2015年10月11日日曜日

靖国神社参拝

今週はFBでも少し触れていましたが、なかなか行けない所に行っておりました。

知っている名前の部屋がずらりと並ぶ衆議院会館、昭和初期の純国産の最高技術を集めた国会議事堂、首相官邸では、前日には大臣、翌日は副大臣が選ばれるという間の日で、皆さんが並ばれる階段には、赤いカーペットが敷かれていました。
官房長官も1時間後に会見をされる記者会見場では、参加メンバーも代わる代わる写真を撮らせて頂きましたが、やはり何だかんだ言っても、日本を動かしているど真ん中ですから、高揚感がありました。

多分殆どの政治家も、初当選した頃は、我々よりももっと大きな胸の高鳴りを覚えた筈ですが、ずっとその真ん中に居ると、誇りが自尊となり、それが段々と尊大になっていくのでしょうか?

内閣官房副長官とも面談させて頂くという、おまけの後は、靖国神社に参拝に行きました。

これも初めての経験で、参拝も凛とした空気を感じて心が静まりましたが、奥にある遊就館は、明治期からの、日本では何故かしっかり教える事のない近代史の系譜が納められており、ここだけでも時間を取って再訪したいと思う場所でした。

その後は、防衛省の、東京裁判の法廷となった大講堂(移築されたもの)にも行き、現在の中枢から日本の歴史にも触れた本当に貴重な一日でした。

靖国神社参拝というと、イデオロギーを持ち出す人もいるでしょうが、私は特に、"right" な思想ではありません。

靖国神社はA級戦犯の合祀をしたが為に、政治的な駆け引きのリトマス紙の様な存在になってしまいましたが、いくら"left"な思想の方でも、これらの事実があっての今であり、今の自分自身もあるのですから、しっかりと知る事は必要だと思います。

私は、親父が戦争に行っておりましたので、ふと、親父が戦死していたら、、自分はこの世に存在していないのだと思う時があります。

でも考えてみれば、親父が戦争体験があるかどうかは別として、今生きている人全て、自分の祖先の誰かが戦死、いや戦死でなくても、その子供が生まれる前に亡くなっていたら、生まれていないのです。

そう考えると、イデオロギーがどうだとかという話ではなく、正しい事も正しくない事も、それが有っての今なのですから、自分達のルーツはしっかりと学ばないといけないと思います。

自分が生きている間だけでも、あの時ちょっと、こちらに行っていたら、この出会いがなければ、、、
全く違う展開になっていたという事の連鎖なのに、その自分が生まれてくるまでに、途方もない人々の行動や、選択の掛け合わせが折り重なっての今の自分があるのです。

”やりたくない”、”めんどくさい”、”自分はどうなってもいい”、そんな自分一人の軽はずみな思いで
いいのでしょうか?

自分の選択が、後の時代に生きて行く人達に、良い影響をもたらせる事になれば、、それが生物としての本望なのではないでしょうか?

国会議事堂で日本の中心に居る人には、そんな日本人を継承しているという自覚を持って、初登庁した際の想いに立ち返って欲しいと、先日の安保法案の醜態を見て、より一層思います。

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