2009年3月25日水曜日

イチロー選手と人間のあり方

WBCのイチロー選手を見て、殆どの方がいつもと違うと感じられたのではないでしょうか?

不調だった時、いつもストイックで強気なイチロー選手の初めて聞く様な弱気のコメント、そして昨日の、いつものクールさからは想像もできないハシャギぶり。

イチローも人間だったんだぁと思った人も多かったのではないでしょうか?


何が皆に感動を与えたか?ですが、あのいつも完璧で強気のイチロー選手が日本を背負って、そのプレッシャーと戦い、結果が出ないことで弱音を吐き、その姿を、同じプロだからこそ分かる他の選手達が、その負担を減らすべく、自分達それぞれの役割を果たそうとして一つになって勝ち取ったという光景が、清清しい感動を与えてくれたのだと思います。

そんな姿を見て、国を背負うというナショナリズムは、やはり素晴らしいことなんだと思いました。

私は決して国粋主義者ではないと思います。
しかし、国家を思うという感覚に対して、アレルギー反応を起こす人も居ますが、こういうスポーツを通しての盛り上がりを見ても、私は国を思うことは、まず人間としての根本ではないのかと思います。


国家というものを意識すると、自分の存在というものを感じることができのだと思います。

日本は軍国主義の反省から、国家という考えを排除しすぎた為に、帰属意識が薄くなり、自分自身の存在意義も見失ってしまい、そのことからも目標や夢、やる気というものが薄れてしまったのではないかと思います。

あのクールなイチロー選手が、あれだけ日本という国を背負って悩み、あれだけハシャグ姿を見て、今の若い人達が格好いいと思ってくれたら良いと思います。


勿論、格好だけ国を思う様なものになってもらうと、却って恐ろしい事になりますし、自分勝手な感覚で、自分を好きになってもらうのは困りますが、イチロー選手の様に自分に厳しい姿勢を持ちながら、自分に興味を持ち、好きになり、その存在や、背景を知り、そして誇りに思うという事が、本来あるべき人間のあり方なのではないかと思いました。

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