2014年11月2日日曜日

日本としてのコアサービスとフリンジサービス

今週は土曜日から三連休ですが、ウエダ本社とKYOCAでのイベントがありますので、合間をぬって書いています。

土曜日はウエダ本社で未来フェスというイベントが開催されていましたが、信頼資本財団さんが風伝館で行なわれた関連イベントで、スタンフォード大学名誉シニアフェローの今井先生が仰っていた、日本企業の経済的可能性について、普段思っているところと関連付けたいと思います。

今井先生が外国人に対して、新幹線の事を誇るのは、技術力や継続的進化を起こしている事と共に、サービス面であり、あれだけの長距離を高速運転しながら、到着時間を記入した乗車券を発行するなど、日本以外にはあり得ないという点だと仰っていました。

その通りでしょうね。


1分違わず殆どの電車が運行しているのですから、外国人からすればミラクル以外の何物でもないでしょう。

でも問題は、それを実現する仕組み、細やかな対応、連携などが、それら作業をきっちりやる以上の付加価値を生んでいない事だと思います。

大量生産大量消費の時代には、物で価値提供できたのですが、それらを実現する仕組みや、細かな配慮なども、物に転嫁され、価値を生んでいたのですが、物が売れなくなり、数が必要ではなくなってから、そのサービス水準、対応力が、価値に見合う様に展開できていないと思います。

お・も・て・な・し ホスピタリティーが日本の強みでありますが、それらは単に、利他的に相手の事を考えて、優しいというだけの話ではありません。

相手を満足させる事、感動を与えるレベルになる事は優しい思いやりだけでは実現できません。

先日お話を伺って衝撃的であった亀田メディカルセンターの亀田院長も、コアサービスとフリンジサービスというお話をされていましたが、コアサービスがしっかりしない中で、フリンジサービスなどあり得ないというお話でした。

日本では当たり前でコアサービスに含んでしまっているものが、外国から見ればフリンジサービスであるので、それを当たり前に難無く行ってしまうのはミラクル!となるのですが、そこのコアサービスを分解して、付加価値としていく事をもっと考えていくべきではないか?と思います。

一方で、どうしても、コアサービスの弱体化(脆弱化)も感じてなりません。

フラットな関係や、相手(多様)を認めるという事で、駄目な事も指摘しないというのは、一見、受け入れていて良さそうなのですが、少なくとビジネスにおいては、折角水準の高かった日本のコアサービスが劣化していくのです。

細やかな気遣いどころか、自分本位で相手の感情が分からない、当たり前の返事や、それこそ、日本人の強み?でもある時間を守るとか、そんな事がしっかりできない人が増えていっています。

これも先日の日本を元気にするセミナーで、”教えない経営”の権化の様なネッツトヨタ南国の横田相談役も、必要最低限のサービスマニュアルは有り、知識を与えて良い所と、人間力を高める所があるという事を仰っていましたが、やはり、最低限(組織によってのレベル差はあります)のコアサービスを担保して初めて、おもてなし、ホスピタリティーも実現できるのだと思います。

所謂、ソーシャルという、社会課題に向き合っているところで、この人間力という点が劣化している様に感じるのが、大変危惧します。

活動や唱えている事は立派なのに、そもそも自分本位であって、全体の事を考えられてないとか、違う主義の人を批判するとか、それでは、良い世の中など実現できるわけないと思います。

又、素晴らしい理念、活動であるのに、同じ様な想いで行なう人を敵視したりする様なこともよく感じます。

それって、何の為にやっているのでしょう?

日本の為、世界の為、未来の為に、同じ様に思っている人や組織は、多少、考えに違いがあっても、一緒に分担してやっていけないものかと思います。

その為にも、日本としてのコアサービスは何か?それは、世代や考え、時代など問わず、一定ラインを保持をしながら、フリンジサービスについては、それこそ多様性で、色々な人が、色々な想いで、又、それぞれの人を尊重して行っていかなくてはならないと思います。

これしか、日本が強みを発揮してやっていく道はないと思うのですが、、、

と、力んでしまいましたが、日本が悠長な事を言ってられるのも、もう、そんなに時間はないと思います。

色々なイベントの合間で、何とかこれらの素晴らしい想い、活動が、絡み合っていって欲しいと願います。


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