚があるかと思いきや、当初7000億強の東京オリンピックの予算が、2兆とも3兆ともに膨れ上がっているとの話ですから、きっちり細部に拘りながら、全体は結果次第という、バランス感覚のはちゃめちゃさに呆れるばかりです。

これはグランドデザインが描けず、強いリーダーシップも無いまま、問題に蓋をしながら、細かく真面目に仕事を行なっていった結果で、日本人の典型的な悪い例だと思います。

我々の会社でも、似たような話はよくありますので偉そうには言えませんが、日本人の真面目さを生かす為にも、しっかりとしたグランドデザインが必要で、それに基づいた論議をしていかなくてはなりません。

お・も・て・な・しは、東京開催が決定した際、海外でも有名になりましたが、おもてなしとホスピタリティーの違いも考えてみると日本や、我々自身もやるべき事が見えて来ます。

おもてなしは、来られる客人を想定して、その人に喜んで頂く、最大限に満足を感じて頂こうとするものであり、しかもそれを主張せず、もてなす相手に余計な気遣いをさせないというものです。

それに対してホスピタリティーの語源は、病院やホテルにも繋がるホスピスであるという事は知られていますが、ホスピスの語源には、見知らぬ者という事もあり、文化人類学では、部落の外からやって来た見知らぬ者を最大限に歓待する事であり、それは気前の良さで客人を恐縮させるという力の誇示なのだそうです。

そういう意味では、今回の開会式もホスピタリティーが高かったのかも知れません。

東京では、今の状況からでも、SELFLESS HOSPITALITY(無私のホスピタリティー)と訳された、”お・も・て・な・し”のオリンピック、パラリンピックを開催していかなくてはならないと思いますし、マスコミ、国民側も、下らない事を突いていくのではなく、”何をもって何を成すのか?”という、おもてなしの語源を考えていきたいものです。

そして、うちの会社も、見知らぬ人に向かうホスピタリティーではなく、想定したお客様に、SELFLESSに対応する、お・も・て・な・しを習得していきたいと思います。

0 件のコメント:

コメントを投稿